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11. 花開く

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夜以外にテオドールと話をするのは孤児院に行ったとき以来になる。国王の目を欺くための作戦会議でもないし、緊急に対応するべき問題でもないし、多分、悲しい話でもない。
朝を迎え、私は自分の心がそのことに少し浮き足立っていることを自覚した。

テオドールの仕事は基本的に朝が早く、私が目が覚めたときにはいつも寝台の隣は空いている。そして帰ってくるのも遅くて、夕飯を共に食べることもほとんどない。
せっかくだから、午後に顔を合わせる前に、なにか一つでも良い報告が作れないかと考えてみる。

(何をしよう)

私には、基本的にやることがない。仕事も領地も、会いにいく人もいない。やりたいことも、やるべきこともない。それはエリーナも同じだった。

エリーナの記憶では、貴族の女性たちはお茶会に出たり、パーティをしたり、刺繍をしたり、散歩したりしていた。多分他にもやることはあるだろうけど、エリーナが城から出ないために、他のことをしている姿を見る機会がない。

エリーナにはずっと友達がいなかった。実の両親や兄や姉とも縁が薄く、現王妃の息子の王子2人とも全くに近いほど関わりがない。名前と顔は知っている。

エリーナの相手をしてくれるのは、エリーナと身体を結ぶ男性ばかりだ。彼らはエリーナが賢くなることを望んでいないから、エリーナに新しい知見を与えてくれることはない。
エリーナを啓蒙してくれるはずの家庭教師の授業は苦痛で、結果完全に本嫌いに育っている。

そんなだから、時々外の面白い話を聞かせてくれるギルベルトに惹かれたのかもしれない。ギルベルトはエリーナを一人の人間として付き合ってくれていた。
その他の人との関係性は、どれもまともな関係と呼べるものはなさそうだ。

ふと、エリーナの記憶の中に楽しげな笑い声が蘇ってきた。遠くから見ていただけだけれど、若い、見習いか従騎士か、男の人が並んで歩いていて、その一人がテオドールのような気がする。エリーナは顔をちゃんと覚えていないけど、多分そうだ。
大きな声で笑い合っている彼らのことを、エリーナはうるさいと思って見ていた。耳障り、早く消えてしまえと。エリーナの目が届くところで楽しそうに笑う人間は全員エリーナの敵だ。

楽しそうな彼らにトラブルを仕掛けようと思って、そのうちの一人、ひょろりとした金髪の、少し気の弱そうな人に声をかけて、押し切って関係を持ったみたいだ。関係を迫ったくせに、顔も名前も覚えてない。

エリーナの思考も行動も、幼さからくるやんちゃで片付けるには攻撃的すぎる。
エリーナにとって印象に残っていないことは私もはっきりと思い出せないため、こうしてふと何か思い出した時には、その無鉄砲な悪意にぞっとしてしまう。今のところ恨まれて攻撃されたことはないけれど、いつか刺されたりしないだろうか。

エリーナは、自分がいつ誰に何をしたのかよく覚えてない。エリーナの行動はいつも衝動的で、よく考えた結果ではないからだ。
だから、過去に何かあった相手を警戒するためには出会う人間全員を警戒しないといけない。流石に非現実的だ。
私は心配を払拭するように首を振った。不安はあるけれど、考えても対策できないのだ。成り行きに任せるしかない。

(天気がいいし、少し、庭先に出てみようかな)

庭先に出ると、庭師の、確かジョンと呼ばれていた白髪の老人が薔薇の手入れをしていた。真っ白の髪で、手にも顔にもたくさんシワがあり、結構高齢ではないかと思う。しかし、背筋はピンと伸びている。

パチン、パチン、とハサミでなにか切っている様子をじっと見ていると、ジョンと目が合った。

「奥様」

邪魔をするつもりはなかったのに、手を止めさせてしまった。

「いかがなさいましたか。日傘をお待ちいたしましょうか?」
「えっ、いえ、ごめんなさい。邪魔をするつもりはなくて……」
「とんでもございません。ああ、そうです……昨日の、白い蔓アニキスの花ですが、なんとかなりそうです」
「昨日?」
「ええ、旦那様から花壇に植えられないかと仰せ仕っておりました。奥様が開花を促したと聞きましたが」
「あの、薔薇みたいな、細かい白い花が咲いているもの?」
「左様です。強い直射日光を嫌いますので、あちらに植えました」

ジョンが手で示した方向には、昨日私が袋の中で開花させてしまった白い花が咲いていた。花びらはかなり散ってしまったと思っていたけれど、こうして花壇で見てみると、まだまだ盛りのように見える。

訳の分からないまま種を発芽させ、命を奪ってしまったと思っていた。その花がちゃんとあるべき場所にあって、きれいに咲いている。
間違った場所で咲いてしまった花ですら捨てずに救おうとするなんて、テオドールが優しいのは、人間相手に限らないらしい。

