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本編
5-2 名もなき吸血鬼(お兄様視点)
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彼女をひと目見て、美しいと思った。
だが同時に、目を離したら消えてしまいそうだとも思った。髪も肌も雪のように白くて、儚げで。薄い皮膚のしたで静かに脈打つ血管を想像しただけで、背筋が震える。食らえばさぞ甘美な味がするだろうと、期待に胸が膨らんだ。
だが、極上の味に舌鼓を打てるのはほんの一瞬だ。
あの町で、大きなパンを与えたあのときの少年のように、悲鳴一つあげないこの少女を生かしてみようと彼は考えた。
『名前は……。なんと、呼べばいい?』
『……アザリア、です』
彼はアザリアを古城に連れて帰り、共に暮らし始めた。
感情の乏しい人形のような少女なのかと思えば、埃まみれの部屋を見て悲鳴をあげたり、名前を呼ばれただけで顔が赤くなったりする。
彼は未知の出来事に出会うたびにアザリアに質問した。この白髪の少女は分かる範囲で答えてくれて、分からない部分は一緒に考えることもあった。彼女とのやり取りは淡泊なものが多かったが、彼にとって心地の良いものだった。
聞けば答えてくれる。
答えれば聞いてくれる。
この関係性に新たな楽しさを見出した途端、彼の世界の中心にはアザリアがいるのが常識となった。
独りが当たり前だった彼にとって、とても不思議な心地で。
抱きしめれば折れてしまいそうなか弱い彼女と初めて夜を明かした日から、彼は己の腕の中に彼女の温もりがないことに違和感を覚えた。吸血鬼は寝る必要がないのに、彼女の寝顔を見るためだけに寝台にあがりこみ、人間のように目を閉じて寝たフリをした。
『吸血鬼は夢を見るのですか?』
『見ない。アザリアは見るのか?』
『見ますね』
『どんな夢だ?』
『とんでもなく大きな昆虫に襲われる夢や、墓から出てきた死体に追いかけられる夢とかです』
『…………寝ない方がいいぞ』
『寝ないと人間は死んじゃいますよ。極端すぎです。……それに怖い夢を見てたのは古城で暮らすより前です』
『今はどんな夢?』
『お兄様に膝枕してもらう夢です』
『今してる感じか?』
『はい。……正夢になりましたね』
古城で暮らすうちに、アザリアの表情は豊かになっていった。
淡白な口調なのは変わらないものの、大真面目な顔で冗談を言うようになった。親がやることは子もやるようになるとはよく言うもので、アザリアが冗談を言うと彼も冗談を言うようになり、アザリアが服装や見てくれに気を遣うようになると、彼も同じように見た目に気を遣うようになった。
彼はアザリアの長く艶やかな白髪にブラシをかけるのが好きになった。
彼は町の服飾店で展示されている流行の服を見て、アザリアに似合いそうだと考えるようになった。
彼はアザリアにプレゼントを渡すようになった。
彼はアザリアと一緒に料理を作るようになった。
そうやっていくつもの経験をアザリアと過ごすうちに、古城での生活は三年目に突入していた。
彼は人間の血肉を食らわなくなり、かわりにアザリアの手料理を食べる。吸血衝動はあるものの、我慢できないほどではない。他の人間の血よりも、彼はアザリアの血を欲するようになった。
「愛してる」
いつしか彼は、愛を囁きながらアザリアと触れ合うようになった。
「綺麗だ……」
お兄様は彼女の首筋に口づけを落とし、軽く歯を当てて痕をつけた。この白い肌に、赤い華がよく映えるのだ。恥じらうように顔を背けるアザリアに、首筋より上へと舌を這わせていく。
もう何度も彼女と身体を重ねているが、未だに彼女は服を着たまま、恥ずかしいからという理由で脱ぎたがらない。胸や下肢は見られもいいのに、肩周りだけ異様に防御が堅いのだ。
