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【46】信じて待つ
しおりを挟む逃げ去るゾエなど、当然シグアンやスイン達神官は見ていなかった。
厚い雲を抜けて空から落下する【蝕】。
落ちた場所は幸いにも港湾に囲まれた海であった。いや、幸いと言えるのか?
水が一杯に入った桶に大きな石を放り込めば、当然あふれる。
それと同じで大量の海水が人々を襲ったのだ。
また運が悪いことに、大神殿で門前払いを食らい、聖者に縋ろうと戻ってきた群衆がそれに加わった。
迫り来る水から逃れようとする人々と、後方で前方の騒ぎの状況が分からず、とにかく聖者様と神官様達の元へとたどり突こうとする人々が、押し合いへし合いとなる。
人々の怒声とどよめき、悲鳴が上がるなか、スイン以下の神官達は並んで杖を掲げて詠唱し、神聖魔法の結界を張る。
それでも港の周辺に侵入する海水を防ぐので精一杯だ。
港に詰めかけた人々の命だけは守れるはずであった。
だが、結界はまるで大神殿がある聖都を守るかのように巨大な一直線の壁となって、港湾からあふれる海水を抑えた。
大神殿に務める神官達は、いずれも聖魔法の使い手として精鋭ではある。スインがその第一人者だが、だからこそ自分達の力のみではこれほどの結界は張れないと、その細い目を見開き、いまさら自分の隣を見て叫ぶ。
「聖者様!」
そう、シグアンもまた神官達の聖なる結界の列に加わっていたのだ。聖女がいないとはいえ、聖者のみでもその力は神官達百人、いや千人に匹敵するとその力は計り知れないとされている。
「聖者様! 私達に構わず【蝕】と戦ってください」
たしかにシグアンがいれば聖都と人々は守れる。しかし、スインは言った。
聖女が居なくとも聖者一人のみで【蝕】は倒すことが出来る。
もちろん、シグアンが欠ければ結界はこの港一部分となり、ここに詰めかけた民は守ることが出来るが、都の大半の建物は水没することになるだろう。
そのあと【荒神】となったシグアンの被害もまた予想される。
それが、聖都の人々に目撃されることを。
それでもスインは神官長として【蝕】の討伐を最優先させた。
このまま結界を張り続けたとしても【蝕】は倒せない。魔力量にも限界がある神官達が一人、一人と倒れれば、いずれは限界が来る。
だからこそ、都が大きな被害を被るのを承知でスインはシグアンに言ったのだ。
だが、シグアンは前を見続けたまま。
「このまま結界を張り続ける」
「聖者様!」
「おジョウが私の元へと来る」
それは祈りや信じているなどという生半可な想いではなく、ジョウは来るのだという前提の言葉であった。
「黄金の鳥籠を私達が発動させるまで、それまで保てばよい」
海に降り立った【蝕】が太い触手の足を鞭の様にふるって、張られた結界に叩きつける。びりりと振動はするが、幾度叩かれても聖者も加わった結界の前には、それを破ることは出来ない。
「聖者様が俺達をお守りくださっているぞ!」
「ああ、お願いします、この子を命をお助けください」
皆が口々に叫び、幼子を抱えた母親が祈りを捧げる。それにならうように他の人々も、両手を胸の前で組んで祈りの形にする。
押し合いへし合いのパニックはそれでしずまり、人々はただ祈り続けた。
「聖女様が来られるまで、保たせるのです!」
「はい!」
スインの言葉に、額に汗を浮かべた神官達がうなずいた。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
大神殿。
先頭を歩く赤い服の枢機卿に先導され、神殿騎士に囲まれてジョウが案内されたのは、法王宮のずいぶんと奥のサロン。
法王の私室なのだろう。
聖職者の部屋としてどうなんだ? というほど、豪奢な内装に調度。まるで王侯貴族の一室のようなきらびやかさだ。
「よく来てくれたね」
普段着でも白に金の金ぴかの長衣をまとったアディオダトが出迎えた。彼はよっこらしょとばかりに、椅子から立ち上がった。
よく来たもなにも、ジョウはあのワガママ皇女ゾエの兵士に牢屋にぶち込まれそうになり。あげく暗殺? されかけ、そして、神殿騎士に囲まれてここに連れてこられたのだが?
そんな気持ちを押し隠してジョウは目礼をした。
先に立って歩き出したアディオダトの後に続く。ついて来いという意味だろう。
派手なサロンを抜けて、隣室へとはいれば、それは中細い部屋だった。ロングギャラーという奴だとジョウにはわかった。これでも大卒インテリ? ヤクザなので、まあ知識はある。
城館などにあるその名のとおりの長い部屋。元は室内で貴婦人が散歩する為だったとか。そのうち壁面に一族代々の肖像画や、美術品などが飾られ、さらには夜会や舞踏会などに用いられるようになったという。
で、ワイン色の壁一面に飾られていたのは見事な絵画。
ただし、みんな裸というか、服を着ていてもなにか淫靡なものばかりだった。
「私は美しいものが大好きでね」
アディオダトがいいながら、ぽんと頭に手を触れたのは、美少年がしどけなく横たわり、そこに筋骨隆々のたくましい青年がのしかかっている大理石の彫像であった。
「美しさこそ、神々が与えた祝福だと思わないか? とくに、そなたのような者こそ」
ねっとりした視線がジョウを見る。
「私を聖者様の元へと行かせてください」
目の前の豚をすぐにぶん殴りたい衝動を堪えて、一応交渉はしてみる。相手は曲がりなりにもこの大神殿のトップの法王だ。
「正聖女が聖者にはついている。安心しなさい」
「あの方では、聖女の役目を果たすことは出来ません」
貼り付けたような笑みを浮かべて答えたアディオダトの笑顔が途中で消える。いつもはしおらしく? ふるまっている聖女の自分が反論するとは思わなかったのだろう。
「聖者様と私が揃って黄金の鳥籠が発動できます。このままでは【蝕】によってこの大神殿の都には、多大な被害が出るでしょう」
「黄金の鳥籠?」と聞いたこともない言葉だとばかりに、法王が首をかしげた。それでジョウはこの法王がまったくお飾りなのだとわかった。
あのお飾り聖女の皇女ゾエと同じくだ。
神官達は全て聖者と聖女が発動する不動の結界である黄金の鳥籠を知っていた。
「【蝕】が出れば“多少”の民の被害は仕方ない。それで全体が救われるのであればな。それに、聖者一人いれば【蝕】を祓うことが出来るのは、そなたもよく知っているだろう? 聖女の力などあってないようなものよ」
アディオダトは嫌らしく口許をゆがめた。
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