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兄様とわたし

25 温もりを追いかけて(レザニード視点)*

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 ルディが、笑ってくれない。

 この事実が、レザニードの心を大きく掻き乱した。
 らしくない、とレザニードは思う。

 自分に求められているのは『完璧』だ。あらゆる完璧を、怨念のように親から叩き込まれた。勉学はもちろんのこと、完璧な笑みと立ち振る舞い、知性を感じさせつつ相手を惹きつける話し方、決して主導権を渡さない交渉術、他人への気配りにいたるまで、すべて『完璧』となるように刷り込まれて育てられてきた。

 完璧を求められることに不満はなかった。

 完璧を求められるだけの天賦の才能を持っていたのは自覚していて、なにより完璧にできることは美しく、無駄がなく、スマートだ。

 ゆえにレザニードは『心を乱されている』という事実が、とても嫌だった。
 常に完璧な立ち振る舞いをしてきた自分が、一つの事に執着し過ぎて己を律しきれなくなっている。

 ルディの顔から笑顔が消えて、どれだけ経っただろう。
 表情を曇らせて、怯えた目で顔色をうかがってくるようになってから、いったい何枚のカレンダーをめくっただろう。

 全て自分のせいであることを、レザニードは理解している。だから苛立つのはお門違いなのだ。大事な妹から笑顔を奪ったのは、兄であるレザニードなのだから。


 他の男を見ているのが耐えられなかった。
 どこにも行ってほしくなかった。
 ずっと傍にいてほしかった。
 自分以外のところに行こうとしているのが許せなかった。
 それを伝えても、ルディは恐怖で顔をひきつらせて、婚約者のもとへ行こうとした。


 常に完璧に己を律していたレザニードが、衝動のままに行動したのはソレが初めてだった。親よりも長く接し、真綿に包むように育ててきた妹を狭くて暗い部屋に押し込み、重く冷たい手枷をつけ、鎖で繋いでどこにも行けないようした。

 魅惑的だと評される声で囁き、ルディの小さく柔らかい肢体をまさぐれば、頬を上気させ、声を抑えながらも喘ぎ始めた。透き通った紫の瞳に涙を浮かべ、身を捩らせて快楽に悶える姿は、尋常ではない優越感をレザニードに与え、どす黒い支配欲を満たした。

 同時に、可愛く蕩けた顔や愛くるしくも淫らな声を、自分よりも先に知っている男がいる事実に、猛烈な怒りを覚えた。嫉妬もした。

 持っている知識とこれまでの経験則をもとに、ルディを犯し続けた。少し触れただけで体が疼くように、常に自分の存在を意識するように。そして、、性の快楽を刻み付けた。

 だが媚薬という奥の手を使うまで、ルディに求められることはなかった。


 それくらい、レザニードは分かっていた。


 ルディが婚約者エーベルトを一途に想っていることくらい、分かりきった事実だった。だからこそ嫉妬した。エーベルトという男が心底羨ましかった。

 いいや、エーベルトだけではない。『完璧な兄』という役割を与えられた自分以外のすべての男に、レザニードは嫉妬していた。

 それでもレザニードは歩みを止めなかった。強い衝動のまま、家から両親と家政婦を追い出し、オルソーニ伯爵という権力をフル活用して婚約者から無理やりルディを引きはがし、家に連れ戻した。


 その日はルディの大事な誕生日だった。
 誕生日プレゼントを贈れば、もしかしたら笑ってくれるかもしれない。ルディは「ありがとうございます」と小さな声で言ったものの、笑顔を咲かす事はなかった。淡い期待は打ち砕かれ、再び黒い感情がふつふつと湧いた。


 婚約者エーベルトとのまぐわいがあった事実に気付いてしまったのが、レザニードの黒い感情に拍車をかけた。

 気付いた頃には、媚薬入りの果実ジュースを飲ませていた。

 唇を奪い、閉じ込め、甘い香りのする柔らかな肢体を犯していた。

 媚薬を飲ませれば、またあの時のように求めてくれるかもしれない。欲しがれば応えてくれる、応えれば欲しがってくれる。監禁部屋の最終日に味わった、優しく穏やかで甘美なひとときを、レザニードは忘れられなかった。

