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第一章 再会
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診療所は、トルク村のちょうど真ん中辺りに位置している。村のどこで病人が出てもすぐに駆けつけることができるように、との配慮だ。
診療所のすぐ裏手には清らかな小川が流れていて、その冷たくて不純物のない水は、薬を作るのにも熱を下げるのにも、包帯を洗うのにも重宝していた。
今も診療所で、ルイが沢山の洗濯物を抱えて川に向かおうとしていた。フオグ国一の名医の元には、トルク村だけではなく、フオグ国内、国外からも患者が来ることも度々で、そんな遠方からくる患者が寝泊まりできるような部屋を診療所内に設けていた。ルイが今抱えているのも、今朝まで滞在していた患者が使用していた寝具や包帯だ。
「手伝うよ」
と、言うシュウに、
「いいえ、大丈夫です」
と、笑顔で答えたルイは、若く美しい女性だった。子供の頃、日焼けした素肌をさらけ出しながら裸足で野原を駆け回っていたやんちゃな女の子の面影は目元に残っているだけで、そのあまりの変わりように、トシは自分がぽかんと口を開けたままもう何分も時間が過ぎていることに全く気づいていないほどだった。
「いや、ルイがいてくれて本当に助かった。わし一人ではどうにもならん」
と、リンビルがトシの前に腰を下ろしながら言った。トシはまだ口を開けたまま、川へと向かうルイの後ろ姿を見送っている。
「本当にそうですね。おかげで僕もキリちゃんの治療に専念できました」
リンビルは頷くと、目の前の放心状態の男に、
「どれ、顎でも外れたのか」
と、言ってホッホッと笑った。
「え?何です?」
はっと我に帰ったトシを見て、シュウはこらえきれずに吹き出した。
「おぬし、分かりやすい男じゃの」
「え?」
「なんでもないわい。わしがここに座っておぬしの目を診ようとしているのに、おぬしは一体どこに目をやっとるんじゃという話よ」
「あ、申し訳ありません。ぼんやりしておりました」
リンビルはまたホッホッと笑いながら、トシの目を診察し始めた。少し離れた所で、シュウはアイロミ草の花と根とを分ける作業をしながら、その様子をうかがっている。
「痛みはどうじゃ?」
「いえ、ありません」
「見え方はどうじゃ、視界が狭くなったように感じたりすることは?」
「三年前から変わっていないです」
ふうむとリンビルはため息をつきながら、拡大鏡を机に置いた。
「どうですか、トシの目は」
と、シュウが心配そうに尋ねた。
「そうじゃな、まあ進行はしていないようじゃから、今までの薬で良かろう」
「そうですか、良かった」
と、シュウが言った時、診療所の戸をドンドンと叩く音がした。シュウが戸を開けると、村で大工の見習いをしているロニが、青い顔で立っていた。
「先生、親方が屋根から落ちて、どこか骨を折ったみたいで動けなくなってしまったんだ」
と、ロニは息を切らせながら言うと、目にいっぱい涙をためた。
「僕のせいなんだ。僕が不甲斐ないばかりに……」
「僕が行く。ロニ、大丈夫だよ」
と、シュウは急いで必要になりそうな薬や包帯を鞄に詰め込むと、
「行ってきます」
と言って、あっという間にロニと共に診療所を飛び出していった。
「こうしちゃいられないや。俺も行く」
と立ち上がったトシの両肩を、リンビルがぐいっと椅子に押し戻した。
「親方のところには、ロニだけじゃなく他にも弟子が何人かおるから人手は足りるじゃろう。おぬしにはまだ診察が残っておる」
「でもさっきは、今までの薬で大丈夫だと」
「そんなわけなかろう。本当はどれほど痛みがあるのじゃ?」
トシはとたんに表情をこわばらせ、まっすぐな瞳を向けるリンビルから目をそらした。
「この病はとても珍しいものじゃ。痛みと共に徐々に視力が失われていく。なぜそうなるのか、どうやったら進行を食い止めることができるのか、わしにもわからん。ただ、この患者を診るのはおぬしで二人目じゃから、目の状態を見れば今がどの段階なのかくらいはわしにはわかる」
「なら、今の俺の段階は?」