「良かった……」
「残念ながら長持ちはしないかと思いますが、非常に美しいです」
「うん、ありがとう。旦那様にもお礼を伝えておいて」

私がそう伝えると、ジョンは目を数回瞬きして、控えめに提案をした。

「それは、私がお伝えするより、奥様が直接お話しされた方が喜ばれると思いますが」
「……ごめんなさい。確かに人伝にお礼を伝えるなんて失礼ね」
「とんでもございません。ただ、その方が旦那様が喜ばれるというだけですので」

ジョンは穏やかに笑った。年齢からくるものだけではなく、元々の性格が穏やかな人なのだろう。話をしていると落ち着く。

「あの、何か私が手伝ってもいいことはない?」
「奥様が、ですか?」
「雑草を取ったりとか……なにか。汚れ仕事でも大丈夫。その代わり、破棄する予定の苗があったらもらいたいの」

ジョンは少し考え込んだ。断られるかと思ったけれど、ひとつ提案をしてくれた。

「では、せっかくですので蔓アニキスの誘引を一緒にいかがでしょう。昨日は暗くて大雑把にしかできなかったものですから、今から直そうと思っておりました」
「誘引?」
「茎や蔓を支柱に結びつけて、倒れないように支えることです。成長を助けるために行います」

ミニトマトにやるようなことだと想像できた。

「ありがとう。ぜひ教えて」

ジョンと並んで、ひたすら無言で支柱に結びつけられた茎や蔓の位置を直していく。無言で一緒にいてもやることがあるし、適切なタイミングでアドバイスをくれるから集中できて、気まずい思いはしなかった。

たくさんの種を発芽させたため、全てが終わった頃には日も高くなっていた。目の前の壁が、一面緑と白い花で覆われている。

本当に久しぶりに汗ばんだ。指先が軽く土で汚れ、べたついている。においを嗅いでみると、草を触った時の青臭さが染み付いていた。

何かをやり遂げた、と感じたことも久しぶりで、清々しい気持ちだ。

「楽しかった。ありがとう」
「こちらこそ、大変助かりました。破棄予定の苗は裏にございますので、お持ちいたします」
「うん、お願い」

ジョンはお辞儀をしてその場を立ち去ろうとした。私はまた蔓アニキスがいっぱいになった壁に目を向ける。

「おや……奥様、旦那様がお戻りになりましたよ」
「え?」

まだ昼食も食べる前で、午後にはなっていないはずだ。予定より早い帰りに胸がふわりと温かくなる。早くこの花のお礼を言いたい。

「テオ、おかえりなさい!」

振り向いて挨拶をすると、テオドールは時間が止まったように固まってしまった。私も彼を凝視したまま何も言えなくなってしまう。
単純に、見惚れていた。

仕事帰りのテオドールは騎士団の真っ白い隊服に身を包んでいた。通常隊服は紺色のはずだが、役職者だけ色が違うのだろうか。
左肩だけかけるジャケット風のマントも真っ白で、ドレープの波打つ様子に布の重厚さを感じる。カラーの差し色は確か所属する騎士団の違いだったはず。深い緑はテオドールによく似合っていた。

髪型はいつも無造作にしていたと思うけれど、それは寝る前と非番の日しか見たことがなかったからだ。勤務中は整髪料で後ろに流しているようだった。

じっと魅入っていたら、ばちりと視線が交わった。不躾に見てしまったことを恥じてはっと目を逸らす。

「あ、あの……じろじろ見てごめんなさい。おかえりなさい」
「ああ……外に出てたんだな」
「うん。あの、蔓アニキスのこと、ありがとう」
「アニキス?」
「この花だよ。捨てないで外に植えるように言ってくれたんでしょう?ジョンと一緒に誘引したの」
「……ジョン?ユウイン?よく分からないけど、昨日の花のことか。良かったな」

私は庭師のジョンを紹介し、破棄予定の苗をもらって魔法の練習をしようとしていたことを話した。

「破棄予定のものをわざわざ使わなくてもいいのに」
「でも、勿体無いし、季節じゃないのに咲かせるのは悪いから」
「そうか?まぁ、あんたが好きなようにしてくれ。ところで、この後の予定大丈夫だよな。ちょっと団長に呼ばれてて……悪いけど城まで一緒にきて欲しい」
「団長……?アーノルド・シレア卿のこと?」
「うん。あんたに会いたいそうだ」

不快感で身体が落ち着かなくなる。エリーナはアーノルドが嫌いなようだ。
何かされた、という訳ではなくて、アーノルドはエリーナが何を言っても感情を乱すことがなく、エリーナが勝手に彼に軽視されていることにイライラしている感じだ。
そのアーノルドが、なぜエリーナに会いたいなんて言い出したのだろうか。

