19 / 38
【19】魔法研究所 その1
しおりを挟む帝国にやってきてリシェリードが目を見張ったのは、人々の日常生活に魔道の技術が取り入れられていることだ。
家や街路を照らす灯りに、常に温かなお湯が出る魔道装置。結界に守られたラルランドでは、灯りはオイルランプや松明であり、煮炊きや風呂も薪を使う、三百年前のまま時が止まっている。
帝国の人々の生活を便利にしているその技術を生み出したのが、初代皇帝によってつくられた魔法研究所だ。
「見学をしたい?」
リシェリードを皇妃にという話は、相変わらず難航しているようで、本日も長引いた会議に遅く帰ってきたヴォルドワンを出迎えて。
本日の夜食は小麦粉の皮で挽肉の種を包んだものを入れたスープに、塩漬けのニシンにビーツのサラダだ。相変わらず豪快にして綺麗に食べる皇帝陛下を前に、リシェリードは自分の希望を告げた。
魔法研究所を見たいと。
「帝国の魔道研究の三百年の成果を見たいのは当然じゃないか?」
「わかった」とうなずいたヴォルドワンに「いいの?」とリシェリードは訊ねる。
「そんな簡単に機密の固まりだろう研究所を私に見せて」
「隠したところであなたには無駄だと知っている」
「確かに」
リシェリードがその気になれば、どんな厳重な結界に守られた中ものぞき見ることが出来るし、なんならばその中に転移することも出来る。
「カイも連れて行っていいか?」
「カイを?」
「あの子はこの帝宮の中から一歩も出たことがないと聞いたぞ」
皇帝の唯一の子の身の安全もあったのだろうが、大半は父親たるヴォルドワンがいままで、その息子に無関心を通してきた。その為に乳母以外の周囲も、あの子に配慮しなかったのだろうと、ちくりとやる。
そうそう、カイの以前の乳母のマーサであるが、復帰してこの帝宮にやってきた。ふくよかな婦人でカイは彼女をみたとたんに泣きながら、飛びついていた。マーサもまた、涙ぐんでカイを抱きしめた。
カイがひねくれもせずに素直な子に育ったのは、この乳母がいたからだろう。
とはいえ、乳母のマーサだけでは色々と力が足りなかったことも確かで、カイが七歳となるまで夏の離宮への遠出どころか、帝宮以外の外を見たことがないのが良い証拠だ。
もっともこの若き皇帝陛下も就任以来、外出といえば視察に演習に遠征と、私事がまったくない仕事人間だったらしいから、そのようなことに考えがおよばなかったのだろう。
まあ、それをいうなら前世のリシェリードだって、幼い頃から遊ぶことより魔道書を読んでいたほうが楽しかったし、反乱軍を率いてからは転戦の連続で休みなどなし、王として玉座にあったのは一年足らずで、そのあいだ大結界の準備でいそがしく……。
要するに前世の王だった自分も目の前の皇帝陛下とどっこいだったな……と思う。
あのときはああいう時代だった。明日、生きることに必死で、誰もが遊ぶ暇なんてなかった。
だからこそ、平和な今世を享受しようと思うのだ。
「よし、お前もつきあえ」
「俺が? ……しかし」
『政務がある』と続くだろう言葉を遮って、リシェリードは口を開いた。
「皇帝が魔法研究所を“視察”するんだ。立派な仕事だろう?
それに未来の“皇妃”とともに親子水入らずで外出したくないか?」
そう言えば皇帝陛下はあっさりとうなずいた。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
魔道士達の集まりの研究所なのに、なぜ魔法とついているのか?
