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【29】三百年後のごめんなさい

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「ヴォー!」

 自分へと倒れ込む長身を支えきれずに、リシェリードは床へとへたり込んだ。キャハハ!と子供の狂ったような笑い声が響く。

「この身体はもらった。いけ好かないお前達をもっといたぶりたかったが、“今世”ではもう二度と会うことはないだろう」

 「さようならアデュー」とカイの身体を乗っ取った魔女はふざけた挨拶を残して、巨大オーブと共にその姿を消した。

「ヴォー、ヴォー、ヴォー」

 リシェリードは倒れたヴォルドワンに必死に呼びかける。息が止まっている。ナイフに猛毒が塗られていたに違いない。
 魔術の攻撃を受け付けない身体。だが物理のナイフならば、腹に突き刺さる小さなものでも、致命傷となる。毒も魔術でないならば。

 突き刺さるナイフをリシェリードは引き抜く。本来は出血が酷くなるために適切な血止めを行ってからでないと、やってはならない行為だ。
 だがすかさず傷口にリシェリードがその白い手を当てれば、血は一滴も流れることはなかった。精神を集中させて、傷口からサラマンダーの毒を浄化する魔法を注ぐ。そして身体全体にウンディーネの癒しを。同時に身体から離れかけている魂を地のドワーフに頼んで無理矢理に繋ぎとめて、止まっている息を吹き返すためにそのくちびるに口づけて、シルフィードの魔力の息を注ぎこむ。

 猛毒に侵された血が綺麗になると同時に、腹の傷も跡形なく塞がった。リシェリードが唇を離すと、ヴォルドワンがほう……と息を吹き返し、その目を開く。
 「よかった……」と笑顔になって、リシェリードは意識を失った。



   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇



 目を覚ますとベッドに寝ていた。かたわらにいたのはカイの乳母であるマーサだ。彼女はリシェリードが目覚めたのがわかると、あわてて部屋から出て行った。
 内装からして別宮とわかるが、寝台のある部屋に見覚えがない。あとでわかるが、ここが本来のリシェリードの寝室だった。いつも皇帝陛下の寝台で共寝していたから、初めて使ったことになる。

 すぐにヴォルドワンはやってきた。リシェリードが目覚めるまで、帝宮の執務室ではなくこちらの書斎で仕事をしていたと、これもあとで訊いた。
 どれだけ心配性なんだと思うが。
 ヴォルドワンの顔にはかすかな憔悴の色が見てとれた。あまり寝てなかったのか?と憂いのため息をつく彫りの深い横顔を見て思う。

「あなたは三日も目を覚まさなかったのだぞ」
「一度死んだお前を蘇生させたんだ。逆に三日程度で済んだなら幸いだ」

 蘇生の大魔術となると魔道士がその命をかけて行うものだ。「あなたは!」ヴォルドワンが叫んだあと。ぎゅっとリシェリードの身体を抱きしめた。

「ヴォー?」
「また、あなたに二度と会えなくなるかと思った」
「…………」

 苦しげに耳元でささやかれた言葉にリシェリードもヴォルトドワンの背に手を回した。その広い背中を労るように撫でて。

「悪かった」

 三百年前にあんなひどい別れをして、またこの男に置いて逝かれる恐怖を味わわせてしまったのか……と思う。
 同時に。

「私もお前が死ぬのは嫌だったんだ」
「リシェリ?」
「すごく怖くて悲しかった。すまない。あんな気持ちをお前もしたんだな」
「ああ、そうだ。世界に絶望した」
「ごめん」
「それなのにあなたは生きろという」
「でも、お前には死んで欲しく無かった」

 三百年前もそして今もそうだ。ワガママだと思うけれど。
 俯いていると、リシェリの手をそっとヴォルドワンがとって握りしめる。

「まだ、お礼を言ってなかったな。助けてくれて、ありがとう」
「ん……」

 唇を寄せられて、自然に目を閉じた、そのとき。

「皇妃様!お目覚めになられたのですな!」

 バンと扉を開けて、オドンがはいってきた。触れかけていた唇をヴォルドワンから離し、リシェリードは言った。

「まだ、私は皇妃ではないんだけどな」



   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇



 オドンはリシェリードが三日寝込んでいるあいだ、ずっとこの別宮に詰めていたという。ヴォルドワン曰く、すっかり皇妃様の親衛隊だな……だそうだ。いや、自分はまだ皇妃になってない。
 そして、目覚めたリシェリードの体調に問題はないと知ると、皇帝陛下とならんで雷を落とされた。