 だが温もりを手に入れるために飲ませた媚薬は、ルディに恐怖しか与えなかった。咽び泣き始めたところで我に返らなければ、おそらく、心が壊れるまで犯し続けていただろう。


 ────最悪の誕生日だ。


 一年で最も大事な日に、この世で一番大事な妹を、暗い欲望のまま犯して、また怖がらせてしまった。

 もう関係の修復は不可能だろう。
 昔のように、ルディが微笑みかけてくれる未来は、来ない。

 こんな状態になっても、ルディを解放するという選択肢は取れなかった。
 傍を離れるなと厳命もしておいた。
 このさき一生、オルソーニ邸宅に軟禁し続けるだろう。
 本当に、最低で最悪の兄様だと、レザニードは自嘲した。


「……戻るか」


 レザニードは重い腰をあげ、暗い自室に戻った。上だけ首元の緩い薄手の服に着替えて、ソファに座った。灯りは点けなかった。

 レザニードは不眠症だ。

 元来、寝つきが悪く眠りも浅かったが、成長するにつれて、さらに寝つきが悪くなった。仕事で不眠症を患っていた父親から睡眠薬を譲り受け、不眠が酷い時には飲むようになった。

 部屋にルディが訪れたのは、そうやって目を瞑って時間を潰している時だった。
 どうしてこんな真夜中に来たのか。
 問い詰めると、ルディは声を震わせて抱いてくれと言う。

 いったい何の冗談かと思った。
 だがすぐに、これが“復讐”であると察した。
 愛する男と引き剥がし、自由な行動を制限し、自宅に軟禁状態にしているのだ。当然の報いだとレザニードは思った。悲しくなかった。むしろ嬉しいとすら感じた。

 怖がられるくらいなら、殺そうと歯向かってきてくれるほうが何百倍も気が楽だったからだ。

 ナイトワインピース姿の妹は、愛らしい顔を赤らめ、すべてを奪いたくなるような、危うい色香を漂わせていた。妹が大人の色気を出すようになったのは間違いなくレザニードの監禁が原因なのだが、それを棚に上げても、妹の変化に驚かずにはいられない。

 激情に身を任せないように制御しながら、誕生日の二の舞にならないように、お姫様のように丁重に扱った。妹に睡眠薬を口移しさせるという面白い遊びを挟みつつ、久しぶりに楽しい時間を過ごした。
 
「い……れて…………ください……っ」

 頭をぎゅうっと抱きしめられて、恥じらうままに懇願された。
 滅多に動揺しないレザニードも、この時ばかりは思考が停止した。

 何が起こったのか分からず、しばらくルディの赤い顔を見ていた。

 妹の真意を考えるより先に体が動いていて、大量の蜜をたたえて雄を誘引する秘めやかな場所に、己を宛がい、突き入れると、喉を反らせて甘く喘ぎ始めた。

 何度か『兄様』と呼ばれた。
 呼んでほしいのは、そっちじゃない。

 言葉に出さずに、突き上げることで黙らせた。
 また暗い感情が出てきそうになるのを抑えつつも、欲望のままに媚肉をむさぼった。

 その、あとのことだ。

 ルディが、両腕を広げて名前を呼んだ。

 ────レニー、と。

 声は小さかったが、確かに聞こえた。
 レニーというのは愛称。子どもの頃に両親が自分を呼ぶときに使っていて、ルディにも何度かそう呼ばれたことがある。

 だが最近は、レニーと呼ばれない。監禁していた頃に名前を呼ぶようにせがんでも、一度も呼んでくれなかった。

「き、す、して……くださ…っ」

 身体を強く掻き抱いて、懇願されるまま唇を重ねた。
 小さな口に、己の舌を捻じ込んで蹂躙した。いつもなら奥底で縮こまっている妹の舌も、その時は出てきてくれて、懸命に応えようとしてくれた。


 甘く、幸せな時間だった。
 

 そのあとは睡眠薬の効果が出始め、ルディを抱きしめて横になった。触り心地のいい身体は、抱きしめるだけで安眠効果がありそう。睡眠薬がなくともこれなら熟睡できそうだと、ぼやけた頭でそんなことを思った。

