こがらしはしぬことにした

小目出鯛太郎

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業の国

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 今日は劇場の手伝いがあるから、夜は帰れないかもしれないと、クルスは嘘をついてアディムの家を出た。

 家を出る前に心配するアディムがクルスの首にネックレスをかけた。竜の肝が入ったあれとそっくり同じ物だった。付けられたもう一つの小さな丸く平らな銀の飾りには、針で書いたような繊細な盾と剣の印があった。

「あたしとお揃いなんて嫌かもしれませんがね、中にはアレがはいってますから怪我をしたり、具合が悪くなったら舐めるんですよ?それからこの銀のしるしはうちの家の証みたいなもんですから、これを見りゃあ人攫いなんかにも心配いりませんからね、でも気をつけてくださいよ、祭りの間は人が多いんですからね」


 心配しきりのアディムに見送られ、クルスは真っ先に酒屋に向かい、貨幣を渡して葡萄酒を何本か劇場に届けて貰えるようにお願いした。自分が全く飲まないから忘れていたのだ。そして駆け足で菓子屋に向かった。

 ついた頃にはもう二人程人が並んでいたが豆の粉と干し葡萄と卵や何かをこねて焼いた菓子が詰まった大きな籠を二つ買った。黒砂糖を入れて焼いた物や、ざらめのかかった物もある。劇場の皆が好きな菓子だった。
 腹持ちが良いのだ。


 劇場の裏口から入り楽屋を覗きこむと、金髪を振り乱したエイダがいた。
「エイダ、なんて格好してるの」

 思わずクルスが声をかけると、エイダは声にならない悲鳴をあげた。

「クルス、クルス、どうしよう震えが止まらないのよ」
 
 緋色のガウン姿のエイダは、雷を恐れる子供のように頭を抱えて床にうずくまってしまった。

「…怖くて歌えないわ、間違ったらどうしようと思ったら手も足も震えて、歌詞も何も出てこなくなっちゃうのよ、無理だわ歌えないわ」

「…エイダ」
 歌い手に良くあることだと、励ますことも出来たがクルスは菓子を持ったままエイダの横に座った。

「失敗しないおまじないをしてあげる。だからゆっくりこれを食べて」
 クルスはエイダの手に買ってきた焼き菓子を乗せた。
 見ればエイダの細い指先まで震えていた。


「間違っても良いんだよ。もし歌詞を間違ってもそういう演出なんだって顔をして堂々としていれば良いよ。歌詞が出てこなくなったら踊ってよ。弦楽のみんながすぐに伴奏してくれるし、舞台裏から誰かが歌ってくれるよ。みんなが助けてくれるよ」

「…あたし、あんたみたいに歌えないわ、どう頑張っても」
 エイダは菓子に齧りついた。
 菓子くずがぱらぱらと散る。

「不思議だね、僕はずっとエイダの真似をしてたのに、エイダにそんなふうに言われるなんて。エイダの歌声からは物語が見えるよ」

「何言ってるのよ、あんた今までそんなこと言ったことないくせに」

「仕方ないよ、話す機会がなかったんだから。僕は泣き真似は葬列の泣き女から学んだけど、歌はずっとエイダの真似をしてたんだよ」

 クルスは焼き菓子を手に取ってエイダと同じように、齧った。
「エイダの歌を聞くとね、ああ、あんな恋をしてみたいとか、あいつなんて酷い男なんだ!とか愛ってなんて素晴らしいんだろうっていつも心が動いたよ。エイダにしか出来ないことだよ」

 エイダはやけくそのようにむしゃむしゃと菓子を食べた。
「なによ今更お世辞なんていらないわよ」

「僕がここまでやれたのはエイダのおかげだし、エイダが今日この場に立つのもエイダの今までの頑張りがあったからだよ。間違っても大丈夫、みんなそれが物語の流れだと思うから。歌い出しを忘れても大丈夫、みんなそれが舞台の#間__ま_#だと思うから。みんなひきこまれるよ」

 エイダを励ましながら、二人はむしゃむしゃと菓子を食べた。四つめを食べてクルスが『これでもう、しーんとした舞台でお腹が空いてぐるるるきゅーって鳴る事はないよ』と言うと、エイダはようやく少し笑った。


 舞台をどこかで見ていてね、と言うエイダの声に頷きながらクルスは嘘をつくことを心の中でエイダにわびた。
 
 もうここに戻っては来れないと云う寂しい予感めいたものがあった。それを告げることはできなかった。

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