彼女は6月の雨に沈む

遠堂瑠璃

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 澪は衣服を纏わず素肌を晒したまま、仰向けに横たわっていた。

 眼を閉じて、呼吸をしている。
 生きている。


 貴彦は胸の内側が、暖かくほどけていくのを感じた。
 頑なに閉じていたものが、彼女に溶かされていく。


 彼女の容を、貴彦はその眼で確かめる。
 濁りのない、滑らかな白い肌。
 初めて見る、澪の素肌。
 首筋、肩、か細く伸びた腕。
 制服を着た、澪の胸元を思い出す。その控えめな丸みを、12歳の貴彦は気づかれぬようにいつもそっと盗み見ていた。その乳房は制服という灰色のベールを脱ぎ捨て、直に貴彦の眼に晒されていた。真っ白な丸みの先端の桜色の蕾まで、全てを貴彦の眼に許している。
 薄い腹、ほっそりと横たわる両脚、その付け根の間に、貴彦は眼を落とす。淫靡な黒い陰りが、貴彦の視線をその先にあるものから遮る。
 眼で澪の肉体を探りながら、貴彦は目眩のような衝動を感じた。頭の芯が痺れていく。
 下腹部の底から、欲望が突き上げる。
 想像の中で幾度も彼女を想い描き、弄んだ時のように。

 貴彦は指先で、澪の頬に触れた。
 暖かい。
 澪は生きている。

 命を取り戻した彼女の生身の肉体が、今目の前に存在している。
 
 両手のひらで、澪の頬を包み込む。
 そのまま、躊躇わず唇を重ねた。澪の唇は、真冬の冷気に晒されたように僅かに冷たかった。

 一度唇を離し、彼女を見詰める。目覚める気配はない。
 貴彦はもう一度澪に口づけた。ほんの少し暖まった彼女の唇は、只柔らかに貴彦を受け止める。舌を差し入れるが、眠ったままの澪の舌は応じる事も抵抗する事もなかった。
 
 貴彦の手は澪の首筋を滑り、肩から腕をなぞり、そのまま乳房に触れた。初めて知る柔らかさに、貴彦の中心が疼いた。
 そっと円を描くように、手のひらに収まった丸みを弄ぶ。親指でその先端に触れる。僅かに尖った蕾の感触が、親指の腹を刺激する。貴彦は蕾を唇に挟み、舌先で舐めた。微かに、澪の身体が反応する。
 乳をねだる幼子のように、澪の乳首を吸い上げる。澪の肉体が、徐々に熱を帯びていくのを感じた。指を腹に這わせ、じわじわと澪の身体を下っていく。

 澪の唇から、吐息が洩れた。
 乳首から唇を離し、貴彦は顔を上げた。
 うっすらと開いた瞼の下で、黒く濡れた眸が動く。


「…………貴彦、君……?」


 まどろみから目覚めた彼女が尋ねる。
 澪の止まった記憶の中では、貴彦はまだ12歳の少年のままなのだ。
 5歳年下の、まだ子供の少年。

 貴彦は微笑んだ。

「そうだよ」


 澪はぼんやりと貴彦を見詰めていた。
 今の貴彦は、澪と同じ17歳の少年。


「ずっと、君を求めてたんだ」

 貴彦の指先は澪の陰りを掻き分け、脚の間に忍び込む。
 敏感にその刺激を感じた澪が、僅かな吐息と共に身をくねらせる。

 貴彦の指は、澪の隠された部分に触れていた。更にその先へ、そっと指を差し込む。
 澪の脚が動いた。
 澪の中は僅かに湿り、熱かった。更に奥へと指を動かした瞬間、澪の身体がぴくりと跳ねた。

 澪の中は硬く閉ざされ、それ以上先へ、貴彦を許そうとはしなかった。
 澪は頬を紅潮させたまま、只貴彦を見ていた。その眼に貴彦は、自分が最低の事をしている事実に気づかされた。恥ずかしさに、急に息が苦しくなる。

 澪は貴彦を拒んではいなかった。けれど同時に、受け入れてもいなかった。
 その事に気づき、貴彦は改めて自分の情けなさを思い知る。

 ずっとそうだった。
 彼女はずっと受け身だった。
 全てを受け止めてくれていた。
 けれど、受け入れてくれていたのだろうか。

 彼女は拒まない。
 補食される事に怯えながら、けれど逃げる事をしなかった。

 けれど彼女は、最後には自ら死を選んだ。



「…………私、生きてるの?」


 やがて、澪は尋ねた。 
 貴彦はちらりと彼女を見て、そして小さく頷く。


「……どうして?」

 彼女はもう一度尋ねた。

 5年間の空白を持つ彼女の記憶が何処までなのか、貴彦は知る由もない。自身の死の直前、身を投じた辺りで途切れているのならば、この状況を把握できなくて当然だ。
 澪に混乱している様子はない。酷く落ち着いていた。むしろ、感情を欠いているのではないかと疑う程に。
 知らぬ間に17歳に成長した貴彦を目の前に、そしてそこに全裸の自分が居て、その身体をまさぐられた直後であるにも関わらず。
 その冷静さは、何処か貴彦に似ていた。
 あれ程の惨劇を眼にした後も、一切動じなかった貴彦と。


「僕が、君を生き返らせた。世界と代償に」


 そう告げた貴彦の眼を、澪は只静かに見詰め返していた。
 長く押し黙ったまま、そうしていた。


「……どうして?」

 やがて澪は、さっきと同じ言葉を小さく零した。

「どうして、そんな事したの」


 黒く丸い眸は、哀しげに、まるで怯えているように貴彦を映した。
 か細く洩れた澪の言葉は、苦しげに問いかけていた。

 責められているわけではないのに、まるで叱られたように澪の言葉は貴彦の胸に突き刺さった。


「世界を代償にする価値なんて、私にはないよ」


 澪は、穏やかに微笑んだ。
 草を食む、草食動物のように。
 草原に佇む、貴い生き物のように。
 補食される事に怯え、けれどいつかはそれを受け入れるであろう気高き生き物のように。


 いつしか澪の容は、そこから消滅していた。
 初めから彼女の肉体など存在しなかったかのように。

 彼女の熱も感触も、全ては幻だったかのように。



 そして何事もなかったかのように、世界は取り戻されていた。
 窓ガラスの外に降る雨、黒く沈む校庭を、教室の自分の席から貴彦は眺めていた。
 五時限目の教室。数学の授業は続いていた。

 緩慢に黒板に数式を刻む中年教師。
 居眠りする生徒、机の陰に隠した携帯ゲームに熱中する生徒、真面目にノートを取る生徒、ぼんやり頬杖をつく生徒。

 世界は何事もなかったかのように回っていた。
 只、彼女を失ったまま。

 ずっとずっと、そうやって繰り返されていくのだろう。
 月日が、何も感じなくなった日常が。


 貴彦の頬を、涙が伝っていた。
 せきを切ったように、涙が溢れた。

 彼女をもう一度失った事を思い知る。
 彼女にもう一度、自らの死を選ばせてしまった罪を知る。

 白昼夢だったのかもしれない。
 けれど澪の感覚は、生々しく貴彦の中に残っている。

 澪が死んでから、貴彦は初めて泣いた。
 もう数時間で、その時刻はやってくる。


「……澪。……君の居ない世界で、どうやって生きろって云うんだ、僕に…………」


 誰にも聞こえない程の小さな呟きを、貴彦は窓の外の校庭に向かって洩らした。



     
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