オットマンの上で

刺客慧

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第五話:俺の考えたブルース・シスターズ(中)

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(前回までのあらすじ)
 エルザのシリンジは15リットル入る特注式。浣腸液の粘度は3Pa・s(パスカル秒)、非ニュートン流体である。

 北センチネル島……。
 
 昼寝から目覚めたナハシュは仲間より一足先に知恵の木に向かった。

 生いしげる草をかきわけ、腰蓑こしみのを揺らし木々を伝うことにより泉を抜け、鳥の叫喚きょうかんを通り過ぎ、獣と目を合わせ、岩山を飛び跳ね上がり、上がった先にある丘をさらに駆け上がり林に入った。

 林の中心でナハシュは知恵の樹、そのこじんまりとしながらも厳かな姿を見る。その木の周りは何もなく、陽の光を満遍まんべんなく浴びている。

 そしてナハシュが手を上にあげると簡単に木の高さをこえてしまう。

 ナハシュの眼に金色こんじきが映った。
 未成熟のままちていた知恵の実が、次第にれつつある。

 前兆(ぜんちょう)だ……。

 望まない限り、知恵の樹から成熟せいじゅくした実が成ることはない。では今、ナハシュの目の前にある実りは何か……。

 この島の外で大きな願望を持った者がいて、ここに近づいてきている事実に他ならない。自分が子供のころには考えられなかった。だが、最近では短い周期で、数多くの人間がこの島に上がり、時にあきらめ、時に命を落としていく。

 ナハシュには彼らがなぜ、この島の外周を時には泳ぎ、時には走り、時には良く分からない動物に前かがみで乗りながら、こちらに自分の威を示そうとしているかが分からない。
 彼らは、力を示すが、ナハシュたちに直情的ちょくじょうてきに挑んでくることは決してしないのだ。
 
 彼らの姿を見ると無性に叫びたくなる。仲間たちは彼らに槍を投げ、弓を引き絞るが、ナハシュは彼らに大声で叫ぶ。何故そうしたいのか……、この心のむずがゆさは自分でもよくわからない。

 わからないが故にナハシュは知恵の実を凝視ぎょうしする。知恵の樹の管理全般はナハシュに任されているが、実りをさまたげることはナハシュをはじめ島のいかなる者にも許されていない。

 それは誰が言ったか、許す許さないもなく、ただ、おきてだ。
 この実が無事に地面に落ち朽ち果てる瞬間を願いながらも、ただ見届けるしかないのだ。

「ナハシュよ」
 空から舞い降りたようにも見える軽やかな着地で、男はナハシュの背後に立つ。生命の樹の管理者レヴは岩山をひとっ飛びで来たのだ。

 ナハシュは無言で、どうしようもなく心配そうな顔をレヴに向けた。レヴは友の顔を見て、まず核心の部分の話を避けた。

「お前の杞憂きゆうは当たっていた。生命の樹も実が熟しかけている」
 レヴは腰に下げていたスグリに似た赤い実をナハシュにいくつか渡した。好物を口に含んでもナハシュの気は晴れない。

憂鬱ゆううつだよ。彼らがまた来る……」

「彼らなぞと言うな。あれらは敵で、これは久々の狩りだ。たけらないのはお前だけだ」

 ナハシュは再び知恵の実をながめる。静かにながめながら、口に含んでいた実を強くみ潰した。
 レヴにとがめられることを知りながら知恵の実に手を伸ばしてみた。

 伸ばしてみた……。伸ばしはしたのだ。だが、その手は実に触れるにはまだ遠く、小さく震えていた。

「お前の姉のことは残念だった……」背後にいるレヴの真剣に語る顔は見なくても良く分かる。

「だが気の迷いにとらわれた。お前はとらわれるな」

 ナハシュはうなづいたが友に振り向きはしなかった。
「彼らが来たら。私はどこかに隠れて昼寝をしているよ……」

「かまわん。だが、お前と狩りができないことがいつも残念だ」


***


 千葉某所ぼうしょ……。

「あ、じゃんちゃん。あれ見て、あれ見てー」

「なんだよ……。世界初、石鹸せっけんとワッフルの融合スイーツ、シャボンッフル?」
 幕張まくはり海岸周辺でのマウンテンバイクイベントを楽しんでいたカップルは看板を見て立ち止まった。どうやら出店で『スイーツ?』を販売している。

