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37. 無償の愛

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ギルベルトとの食事の時間はあっという間に終わった。デザートにもリオオレンジのソースがかかったチーズケーキが出てきた。
テオドールと共に外まで見送りに出る。

「今日は本当にありがとう。楽しかったよ」
「こちらこそ。リオオレンジもありがとうございました」
「ああ、消費に付き合ってくれて助かったよ。エリーナはまた聖イリーネで会うかな?皆とジャムも大量に作るから、ぜひもらってくれ」
「はい、ありがとうございます」

馬車に乗り込む前に、ギルベルトはなにか思い出したように止まって振り向いた。

「そうだ。もう一つ殿下のことで思い出したよ。彼女はテシアンデラの花が好きだった。そろそろ見頃のはずだから、墓前に供えてあげたら喜ぶかもしれない。じゃあ、また」

ギルベルトを乗せた馬車が角を曲がるところまで見送った。

「テシアンデラ……」

全く聞き覚えのない名前だ。庭師のジョンに聞けば分かるかもしれない。

エリーナは前王妃のお墓参りもしたことがないことに気付いた。城内にある礼拝堂に埋葬されているはずだけど、エリーナはほとんど足を踏み入れたことがない。

「テシアンデラって白くて小さい花だよな。懐かしい」
「……?お仕事で使う花なの?」

テオドールの花の認識は、赤い花、白い花程度の解像度だ。花の名前をちゃんと覚えて特徴まで知っているものがあるなんて意外だった。思いつく理由としたら仕事で、例えばなにかの薬の材料になるとか、魔力が宿っていて特別なものだとか、そういうものなのではないだろうか。
テオドールは少し呆れた顔をした。

「エリーナ、俺は仕事の話しかできないと思ってる?」
「えっ……ご、ごめんなさい」
「いいよ。今までそうだったってことだな……テシアンデラは聖典に出てくる王女の名前だから馴染みがあるし、村の近くに群生してたんだ。花びらを取って吸うと甘くて、腹が減ったときに気休めでよく採ってた」

テオドールから過去の話を聞くのが珍しく、聞き入ってじっと見つめてしまった。彼の故郷については、エリーナが脅しの材料として使ったことと、近くに小さな泉があることだけ知っている。

ひとつ気になっているのは、アーノルドに文字を教わった話を聞いた時、テオドールが自分には帰る場所がないから頑張れたと言っていたことだ。
脅しに使うくらいだからまだ村は存在していて、テオドールにとって大切な場所のはずなのに、どうしてそんなことを言うのか気になった。

(私に話したいことじゃないかもしれないし、聞きづらいな)
 
私とテオドールの関係上、村の話は話題にしにくい。私がテオドールのことを知りたいと伝えた時になんでも聞いていいとは言ってくれたし、聞けば話してくれるのかもしれないけれど、口には出せなかった。

「素敵な思い出だね。私もやってみたい」

前世で周りの子どもが公園に咲いているツツジの蜜を裏から吸っているのを見て、私もやってみたいと思っていたことがある。お母さんが『どうやって育てたらあんなことするようになるの』と呟いているのを聞いたため、一度も手を伸ばしたことはない。

「……行ってみるか?」
「……?」
「テシアンデラが咲いてるところと、……あと、あんたが良ければついでに村に」
「え?!いいの?」

思わぬ提案に、つい身を乗り出してしまった。

「見ても面白くもなんともないけど」
「ううん、なにもなくていいの。テオがどんなところで育ったのか知りたい」
「……分かった」
「あ、でも、私が行って村の人は嫌じゃないかな?人質になってるのに」
「そんなこと本人達は知らないよ。それに、その話はまた持ち出されてもなんとかするから気にするなって。この前も言っただろ?」
「……」

私がテオドールに怖いと伝えてから、一度もそういった行為はしていない。そのことを思い起こさせないようにテオドールに気を遣われているのが分かる。私は自分の瞳の色が紫色であることにすっかり慣れた。

マリアに保留と念を押され、国王に子どもを作りたくないという話もしていない。今日がそのチャンスではあるけれど、私は心を決めかねていた。

もちろん自分が良い母親になれるという自信は全くないし、子どもが欲しいという気持ちは抱いてない。ただ親というものが、私が抱いていた印象よりも完璧な存在じゃなく、私と同じただの一人の人間だという考え方は頭の片隅にある。
私が一人の人間として、一人大切にしたい人が増える。それを想像した時、以前ほど悲観的な気持ちにはならなかった。

私はテオドールのことが好きで、テオドールが許してくれている限りこの先も一緒にいたいと思っている。そうなった時に、国王に予めテオドールとは絶対子どもを作らないと宣言しておくことが良い方向に働くかというと疑問で、どちらかというと、悪い結果に繋がりそうだ。