これも初代皇帝陛下の遺言による命名だったという。
「あなたの“魔法”による大結界の研究なのだ。魔法研究所が相応しいだろう」
今世の皇帝陛下からそんな言葉が返ってきた。なるほどたしかに、魔法を研究するならばそれが相応しい。
愛された寝台の中で訊くには無粋だったかもしれない。ヴォルドワンの裸の腕のなか、リシェリードもまた生まれたままの姿で、その蜂蜜色の髪を男の長い指がすく。
それにうっとりとまどろみに身をまかせながらも、前々から気になっていたことを訊ねた。
「お前は、私の“大結界”を破るつもりだったのか?」
三百年後、実際に帝国軍はラルランドを守る外側の結界をやぶって侵入してきたわけだが。
「いいや、逆だ」
「逆?」
「結界を破るためではなく。結界を“創る”ためにあの研究所を私は起こした。誰の命の犠牲もなく、国を守る壁を築けたなら……と」
誰の命の犠牲があったかはいうまでもない。「そうか」と答えて、リシェリードは眠りについた。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
魔法研究所の所長、ピムチョキンはちょびひげに小太り、後ろになでつけた頭髪のせいもあるだろうが、額がやたら広い。ようするにちょっと危うい頭髪の中年の男だった。
リシェリードの見えぬものが見える目には、所長だけあってかなりの魔力は有しているが、その背負う気の色は見事に濁っている。ようするに野心満々の俗物だ。
皇帝陛下直々の視察ということで、この所長自らが案内に立った。
まず一番最初に紹介されたのが、結界を破った魔道装置だった。要となるのはオーブと呼ばれる巨大な人造宝玉だ。
魔法研究所が開発したこのオーブは、自然界に満ちている精霊の力を取り込み蓄積することで出来るとのことだった。これが人々の暮らしの様々な魔道具の動力源として応用されていると、リシェリードは興味深くきいた。
初めは小さなオーブしか作れなかったが、近年、巨大な結晶を作ることに成功したと。その一つがラルランドの結界を破るのに使われたという。
「これほど巨大なものを創るとなると十年の歳月はかかりますな。あのいまいましい結界を破り、大軍を通す大穴をあけたときに、装置の負荷に耐えきれず一つは砕け散ってしまいました。
ですから、これが今ある、貴重な一つです」
ピムチョキンは自慢げに胸を張る。リシェリードはその“忌々しい”結界を破られた国の王子なのだが。
「では、その逆も出来るのではないですか?」
「逆?」
リシェリードの問いにピムチョキンが怪訝な顔となる。
「魔法王が張った大結界をこのオーブを使えば、出来るのではないか? と」
誰かの命を犠牲にせず……と初代皇帝は願ったのだ。その言葉にピムチョキンはフンと鼻を鳴らし。
「もちろん、逆にも応用出来ますが、しかし、そんなことをしてどうします? このオーブ一つでおおえる結界など、せいぜいがちっぽけな国一つ。とうてい帝国の全土はおおえますまい」
そのちっぽけな国とは当然、ラルランドのことだろう。が、国の名前を出した訳ではないから、とがめることでもない。
そんなピムチョキンの不躾な態度をリシェリードはまったく気にせずに「そう」と答え。
「たしかにこの帝国をおおう結界としては弱い。だけど、この帝都などの都市一つ分を覆うには十分じゃないかな?
それに一つが小さくとも、これを連ねて使えば巨大な防壁も展開できるだろうね。
別に帝国全体をおおう結界など必要はない。敵軍の前に立ちはだかる巨大な壁となればいい」
急な敵襲の都市での防衛戦や、一兵の損失なく敵軍を足止めできる防壁となるというリシェリードの言葉に「そのような考えがあったか」とざわめく。ヴォルドワンもまた、その緑の目を見開く。
「しかし、これだけ巨大なオーブを創るのには十年かかるのですぞ。とても、帝国にあるすべての都市をまかなうような……」
ピムチョキンが慌てて反論するのに「そんなに大きなものをつくる必要はない」とリシェリードは返す。
「そうだね、せいぜい一月、結界が展開できるようなものなら、すぐに出来るんじゃないかな?」
「小さな盾でも連ねれば大きな盾になる」とリシェリードは続ける。それに「ちょっと良いですか?」と研究員の一人が手をあげる。
「一月しか保たないのでは意味がないのではないですか?」
「だから、結界が切れる前に次のオーブを発動すればいい。はるばる遠征してきて戦うことも出来ず、糧食だって乏しくなれば、一年どころか半年もたたずに大概の軍は撤退に追い込まれる」
ただ待つだけなど当然兵士の士気は落ちるし、なによりそれだけの兵士達を食わせるだけの糧食がいるのだ。略奪をしようにもそれは結界の内側。大概の軍は退くというものだ。
「どうやら、俺は両国の融和の証以上に、得がたい宝を得て戻ってきたようだ」
ヴォルドワンがそう言って微笑み、リシェリードの手をとって口づける。「まこと、我が皇妃にふさわしい」と続けたのは、いささかやりすぎだぞと、リシェリードは内心で思ったが。
126
あなたにおすすめの小説
魔力ゼロの無能オメガのはずが嫁ぎ先の氷狼騎士団長に執着溺愛されて逃げられません!
