鬼の名語り

小目出鯛太郎

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ていたい

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 女の泣き声が聞こえてかがりは足を止めた。


 押し殺してすすり泣くような静かなものではなく手近にあるものを掴んで投げ捨てるかのような激しい泣き方だった。
 長くここにいれば鬱屈して何かに当たり散らしたくなることもあるのだろう、と篝は踵をかえす。


 前に篝と同じ字を冠した花がいると、はがねから聞いた事があった。花園の女達がこそこそと鋼の噂話をしているのでふとそれを思い出して顔を見てみようとかいう気になったのだ。





「お前、篝火花しくらめんという花とは縁続きか?」

 花園に来たばかりの頃、かしましい女共を避けて東屋に逃げ込んだ時に、鋼と鉢合わせた。
 そこでそう聞かれて、篝は首を横に振った。聞いたこともなかった。

「その女、昔はブタノマンジュウと名付けられていたそうでな」
「豚の饅頭?」


 なんて酷い名前だ。男の俺でさえ、そんな名づけをされたら耐え難い。男二人で話していればしばらく女は寄ってこないだろうと思って篝は鋼の向かいに腰をおろす。
「…それは酷い名付けだな」

「…会う機会があって顔を見たら、普通に美しい女でな、小さな花冠のような燃え立つ赤い髪をしていた。書をいくつか調べてみれば面白いことに、海渡うみわたりの異国の王の冠に使われた花でもあった。その逸話が二つあってどちらも良い話だった」


 篝はうっかり間抜けな顔で鋼を見てしまった。
「鋼は書など読むのか…」

 その厳つい姿から、いつも遮二無二鍛錬ばかりをしているように思っていた。その盛り上がった肩、丸太のような腕、その小山のような姿でちょこんと本を読むのかと思うと篝はおかしくなった。
「書とは、痩せた筆とかしわくちゃの梅干しのような爺さんが縁側で日向ぼっこでもしながら読むような気がして、手に取った事がなかったから、鋼が花の本など読むのかと驚いたよ」


 鋼はふふと笑った。

「書は暇つぶしには最適だぞ。しかし俺も驚いている。篝が花園に入り浸っていると聞いていたから、てっきり良い女の所にでもしけこんでいるのかと思えば、こうしてはずれの東屋に来るなど、誰から逃げて来たんだ?」


「分からん」

 今度は鋼がえ?と驚いた顔をした。

「俺の家から物が無くなったり、家を出て宿に泊まれば宿に知らぬ女が夜半に入り込んできたり、今もよく分からぬ奴に追いすがられて逃げて来たのさ。花の顔などどれも皆同じに見えて、たまらん…」

「もてる奴は大変だな」

 ぼっそりと告げられて、篝はまた横に首を振った。こんなあけすけな話をするとは思っていなかったが、金剛と話すよりも気が楽だった。こうして座って話してみるとどこか穏健な雰囲気が鋼にはあった。飾ったところのない実直な物言いが良いのかもしれないと思った。


「鋼はどうしてこんな場所にいるんだ?」

「この花園も小さな一つの町のようで、長くいると何故か手癖の悪い者が出てくるのだ。枕探しともお手長様と云うような盗人がな。それの仕置きを終えて、一服さ。此処で盗んで良いのは心だけと言い聞かせても、身を案じてのことなのだがなかなかなぁ…」


「…盗人の手首を切り落としたりしないよな?」

「おいおいおい、俺を何だと思っているんだ。そんな恐ろしいことをするわけがないだろう。花園の内ならば、盗んだ物を返させて、手を定規で叩くか、せいぜいが手枷をつけて数日閉じ込めるぐらいだ」


 盗んで良いのは心だけ



 篝の頭に、その様が浮かぶ。物欲しそうな、あるいは寂しそうな花が捕らえられ、鋼の前に引き立てられる。あるいは鋼が直々に花を捕らえて『盗んで良いのは心だけ』と説教し、仕置きする。

 女だらけの花園で、真摯に向き合われ見つめられお前の身を案じてこうして打つのだと手を打たれて、あるいは枷をつけられて。盗人の全てとは言わぬが、幾人かは多分この男に捕まって打たれたいのだろう。

 お前、盗んで良いのは心だけと言うけれど、言ったお前がきっと誰かの心を盗んでいるぞ。

 篝は思ったが、あまりに真面目そうな顔だちの鋼に告げることはできなかった。


 そうして二人、夜に話したことがあったのだ。
 ただそれだけの過ぎた日の出来事だった。

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