逃げたところで問題が消えることはなく、先延ばしになっているだけだ。でも、怖くて何も決められない。

(テオは私にすごく気を遣ってくれるのに、私は私のことしか考えられない……)

「とにかく、村の人間にどう思われるかは気にしなくていいよ。仰々しくしてくと警戒されるから、服装だけ孤児院に行く時と同じようにしてくれ」
「……うん、ありがとう。あっ、距離は?結構遠いんだよね。お仕事はいいの?」
「あんた心配事が多いな。……そこは確かに往復4日は見たほうがいいから、騎士団長に相談するよ。部下に俺がいなくなる予行練習させるためとかなんとか言えば、正当性もあるだろ」

テオドールの故郷へ行く話が具体的になっていく。少し不安もあるけれど、テオドールのことを知ることができるのは素直に嬉しいと思った。

「ありがとう。楽しみにしてるね」
「うん……期待しすぎるなよ。ほんとに何もないところだ」



テオドールが城に出してくれた使いからの知らせは、国王の午後の予定には空白があるが、約束はできなかったというものだった。それだけ分かればチャレンジする価値はあるということになり、私は久しぶりに正装して王城を訪れる準備をしている。

ギルベルトにもらった情報をもとに、ユリウスに会った時と同じ淡い菫色のドレスと、前王妃からもらった菫色の宝石を付けてもらうことにした。

この宝石は前王妃が身に付けていたものだと伝えると、セアラは目を見開いて、嬉しそうな顔になった。

「こうしてお手伝いさせていただけることが光栄です」
「セアラはお母様のデビュタントの時も一緒にいたの?」
「いいえ、私はエレノア殿下が王妃になられてから城に勤めるようになりましたので……でもきっと、会場で一番美しかったと思います」

セアラは私の髪を優しく漉いて、この前とは違う形にアレンジしていく。宝石の格の高さに合わせて、クラシカルな雰囲気にしようとしてくれているようだ。細かい気遣いがありがたい。

セアラに優しい手つきで髪を触られると、どうしてもお母さんとの思い出が蘇ってきて、少しだけ胸が痛んだ。

「ねぇ、セアラ」
「はい」
「セアラは娘さんが二人いるのよね?」
「はい」
「セアラは二人が好き?」

セアラは目を丸くして、それから照れたように笑った。

「ええ。……決して器量良しではないし、喧嘩もたくさんしますが、一番大切な存在です」

それから鏡に映っている私に微笑みかけた。

「エレノア殿下にとっての奥様も、そういう存在だったはずです。いつもご自身のお腹に手を当てて『可愛い』と呟いていらっしゃいましたよ」

せっかく化粧をしてもらったのに涙が出そうになってしまう。もっと早く、セアラに前王妃について話を聞こうとすればよかった。

「お化粧が落ちちゃう」
「お直ししますから心配なさらないで」

セアラが私にハンカチを差し出してくれた。

「……子どもって、どうして生まれる前から可愛いと思うの?普通の人は妊娠すると急に無償の愛を注げるようになるの?」

セアラは少し考え込んだ。

「それは、どうでしょう。私はお腹が大きくなって鼓動を感じると愛しく思いましたが、娘は全然でした。生まれてからもしばらく母親の自覚が持てないって言っていたほどです。ですが、半年経ったら可愛くて仕方ないと言っておりました」
「そうなんだ」
「ええ。無償の愛は……私は、母親の愛は無償ではないと思います」
「え?」
「言うことを聞いている時や寝ている時は本当に愛しいと思いますが、優しくできない日もあります。私の気分次第で、娘が同じように過ごしているのに態度が変わってしまったことも、怒鳴り散らしたこともありますし……寝顔を見ながら謝ったこともあります」

セアラが、前王妃からもらったピアスに手を伸ばした。パールと菫色の石が私の耳元で揺れる。

「未熟でも、間違っていても、何もできなくても……親がどんなにダメな人間でも、子どもは親を必要として、愛を求めてくれます。無償の愛をくれるのは、子どもの方じゃないかと思うんです」

鏡の中でセアラと目が合った。セアラが優しく笑う。

「私たちにできるとしたら、その無償の愛がどんな形でもそのまま受け止めることくらいではないでしょうか。その点、私たちの気持ちさえ受け取ってくださる奥様になら、きっと御子様も安心して愛を伝えてくださると思います」

最後に、セアラが胸元を菫色の石で飾ってくれた。瞳と同じ色が、光を反射して輝く。

「妊娠中は皆、心が不安定になるものです。奥様が不安になるのも当たり前のことですから、どうか気に病みすぎないでくださいませ。少しコルセットを緩めますか?」
「……えっ、あ、」

