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吾輩は前世は猫であった
しおりを挟む吾輩は猫である。
正確には猫であった。
うむ、吾輩と自分を称するのはなんともあわぬ…。やはり言い慣れた余が良いな。
余は新しい世界で猫生を過ごし、今まさに天寿を全うした。
予の亡骸を抱いて、世話係がひぃひぃと泣いている。腹の空いた燕の子でもここまでは泣けまいというほどだ。
「…くろちゃん、くろちゃんごめんね…」
くろちゃんというのはこの気の利かない世話係が勝手に余に付けたあだ名である。
こいつは世界征服には毛ほども役には立たなかったが、悪い奴ではなかった。
撫で方も心得、魔性のおやつちゅーるを準備できるのも此奴だけだった。
余が飽きるまで玩具を振り回してくれるのも此奴だ。
もちろん余も、主らしく奴の仕事道具を温めてやったりした。灰色の少々でこぼこした不格好な板である。奴が触るとカシャカシャターン!と音がする。世話係よ覚えているか…余が触れてもかちりとも音はしなかったはずだ。
ふ、これが培った経験の差と言うものよ。音や気配を消し暗闇に紛れてこそ我ら闇の眷属…。余が去った後も精進するのであるぞ…。
「…くろちゃんごめんね…」
余の言葉は聞こえぬのだろう。世話係は身も世もなく泣いている。もうそれは魂の無い亡骸であるのだぞ、返事をすることもないのだぞ。
世話係よ、泣くでない。謝る必要もないのだ。余は寿命で逝くのだから。
泣く暇があったら働け。
働いて今度は自分のために美味いものを食え。もう、お前のつましい稼ぎから余の玩具やおやつを買わなくても良いのだ。
余は…余は…お前のその愛情に満ちた眼差しと優しい手の温もりでもう十分満たされた。
前の冷たい世界とは比較にならぬほど幸せだったのだ。その幸せをくれたのはお前なのだから。何時までも泣いていてはいけない。
ドアが勢い良く空いて、もう一人の世話係が飛び込んで来た。うむ、まぁ、これで大丈夫だろう。
あやつは世話係の世話係みたいな者だから、どうにか慰めこやつを支えて行くだろう。
まぁ、二人幸せに達者に暮らせよ。
二人の姿を目に収めて、余は何処へとも知れぬ場所へと送り出された。
…知れぬ場所?
……むむ、何やらそこかしこに見覚えがある。
前世の極めて簡素な木と安っぽい壁の造りとは異なる場所へ。
何やらこう、豪華と言えば響きは良いが仰々しいというかぐねぐねぎらぎらしてやたら飾りの多い天井や柱や足が沈みそうな緋色の絨毯…。
これは…余の城ではないか…。
ホワイトアンドナチュラルウッドの配色が懐かしいとは、余も趣味が変わったらしい。
模様替えとやらをしても良いかもしれぬ。
そこで余は気がついた。
無礼な事に、余の王座に腰掛けている者がおるではないか。
ぼんやりと覇気も無く、まるで余が、死んだ後に泣きつづけていた世話係のような情けない顔をした若者が。
髪は黒く、面は血の気もなく白い。
そこはかとなく世話係に似ているような気がする。顔立ちは全然違うが、一重で彫りの浅い幼さが抜けきれない顔立ち。
そこで余は思い出した。
此奴は、我が城を襲撃した勇者の仲間ではないか。
勇者の気配は無い。
此奴の身体からは、勇者の仲間とは思えぬほどに、黒い瘴気が溢れ出していた。
どろどろと溢れ出すそれは、余の全盛期並ではないか…。
仲間割れでもしたのか…。
余はゆっくりと歩みだした。
歩みだして、気がついてしまった。余の力溢れ強く美しい肉体、余の魔王たる象徴の角も鎧も無い。
ちょこんと床についた足は純白の毛皮に包まれている。
こ、これは世話係が余が一人でも寂しく無いようにと買ったぬいぐるみのしろちゃんそっくりではないのか?
余はそっと前足を持ち上げた。
うむ、可愛らしいピンクの肉球だ。
ふさふさと毛足は長い。
あああ、余の威厳は…今まで築き上げてきた物は一体どうなってしまったのだ…。
しかし、王座は余の場所である。
余は思い切り跳躍した。そして遠慮なく奴の上に座ってやった。
うあああ…何ということだ。世話係も冷え性だったが、此奴もまた冷たい。冷え冷えではないか。
「…なんだ…猫か…」
「どこから来たんだ…」
奴は呟いた。世話係と同じ黒い色の瞳から突如清水のように涙が溢れ出した。
「…こんなもので、あの方を思い出してしまうなんて……お師匠さま……お師匠さま……」
奴はめそめそと泣き始めた。
泣き方まで世話係とそっくりではないか。
なんだこの童顔族というのは、皆泣き虫なのか。しゃんとしろ、余は襟巻きではない!
襟巻きではないというのに!香袋でもないというのに!!無礼千万にも奴は余の腹に顔を埋めてすぅはぁと匂いを嗅いだ。
いっそ引っ掻いてやろうと思ったのだが、脳裏に別れた世界の世話係の顔が思い浮かんだ。あいつの横には優しく慰める男がいるから問題ない。いつか泣き止み太陽のように笑う日が訪れるはずだ。
だがこの暗い世界では…。
この暗く冷たい世界では、この勇者崩れか従者か仲間だったかとにかくわからぬこの涙まみれの男は…一人ぼっちだ。
このまま泣き続けられても鬱陶しいことこの上ない。
余はすっかり力を無くし、世話をしてくれる者が必要だった。
この際仕方無い。
この泣き虫男をなんとかしっかり躾直して、一人前の世話係に仕立てあげなくては。
涙の流れる頬をペロペロと舐めると、奴はくすぐったそうに不器用に微笑んだ。
「…生きているものは皆殺しにしたと思っていたのに…お前はどこから来たんだろう…」
ぬ、奴は物騒な事を呟いた、
いや、余は猫であるので人の言葉などわからぬのだ。理解しないのだ。
しかしこれはちと、難儀かもしれぬ。
むむむ、奴の方が強いとは。これはどうしたものか。
悩む余の背中を、男はそろそろと撫で始めた。
「ふわふわだ…。お師匠さまの襟巻きと同じ感触だ…」
うむ、とりあえず毛皮の手入れだけは決して怠るまい…。余は心に誓った。
吾輩は前前世は魔王であり、前世は黒猫であり、今世は白猫である。
名前は『襟巻き』になりそうだ。
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