ヒメゴト―秘め事もしくは、姫事?―

遠堂瑠璃

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25.二人っきりの暗闇の中で

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 もうすぐ、陽が沈む。
 ただですら光の射し込みにくい谷底は、夜になればきっと容赦のない暗闇に包まれる。まだ夕暮れの今でさえ、カーテンを引いた部屋くらいの明るさしかない。

 ヤバイな。
 このまま陽が落ちれば、ここから移動するのは難しくなる。
 だいたい、ここが街からどんだけ離れた場所なのかとか、それすら判らねえ。


 俺はちらりと、隣のラオンの様子を窺った。
 ぼんやりとした薄闇の中で見るラオンの表情はいたって落ち着いていて、焦ったり不安そうな感じはない。

 本来ならば、ラオンはすでにマーズ城に来賓として訪れているジュピター王族の元へ戻る筈だった時刻。
 予定よりもずっと、ラオンと長く一緒に居られる。
 けど今は、それを悠長に喜んでいられる事態じゃない。
 最悪、真っ暗闇のこの場所で朝までじっとしてなきゃならねえかもしれない。しかも、あのわけの判らんねえ三人組に見つかっちまう可能性もゼロじゃねえし。


 どうしたもんか……。
 俺は、考える。


 俺が、しっかりしなきゃだ。
 ラオンを守るのは、俺なんだから。

 まだ視界が確保できてる間に、少しでも進んどいた方がいいのか、やっぱ。

 トロッコでだいぶ飛ばしてきたからなあ。
 ここから近い街とか、見当もつかねえ。

 山で遭難した時なんかは、むやみに動かない方がいいって云うけど。それはあくまで、捜索隊とかが見つけてくれる事を想定しての話だ。この情況で、ジュピターのSPが見つけてくれるとかも望み薄そうだし。

 迫り来る夜が、じわりじわりと俺を焦らせる。


「……とりあえず、進んでみるか」

「うん」

 俺の言葉に、ラオンは素直に頷いた。

 俺は、ラオンの方に手を差し伸べた。
 ラオンがそれに応じて、手を伸ばす。


「あっ、待って」


 ラオンは急に何かを思い出したように伸ばしかけた手を引っ込めると、ごそごそとズボンのポケットを探り始めた。


「良かったあ! ちゃんとあった!」


 ふにゃっと安堵した笑顔で、ラオンがほっと言葉を洩らす。
 ポケットから出した手のひらに握られてたのは、俺がファインの街の露店で買ってやったモコモコのメリーのぬいぐるみだった。


「途中で落っことしてたら、どうしようと思った!」

 ラオンが云いながら嬉しそうに眼を細め、綺麗な細い指先でぬいぐるみを撫でた。


「それ、すげえ気に入ってくれたんだな」

 本当、買ってあげて良かった。俺も嬉しいよ。


「だって、ソモルが買ってくれたんだもん」


 そう云ってラオンは、ふふっと笑った。


 ……やべえ、抱き締めちまいてえ……。


 ラオンの言葉の意味を深く探っちまいそうになった俺は、やっぱ意識過剰気味かな。

 ラオンは片手にぬいぐるみを持ったまま、もう片方の手で差し出した俺の手を握った。柔らかくて、ちょっとひんやりとしたラオンの手の感触が俺の神経を刺激する。


 ……いいムードだなんて思うのは、この情況で不謹慎だぞ。


 けどやっぱ、甘めだよな、この雰囲気は。
 それに俺たち、いつの間にか自然に手を繋げる感じになってる。
 この情況が招いた事かもしれないけど、なんか、ほんのちょっとだけでも仲が進展したのかもな……なんて。

 友達以上、恋人未満。

 今の俺たちの関係。
 そう思って、いいかな。


 高い樹の枝が空を遮るように伸びた場所に入ると、ますます視界が悪くなった。足を踏み出す度に、下に落ちた小枝の折れる乾いた音が、パキパキと響く。道の先はすっかり闇に覆われて、安全なのか危険なのかすら判断できない情況になっていた。



「参ったな、ちきしょう……」


 やべえな、潮時か。
 完全に足止め食らっちまったかも。

 ああ~、くそっ! なんか先を照らせるもんでも持ってくりゃ良かった。
 けどまさか、こんな事になるなんて想定もしてなかったし。
 ラオンとのデートに浮かれ気分だった今朝の俺に、『蝋燭ろうそく一本持って出掛けろ』と一言忠告してやりたい。


「ラオンすまねえ。これ以上先に進むの、無理そうだ」


 後ろのラオンを振り返った俺は、一瞬息を呑んで固まった。


 周囲を支配し始めた闇の中で、ラオンの大きな両眼が……ほんのり光を宿していた。



「…………」



 淡いライトのように、ぼんやりと光るラオンの翡翠ひすいの眼。

 あからさまに驚かなくて済んだのは、前にも一度その様子を見た事があったから。

 一年半前、ラオンと初めて過ごしたあの時も、地下道で今みたいな暗闇ピンチの情況でラオンの眼がぼんやり光るのを見た。


 そうだ、確か……。


「ラオン、そうだお前、確か暗闇の中でも眼が利いたよな?」


 俺は思い出した。
 ジュピターの人間は皆、夜目が利くんだった。

 ラオンと出会った一年半前、俺はそのトリビア的事実を初めて知った。
 そんな事を知らなかった俺は、暗闇の中で光るラオンの眼を見て、驚いて派手に尻餅しりもちついちまった。しかも、悲鳴まで上げて……。