 レザニードが覚えているのは、そこまでだった。
 次に目を覚ました時には、窓から陽の光が差し込んでいた。

 離れないように、ぎゅっと抱きしめていたはずの“温もり”が、もうそこにはなかった。










 ルディがいなくなっても、最初はそれほど焦りを感じなかった。
 きっと元婚約者エーベルトのところにいるだろう、そう思い込んでいた。
 
 だが彼のところにルディはいなかった。

「僕がルディを探します。レザニード伯は引っ込んでおいてください」

 彼は凄みのある顔で睨んできた。
 レザニードは何も言う事が出来ずに、一礼だけして彼のもとを去った。
 次に訪ねたのは母親の実家だった。
 だがそこにもルディはいなかった。
 
 ルディが消えた。

 考えられる理由は一つだけ。
 心底、兄である自分の傍にいるのがイヤだったのだろう。
 抱いてくれとせがんだのも、睡眠薬を飲ませて家から逃亡する時間稼ぎをする算段だったからだ。殺さなかったのは、おそらく兄を殺せるほど非情になれなかったからだろう。そう考えれば、妹の行動にすべて合点がいった。
 
 でも一つだけ、レザニードにも分からない点があった。
 なぜルディが、今になって名前を呼んでくれたのか。

 それだけは、いくら考えても分からなかった。
 

 
 ルディのいない家は、暗く冷たく、とても寒かった。
 

 
 レザニードはルディを探し続けた。
 ルディがまだ笑顔を咲かせていた、懐かしい思い出だけがレザニードを現世につなぎとめる唯一の光だった。
 
 そうしている内に、ルディの17歳の誕生日が過ぎてしまった。
 初めて、妹に誕生日プレゼントを贈れなかった。
 祝ってやれなかった。
 
 妹の元婚約者エーベルトも秘かに捜索を続けていたが、親から昔の女を追いかけるのはやめるよう促され、他の貴族女性と婚約したという話を、レザニードは小耳にはさんだ。

 正直どうでもよかった。

 妹の存在だけがレザニードの安らぎだった。
 
 ゆえにレザニードは妹を探し続けた。

 手がかりを、一つ見つけた。
 昔、ルディが産まれる時に母親の助産師をしていたシスヴェルという女性が、ルディと仲が良かった。そしてその助産師の居場所を、母親が知っていた。

 レザニードはすぐにシスヴェルという女性がいるテルテットという街に向かった。

 街に滞在している間に、ルディの誕生日が来てしまった。せっかくだから、17歳と18歳の誕生日プレゼントと一緒に買うことにした。

 ただ、何が欲しいか聞いていない。ゆえに、16歳のときに贈った靴と同じブランド店に行き、16歳の時に贈ったものとは異なる靴を色違いで二足買った。

 レザニードが店から出る時には、外は雨が降っていた。

 どんよりとした黒い雲が昔を連想させる。ルディと元婚約者が雨に濡れてオルソーニ家に帰ってきたあの日も、分厚い雲が空一面を覆っていた。

 傘をさして、大通りを歩く。
 ふと、視線を感じた。

 はるか向こうに、立ち止まってこちらを見つめる少女の姿があった。

 上質な服を着て貴族の尊厳を保っているレザニードとは違い、少女の着ている服はお世辞にも綺麗とは言いがたいものだった。持っている傘も使い古された安価なもので、いかにも貧民っぽい出で立ち。

 ただ、その少女はとても愛らしい容姿をしていた。
 レザニードと同じく、見惚れた男がいたのだろう。どこかで彼女の容姿を「可愛い」と評する声が聞こえた。
 
 レザニードは周りにいる男を冷たく見渡してから、彼女に数歩近づいて、改めてその顔を見つめた。

 小さな鼻に小さな唇、丸み帯びた頬。
 触れただけで壊れてしまいそうなほどに身体は細く、幼い顔立ちをしている割には女性らしい胸の膨らみ方をしている。
 
 可憐な少女は、レザニードと同じ金色の髪と紫の瞳を持っていた。

 心が震えた。


「やっと見つけた……」

 
 声が届いたわけではないだろうに。
 はるか向こうにいた少女は、いきなり背を向けて走り始めてしまった。

「ルディ……ッ!」

 もう絶対に、離したくない。

 強い衝動に突き動かされて。
 気が付けば、傘を放り投げてレザニードは走っていた。
 

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