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ハッピーエンドこぼれ話、その一
姫賢者さまのゆううつ
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空に女王竜のガラスの鈴を鳴らすような、声が響く。王都の中心にある王宮。その上空を白い飛竜がぐるりと回って、ふわりと降り立ったのは王宮の横にある聖竜騎士団の本部だ。
雄の竜達よりも一回り小さいが、それでも大きな飛竜の背から滑り降りたのは、小柄な姿だ。
リンゴのように赤い腰丈の短い飛竜マントは、白い羽のようなレースの縁取りがされている。そのマントの下にまとっているのは、同じ赤に金の木の葉模様の刺繍がほどこされた膝丈までの長いジレ。細い腰を強調するように、上半身はぴたりとした線だ。
下に重ねられた白い光沢の絹のシャツ。それを縁取る白いレースは、花びらのようにジレの装飾となって一体化していた。キュッと締まった腰の線を強調するジレとは反対に、その下の飛竜用のズボンは張りのある布でぷっくりとふくらんでいて、上の裾の長いジレを押し上げて、貴婦人がスカートの下に仕込むパニエと同等の役目を果たしていた。それがまた細い腰から花開くスカートのような優美な線をつくる。
通常の聖竜騎士の飛竜用ズボンも、飛竜にまたがるためにゆったりはしているが、こんな風にふくらんではいない。そして、これも通常の飛竜用ブーツよりは少し長めの膝までおおうブーツは、これはふくらんだズボンと逆に、細い足を強調するようにぴったりとした線だ。
地面にトンと降り立った姿は、マントのフードに手をかけて後ろへとおとした。こぼれ落ちたのは漆黒の艶やかな黒髪だ。綺麗に切りそろえられた肩につくぐらいの艶やかなそれが、さらりとゆれる。
黒髪の横の髪は綺麗に編み込まれていて、後ろで一つにまとめられていた。今日の衣装にあわせたのだろう、髪をまとめている深紅のリボンがひらひらと揺れる。リボンの真ん中にゆれるのはリンゴの花を模した、白いコサージュだ。
黒髪に縁取られるのは、白い小さな顔。その肌は真珠色で内側からほのかに発光しているよう。その白さゆえに、くっきりと黒目がちの大きな瞳がより印象的だ。黒曜石のように輝く、星空を写したかのような瞳を、びっしりと長く黒いまつげが縁取る。
至高の芸術家がたった一つの回答を導きだすかのように、すっと筆ひと筋で描いたかのような、細く形の良い眉。低すぎも高すぎもしないツンとした鼻。その下の唇は、御婦人方のように紅で彩ることもなく、艶々とした赤みがかった果実の色だ。
その唇が花開くようにほころんで、男性にしては少し高い声で言う。
「おはようございます」
「おはようございます、賢者殿」
賢者というと白い髭の深遠な知恵に満ちたいかにもな老人を思い浮かべるだろうが、その呼びかけとは少年の姿の印象は正反対であった。歳は十九であるが、それよりもっと若く見える。せいぜいが十五、六というところだろうか。
「これ、みなさんでお食べください」
そして少年は手提げのかごの中に、山盛りの焼き菓子がはいったものを、出迎えに出てきた副騎士団長のフィーアエックに渡す。
アウレリアの人々はこよなくお茶を愛している。どんな家でも、騎士団であっても午前と午後のお茶の時間は欠かすことはない。当然、おいしい茶菓子もだ。
受け取ったフィーアエックは四角い、いかつい顔を笑みにほころばせて「いつもすみません」と言う。
「いいえ、お菓子を作ったのは屋敷の料理人さんですから、僕はだだの配達係です」
「賢者殿が届けてくださる菓子など、ずいぶん贅沢ですな。ありがたく頂かないと」
「遠慮なく食べてくださいね。全部おいしいですから」
「今日は砂糖漬けにしたサクランボの焼き菓子があるんですよ。僕も大好きです」「あれは私も好物です」とフィーアエックと談笑しながら、聖竜騎士団本部の車寄せにとめられている馬車へと歩いていく。
王宮の隣に聖竜騎士団本部はあるが、宮殿の庭は広く、彼の飛竜であるクーンを竜舎に預けて、ここから宮殿まで徒歩でいくには、ちょっとした散歩ほどの時間がかかるので、ここからの移動はいつも馬車だ。
馬車は賢者である少年専用のもので、白地に金色の瀟洒(しょうしゃ)なもの。元々は歴代の王国の王妃や姫君達が使っていたものだが、この可憐な少年賢者には相応しいと誰もが思っている。
ごくごく自然に差し出される、フィーアエックに手をとられるまま、少年は馬車に乗り込んだ。扉が閉まると、本日の護衛である聖竜騎士が二人、馬またがって馬車の両わきにつく。
