ミコ―龍の子の祭り―

遠堂瑠璃

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七. 皇子

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 山で出会った少年の正体は、神殿に棲まう皇子みこ
 タケルは語る言葉もなく、只扉の前に佇んでいた。
 あの時の身軽ななりとは違い王族らしい装束を身に纏っているとはいえ、その顔を見紛《みまご》うわけがない。類い稀な程に美しいその面差しは、他に間違いようもなかった。

「ほう、そんなに驚いたか」

 惚けたままのタケルに、皇子は悪戯坊主のような笑みを見せた。
 タケルが驚くのも無理はない。あんな処で出会でくわした人間が、まさか皇子だなどと思う者はいない。ましてやそれが、いきなり剣を振るってきた相手ならば尚更なおさらだ。

「お前は、タケルと云うのだな。母上から聞いた」

 呆気にとられたままのタケル。

「……もう僕を、怪しがってないの?」
 
 タケルが、恐る恐る尋ねる。また剣を振るわれては、たまったものではない。

「お前の事は、大体母上から聞いた。母上が云うのだから、まともな者なのだろう」

 タケルは、とりあえず安堵した。
 この皇子は、母上の云う事ならば何でも信じるらしい。

わしの名は牙星きばぼし。以後、牙星様と呼ぶがよい」
 
 にっと歯を見せ微笑む皇子、牙星。
 身分が身分であるだけに、この高飛車な態度は納得できた。

「お前をここへ呼んだのは、退屈凌ぎに相手をしてやろうと思ったからだ。ありがたく思え」
 
 どう答えてよいか判らず、タケルは仕方なく笑顔を浮かべた。

「そうか、嬉しいか! そうだろう」
 
 その笑顔をどう捉えたのか、牙星は上機嫌である。

「ならば儂が、良い処へ連れてってやろう。来いっ!」

 そう云うと牙星は、勢い良く駆け出した。タケルの横をすり抜け、そのまま部屋を飛び出していく。
 振り返ったタケルの眼に、はためきながら遠ざかっていく牙星の衣の裾が見えた。
 わけも判らぬまま、タケルも後に続いて走り出す。
 
 牙星の足は恐ろしく速く、あっという間に引き離されていく。タケルがどれだけ必死に追いかけても、重い衣を身に纏っている筈の牙星に近づく事はなかった。むしろ、その差は開くばかり。
長い階段を、すいすいと飛ぶように下っていく牙星。タケルの眼には、すでに遥か下をゆく牙星の頭しか見えない。
 皇子でありながら牙星は、タケルの知る村の少年の誰よりも手におえないやんちゃ者であるようだ。
 獣のような勢いで、神殿の廊下を駆け抜けていく牙星。すれ違い様に叱りつける、官女たちのこえにも耳を貸さない。その牙星を必死で追うタケルは、息を切らして呼吸すらままならない有り様だ。
 そして牙星は誰も居なくなったのを見計らうと、廊下の縁側から一気に庭へ飛び出した。だいぶ遅れをとりながら、タケルも牙星に続いて庭に飛び出す。
 牙星は上質な羽織物を纏っていながらも、異常なまでの身軽さだった。
 牙星は庭の中程までそのまま駆け抜けた。ようやく立ち止まり振り返った牙星の前に、息を切らせながら追い付くタケル。

「何だ、これしきの事でへこたれたのか」

 呆れた様子の牙星。
 あれだけの動きを見せながら、呼吸ひとつ乱れていない。
 尋常ではない健脚ぶりだ。

「情けない奴め」

 まだ息が乱れたままのタケルに、牙星が容赦なくこぼす。この皇子の中では、自分の感覚が全ての中心であるらしい。野生動物のような体力と一緒に考えられては堪らない。
 この皇子の相手をするには、体が幾つあっても足りなそうだ。
 額の汗をぬぐいながら、タケルは思った。
 考えててみれば、この神殿からあれだけ離れた場所にこの皇子は居たのだ。あの後、輿に乗せられ辿り着いたタケルですら、日暮れ近くまでかかった。
 牙星は昨日もこの調子で、あの遠い山まで駆けていったのだろう。
 途方もない体力だ。

 牙星は走るのをやめ、速足で庭の草の上を歩き出した。

 --僕に合わせてくれているのだろうか。

 そう思ってみたタケルだが、すぐに違うだろうと思い直した。この皇子が、人に合わせる事などするわけがない。
 二人の少年は、しばらく黙々と庭を進んだ。
 少し駆け足でやっと並んだタケルの眼に、牙星の横顔が映り込む。頬にかかる漆黒の髪とは対照的な白い素肌が、柔らかな零れ陽に輝いている。
 牙星の双眸そうぼうは、よく見ると父である皇帝に似ていた。

 神殿の庭は広く、何処まで行っても終わりがないように感じられた。二人が飛び出してきた縁側は、すでに見えなくなっている。

「ここまで来れば、もういいだろう」

 牙星は立ち止まると、突然羽織物を脱ぎ捨てた。上質な衣が、ばさりと音を立てて草の上に落ちる。その下に身に付けていたのは、山で出会った時の衣服だった。
 柔軟な布地でできたその衣は、いかにも牙星の気質にあっていた。

