偽りの器(旧:ほむんくるす)

小目出鯛太郎

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燃え尽きぬ灰の叫び

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 手足はこごえ、こおりついた大地と一体になろうとしていた。

 遠くに見える山の稜線は淀んだだいだいから死人の肌のような腐れた紫色に染まり、白く細い月が空のひび割れのように見えた。
 もうそこが東か西かもわからない。


 焼け焦げた煙が芬々とした血臭とぶちまけられた臓物の匂いを包み、それを夜風がどこか遠くへ押しやろうとしていた。そんなものが私に与えられた最後の慈悲なのか。

 せめて雪が降ればこのくだらぬ生にもっと早く終わりの幕を降ろせるのに。幾多のかばねを隠し偽物の安息を得たように見えるのに。
 

 何も掴めずこのまま死ぬのか。誰もが等しく甘受するたった一つの死が、こんな形なのか。自分の生が泥濘と汚濁の中で終わるのか。この世に神がいるならば…。
 いや。もはや神など信じない。悪魔がいるならば私の魂を奪い、復讐を果たしてくれ。
 復讐を
 復讐を
 復讐を…


 迫りくる夜の代わりに眼前に澄んだ瞳があった。
 空の蒼と、平原の緑と、星のきらめき。そこに血の赤が炎のように輝く。


戰場いくさばは良いね。血に困らない。皆もう少し息ぎたなく藻掻いて息をしてくれれば良いのだけれど。死人に用はないから」

 枯れた老人のように人生の終わりを見据えたような、恋するひたむきな少女のような、血に飢えた狼のような声だった。
 それなのに何故美しいのか。

 長い髪を羽のようにたなびかせ。

 死者の魂を導くものではないのか。
 勇敢に戦った戦士の魂を楽園に運ぶ戦乙女ヴァルキリではないのか。


 誰かが言っていた。悪魔は美しいと。人が悪魔に誘惑されて堕落するのは、悪魔の容貌が天使より美しいからだと…。


「稀有な肉体よ。お前の願いを叶えることはわたしはできないけれど、お前がわたしの下僕しもべになるのならば一時ひとときその傷と苦痛を取り除いてやることができるよ。そうすればお前は自らの手に剣を持って復讐できるよ」


 悪魔よお前と契約する。

 私は即座に答えた。しかし私の口からもう声は出なかった。見えているものもいまわの際のまぼろしかもしれなかった。聞こえる声も幻聴かもしれなかった。


「わたしは悪魔ではないよ。お前はもう太陽の下を歩けなくなっても、血を分けた家族に愛されることがなくなっても、永遠の乾きにただ血でのみ腹を満たす存在になり果ててもわたしと来るかな?」



 復讐できるならば。



「わたしはお前から死を遠ざける。でもそれは苦痛が無くなるということではないよ。茨の冠を被り、蕁麻いらくさの服を纏い、釘と針でできた靴を履いて歩くようなものかもしれないよ」


 構うものか。
 私は手を伸ばそうとした。腕どころか指さえ持ち上がらなかった。ただ白い吐息だけが細い糸のように立ち昇る。

 その細く切れそうな息の糸を繰るように白い顔が近づく。


 紅唇は私に口付けず、私の首筋を噛んだ。
 こおる手前の私の血潮があらゆる生命の輪廻の輪から外れ、ごく当たり前と思われていた自然の生命の摂理から弾き出された。
 私の血は全て飲み干され、それだけでなく、大地に流された全ての赤い血が奔流となってこの場に注ぎ吸い上げられた。
 
 この世界の血の赤が消失したようにさえ感じられた。

 夜の闇より暗いとばりの中に静寂が満ちて、次の瞬間私の空っぽの体に流れ込んで来たのは歓喜だった。
 
 突き刺すような、殴打されるよう狂ったような愉悦。絶頂が果てなく続くような法悦。


 全身に力がみなぎり、傷は癒えた。鎧の重さも感じぬほどに肉体が軽く、強く猛々しい気持ちになれたのは何時ぶりか。


 痛みなど、ない。



 私が得た喜びとは裏腹に見おろす瞳は悲しげだった。私を支える腕は砂糖細工のように脆く崩れてしまいそうだった。



「わたしの名前はカーダ。お前の永遠の主となる者」


 彼は名乗り、私はひざまずいた。
 否、跪かされた。

 彼に従う者になったのだと感覚で理解した。

 私は名乗ろうとした。
 名乗ろうとして、気がついた。私が持っていたあらゆるものは全て彼に捧げてしまったのだ。

 私の名前も知識も思い出も感情も全て彼のものになってしまったのだ。

「お前は強く復讐を望んでいたね。今でもその想いは、お前の胸を焦がすかい?」

「いいえ」

 彼の手は犬にするように私の頭を撫でた。ああ、軽く触れられたそれだけの行為で喜びがひたひたと溢れ出る。


「そうか。…でも私は退屈だからお前の復讐劇を見るのも良い暇つぶしになるかもしれない。つまらぬ劇をしてはいけないよ」


 静かな声は私の心を甘く蕩かす。
 これからの日々は全てカーダのために。
 それが私と彼の出会いだった。

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