御者が二頭立ての白馬の手綱を引いて、馬車は走り出す。門の向こうに消えたその姿に、耐えきれないように若い騎士がさけぶ。
「うぉおお~今日も我らが姫賢者様は麗しかったぞ~」
「赤いフードのマントのなんて愛らしさ。本日の護衛係がうらやまし過ぎるぞ」
「お前は三日前に姫賢者様付きの護衛を務めたばかりじゃないか!」
「俺は出来るなら毎日、姫賢者様の護衛をしたい」「それなら俺だってしたいぐらいだ。志願者が殺到して、くじ引きになったのは知ってるだろう」そんな風に言い合っている騎士達に「おいお前ら」とフィーアエックは声をかける。
「姫賢者様、姫賢者様と、その名前はけして賢者様の前で口にするんじゃないぞ」
そう聖竜騎士団は、その名のとおり清く正しい、常に礼節正しくあれが掟の騎士団である。我らが“団長”曰く、ご自分のおかわいらしさをお気になされているという賢者様が“姫”などと呼ばれていると知ったら、きっとご気分を害されるに違いない。
「大丈夫ですよ。常に紳士であれを胸に、かけらたりとも姫賢者様の前では、そのように呼びかけはしません」「たとえ心の中では“姫”様と呼びかけていようとも!」と意気込む若い騎士達に、こいつら本当に大丈夫だろうか?とフィーアエックは遠い目となった。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
姫賢者様……もとい、賢者の名は佐藤史朗という。異世界からやってきた賢者だが、彼の暮らしていた現代日本には魔法使いも賢者もいなかった。
が、彼はこの異世界アウレリア王国に呼び出されるときに、前世である賢者の記憶を思いだした。
それから紆余曲折ありありで、現在はこの国の“国王代理”の顧問として、王宮にも出入りしている。
「これ、このあいだ頼まれた複合魔法の論文の添削」
「お、さっそくあげてくれたのか、助かる」
王宮に向かった史朗が向かったのは、宰相の執務室だ。宰相ムスケル・カール・ピュックラー伯爵は、目があるんだかないんだか、いやその目の位置に細い切れ込みがある、なにを考えているかわからないうさんくさい男である。これだから、一国の宰相として相応しいのだけど。
「だけど魔法はあなたの得意分野でもあるだろう?王立大学の魔法学科首席のムスケルさん?」
史朗がそう訊くと、ムスケルは糸のような目でぺらぺら論文をめくりながら「私は他のことでも忙しいんだよ」と答える。
宰相なんだから確かに他のことでも忙しい。宮廷魔術師からあがってくる、新しい魔法研究への予算申請の書類審査を史朗に任せるぐらいにはだ。
「ゲッケに伝えておいてくれる?そんな穴あきだらけの論文で予算申請など、宮廷魔術師長としてなってないって」
論文に史朗の赤字で「計算式が土台から間違っている!良い子の魔法教室からやり直せ!」と書かれてある史朗の文字を見て、ムスケルが吹き出しながら答える。
「それは本人に直接言えば、賢者様のどんな酷いお言葉でも、あれは涙を流して喜ぶぞ」
「やだよ。気持ち悪いもん」
史朗は顔をしかめる。ゲッケはムスケルが大学で首席だった時の次席で、宮廷魔術師長を務めている。魔法使いとしての腕は悪くはないが、その魔術の才能も性格にも大変偏りがある。
賢者である史朗をまるで神のごとくあがめているが、しかし、正直ゲッケという名前どおり、どこかカエルのようなのっぺりとした雰囲気のあの男に関わり合いたくない。
「生理的に無理だよ」
「本人が聞いたら泣くぞ」
なんていいながら、ムスケルは言葉ほどに気の毒がっておらず、むしろ面白そうにニヤニヤ笑う。そして、史朗の姿を上から下まで見る。
「なに?」
「いや、賢者殿におかれましては、今日も麗しく」
「やだな。他の慇懃ぶった貴族達みたいな、挨拶しないでよ。男に麗しいもなにも、クラーラが用意してくれた服を着ているだけだよ」
クラーラとは史朗付きのメイドである。史朗の服はすべて彼女の見立てだ。
「初めはレースが多すぎないかと思ったけど、クラーラはこれぐらい普通だっていうし、たしかに僕の世界のお貴族様もこんな格好しているしね」
「そうなのか?」
「今は貴族なんてある国のほうが少ないし、こんな格好はしてないよ。せいぜい二百年以上前の話だよ」
「やれやれ、君達の世界からすると、まるで私達は骨董品だな」
「飛竜ではなく鉄の塊が空を飛んでいると聞いて驚いたが」とムスケルが続ければ、史朗はその黒い瞳をふっと宙に向けて。
「飛躍的な技術革新が人を幸せにしたかというと、僕はけしてそうは思わないけどね。
むしろ、こちらの世界が良いこともある」
「賢者様の言葉だと思うと、なかなかに深いな」
