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【50】諦めの悪い者達
しおりを挟む大神殿、法王宮。
アディオダトが蒐集した美術品が集められた、ロングギャラリー。
裸で戯れる女神に天女、青年や少年の姿の天使達の絵を前に、その部屋の主たるアディオダトの表情は冴えない。
「帝都に逃げ帰ったゾエは、離宮に幽閉となったか?」
「はい、鉄格子のはまった馬車で送られたとか。そのときも大変な騒ぎだったようで」
傍らに立つ秘書官が答える。
綺麗に結った髪を振り乱し『幽閉なんて嫌! 』とゾエは幼児のように手足をバタバタ振りまわしたという。
馬車の中に押し込まれるときは、衣の裳裾がめくれ上がって、足どころか下履きまで丸見えのおよそ皇女らしからぬ醜態だったとか。
「あの猿のようにキーキー五月蠅い皇女ならば当然であろうな。だから鉄格子のはまった護送用の鉄の箱なのだろうしなあ」
アディオダトが呆れたため息を一つつく。
皇女ゾエは大神殿に逃げてきてすぐに『こんな恐ろしいところにいたくない!』とわめき散らして、神殿に残っていた神官達を兵で脅し、強引に転送陣を発動させて、帝都に帰った。
大神殿のある聖都が【蝕】に襲われているというのに【正聖女】である自分が逃げるということが、どういうことか? も考えずだ。
さらには港での醜態は都の住人のみならず、大陸全土から来た巡礼者や商人達にも見られている。
この顛末は【副聖女】とされていたジョウが人々に見せた奇跡と正反対の笑い話となっていた。
世界の中心といわれる大神殿の都には、各国の大使館がある。そこから当然のように転移陣を利用した書簡で、大陸中へと拡散された。
帝国の恥となった皇女を、実父である皇帝リノトメトス三世もかばいきれずに、離宮に『幽閉』したのだ。
「これだけ噂になっては、どこかの小国に押しつけることも出来んな。まあ、狭い城とはいえ、一生生活には困らん。良い暮らしだろう」
小国に押しつける、つまりはどこかの王妃として嫁に出す……というのも、大陸中に大醜聞が流れれば無理という話だ。
そもそも、元から自由奔放すぎるあの皇女は、取り巻きの騎士との火遊びやら、気に入らない高位貴族の娘を夜会で平手うちにしたなどと、もめ事が耐えなかった。
これ以上、帝国の騒乱の元たるあの雌犬を放置出来ないと、離宮に『生涯』幽閉なのは妥当な措置と言えるだろう。
それでアディオダトは一生食うには困らないと言ったのは、ある意味嫌みではある。
だが、それは同時に。
「そうですね。お命だけは長らえることでしょう」
秘書官が淡々と答える。アディオダトは無言で、目の前の絵を見つめている。
裸の女神に天使達が戯れる『天国』と名付けられた絵を。
死んだあとが『楽園』であって欲しいと思うのは、誰しも同じだ。
だが、死後のことは誰も知らない。
それは神官の最高位である法王であってもだ。
皇女ゾエの『醜聞』もだが、現法王アディオダトの『醜聞』も大陸中に広がっていた。
避難民達を大神殿に迎え入れず、締め出したこと。
さらには港で【蝕】を前に頭を抱えてうずくまっていた醜態も……だ。
帝国では次の法王への首のすげ替えの話が出され、他国では帝国が法王位の独占をしているのはどうか? という話もアディオダトの耳に入ってきていた。
しかし、法王というのは終身制なのだ。
次期法王になるということは、当然前の法王が亡くならねばならない。
アディオダトにはゾエのように『幽閉』という生きながらえる道はないのだ。
『ワシはまだ死にたくない』という彼の胸の内の声を他の者が聞いたならば、法王として栄耀栄華を誇った老人が、なぜわずかな生にしがみつくのか? と笑うだろう。
しかし、強欲というものはそういうものだ。
「まだ、終わらんよ」
アディオダトはうめくようにつぶやく。
「【大蝕】が来れば、聖者は死ぬ。聖者を失った神官共に、あの聖女になにも出来るものか」
「ですが今回はその『聖女』がいます。『聖者』は生き延びるかもしれません」
これまた淡々と答えた秘書官をギロリとアディオダトは見た。いつでも冷静なこの秘書官を彼は気に入ってもいた。
「失礼いたしました」
「…………」
主人に睨まれても青ざめる様子もなく、秘書官はただ一礼した。それにアディオダスは答えなかった。
「『聖女』の力などあるものか」
アディオダスは自分に言い聞かせるようにつぶやく。
たとえ転送陣も無く一瞬で聖者の元へと、聖女が自分ごと跳んだとしても。あの黄金の鳥籠の結界をこの目で見たとしても。
「聖者は血を吐いて倒れたのだ。【大蝕】を祓えばもう奴らは用済みだ」
「【大蝕】が現れれば……」とそれが一番の厄災であるというのに、まるで希望の言葉のように、法王であるアディオダトは繰り返しつぶやいたのだった。
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