「今日は……飲みますか……?」
瑠璃色の瞳を快楽に濡らして、アザリアが言う。お兄様は息を吐いた。飲まない、と首を振る。彼女の身体を考えると頻繁には吸血できない。とても惜しいが、お兄様にとっては彼女の体のほうが心配なのである。
だがお兄様が飲まないと知ると、瑠璃色の瞳が複雑そうに揺れる。憂いげな表情が覗くのは瞬きするほどの間だけで、彼女はすぐに可憐な唇でお兄様の名を呼び、悦楽と苦痛のまじった吐息を漏らすのだ。
ある日から、アザリアは町に降りて仕事がしたいと言い出した。
「いつまでもお城の品を売っていちゃ、お金がつきますから」
いっときは古城の宝物庫にある財宝を売りさばき、食糧や服飾品、家具等を取り揃えた。だが、もう底をつきかけている。
もっともらしい理由だったが、お兄様は渋面した。アザリアが仕事をするということは、そのぶん触れ合う時間が減る。言い分を却下しようとしたが、口の達者さは彼女のほうが遥かに上で、結局彼女は町で仕事をするようになってしまった。
「私の魔力で人を救うの。まるで聖女みたいですね」
アザリアは町に一つだけある小さな教会に勤めるようになった。多量の魔力を持つ彼女は、持っていた植物の知識を利用して薬を調合し、人々に『癒し』を分け与える存在となったのである。
神秘的で美しい容姿を持つ彼女は、瞬く間に町の人気者となった。教会から古城への帰り道で、彼女はその日起きた出来事をお兄様に聞かせる。
「今日はいつもより人が多かったですね」
まるで報告書を読み上げるように淡々とした口調なのに、彼女の声には明らかな喜色が滲んでいて。
誰か分からない、興味もない相手の話を永遠と聞かされているお兄様は、途中でさりげなく話題を変えるなどしていた。
疎ましくて仕方ない。
不機嫌な様子を見せないよう努力したが、胸の奥にわだかまりが溜まっていく。そういった日は、いつもより強めに彼女を抱く。
「アザリア」
愛おしげに、彼女の名を呼びながら。
だが同時に、目を離したら消えてしまいそうだとも思った。髪も肌も雪のように白くて、儚げで。薄い皮膚のしたで静かに脈打つ血管を想像しただけで、背筋が震える。食らえばさぞ甘美な味がするだろうと、期待に胸が膨らんだ。
だが、極上の味に舌鼓を打てるのはほんの一瞬だ。
あの町で、大きなパンを与えたあのときの少年のように、悲鳴一つあげないこの少女を生かしてみようと彼は考えた。
『名前は……。なんと、呼べばいい?』
『……アザリア、です』
彼はアザリアを古城に連れて帰り、共に暮らし始めた。
感情の乏しい人形のような少女なのかと思えば、埃まみれの部屋を見て悲鳴をあげたり、名前を呼ばれただけで顔が赤くなったりする。
彼は未知の出来事に出会うたびにアザリアに質問した。この白髪の少女は分かる範囲で答えてくれて、分からない部分は一緒に考えることもあった。彼女とのやり取りは淡泊なものが多かったが、彼にとって心地の良いものだった。
聞けば答えてくれる。
答えれば聞いてくれる。
この関係性に新たな楽しさを見出した途端、彼の世界の中心にはアザリアがいるのが常識となった。
独りが当たり前だった彼にとって、とても不思議な心地で。
抱きしめれば折れてしまいそうなか弱い彼女と初めて夜を明かした日から、彼は己の腕の中に彼女の温もりがないことに違和感を覚えた。吸血鬼は寝る必要がないのに、彼女の寝顔を見るためだけに寝台にあがりこみ、人間のように目を閉じて寝たフリをした。
『吸血鬼は夢を見るのですか?』
『見ない。アザリアは見るのか?』
『見ますね』
『どんな夢だ?』
『とんでもなく大きな昆虫に襲われる夢や、墓から出てきた死体に追いかけられる夢とかです』
『…………寝ない方がいいぞ』