「お二人がお強いことはわかっておりまするが、お立場をお考えください。たった二人で魔女に操られた魔道士達が待ち構える魔法研究所に乗り込むなど!」

 「結局、お二人で強力な魔道士達をすべて無力化してしまいましたが」と老人は苦笑し。

「しかし、皇妃様はそれで三日寝込んでしまわれた」

 皇妃の呼び名はもう諦めてリシェリードは口を開く。

「私が倒れたのは、あの程度で魔力が尽きたわけではないよ」
「そうだ、リシェリが倒れたのはカイに刺されて一度は死んだ俺を蘇生する為だ」
「いや、あれは油断した私を毒の短剣から守るために、盾になったせいだ……だから、私のせいで」
「いや、その前に怪しいと思いながら、カイがあなたに近づくのを防げなかった俺も責任がある」

 「私が」「俺が」と言い合いになった二人にオドンが咳払いをして「仲が良いことはよろしいことですが、延々かばい合っているおつもりですか」と止める。
 そして「魔女に身体を乗っ取られたカイ殿下ですが」と言葉を続ける。それにリシェリードはぴくりと反応する。

「カイはどこに!?」
「魔法研究所からはカイとともに巨大オーブも無くなっていた」

 ヴォルドワンの言葉にリシェリードはうなずく。

「ああ、お前を毒の短剣で刺したあと魔女はカイの身体とともに転移したんだ」
「その行く先はラルランドだ。三百年をへてほころびかけていた結界は、以前以上に強化された。何人も侵入することの出来ない強固なものだ」

 「あの巨大オーブを使ったのか!」とリシェリードは声をあげる。
 先の魔法研究所の視察にて、結界を破る巨大オーブを逆に結界を張る触媒としてつかえると提案したのは、リシェリードだ。図らずも敵に強力な武器の使い方を教えてしまった形だ。

 そして。

「だから、カイを狙ったのか。オーブだけでは結界は張れない」

 リシェリードほどでないにしろ、カイは精霊使いだ。精霊に呼びかけ巨大なオーブに蓄えられた魔力を使えば、三百年前と同じ大結界を発動出来る。

「だからカイの命には別状はない。あの巨大オーブなら、かなりの時間結界を維持できるだろうからな」

 リシェリードはほう……と息をつく。精霊使いの貴重な身体だ。魔女はまずカイの身体を害することはないだろう。
 「時間は?」とヴォルドワンに訊ねられてリシェリードは「おそらく三十年から五十年」と答える。ヴォルドワンの眉間にしわがよる。

「ずいぶんと短いな」
「以前と同じ結界を張るだけならあのオーブなら三百年だ。だが、こちらも結界を破る同じオーブを作ることが出来る。だからそれに対抗するために、魔力をかなり圧縮して強固な結界を作っているんだ」

 しかも、最悪なことにカイの身体を乗っ取る前は、魔女はピムチョキンの身体にいたのだ。当然、オーブを作る方法を知っている。
 閉ざされた国で魔女は人々を奴隷として、魔術の才があるものにオーブ造りをさせるだろう。完成したオーブは結界の維持に次々に投入されて、さらにあの結界は強固なものとなるに違いない。

「そこまで頑丈な殻の中に籠もって、魔女は一体なにをするつもりなのでしょうな?」

 「良い疑問だね」とリシェリードはオドンを見る。

「魔女は私達が死ぬのを待ってる」
「皇妃様と陛下がですか?」
「そうだ。魔女は別れぎわ今世では二度と会うことはないと言っていた。魔法が通じないヴォーと、魔法使いである私は、あの魔女にとっては脅威だ。
 だから、あれは私達が死んだあとの世界を蹂躙するつもりだ。
 ラルランドをおおう結界が外れたとき、あのなかから、先日見た魔女の種。あれに完全に寄生された化け物達があふれ出るだろう」

 「あの化け物達に世界が乗っ取られると?」オドンは青い顔でそうつぶやいた。
 




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