 すげえ格好悪くて、消したい過去だ。
 できればラオン、あの時の事は忘れてて欲しい。

 けどあの時、ラオンの夜目が利くおかげで暗闇ピンチを脱出する事ができた。
 また、何とかなるかもしれない。


「ラオン、悪い。こっから先は、お前が俺をリードしてくれないか」

「うん、いいよ」

 ラオンが、俺と入れ替わりで前に来る。

 ラオンに先を行かせるのは、心苦しい。
 何かあればすぐに守ってやれるように、せめてぴったりと寄り添う。

 断じて、下心じゃねえ。



「じゃあ、進むよ」


 淡く仄かに浮かぶラオンの翡翠の眼が、俺に合図を送る。

 ラオンは、ほとんど前が見えない俺を気遣うように、ゆっくりゆっくり足を進めていく。足元を確かめるすべのない俺は、真っ直ぐ前を向いたままラオンにいざなわれながら歩く。小枝を踏み締める感触と音だけが、確実に移動してるんだという実感を俺に伝えてくる。

 歩く度に、俺の腕がラオンの肩の辺りにぶつかる。繋いだ手も、時折ラオンの太もも辺りに当たる。
 見えねえけど、多分……太もも。

 ……やましい事なんか、なんにも考えてねえからな!



「この辺、根っ子が多いから気を付けてね」

 掛けられたラオンの言葉のすぐ後に、足の裏にごつりとした感触が続く。
 デコボコと固い樹の根っ子。

 慎重に行かないと、コケるな、こりゃあ。


 こんなピンチの情況なのに、俺は心の真ん中でほんのり幸せを感じていた。
 普通にデートをしていたならば、もうとっくに一緒に居られるタイムリミットをオーバーしている。


 俺、もしかして浮かれてる……?


 自分に嘘はつけねえ。
 自分の本音を誰より一番知ってるのは、この俺自身。

 こんな情況の中で幸せ感じちまうなんて、本当ほんと、悪い奴だよな、俺ってば……。



「ソモル、気を付けてね」


 ラオンの声とほぼ同時に、俺はなんかごついものに足を取られた。



「うわっ」


 そのまま、勢い良くつんのめる。
 ラオンの小さな悲鳴が、俺の声に重なった。

 見えないから、情況が判らない。
 日常生活で、自分がほとんど視覚に頼りすぎていた事に改めて気付く。
 感覚や衝撃から、恐らく転んで前に倒れたんだろうなと判断する。


 ……けどなんか、腕の辺りが妙に柔らかい……。


 ……どうやら俺は、ずっこけたどさくさに紛れて、ラオンの事を草の上に押し倒しちまった……らしい。

 どんな状態になってるのか、見えないからはっきり判んねえ。
 判かんねえけど、伝わってくる感触から、俺の体半分はラオンの上に覆い被さってるのは間違いないようで……。


 なんか……、とんでもねぇ事しちまった。



「ごっごめん!」


 云いながら、柔らかいものの上に乗った腕を、さりげなく退どかす。

 ラオンに怪我とかさせてねえだろうな、俺。
 ラオンの肩に手をかけ、ゆっくり優しく抱き起こしながら、俺はもう一度謝る。


「平気だよ、なんともないよ」


 事故とはいえ、俺、ラオンにとんでもねぇ事してしまった。
 俺は、酷い罪悪感に取り込まれていく。

 巻き添え食わせて、故意じゃないとはいえ、……押し倒しちまった……。


「本当、悪りぃ」

 謝りながら頭を下げた拍子に、俺の額がラオンの頭に軽くゴチッとぶつかった。


 うわっ、もしかして今、顔、すげえ近い……?

 俺は動揺して、ほんの少し体を後退させた。

 相次いでのハプニングに、俺の心臓の鼓動がどんどん速さを増していく。
 落ち着け、落ち着けっ!


 ラオンの表情は、俺には見えない。
 見えるのは、ほんのり淡く光るラオンのふたつの眼だけ。

 けどラオンの方には、俺の表情とか無様な様子とか全部見えてんだよな。
 なんか、格好悪いな、俺。
 せめてアホ面にならないように、意識して表情を引き締める。



「ソモル、あれ」

 不意にラオンが、二度瞬きしながら言葉を洩らした。


「人、人が来る」


 なんだって、人が?
 俺は、ラオンが見ているらしい方向を向いた。

 白い光。
 人工のライトだ。

 こっちに近づいてくる。


 俺は、反射的に身構えた。
 ラオンの肩を引き寄せようと思ったけど、また変なとこ触っちまいそうだからやめておく。


 近づく、光。

 ラッキーな展開と、最悪な事態の両方を想定しておく。



 パキパキ

 小枝を踏み締める音が響く。
 足音からして、二、三人。

 揺らめく人影。
 次第にその形が、はっきりと現れる。



 最悪、の方……か。


 光が照らし出したその顔は、ラオンを狙うあのわけの判らねえ三人組だった。





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