松原硝子
BL
これは魔法とバース性のある異世界でのおはなし――。
15歳の魔力&バース判定で、神官から「魔力のほとんどないオメガ」と言い渡されたエリス・ラムズデール。
その途端、それまで可愛がってくれた両親や兄弟から「無能」「家の恥」と罵られて使用人のように扱われ、虐げられる生活を送ることに。
そんな中、エリスが21歳を迎える年に隣国の軍事大国ベリンガム帝国のヴァンダービルト公爵家の令息とアイルズベリー王国のラムズデール家の婚姻の話が持ち上がる。
だがヴァンダービルト公爵家の令息レヴィはベリンガム帝国の軍事のトップにしてその冷酷さと恐ろしいほどの頭脳から常勝の氷の狼と恐れられる騎士団長。しかもレヴィは戦場や公的な場でも常に顔をマスクで覆っているため、「傷で顔が崩れている」「二目と見ることができないほど醜い」という恐ろしい噂の持ち主だった。
そんな恐ろしい相手に子どもを嫁がせるわけにはいかない。ラムズデール公爵夫妻は無能のオメガであるエリスを差し出すことに決める。
「自分の使い道があるなら嬉しい」と考え、婚姻を大人しく受け入れたエリスだが、ベリンガム帝国へ嫁ぐ1週間前に階段から転げ落ち、前世――23年前に大陸の大戦で命を落とした帝国の第五王子、アラン・ベリンガムとしての記憶――を取り戻す。
前世では戦いに明け暮れ、今世では虐げられて生きてきたエリスは前世の祖国で平和でのんびりした幸せな人生を手に入れることを目標にする。
だが結婚相手のレヴィには驚きの秘密があった――!?
「きみとの結婚は数年で解消する。俺には心に決めた人がいるから」
初めて顔を合わせた日にレヴィにそう言い渡されたエリスは彼の「心に決めた人」を知り、自分の正体を知られてはいけないと誓うのだが……!?
銀髪×碧眼(33歳)の超絶美形の執着騎士団長に気が強いけど鈍感なピンク髪×蜂蜜色の目(20歳)が執着されて溺愛されるお話です。
転生したらスパダリに囲われていました……え、違う?
米山のら
BL
王子悠里。苗字のせいで“王子さま”と呼ばれ、距離を置かれてきた、ぼっち新社会人。
ストーカーに追われ、車に轢かれ――気づけば豪奢なベッドで目を覚ましていた。
隣にいたのは、氷の騎士団長であり第二王子でもある、美しきスパダリ。
「愛してるよ、私のユリタン」
そう言って差し出されたのは、彼色の婚約指輪。
“最難関ルート”と恐れられる、甘さと狂気の狭間に立つ騎士団長。
成功すれば溺愛一直線、けれど一歩誤れば廃人コース。
怖いほどの執着と、甘すぎる愛の狭間で――悠里の新しい人生は、いったいどこへ向かうのか?
……え、違う?
【完結】愛執 ~愛されたい子供を拾って溺愛したのは邪神でした~
綾雅(りょうが)今年は7冊!