「よってこ。チョー、バえそう」

「いいよー」

 移動式のキッチンカーのようだが、車両は黒塗りのハイエースで、バックドアを開けてそこで屋台を広げており、即席そくせきな感がいなめない。

「いらっしゃいませー。ローズマリーとエクストラバージンオリーブオイル二種類での販売でーす」
サーバルキャットのぬいぐるみがふやけたような笑顔でメニューを出してきた。
 
 奥には犬のぬいぐるみがいて、せっせと作業をしていた。石鹸のいい香りが奥からただよってきてカップルの購買意欲は大いに上がる。

「じゃあ、両方一つずつもらおうかな」

「かしこまりましたー。トッピングでキャラメル味の消しゴムがつけれますが、そちらはいかがですかー」

 一個五百五十円のワッフルに挟んだ石鹸(上には消しカスが満遍まんべんなくふられている)を購入して二人はおいしそうに食べている。

 彼らがマウンテンバイクから離れて写真を撮りに行ったタイミングで、エルザとジェインの二匹は彼らのバイクをハイエースに乗せて、気付かれる前に早々に走って逃げた。


***


「ジェインやるじゃないか。これ、相当高いやつだぞ」

「まあ……。アタシ形から入るタイプだから」

 姉妹は、振居ふりいの住むアパートにいた。

「ジェインがバイクで70キロ。振居がスイム3キロ。私がラン40キロ」

 北センチネル島のバイク競技は浜辺を周回するため、ロードバイクではなく、マウンテンバイクでの参加が必須だ。距離も本来の半分に留められている。

「バイクとかこぐだけだしヨユー。あんた、3キロも泳げんの?」

「楽勝だよ」あだちみつる漫画の主人公よろし、振居は事も無げな様子で答える。

「へ、へえ。ならいいんだけど」

「それで終わりじゃない。アタシが走り出したら、アンタらも付いてきな」手を組んでむっつりしていたエルザが妙な緊張感を出して急にしゃべりだした。

「どういうことだよ」

「アタシらが見つけるのはエデンの園だよ。外周を走る集団にまぎれながら、タイミングを見計らい、島の内部に侵入する」

「姉御、ちょっとタンマ、タンマ」ジェインは先走って色々と説明をしようとするエルザに横槍よこやりを入れた。

「聞いてなかったけどさ。エデンの園を見つけて何がしたいのよ」

「アタシは知恵の樹を探すさ」

「探してどうするのさ」

「実を食べて人間になるのさ」

「なれるわけないじゃないのさ。絵本の中の与太話よたばなしだよそんなの……」

「信じないならいい。あんたらはアタシが戻ってくるまで待ってな」エルザはへそを曲げた子供の様にジェインに背を向けて窓の方を向いてしまった。

 ジェインと振居は眼を見合わせながら、意味わからない、とばかりに二人で肩をすくめた。


***


 そして時は流れ、トライアスロンの前日オリエンテーション……。

 チェンナイから参加者用のボートに乗り込んだ三人は北センチネル島へ向かっていた。 
ちなみに旅費と参加費は、かっぱらったもう一台のロードバイクを売った分と、振居の給料から出した。

「レディースアンドジェントルウジ虫の皆さん! 整列!!」軍服を着たインド人の女性が拡声器に声を当てて、急な号令をかけた。

 一部の人間は、バタバタと彼女の前に整列する。しかし、いきなり整列と言われても動きは鈍いものだ。女性は素早くホルスターからピストルをぬいて天井に向かって二発撃った。