『寝ないと人間は死んじゃいますよ。極端すぎです。……それに怖い夢を見てたのは古城で暮らすより前です』
『今はどんな夢?』
『お兄様に膝枕してもらう夢です』
『今してる感じか?』
『はい。……正夢になりましたね』
古城で暮らすうちに、アザリアの表情は豊かになっていった。
淡白な口調なのは変わらないものの、大真面目な顔で冗談を言うようになった。親がやることは子もやるようになるとはよく言うもので、アザリアが冗談を言うと彼も冗談を言うようになり、アザリアが服装や見てくれに気を遣うようになると、彼も同じように見た目に気を遣うようになった。
彼はアザリアの長く艶やかな白髪にブラシをかけるのが好きになった。
彼は町の服飾店で展示されている流行の服を見て、アザリアに似合いそうだと考えるようになった。
彼はアザリアにプレゼントを渡すようになった。
彼はアザリアと一緒に料理を作るようになった。
そうやっていくつもの経験をアザリアと過ごすうちに、古城での生活は三年目に突入していた。
彼は人間の血肉を食らわなくなり、かわりにアザリアの手料理を食べる。吸血衝動はあるものの、我慢できないほどではない。他の人間の血よりも、彼はアザリアの血を欲するようになった。
「愛してる」
いつしか彼は、愛を囁きながらアザリアと触れ合うようになった。
「綺麗だ……」
お兄様は彼女の首筋に口づけを落とし、軽く歯を当てて痕をつけた。この白い肌に、赤い華がよく映えるのだ。恥じらうように顔を背けるアザリアに、首筋より上へと舌を這わせていく。
もう何度も彼女と身体を重ねているが、未だに彼女は服を着たまま、恥ずかしいからという理由で脱ぎたがらない。胸や下肢は見られもいいのに、肩周りだけ異様に防御が堅いのだ。
「今日は……飲みますか……?」
瑠璃色の瞳を快楽に濡らして、アザリアが言う。お兄様は息を吐いた。飲まない、と首を振る。彼女の身体を考えると頻繁には吸血できない。とても惜しいが、お兄様にとっては彼女の体のほうが心配なのである。
だがお兄様が飲まないと知ると、瑠璃色の瞳が複雑そうに揺れる。憂いげな表情が覗くのは瞬きするほどの間だけで、彼女はすぐに可憐な唇でお兄様の名を呼び、悦楽と苦痛のまじった吐息を漏らすのだ。
ある日から、アザリアは町に降りて仕事がしたいと言い出した。
「いつまでもお城の品を売っていちゃ、お金がつきますから」
いっときは古城の宝物庫にある財宝を売りさばき、食糧や服飾品、家具等を取り揃えた。だが、もう底をつきかけている。
もっともらしい理由だったが、お兄様は渋面した。アザリアが仕事をするということは、そのぶん触れ合う時間が減る。言い分を却下しようとしたが、口の達者さは彼女のほうが遥かに上で、結局彼女は町で仕事をするようになってしまった。
「私の魔力で人を救うの。まるで聖女みたいですね」
アザリアは町に一つだけある小さな教会に勤めるようになった。多量の魔力を持つ彼女は、持っていた植物の知識を利用して薬を調合し、人々に『癒し』を分け与える存在となったのである。
神秘的で美しい容姿を持つ彼女は、瞬く間に町の人気者となった。教会から古城への帰り道で、彼女はその日起きた出来事をお兄様に聞かせる。
「今日はいつもより人が多かったですね」
まるで報告書を読み上げるように淡々とした口調なのに、彼女の声には明らかな喜色が滲んでいて。
誰か分からない、興味もない相手の話を永遠と聞かされているお兄様は、途中でさりげなく話題を変えるなどしていた。
疎ましくて仕方ない。
不機嫌な様子を見せないよう努力したが、胸の奥にわだかまりが溜まっていく。そういった日は、いつもより強めに彼女を抱く。
「アザリア」
愛おしげに、彼女の名を呼びながら。
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