「このなりをすると、神殿の者たちがうるさいからな」

 牙星が、にっと歯を見せ笑う。
 大方いつもこの辺りで羽織物を脱ぎ捨て、見つからぬように遊びに出かけるのだろう。皇子ながら、根っからの暴れ者気質のようだ。
 気位が高く、自分勝手な牙星であるが、タケルは何故か憎めなかった。

「さあ、行くぞタケル!」

 牙星は聲高こわだかに叫ぶと、勢い良く駆け出した。やはり、飛び出す機会を伺っていたようだ。

「待ってよ!」

 どんどん離れていく牙星の姿。まるで、馬と追いかけっこをしているようだ。タケルは再び、全速力で追いかけた。

 やっとの事で辿り着いたそこは、途轍もなく背の高い大木の前だった。 
 太い幹の幅は、人が十人で手を繋いで囲って、やっと届くかどうかという程だ。見上げても、葉や枝が影になり、てっぺんすら判らない。

「よし、登るぞ」
「え、この大木に!」

 仰天するタケル。
 その間にも、牙星の姿はもう大木の枝の中に消えていた。
 タケルは、思いきって幹によじ登った。太い枝に手を伸ばし、両手で掴んで体を引き上げる。
 村の少年の中でも、タケルは樹登りは得意な方だった。けれど村で登っていた樹の高さなど、この大木の足元にも及ばない。
 絡み合うように伸びる枝を、タケルは懸命に登っていく。牙星の姿は、もう影も形もない。
 葉の間から窺い知る枝の高さに、手の平から汗が滲む。地上からはすでに、どれ程離れているのだろう。
 踏み外せば、命すら危うい。全身に、力が入る。
 
 枝の隙間から太陽の光が射す。
 覆い尽くす葉の間から顔を覗かせたタケルが見たのは、一帯に広がる森の緑と点々と散らばる街の屋根だった。
 タケルは思わず、感嘆の息を洩らした。

「どうだ、凄いだろう」

 すぐ真上から、牙星の聲が響く。

「儂の神殿は、この世界で一番高い処にある。だから、ここに立つ大木の頂上が、この世で一番高い場所なんだ」

 牙星の言葉通り、ここからならば遥か彼方まで一望できた。

「まるで、神殿を中心に世界が成っているみたいだ」
「ああその通りだ。この神殿に暮らす者が、この世で一番偉いのだからな」

 タケルは、真上に広がる空を見た。
 世界一の大木の頂上まで来ても、空はまだ遠かった。

「ここまでついて来れたのは、お前で二人目だ」
 
 その言葉に、タケルは振り仰いで牙星を見た。

「前にも、誰か来たの?」
「ああ、涼太がついてきた」
「誰?」
「猿だ」

 タケルは、危うく落下しそうになった。

「けれど、人ではお前が初めてだな」

 楽しげに笑う牙星。
 その無邪気さに、タケルの心はほぐれた。この皇子も、今まで同じ年頃の遊び仲間すら居なかったのだろう。そう思うと、少しくらいの非常識や我儘なら許してやろうという気分になる。

「タケルは、この世界のずっと下から来たのだな」
「うん」

 答えてから、タケルは考え込んだ。
 自分は本当に、この世界の下から来たのだろうか。ならば何故、この世界にも地面や地下があるのだろう。いくら考えても、タケルには判らない。

「ならばお前は、地の奥深くで暮らしていたのか」

 尋ねる牙星。

「いや、僕の暮らしていたのも、この空の下だ」
「それでは、おかしいではないか!」

 タケルと同じ事を思ったのだろう。牙星が少し怒ったように反論する。

「では、この下にも空はあるのか」

 牙星の疑問に、タケルが答えられるわけもない。
 沈黙が流れる。

「まあ、そんな事はどうでも良い」

 不機嫌そうに牙星が云う。深く考えるのは、どうやら得意ではないらしい。

「タケル、お前は龍神の子なのだろう」

 一瞬戸惑いながらも、一呼吸置いてタケルは首肯《うなづ》いた。

「ならば、お前は龍なのか」

 タケルの心臓が、大きく波打つ。

「……僕は、人間だ」

 まるで自分に云い聞かせるように、タケルは答えた。酷く動揺していた。
 
「お前の母は、人間だったのか」

 不意に牙星が尋ねる。タケルは、驚いて牙星を見上げた。

「どうして、僕の母さんが人間だったって判るの?」

 タケルは、龍と人の間に生まれた子。
 そのどちらかは人間だった。けれどタケルは、それが父なのか母なのかは聞かされていなかった。

「人間の女が龍の子を孕む事はあっても、龍神は決して人間の子を孕んだりしない。つまり、お前の母は人間だ」

 眼を丸くしたまま、タケルは牙星を見詰めていた。
 牙星は、タケルよりもずっと多くの事を知っているようだった。
 
                              




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