BL
「なんだ、お前。鎖で繋がれてるのかよ! ひでぇな」
洞窟の神殿に鎖で繋がれた子供は、愛情も温もりも知らずに育った。
子供が欲しかったのは、自分を抱き締めてくれる腕――誰も与えてくれない温もりをくれたのは、人間ではなくて邪神。人間に害をなすとされた破壊神は、純粋な子供に絆され、子供に名をつけて溺愛し始める。
人のフリを長く続けたが愛情を理解できなかった破壊神と、初めての愛情を貪欲に欲しがる物知らぬ子供。愛を知らぬ者同士が徐々に惹かれ合う、ひたすら甘くて切ない恋物語。
「僕ね、セティのこと大好きだよ」
【注意事項】BL、R15、性的描写あり(※印)
【重複投稿】アルファポリス、カクヨム、小説家になろう、エブリスタ
【完結】2021/9/13
※2020/11/01 エブリスタ BLカテゴリー6位
※2021/09/09 エブリスタ、BLカテゴリー2位
妹を救うためにヒロインを口説いたら、王子に求愛されました。
藤原遊
BL
乙女ゲームの悪役令息に転生したアラン。
妹リリィが「悪役令嬢として断罪される」未来を変えるため、
彼は決意する――ヒロインを先に口説けば、妹は破滅しない、と。
だがその“奇行”を見ていた王太子シリウスが、
なぜかアラン本人に興味を持ち始める。
「君は、なぜそこまで必死なんだ?」
「妹のためです!」
……噛み合わないはずの会話が、少しずつ心を動かしていく。
妹は完璧令嬢、でも内心は隠れ腐女子。
ヒロインは巻き込まれて腐女子覚醒。
そして王子と悪役令息は、誰も知らない“仮面の恋”へ――。
断罪回避から始まる勘違い転生BL×宮廷ラブストーリー。
誰も不幸にならない、偽りと真実のハッピーエンド。
転生悪役弟、元恋人の冷然騎士に激重執着されています
柚吉猫
BL
生前の記憶は彼にとって悪夢のようだった。
酷い別れ方を引きずったまま転生した先は悪役令嬢がヒロインの乙女ゲームの世界だった。
性悪聖ヒロインの弟に生まれ変わって、過去の呪縛から逃れようと必死に生きてきた。
そんな彼の前に現れた竜王の化身である騎士団長。
離れたいのに、皆に愛されている騎士様は離してくれない。
姿形が違っても、魂でお互いは繋がっている。
冷然竜王騎士団長×過去の呪縛を背負う悪役弟
今度こそ、本当の恋をしよう。
わからないから、教えて ―恋知らずの天才魔術師は秀才教師に執着中
月灯
BL
【本編完結済・番外編更新中】魔術学院の真面目な新米教師・アーサーには秘密がある。かつての同級生、いまは天才魔術師として名を馳せるジルベルトに抱かれていることだ。
……なぜジルベルトは僕なんかを相手に?
疑問は募るが、ジルベルトに想いを寄せるアーサーは、いまの関係を失いたくないあまり踏み込めずにいた。
しかしこの頃、ジルベルトの様子がどうもおかしいようで……。
気持ちに無自覚な執着攻め×真面目片想い受け
イラストはキューさん(@kyu_manase3)に描いていただきました!
魔王の息子を育てることになった俺の話
お鮫
BL
俺が18歳の時森で少年を拾った。その子が将来魔王になることを知りながら俺は今日も息子としてこの子を育てる。そう決意してはや数年。
「今なんつった?よっぽど死にたいんだね。そんなに俺と離れたい?」
現在俺はかわいい息子に殺害予告を受けている。あれ、魔王は?旅に出なくていいの?とりあえず放してくれません?
魔王になる予定の男と育て親のヤンデレBL
BLは初めて書きます。見ずらい点多々あるかと思いますが、もしありましたら指摘くださるとありがたいです。
BL大賞エントリー中です。
ブラコンすぎて面倒な男を演じていた平凡兄、やめたら押し倒されました
あと
BL
「お兄ちゃん!人肌脱ぎます!」
完璧公爵跡取り息子許嫁攻め×ブラコン兄鈍感受け
可愛い弟と攻めの幸せのために、平凡なのに面倒な男を演じることにした受け。毎日の告白、束縛発言などを繰り広げ、上手くいきそうになったため、やめたら、なんと…?
攻め:ヴィクター・ローレンツ
受け:リアム・グレイソン
弟:リチャード・グレイソン
pixivにも投稿しています。
ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる