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孤独な化け物と大罪の少女
しおりを挟む「じゃあ、私と子作りしよ?」
空から突然現れた少女は、
無邪気な笑みを浮かべて至極明るい声で言った。
この世界に神などいない…
俺は生まれた時からそれを悟った。
親など居ない。人にも獣にも、魔物にすら恐れられた俺は、誰にも愛されることもなく生きてきた。この隆起した岩山に囲まれ、枯れ果てた大地でもう何百年という時を過ごしてきたのか…。
この山の最も深いこの穴蔵で、毎日、日が昇る度に岩肌に爪で線を引き、夜が来るのを待つ。だからと言って、朝も夜もここから俺は動くわけではない。何も口にしなくても死にはしない、腹が減るわけでもない。
俺が生まれてすぐの頃は、何年か冒険者だ、勇者だのという存在が俺を殺しにきたが、誰もその望みを叶えてくれなかった。俺は何のために生まれたのか、いつになったら死ぬのか…そればかりを苦悩する日々に、もう何の希望も絶望すらも抱いてはいない。
ここから人間が居る場所まで近くても100里程ある。
"マトリア王国"とか言う、この世界の中心と呼ばれる王国だが、それももう随分昔に見に行っただけで、今がどうなっているかは分からない。
数日前は、風に燃えた草木の臭いが混じっていた。どこかで野焼きか、それとも大きな火事でもあったのか。俺には関係ないことだが…。
「ねぇ!」
甲高い子どもの声…
今日は風の音が悪さをしているのか?
「ねぇ!」
あぁ、また聴こえる
「ねぇって言ってるでしょ!!」
ビクッ!?
風の音じゃない、誰かが背後から声をかけてきている。なんだ…人間?魔物?どうしてこんなところに居るんだ。それも子どものような声だ、どうしよう…。
内臓がドドドドドと、聞いたことの無いような音を立てている。俺はギュッと胸に手を当てながら、ゆっくりと後ろを振り返る。
「あ、やっと向いた」
陽射しの元に、小さな人間が立っていた。
両手を腰に当てて、俺をジッと面白くなさそうに見ている。俺は久しぶりに見た人間に見とれていた。
黄金色に輝く長い髪に、頭上に輝く黒い王冠、青く美しい瞳、雪のような白い肌。両腕に金の腕輪をはめ、赤と黒のドレスのような服を纏うその人間はとても美しかった。
人間は辺りをキョロキョロと見回すと、その場にペタンッと力が抜けたように座り込んだ。よく見れば、身体の至るところに血のようなものが付いている。服も所々破けて、何かに襲われたような格好だ。
俺が見ていると、人間が両手で体を抱くように隠し、威嚇するような目で俺を見る。
「そんなにジーッと見ないでよ、エッチ」
「…えち…?」
よく分からない言葉を使う。
人間は目を丸くして俺を見ると、犬が吠えるが如く口を大きく動かした。
「えっ!喋れるの!?」
「(そんなことか…)一応」
「へ~、面白いのね」
人間の顔が驚いたと思えば、次は目を輝かせて俺に走り寄ってきた。俺の前に来て、ズザッと砂を巻き上げてまた座る。俺はその勢いに押され、壁に縋るように背中をつけ、これ以上後ろには退がれない。メキッと壁に俺の爪が突き刺さり、パラパラと岩の欠けらが落ちる。
「アナタが"辺境の魔神"?」
「い、いや…解らない」
「解らない?何で?自分の事でしょ?」
「人間が俺の事をどう呼んでるかなんて解らない」
人間は口元に手を当て、考え込むようにブツブツと何かを話し始めた。
「そうか…"辺境の魔神"なんて人間が勝手に話してるお伽話だと思ってたし、それを張本人が知ってるわけないのか。でもこの見た事ない生命体は多分それなんだろうけど、ブツブツ…」
「人間よ、何故ここに来た」
「はっ!えっと、それはあれよ、逃げて来たのよ」
「逃げてきた…何から」
「王国の兵士ども」
「何故逃げる?」
そう聞くと、人間はバツが悪そうに口を尖らせて下を向いた。先程までの威勢は無く、モゴモゴと口を動かす。
「そりゃ、あれよ、ちょっとやっちゃいけない事を2、3…びゃっこくらい」
驚いた。
人間の中ではかなりの罪を犯してきたということか、こんな子どもが。
「まぁ私のことはいいでしょ。アナタは?なんでこんなつまんないとこにいるわけ?」
「俺が化け物だからだ」
「何か悪いことしたの?」
悪い事をした記憶はない。
俺はゆっくり首を横に振った。最初はほかの生物と接してみたが、皆俺を見るなり怯えて襲ってくるか逃げ去るかのどちらかだった。だから誰の目にもつかないところにどんどん逃げてきたんだ。
逃げて逃げて、気づけばここにずっといる。
「アナタって魔物なの?それとも何か特別な存在?」
「分からない」
「沢山の勇者を血祭りにあげたんじゃないの?」
「なんだその話は…」
「世界最強の化け物"辺境の魔神"は勇者を血祭りにあげ、毎日100人の人間を食い荒らす存在でしょ!」
「…俺はもう何百年も何も口に入れていない」
「ほんと!?」
人間の世界では、俺はとんでもない存在として語られているらしいな。この人間は身振り手振りを交えて俺がどういう存在なのかを楽しそうに話してくれる。
「アナタの種族は?デーモン?ドラゴン?でも人間…みたいな要素もあるけど」
「分からないと言ってるだろう」
「アナタずっとひとり?」
「あぁ」
「そっかぁ、化け物もけっこう大変なのね」
人間はニコニコと笑う。
「でも面白い、飲まず食わずでも死なないなんて生き物の摂理を超えてる。ますます興味が湧く」
「興味…?」
「この世の魔物や大抵の人間とは会ってきたけど、アナタみたいな死なない存在なんて初めて見たわ」
そこまで言って、人間は思い出したように何かを探し始めた。そして、包みにくるまれた丸い何かを取り出した。初めて見るそれは、包みを取ると赤い水晶のような小さな球体だった。
人間は立ち上がると、ニコニコとそれを摘んで俺に向かって手を伸ばした。
「はい!あげる」
「なんだそれは…」
「食べてみたら分かるってば!あーん」
「あーん?」
真似をして口を開けたら、ヒョイっとその赤い水晶を口の中に放り込まれた。
「ふふっ甘いでしょ?」
「あまい…、というのか…」
「もしかして味も分からないの?それは、飴って言うの。お砂糖を温めて固めたものなの!」
「あめ…」
不思議な味だ。
口の中がその味に染まっていく。砂埃と空気以外のものが口に入るのは、もういつ以来だろうか…。
「飴は初めて食べた?」
「うむ」
「何百年もこんなとこにいたら、なんにも知らないのね。私がアナタだったら、もっともっとたくさん色んなところに旅に行くのに」
「…死なないだけで、何もかもが俺を恐れる」
「ふぅ~ん、魔神さんは怖がりなのね」
人間は地面に腰を落とし、三角に座り両手で頬杖をついた。そしてまたつまらなそうに俺を見上げる。
「俺が怖がり?違う、怖がるのはほかの奴等だ」
「怖がられるのが嫌だから、こんな場所にずっと1人でいるんでしょ。他の存在からの目を気にするなんて、魔神さんは人間みたいにメンタル弱いのね。 」
そうなのか…?
俺が怖がられることを怖がっている。
この人間は子どものような形をしているのに、よく分からない話をして、俺と普通に話している。
「お前は罪を犯してきたのなら、怖くないのか」
「なにが?」
「罪を犯すということは人間のルールを破ったということなのだろう。周りの者はお前に何もしないのか?お前を恐れないのか?」
「ん~…他の奴等は怖いんじゃないかなぁ、だから私を殺そうとしてくるわけだし?」
「命を狙われているのか」
「まぁね~」
人間は頭の後ろに手を回し、困ったように眉を下げて笑った。そしてすぐ、俯いてしまう。
「…人間なんてすぐ死んじゃうからさ、こんなつまらない生き物に産まれて、つまらないルールに縛られて生きるのは嫌なの」
「人間はルールを守る生き物じゃないのか」
「それも人間が仲良く生きるために都合よく決めたものでしょ?従う義務なんてないもん」
人間は両手を上に向けてため息を吐いた。
「…お前は難しいな」
「そう?分かりやすいと思うけど」
「人間は違うことが嫌いだ」
「そういうところがつまらない!私は世界の全部が知りたい、誰も信じないお伽話も、伝説の存在も、世界が禁じたことも全部!」
「お前は変な奴だな」
「最高の褒め言葉ね!」
人間はバッと立ち上がると、その場で両手を宙に掲げてくるくると回り始めた。楽しそうに笑いながら、長い金の髪を遊ばせる。
「人間なんて超脆弱!叩けば死ぬ!斬れば死ぬ!燃やせば死ぬ!息を止めれば死ぬ!!ちょっと間違えれば簡単に死ぬような生き物に産まれて、死ぬ事を恐れて生きるなんてまっぴらごめんなの!!」
ハァハァと頬を赤く染め、人間は俺にもたれかかるように腕に抱きついてきた。他の生物が触れてくるのは初めてで、俺はその場で固まった。
「私はアナタが好き!人間や魔物と違う、死なないアナタがどうしたら死ぬのか興味が尽きない」
俺が…好き…??好き…すき、すき…
「アナタはどうしたら死ぬの?本当に死なないなら子孫も繁栄しなくていいのかしら?アナタ交尾はできるの?」
人間は俺の腕を抱きしめたまま、キラキラと目を輝かせて俺に嵐のように質問をしてくる。
「まずアナタは雄?雌?性別はあるの?」
「!?!?わっ、分からない」
「あぁ!知りたい事が山ほどあるのー!!」
人間は興奮が最高潮に達したのか、腕からガサガサと虫のように俺の腕を這い上がる。そして俺の首に手を回すと、顔を目の前に近づけた。
「アナタの名前は?」
「………」
俺の名前…名前はなんだ…
呼ばれた事は無い、必要がなかった
「分からない…」
「まぁ!名前もないのね!」
「必要がない」
「ダメだよ!これから必要になるんだから!」
「必要に?何故だ」
「アナタはこれから私と外に出るんだから!」
「………は…?」
この人間は何を言ってるんだ。
「アナタがこの世界を沢山知れば、アナタがどうやったら死ぬかとか!好きなものとか嫌いなものとか、アナタのことがもっともっと分かるじゃない!」
「俺は死なないし!ここから出る気はない!」
「死なないの!?」
「お前は何がしたいんだ!」
なんなんだこの人間は、俺を好きと言ったと思えば、どうやったら死ぬのか知りたいなどと。こいつは一体何を考えているんだ。しかも、外に出るだと?ふざけるな!俺はもう何とも出会う気はない!ここに居るだけでいい!
「ここから出ようが出まいが!俺はずっと孤独なんだ!」
叫んだのはいつぶりか、人間は目を丸くして固まってしまった。勝手なことばかり言うその口が、今は動くのさえ見たくはないと思う。
「…じゃあ、アナタと同じ種族が存在すればいいのね?」
「なに…?」
「アナタの生態を調べて、アナタが孤独じゃなくなれば死ぬ方法を探してくれる?」
「無駄だ、俺と同じ存在など…」
人間はにっこりと微笑むと、俺の顔を両手で挟み込むように掴んだ。
「じゃあ、私と子作りしよ?」
「……こづくり…?」
「アナタの子どもをわたしが産んであげる!」
子ども…?子どもを産む?
この人間が…俺の…??
この人間はなにを言っているのだろう。まず子どもなんてどうやって作るんだ?子どもの素材は何だ。俺には分からないことを、人間はやろうと言うのか。
「子作りしながらこの世界を旅すれば、きっとアナタの子どもを産む方法が見つかるわ!それに、子どもより先にアナタと同じ存在を見つけられるかも知れない!!」
また人間はキラキラした笑顔で俺を見る。
俺は正直、なんと答えればいいのか分からなかった。この小さな人間が、俺が考えた事の無いようなことをやろうと言っている。
俺の顔に触れた手は震えていない、太陽のように温かく柔らかなこの手を振り払えない。こんなにも俺と関わろうとしてくれたモノなど、いままで居なかった。
「…本当に、俺は孤独じゃなくなるのか?」
その時、地を破るような音が鳴り響いた。
ゴォオオオオ、ゴォオオオオと大砲を間近で撃たれたような爆音はこちらに近づいてくる。人間は俺から飛び降りると、俺の前に背を向け立った。
「こんなところまで追ってきたか…」
「何だ、何が起きている」
「私に付きまとってくるうるさい兵士達がここを嗅ぎつけてきたみたい」
「ここを破壊するのか?」
「ん~そうかも」
陽の光を遮るように、大きな鳥の影が真上の空を何度も往復している。人間はそれを見上げ、訝しげな表情で小さく舌打ちをした。
だんだんと他の人間の声が聴こえ始める。この人間とは違う、野太い大勢の人間の声だ。
「お前は捕まるのか?」
「あはは!大丈夫大丈夫!私がそこら辺の人間に負けるわけないじゃない」
人間は顔だけ振り返って、明るく笑い飛ばした。それは決して虚勢などではなく、本心から言った言葉なのだろう。もう寸前にまで大勢の人間は迫ってきている。奴等は俺も殺そうとするのだろうか?俺を見たら、また刃を向けるのだろうか…。
俺が考えていると、人間はまた俺に背を向けた。
そして、自身の胸に手を当てると人間の身につけている金の腕輪が光り輝く。全身がその光に包まれると、人間の傷だらけだった体と衣服が綺麗な状態に戻っていく。
「人間…、お前は何者なのだ」
「天才錬金術師美少女!アーチャ・オーロちゃんよ」
「アーチャ…錬金術師…」
「錬金術師ってのは、まぁある存在を別の存在に変換させる天才的な才能が必要なんだけど。私ってば天才だから、何でも出来ちゃうのだよね!」
腕輪からは金色の光がとめどなく溢れ、それが髪やドレスを動かす風となる。
「いたぞ!!」
人影がぞろぞろとこの空間になだれ込んできた。
「!?なんだあの化け物は…!」
「"辺境の魔神"の住処とは聞いたが、なんと禍々しい」
「奴は魔神まで引き込んだか!」
「恐ろしい…」
俺への恐れを口にする人間共は、皆鉄の鎧を頭から足先まで纏い、剣や槍を持っている。数は30~40人くらいのようで、俺とアーチャを取り囲むように横に広がった。人間達は中央を開け、開け放たれた道の真ん中を角の付いた鎧を纏い、青い外套を身につけたいかにも偉そうな人間が歩いてきた。
その人間は腰につけた剣を抜くと、それをアーチャに向けた。アーチャは特にそれに反応することなく、ただ真っ直ぐに前を見続ける。
「もう逃げられんぞ!大罪人アーチャ・オーロ!!その化け物もお前の手下か!?」
「はぁ?この人は私の旦那様よ」
「は…?」
「なんだと!?ふざけているのか貴様!」
アーチャは背を向けたまま親指を俺に向けた。俺はいつお前の旦那様になったんだ、そう聞きたかったが、なんだかそんな雰囲気でもない。偉そうな人間が声を荒げて吠えている。
「そいつは伝説に聞く"辺境の魔神"であろう!」
「だから何よ」
「銀の毛並みに、金の瞳!黒い肌に紅い模様、鋭い爪と牙をもち下半身には竜の鱗と6つの狼の尾をもつ不死身の化け物!!伝承通りの化け物ではないか!!」
「この人はこれから私と一緒にこの世界を旅するんだから、たかだか一国の将とその取り巻き達が邪魔するんじゃないわよ!」
「っ!なんだと!?マトリア王国を馬鹿にした挙句、その化け物を野に放つだと!!」
偉そうな人間が剣を振るう。
剣が空を切る音を上げ、辺りに強く風が渦巻き始めた。
「そのようなことになれば、この世界は悪夢に支配される!!決して許されるわけにはいかない!!かかれ!この諸悪の根源共をここで駆逐する!!」
人間共が俺たちに向かってくる。
アーチャの両手が一段と眩い金色に輝き、その手を人間に向ける。瞬間、アーチャの手元から灼熱の炎がまるで竜の息吹のように噴き出し、走り寄る10ほどの人間を消し去った。ジュッ!という音を立て、肉の焦げるような鼻をつく臭いが立ち込める。炎が消えた場所には、人だった黒い塊がいくつか転がっていた。
迫っていた人間共の足が止まる。困惑と恐怖を抱いた人間共の空気が、殺気だったものから一変していた。
光が消えたアーチャの手には二丁の銃が握られている。紅く光る銃に、金の細工が施された宝石のような美しさ。これがさっきの炎を出したようだ。
「私が守ってあげるから、アナタはそこでジッとしててね?巻き込んじゃうから」
アーチャはニコッと俺に微笑んでみせた。
そしてすぐに前に向き直り、人間共に銃を向ける。
「私を邪魔すると言ったんだ、塵ひとつ残さず消してやるよ…」
「臆するな!!進め!」
人間共がその声にまた殺気を向け、アーチャに迫る。
そこからはあっけないほど、結末は早かった。
アーチャはまるで羽が生えているかのように、人間共の刃を華麗に避けては1人ずつ確実に殺していった。断末魔というのはこういう声なのだろうか、人間共は聞いたことのないような叫び声をあげて、人では無くなった。
あれだけいたのに、周りは血と何かが焦げた臭いが充満し、地面は赤と黒に染まっていた。
人間を殺すアーチャの目は、ランランと輝き、口元にはニンマリといやらしい笑みを浮かべているのが見えた。気がつけば、残りはあの偉そうな人間だけになった。人間の左腕はアーチャに消し飛ばされ、ぼたぼたと蜂蜜のように滴り落ちる血が、土に帰る。
「なんの…!これしき…!!」
人間は身体を震わせながら、また剣を構えた。
「ほっといても死ぬけど、まだ苦しめてほしいの?」
アーチャは右手に持った銃を人間の頭に向けた。人間は少しだけ後ろに仰け反り、すぐに剣を強く握りなおす。
「お前だけは!生かしておくわけにはいかんのだ!!」
人間の周りを風が渦巻き、激しい嵐のような風が辺り一帯を包み込む。風は幾筋の刃となって、人間の足元の地面を削り巻き上げる。
「貴様のような狂者が世に蔓延れば!!人々は嘆き悲しむことになるのだ…!お前に家族を殺された者達を、私は何百とこの目にしてきた!!だからっ!!」
ドォンッ!!