「……分かった。土で汚れているから、着替えてもいいかな」
「ああ、もちろん。昼ごはんはまだだよな?食事に誘われてる」
「うん」

セアラたちに着替えを任せると、淡いグリーンのドレスに着替えさせられた。深い緑のチョーカーと、金色の髪飾りで装飾される。
これでは隊服を意識しているようで恥ずかしいと思いセアラに困った視線を向けると、セアラは気付かぬフリをして目を逸らし、お辞儀で私を見送った。
わざわざ着替え直す時間はない。仕方なくそのまま外へ出た。

「揃いだな」

案の定、馬車に乗るとテオドールは私の首元を指差した。

「……セアラが選んだの」
「へぇ、よく気が利く」

テオドールは不機嫌にならなかった。そのことに少しほっとする。

「テオは、いつも勤務中はその隊服なの?」

テオドールは自分の服にすっと目を向けた。

「ああ……これは、副団長になってからだ。魔法師は自分の手を汚さないのがステータスだから、位の高い魔法師って意味らしい。くだらないし、普通にすぐ汚れるから紺に戻して欲しいよ」
「えっ、似合ってるのに」
「似合ってるか?はじめて袖を通した時は、イメージに合わなすぎるっていろんなやつに笑われた。俺は白って柄じゃないらしいよ」
「そんなことないと思うけど……だって、すごく……」

かっこいい、と私が言ったら不愉快にさせてしまうだろうか。少し迷って、もう少し汎用的な言い方にしてみる。

「女の人は、そういうの好きだと思う」
「……既婚者が女にモテてもろくな目に合わないだろ。妻のあんたが評価してくれないと意味ないよ」
「……」
「そこは嘘でもすぐにかっこいいと言え」
「か、かっこいい」
「遅いよ。全く、ただでさえ鬱陶しい服なのに余計に袖を通すのが嫌になった」
「えっ、あの……違うの!ほんとに最初からかっこいいと思ってたよ!」

弁明しようとして、つい立ち上がる。その拍子に馬車が小さく揺れ、下手に立ち上がったせいで転びそうになってしまった。テオドールがすかさず私の腕を掴んで支えてくれた。

先程より距離が近く、見つめ合うような体勢になってしまう。テオドールはふっと笑った。

「知ってる。庭で見惚れてただろ」
「……え?じゃあなんで……」
「そういうのは言葉にされた方が嬉しいから待ってた。思ってるだけじゃ伝わらない時もあるだろ?」

テオドールの言うことは一理あるけれど、それはそれとして揶揄われていたことは恥ずかしい。反省と不満が半分ずつになったような気持ちで座席に座り直した。

「今日は表情が分かりやすいな。なんか良いことでもあったのか?」
「良いこと?」

聞かれて、私の半日を思い返す。良いことがあって表情が豊かになるなんて小さな子どもみたいだ。
先程、言葉にしなければ分からないと言われたばかりなので、私は正直に報告することにした。

「テオが花を捨てずにいてくれて、綺麗に咲いてくれたことと、今日はいつもよりゆっくり話ができるから、その2つ」
「……それが、あんたにとって良いことなのか?」

私は小さく頷いた。そうかよかったな、と笑ってくれると思ったのに、思った反応と違った。何か間違えたことを言ったのだろうかと不安になってくる。
テオドールは長く息を吐いた。

「ど、どうかした?」
「いや、ちょっと……自分の認識を改めてるんだ。気にしないでくれ」

テオドールの言葉の意味が分からなかった。気にしなくて良いということは私には関係のないことなのだろうけど、目の前で考え込まれると、私が何か不愉快にさせてしまったのだろうかと気になってしまう。

「俺も今日はいいことがあったよ」
「そうなの?どんなこと?」
「あんたが笑ってくれたことだ。また良いことがあったら教えてくれ。1番に聞きたい」

驚いて、すぐに返事ができなかった。不覚にも涙が出そうになり、私はあわてて頷き、そのまま顔を逸らした。

他の人に嬉しかったことを話すと、「自慢してるの?」と聞かれたり、「だから?」と言われて、自分にとって良いことが相手にとっては面白くもなんともない話だと気付いたりする瞬間があった。
お母さんは私がテストでいい点を取らないと不機嫌になるけれど、点数が良いことを私から報告するのもダメだった。何も言わずに答案用紙を差し出して、それが良いことか悪いことかは、私でなくお母さんが決めることだった。

私にとって嬉しいことを嬉しいことだと認めて聞いてくれる。それを聞かせて欲しいと言ってくれる人がいることが嬉しくて、心臓が痛くなる。

テオドールのためには縁を切った方がいいと分かっているのに、その日が来なければいいのにと思う。

(私、また自分の都合ばかり考えてる……)

自己嫌悪に陥りそうになって、慌てて首を振った。今日のこの良い気分を、まだ来ていない未来の話で邪魔されたくなかった。
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