「なにごとも光と影、良し悪しがあるってことだよ」
「じゃあね」とこつりと靴音を立てて、史朗はきびすを返す。少しかかとのあるブーツ。これが男性ではなく、貴婦人方のあいだで流行っているのを、彼は知らないだろうと、ムスケルは思いながらその赤いマントのひらひらした後ろ姿を見送る。
たしかにこちらの世界では、彼のいた世界より装飾過多ではあるが、実のところ男性の服にはそうレースの多用はない。実際、竜騎士隊にしても近衛にしても騎士達の制服にはそのような飾りはないのだから、気づきそうなものだが。
────クラーラが怖いから黙っておこう。
自分のお世話する麗しい賢者様を飾りたてるのに、命を賭けているメイドの顔を思いだしてムスケルは、そう思った。
同時に、あの赤いフード付きマントも流行るな……と思いながら。
実際、その後、貴婦人達の外出のときに腰丈のフード付き赤いマントが流行るのだが、それは後のこと。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
「僕、本当は知っているんだ」
「なにをだ?」
午後のお茶の時間。史朗は国王代理であるヴィルターク・ジグムント・ゼーゲブレヒト侯爵の執務室にいた。
アウレリア王国には現在、王はおらず、彼がその王の代理として執務をとっている。
黒に近い褐色の髪に、夜明け前の空のような濃紺の瞳。通った高い鼻筋に、全体の雰囲気の穏やかさとは裏腹、そこだけは彼の中の情熱を感じさせる形の良い唇。長身に広い肩幅に厚い胸板、長い足と理想の男性像を作ったらそんな風になるだろう男だ。
「だから、聖竜騎士団のみんなが僕をなんて呼んでいるかってこと」
史朗はそんなヴィルタークと向かいあい、琥珀色のあたたかいお茶を一口。ミルクは入れずに蜂蜜をひとたらし、ほんのり甘いのがお気に入りだ。それに今日のお茶菓子のサクランボの砂糖漬けのケーキも美味しい。
「なんて呼ばれているんだ?」
「……えーとね」
国王代理といいながら、ヴィルタークの姿は聖竜騎士団長の頃と変わらず紺色の制服のままだ。公式の場に出るときは、これにマントを羽織るぐらいで質実剛健な彼らしい。
それに国王代理ではあるが、彼は未だ聖竜騎士団長のままなのだ。代理の執務が多忙となるから、彼自身も副団長のフィーアエックに団長の座を譲ろうとしたが、首をふってあの四角い顔の生真面目な男は固辞し続けたという。
自分も団員も、団長はあなたしかいないと思っていると。
そんなわけで、ヴィルタークも根負けする形で、引き続き聖竜騎士団団長も名乗っている。団長としての実務はフィーアエックにほとんど任せているが。
『よく考えると聖竜騎士団長のままでよかったかもしれない』とあとでヴィルタークは史朗に言った。『団長を辞めたとなると、国王代理としてそれなりの服を仕立てなければならないが、団長ならばこの制服のままでいいからな』と。毎日クラーラにお召し替えを……と、追い掛けられている身としては、ちょっとあきれてしまったけれど、彼らしいとも思った。
それで、その聖竜騎士団の史朗に対する呼び名とは……。
「姫賢者様って、さすがに僕の顔見て言うような、失礼な騎士さんはいないけどね。みんな、あなたみたいに紳士だし」
でも、風の精霊に呼びかければ、遠くの音ぐらい拾えるんだよと、史朗はぷうっとその白い頬をふくらませる。それにヴィルタークが吹き出した。
「その呼び名。お前にすっかりバレているとあいつらも知らないだろうな」
「あ~ヴィルったら、実は知っていたな!」
「そりゃ自分が団長を務める騎士団だ。実務のほとんどはフィーアエックに任せてはいるが、把握はしているさ」
「実はその呼び名が流行り始めた頃に、あれが生真面目な顔で放置していいのか?と報告に来た」とヴィルタークは続ける。
「それであなたはなんて答えたの?」
「シロウにわからないようにしているなら、放っておけと」
「……僕も同じだよ。みんなが僕の前で呼ばないようにしているなら、知らないふりをするつもりだけど」
聖竜騎士団の騎士達は、本当に騎士の中の騎士であり紳士なのだ。自分のことも大切にしてくれているのもわかっている。
「僕が知っているのがわかったら逆に、落ち込む人もいそうだから、黙っていて」
「お前は優しいな」
ヴィルタークが史朗の手を取り、その指先に口づける。頬を染めれば、そのまま彼の顔が近づいてきた。
「ここ、執務室だよ」
「今はお茶の時間で休憩中だ」
「もぅ……」といいながら、史朗は目を閉じてヴィルタークのキスを受けた。
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