人間が剣を振りかざした一瞬であった。
人間の懐に滑り込んだアーチャの銃から放たれた爆発と炎が、言葉を遮って終わらせた。
無機質に倒れた鎧からは、プスプスと煙が上がっている。首は消し飛んだのだろう、見渡してもどこにもそれらしきものはない。
「…さっさとくたばれ、偽善者ども…」
アーチャの目は燃えていた。
危険な光を纏った瞳を閉じ、ふっと力が抜けたように、腕を垂れ、銃は元の腕輪に戻った。アーチャはくるりと身を翻し、俺の方に向き直った。
今さっきまで、沢山の人間を殺していた者とは思えないほど、純粋な笑みを浮かべる。俺は呆然としながら、ただ屍を背に微笑む彼女を見つめていた。
「お掃除も終わったし、追手も来るかもしれないからちゃっちゃと行こう?」
「…行く?何処に」
アーチャは駆け足で近づくと、むくれたように頬を膨らませて俺の腕を両手で引っ張った。
「旅に決まってるでしょ!」
あぁ…、こいつは本気で言っているのか
「だが、俺はこの姿だ…人には見られるわけには」
「それは大丈夫よ!」
戸惑う俺に、アーチャは笑いかける。服の中をごそごそと手で探り、金の指輪を取り出した。その指輪には紫色の宝石が埋め込まれている。
「これをはめればアナタは他人からは"人間"にしか見えなくなるから」
「なんと…」
「あ、でも見た目が変わるだけで体の根本はそのままだから気をつけてね」
アーチャはその指輪を俺の指にはめた。
ぐらっと視界が揺らぎ、倒れそうになるのを踏みとどまった。顔に手を置き、何が起きたのかと体を見るが特に変わったところは見当たらない。
「おぉ~!人間のアナタって中々イケメンね!」
「ん?」
「今アナタの姿は、大抵の人間には人間に見えるよ」
困惑する俺に、アーチャはまたどこから出したか分からない鏡を取り出した。それを見て、俺は混乱した。
「これが…俺…?」
鏡に映った自分の姿は、確かに人間だった。
褐色の肌に、ところどころ赤の混じった銀の髪。金の瞳、顔を触った手から腕にかけて、赤い模様が浮かび、爪は長く赤い。遠い記憶の中で憶えている"自分"とは、大きくかけ離れた姿であった。
アーチャは鏡をしまい、俺から離れて数歩進むと、片膝をついて両手を血塗れの地面についた。アーチャの金の腕輪が強く光り、地面に赤く輝く巨大な魔法陣が現れる。小石が揺れながら浮き上がり、屍や血、折れた剣などが陣の中央に集まっていく。
鉄と屍と石、血塗れた土がぐねぐねとまるで粘土をこねるように1つの塊になり、それは徐々に形を変える。塊は徐鉄錆のような色をした巨大な竜になった。骨だけになった巨大な翼竜のような姿、牛のような角の生えた大蛇の胴体に、竜の大きな翼を携えた異形の竜。
それはまるで生きているかのように絶叫をあげ、首をもたげてアーチャの前で大人しくしている。
「さぁ!行きましょう!」
俺の前で、天使のような笑顔で笑う彼女の手を、俺は無意識のままにとっていた。それが大いなる過ちだったのか、俺には分からない。ただ、その小さな手が、俺にとって初めての"未来"を見せてくれるような気がした。
竜の背にアーチャを前にして座り、俺は彼女を包むように掴まる。アーチャはそれを合図のように、片手を挙げ、竜はそれに反応して砂埃を巻き上げながら飛び立った。
体が浮き上がる初めての感覚に、俺はぐっとアーチャの体に巻きつけた腕を強くした。アーチャは何も言わず、片手を俺の腕に添え、真っ直ぐと竜の飛び去る方向を見据える。空がどんどん近づいていく。
強い風に、何百年ぶりに浴びた太陽の光に、俺は身震いした。見渡す限りの大空と、どこまでも続く大地は、息を呑むほど俺を激しく揺さぶった。土の匂いがしない、嗅いだ事のある懐かしい匂いがした気がした。
「どう?穴から出た感想は」
アーチャが不意に話しかけ、俺は我に帰った。
「…あぁ、とても広いな」
「そうだよ!世界はアナタのいた穴倉なんかよりもずっとずっとずーっと広いの!」
「そうみたいだ」
世界はこんなにも眩しいのか
「これからもっともっと、たくさんの初めてをアナタにあげるからね」
そう希望を秘めた言葉を放ち、
貴女は悪魔のような優しい笑みを向けるのだ
。
応援ありがとうございます!
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