深夜公園相関図

小谷杏子

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第一夜 散髪と引っ越し

第一夜 散髪と引っ越し①

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 時間がない。
 毎日毎日、仕事に勤しみ、スマートフォンを眺め、伸びない業績に悩み、上司に叱責しっせきされ、先輩から優しくフォローされるもいつの間にか飯をおごってもらい、気がつけば愚痴ぐちをこくこく頷いて聞いているだけの首ふり人形に徹し、作り笑いで誤魔化ごまかしてようやく家に帰り着いてもまたスマートフォンを眺め、滂沱ぼうだのごとく流れていく動画を見つめ、無意識に笑い、かりそめの幸福で脳を満たし、コテコテの添加物を食べて寝る。そんな日常が繰り返される。
 この世に時間泥棒が存在するということに気がついたのは、つい最近のことだった。時計を見ると、いつの間にか時が減っている。誰かがこっそりと俺の時計を早めたんじゃないかと疑うほどに、その流れはあっというまだった。三十、四十を越えた頃、俺はどうなっているんだろう。そんな不安に駆られることもしばしばで、まずいよなぁ、ダメだなぁとうつむき加減に歩き続けているうちに二十七から二十八になろうとしていた。
 さて、冗談はさておき。
 俺はこの無益な時間浪費をいかに有益に転換するか模索した。
 大人だって夢を持っていいはずだ。あでやかで華のある時間が欲しい。誰か、このささくれだった俺にひとさじの癒やしを分けてくれ──と、思っているからダメだ。こういうのは自分で捻出ねんしゅつしなくてはならない。
 まだこの世の「こ」の字も知らない中学生の青くさい時代を振り返る。
「超有名な漫画家になって、女子にモテたい」
 つんつるてんな小僧が机にかじりついてそう言った。漫画本を片手に「俺でも描ける」と豪語していた。
 ばかやろう。お前、美術の点数最悪だっただろ。
 少し背伸びした高校生の頃を思い出す。まだマシな考えを持っていたはずだ。
「今の時代、料理くらいできなきゃモテない。よし、今度チーズケーキでも作ってみよう」
 渾身のレアチーズケーキはいい出来だった。初めてにしては上出来で、母さんはとても喜んでいた。しかしそれは、世に浸透した友チョコ文化に流されていただけであり、しかもチョコレートではなくチーズという時点で敗北の予感がし、学校で配るのは気が引けた。結局家族に振る舞っただけに終わった。
 少年よ、レアチーズケーキは割と誰でも出来る。分量さえ間違えなければ、混ぜて固めて終わりだ。お前の腕は人並み以下だから、その判断は正しい。
 では、大学生の頃はどうだったろう。いや、ダメだ。あの頃は就職難の時代だったので、先輩たちから脅されてエントリーシートの推敲すいこうを重ねる日々だった。夢や希望なんてものは一気に消え去り、二十歳になったあとはただ女子にモテたい一心で飲み会に参加して、酔いつぶれて……それから酒が怖くなった。俺は悲しいほどに下戸げこだった。だが、今は少し違う。
 俺に備わった能力は、まさかの飲酒である。この能力を発揮するにはやはり飲みの場が適切だろう。しかし、仕事に忙殺される日々のなか、今週のノルマを達成するのに精一杯であり、残業で身をやつしている。また、少し前までの俺は必死に下戸アピールをしており、アルコール・ハラスメントになりたくない上司や先輩たちが遠慮して誘ってこないのである。
 それはそれで気が楽なのだが、帰宅してから寝るまでの三時間が地味に暇を持て余す。ソーシャルゲーム、SNS、動画、テレビはその場しのぎの憩いでしかなく、布団にもぐったとたん虚無きょむにさいなまれるのが常だった。
 残業を終えて、帰宅していたある夜のこと。
 二十一時の住宅地は静かなものだった。このあたりは治安がそこそこ良く、マンションと戸建てが均等に並んでいた。ゆるやかな坂を上り、平らな道に出る。裏通りに出れば、古風な文房具屋やペットショップ、小さな地元の印刷屋などがシャッターを下ろして息をひそめている。コンビニの灯りだけが元気で、俺は無意識にふらふらと光の中へ引き寄せられた。
 細長い缶ビール一本と濃いとんこつ醤油のカップ麺を買い、家路を目指す──が、足は寄り道を望んだ。
 自宅マンションとは反対の細い道に入れば、遊具が撤去されたばかりのベンチしかない広い公園が目についた。
「ひがしいかわ公園……」
 公園の入口に、木材の看板が建っている。公園の名前の下には注意書きが。ボールで遊ぶな、大声で騒ぐな、走り回るな、ベンチは譲り合え、エトセトラ。
 誰もいない公園は不気味だった。が、その不気味さがかえって好奇心を掻き立てる。
 いや、待て。公園で酒を飲んでいたら通報されるんじゃないか。なにしろ二十八歳の冴えない独身男である。くたびれたスーツと、へたれた髪の毛、疲れた目元、つやのない肌、時間が経って伸び始めた髭が不審者極まりない、ような。でも、バレなければいいんだ。それにもし、誰かに通報されて職務質問されたら颯爽と名刺を出して笑えるくらいの気力はある。伊達だてに社会人やってない。残業帰りに我慢できずに酒を飲んだと素直に言えばいい。ねぎらいこそすれ、外野からやいのやいの言われる筋合いはない。
 そう意気込んで、俺は夜の公園へ足を踏み入れた。
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