予想外の気遣いをされて、私は慌ててしまった。

「……ち、違うの。セアラ、私は妊娠してないよ」
「まぁ……!失礼いたしました。出過ぎた真似を……」
「ううん。紛らわしい話をしてごめんね」
「いいえ。いやだ、私……大変申し訳ございません」

私は首を横に振った。この国では結婚したら子どもを作るのが当たり前だ。それで突然こんな話をしたら、セアラが勘違いをするのは当然のことだろう。

「お支度が終わりました」
「ありがとう」

鏡に映った私の姿は、肖像画の母によく似ていた。表情のせいで、手紙やギルベルトの話から聞く快活さは感じないけれど、本当にそっくりだ。

「あの……奥様」
「うん?」
「もし奥様が、妊娠や出産を不安に思われているなら……奥様は一人ではないことを心に留めてくださいませ」
「……?」

妊娠も出産も、母親が一人で耐えるものではないのだろうか。セアラの言葉の意味が分からなかった。

「妊娠する時は必ず父親がおります。出産は母親が一人で頑張るものと思われていますが、実際は子どもが協力してくれないと産まれてこないんですよ。一人でするものではないんです」

セアラが私の手に触れた。

「もし不安になったら、旦那様のことを思い出して、信じてください。どうか奥様の不安も分けて差し上げてください」
「……セアラ、ありがとう」
「いいえ。どうぞ、お気を付けていってらっしゃいませ」



身支度を終えて外に出ると、テオドールは正装である白い隊服に着替えて、御者のマシューと立ち話をしていた。

「テオ、待たせてごめんね」
「ああ」

声をかけると振り向いて、一瞬目を見張り、微笑んでくれた。

「その石、よく似合ってるよ。一目惚れしたエレノア殿下にそっくりなんだろ?陛下も褒めてくれるといいな」
「うん……ドレスの色とか、わざと寄せたから逆に怒るかも……」
「そうなったらギルベルト様の名前を出して矛先をずらしてもらおう」
「えっ?!」
「偉い人間は使われるためにいるんだ。今日話を聞いておいてよかったな」
「……」

テオドールの考え方が強気すぎて驚いてしまった。この考え方の1%でも持てていたら、前世の人生は全く違っていたかもしれない。

「手紙は持った?」
「うん」
「じゃあ出発だ」

手紙は念のため写しを取り、テオドールに魔法で保護してもらった。永遠に保つものではないけれど、簡単には破れなくなるらしい。

馬車で隣で揺られながら、テオドールの横顔に目を向けた。先ほどのセアラの言葉を思い出す。

(私は自分のことは信じられないけど、テオのことだったら信じられる)

今まで子どものことを、二人の問題として考えたことはなかった。テオドールはエリーナのわがままで結婚させられて、国王に欲しくもない子どもを作るように言われて、散々な扱いを受けているのに私に一緒にいてもいいと言ってくれている。それ以上のことを望むなんて考えもしなかった。

(私は私からテオと離れる選択はしないって決めたけど、テオは……)

テオドールは国王のことがなければいつでも私と離れられる。将来的には大切にしたい人ができるかもしれない。

(子どもなんて出来たら、よく考えたらテオなら責任取るって言うよね。やっぱり妊娠しなくていいようにしたいけど、お父様に言ったら……)

国王にとっては、血を残すことがすごく優先順位が高いようだ。テオドールと子どもが作れないなら、他に魔力が強い男性を探して子どもを作るように言うくらいするかもしれない。私は望まれずに生まれてくる子どもを作りたくないのだから、そんなのなんの解決にもなってない。

(それにテオと離れるのは嫌。……ダメ、もう、また自分のことしか考えてない!テオは、自由が戻ったらどうするんだろう)

テオドールの希望について、今まで私から聞いたことは一度もない。聞けない。

(人生を奪った原因のくせに、そんなの聞いたらダメだよね。聞いたところで何も出来ないし、知りたいから聞くなんて身勝手すぎる)

テオドールが私に目を向けた。

「大丈夫か?なるようになるよ。手紙を渡せばいいだけだ」

テオドールの優しさが、今は胸の痛みになる。こうして私に付き合わせていることも申し訳ない。

テオドールは私の手に触れようとして、止まった。ここ最近はいつも出来るだけ触らないように気を付けてくれているのが分かっている。
私は自分から、中途半端な位置で止まっているテオドールの手を取って両手で握った。

「……!」
「ありがとう」

自分の額を、祈るように握った手に触れさすと、体温が馴染んで安心する。心がほっとして、すごく愛しいと思ってしまう。

(やっぱり離したくない。ごめんなさい。そばにいたい。本当にごめんなさい)

卑怯だし、自己満足で心の中で謝っても伝わらないのは分かっている。それでも私は自分から手を離すことができなかった。
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