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燃え尽きぬ灰の叫び 2
しおりを挟むカーダの酔狂は、私に理解できる範疇外だった。
私を裏切った女と私を陥れた男の子を育てるというのだから。
その女は私の妻であったし、その男は血を分けた弟であったのだがどちらももうこの世にはいない。
私を死地に追いやり血と怨嗟に塗れさせた一族をカーダは薄紙を裂くように処理してしまった。
ある者は金を、ある者は名誉をあるいは両方を失い、離散し泥水さえ啜れぬ身に落ちた。
名前を覚えている価値もない男が異端の名の下に生きながら火に焼かれるのを眺めた。
その目が驚きと恐怖に見開かれるのを見た。「何故生きている」とかって弟だった男は叫んだように見えた。それも生木の燻る煙にまかれて、絶命し、黒い煙の幕が降りた。
どちらも等しく裏切りの代償を受け取ったのだ。
そして二人共冷たい土の下で朽ちて逝く。いずれ人の形も分からぬ土塊となりそこに草木が芽吹き花咲き実が成るのなら、それが二人の言っていた永遠の愛の形とやらになるのかもしれなかった。
カーダはどういうわけか、形を変え、匂い立つような色香を服の合わさいに押し隠したような控え目で愛情深い女の姿になった。
私にとっては彼が男でも女でもどんな姿であっても愛と崇拝の対象でしかない。
カーダは血まみれの手を振り一瞬で白い繊手に変えた。そして教会に置かれた聖母像が息を吹き込まれそのまま歩き出したかのように自然に乳飲み子を抱いて育てた。
血を吐くほど憎悪した者の子であるがカーダが子として慈しむのなら、私は求められた凡庸な農夫の夫役を果たすより他ない。
この身はもはや人ではないものに成り果てたが、その子は血の繋がった甥っ子だった。
育つにつれ容が私に似てくると、もしカーダとの間に子がいたならこうであったのかと思わずにはいられなかった。誰に似たのか似なかったのかよく笑い素直で賢い子だった。
私はカーダの眷属となった時に子を残せる体では無くなった事を知った。
側にいて手を繋ぎ、指を絡め愛を囁やき体を重ねても、それ以上の繋がりが欲しくなるのは、何処かに残った人間の性なのか。それとも眷属となったせいで生じる狂しい渇望なのか、どちらなのかは分らなかった。
カーダが可愛がったから目をかけた。
裏切り者の子を。私を殺そうとした男の子供を愛する振りをした。それはカーダと存外に可愛いらしかった子のおかげで難しいことではなかった。
カーダは布や木切れを継ぎ合わせ、糸をくくり子供を楽しませる操り人形を器用に作った。
「ラキス、ほら見て。人形が踊るよ。これは両親の仇を討つ騎士の物語」
「かあさま、これはつるぎ?」
「そうよ」
たん、たららんと歌にもならぬような物を口ずさみながら子供の前で人形を踊らせる。
勇気を、高潔さを、誠実を寛大さを、揺るぎない信念を、礼儀を、崇高な行いを、そして優れた戦いを幼い子供に繰り返し見聞きさせ、魅せ続けた。
虚飾の愛を悟らせず、幸せな家族をカーダと私は演じていた。一欠片の愛は本物だったかもしれない。
無垢と純真に対する愛。
ラキスは愛すべき子供だった。
カーダが本当に操り踊らせていたのは生きている子供であった事を私が知るのは二十数年後だった。
酒を寝かせて熟成させ上等に仕上げるように。
騎士の誉れ、この国にこの騎士ありと歌われるほど名高くなった息子に、美しい娘との婚約を直前に控えた息子にカーダは語りかけたのだ。
老いた母の姿で、同じように老いて見える私を傍らに侍らせて。
今まで隠していた事実を、まるでお伽噺でもするように。
「ラキス、私達の可愛い子。裏切り者の子。光り輝く騎士となったお前に真実を教えてあげる」
話したカーダに、ラキスは剣を向けた。
「かあさまがせかいでいちばんすき」
そう言ってカーダの腰にすがりついていた小さな男の子はもういなかった。
私達は切られ、家には火がかけられた。
カーダは愛があるのか知りたかったのだと私に告げた。
ラキスに愛情を注ぎ続けた両親が、実は仇であると知った時にどう振る舞うのか見たかったのだと。
私達は人の子に切られて死ぬ身ではない。
私達はラキスの行き先を見つめた。
カーダの悪戯はこれに留まらなかった。
ラキスが想いを告げた娘の正体が少女に化けたカーダであるなど。少女となったカーダの腹にラキスの子が宿っているなど信じられるはずがなかった。
人との間に子などできないと言ったのはカーダなのに。
私を命の輪廻から外れた存在にしたのに、カーダはそうでないと?
私は激しい嫉妬に身を焦がした。
カーダがラキスの母親を演じて幼いあの子を抱きしめるのも、一緒に眠るのも、手を繋ぐのも口付けさえ許せたのに。カーダが少女に化けてラキスと男女の関係になるのは許せなかった。二人の間の子など祝福できるはずが無かった。
全てを引き裂かずにはおれないような強烈な憎悪と嫉妬が込み上げる。
カーダの眷属になった時点で、足元に這いつくばる自分は対等ではないのだ。横に並べる存在ではないのだ。何をもってカーダへの愛を示せば良いのか。血を吐くような想いに駆られても私には流す血もない。
ラキスを殺そう。そう思って私は剣を手に取った。初めからそうなる運命だったのだと。例えカーダの不興をかってこの身が潰えてもラキスの息の根を止めよう。
決意して向かった先でカーダは微笑んでいた。
白い頬と血の気のない唇を舐めて、それを私に投げよこした。
私の嫉妬を掻き立てるために、ラキスは罪深い生贄の仔羊として利用されたのだと、その時になってやっと理解できた。
投げ渡されたのは、ひとときは子として愛しんだラキスの頭部だった。
まるで眠っているようにに静かな表情で。濃いまつ毛にはまだ涙の粒が残っていた。
ラキスがどんな想いを抱えたまま殺されたのか、私にはわからないままだった。
真っ黒な嫉妬の毒がゆるりと溶けていくのを感じた。だが、カーダの腹にはまだ…。
「子は生まれなかった。お前が人である時に交わっていればあるいは本当に生まれたかもしれないけれど」
カーダは両腕を伸ばした。
あの時私を魅了した美しい姿で。
蛇のように私に絡みつき、墓石のように私を大地に沈め、長い髪を翼のようにして覆った。
「これは罰だ。お前が私以外のものに心を許したから」
カーダはおかしな事を言った。カーダが愛するふりをしたからラキスに目をかけただけなのに。
「お前は私のものだから…」
カーダの言葉に私は縛られて安堵した。
どんな罰も、どんな痛みもカーダがもたらすものであれば私には甘い楔でしかないのだと、深く貫かれて溶けていった。
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