「トライアスロンなめんな。さっさと並べ、ウジ虫の皆様方!!」

 怒声の後の参加者全員の動きはスムーズだった。拡声器スピーカーを持った女性は、隣の副官らしき男性をひざまづかせて上に乗った。踏み台である。

「カロダパティ・シャーディだ。進行役を務める。シャーディちゃんと呼ぶこと」

 参加者からは早速、シャーディちゃーん、と呼ぶ声があり、当人はむっつりしたままほほを染めた。姉妹はペッとつばを吐きガンたれながら、列の後ろで様子を見守った。

「明朝6時、スタートの号令がかかる。ウジ虫の皆さんのために今から本競技の説明をする。……つもりだったが、シャーディちゃんは内容を忘れた!」

 沈黙ちんもくが少々続いた。

「島の住人は狂暴だと聞きましたが……、大丈夫なのですか?」参加者で初出場とみえる一人が手をあげて質問をした。

「ああん」シャーディはおもいきり見下した視線で、質問者をにらみつけた。他の出場者からの失笑が聞こえる。

「非常に友好的で、沿道えんどうから我々を笑顔で応援してくれる……、わきゃあねえだろう!!」とんでもない範囲で唾が飛び散った。姉妹の足元まで届くほどである。

 辟易へきえきしている質問者をかばう形で、何人かが前に出た。彼らは体のいたるところに傷があり、筋骨隆々きんこつりゅうりゅうとした見た目といいアスリートというよりも傭兵である。

「シャーディちゃん。代わりに俺らが説明します」
「おい、お前ら聞け! 島の住人は槍と弓で攻撃してくる。止まったら確実にやられる。安易に休もうなんて考えるな」

「☆uck、面白そうじゃん」「Hyuuu」姉妹は後ろからでかい声で合いの手を入れた。

「こちらからの住人への接触は禁止されている。襲われても正当防衛の概念はない。住人に手を出したら即刻そっこく射殺だから気を付けろ」

「なんだよ、そのバトロワもびっくりのレース」振居は先ほどから頭を抱えていた。もうちょっとしゃべっていいんだよ。

「レースはSDGsエスディージーズのっとり、全面的に島の環境保全を優先している。よって、エイドステーションはない! また、ヤシの実やその他木の実から補給することも禁止だ」

要項ようこうに書いてあった通り、糧食りょうしょくは各自で持参したもののみだ。また、補給の際に出たごみを島に残した人間についても、即時射殺されるので気を付けるように!」シャーディの前に出た男たちは口々にルールをすらすらと語る。まるで親衛隊だ。

「偉そうに。鉛玉とお客様の死体は残してっていいってのかよ」「Booooo!」
 皮肉を飛ばしたのはエルザだった。彼女はシャーディの方を向いて、まゆを垂れ下げた皮肉な笑みを作る。二秒ほどにらみ合った。

「リタイアはもちろん受け付けている。実際、本番前に怖気ずく物は多い」親衛隊の一人が割って入った。初参加らしき者が中心に、にわかに船内はざわつき始めた。

「しねえよ! トップでゴールしてやる」中指を立ててエルザは答えた。視線はシャーディに向かったままだ。
 ジェインはエルザの態度に違和感を覚えた。今のブラフのことじゃない。どうも頭に血が上りすぎているところがある。シャーディへの態度も気になる。

「参加No101」シャーディは先ほどよりもどすの効いた声を出した。

いやしい泥棒猫どろぼうねこかと思ってたんだが、態度がでかいだけのウジ虫様だったか……。その言葉、本当か、私がしっかり後ろから見といてやる」

 シャーディがあごをしゃくると姉妹の背後から重火器を持ったアーミー姿の男たちが十人ほど出てきた。あまりの威圧感に、ざわついていた船内は一瞬で無言になった。その場で失禁する者もいた。

「こちらが、皆さんを支援してくれるボランティアの皆さんです。皆さんルール無視の言動は即刻そっこく彼らの武器が火をく事態となりますので、お気を付けください」その異様にはシャーディの前で説明する男の方も緊張していた。

「最後に本大会の代表、モスク・モスクから開会の挨拶!」

 一番奥で立っていたベンガル虎のぬいぐるみがゆっくり前に来て、シャーディちゃんから拡声器を受け取る。

「みんなの参加費は、ワシの新しい鼻ピアスを買うのに使わせてもらうヨ。ありがとちょ☆ 生き残れ!」

「YHaaaaaaaaaaaa!」経験者たちはき、大会初参加の者たちと姉妹と振居は無言でいた。
 ただ振居を含め、顔に曇りはない。それは皆どこか反骨心はんこつしんが根っこにあるねっかえりどもだからだ。

(続く…)
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