「右目はずいぶん見えにくくなっている。遠いところだけでなく近くもぼんやりと霧がかかっているようにしか見えない。たよりの左目は何とか見えてはいるものの、最近特に痛みがひどい。ひどすぎて夜眠れないこともある。そんなところかな?」
トシは頭をかきながら、口元に笑みを浮かべた。
「さすがリンビル先生だ。嘘は通用しないってことですね。全くその通りです」
「お前のことじゃ。シュウに心配をかけたくないんじゃろうが、もう隠せないほどにお前の目は悪くなってきている。強い痛み止めの薬を作ってやるが、それもいつまで効果があるか」
「先生、俺の目は、あとどれぐらいですか?あとどれくらいで何も見えなくなるのですか?」
「そうじゃな……そろそろ行商をやめて国に帰ってきたほうがよいじゃろうの。探しものはまだ……見つかってはいないようじゃが」
「何を」
と、思わずトシは立ち上がった。
「何のことですか?」
その時ルイが洗濯から戻ってきたので、トシは気まずそうに座り直した。ルイは不満げな顔をして、洗濯物を入れていた籠を抱えていた。
「ずいぶんと膨れっ面じゃな」
と、リンビルが言った。
「シュウ先生の後をトウが追いかけていったもんだから、私も行ったんです。そうしたら、君は診療所に戻りなさいって言われて……。やっと帰ってきたと思ったら、またすぐにどこかに行ってしまうのだから」
と、ルイはふんと鼻息荒く、奥の部屋へと入っていった。リンビルはまたホッホッと笑った。
「なあ、トシよ。おぬしはまだ若い。もっと自分を大切にして生きなさい。誰かのために生きるのも良いが、それで命を削っては喜ぶ者はおらぬぞ。特にシュウは怒るじゃろうの、おぬしが自分を粗末にするようなことがあれば。見えているうちにやりたいことも、まだまだたくさんあるだろう、おぬしには」
そう言うと、リンビルは薬の調合を始めた。トシは黙ったまま、ルイが入っていった奥の部屋の方を見つめていた。
診療所のすぐ裏手には清らかな小川が流れていて、その冷たくて不純物のない水は、薬を作るのにも熱を下げるのにも、包帯を洗うのにも重宝していた。
今も診療所で、ルイが沢山の洗濯物を抱えて川に向かおうとしていた。フオグ国一の名医の元には、トルク村だけではなく、フオグ国内、国外からも患者が来ることも度々で、そんな遠方からくる患者が寝泊まりできるような部屋を診療所内に設けていた。ルイが今抱えているのも、今朝まで滞在していた患者が使用していた寝具や包帯だ。
「手伝うよ」
と、言うシュウに、
「いいえ、大丈夫です」
と、笑顔で答えたルイは、若く美しい女性だった。子供の頃、日焼けした素肌をさらけ出しながら裸足で野原を駆け回っていたやんちゃな女の子の面影は目元に残っているだけで、そのあまりの変わりように、トシは自分がぽかんと口を開けたままもう何分も時間が過ぎていることに全く気づいていないほどだった。
「いや、ルイがいてくれて本当に助かった。わし一人ではどうにもならん」
と、リンビルがトシの前に腰を下ろしながら言った。トシはまだ口を開けたまま、川へと向かうルイの後ろ姿を見送っている。
「本当にそうですね。おかげで僕もキリちゃんの治療に専念できました」
リンビルは頷くと、目の前の放心状態の男に、
「どれ、顎でも外れたのか」
と、言ってホッホッと笑った。
「え?何です?」
はっと我に帰ったトシを見て、シュウはこらえきれずに吹き出した。
「おぬし、分かりやすい男じゃの」
「え?」
「なんでもないわい。わしがここに座っておぬしの目を診ようとしているのに、おぬしは一体どこに目をやっとるんじゃという話よ」
「あ、申し訳ありません。ぼんやりしておりました」
リンビルはまたホッホッと笑いながら、トシの目を診察し始めた。少し離れた所で、シュウはアイロミ草の花と根とを分ける作業をしながら、その様子をうかがっている。
「痛みはどうじゃ?」
「いえ、ありません」
「見え方はどうじゃ、視界が狭くなったように感じたりすることは?」
「三年前から変わっていないです」
ふうむとリンビルはため息をつきながら、拡大鏡を机に置いた。
「どうですか、トシの目は」
と、シュウが心配そうに尋ねた。
「そうじゃな、まあ進行はしていないようじゃから、今までの薬で良かろう」
「そうですか、良かった」
と、シュウが言った時、診療所の戸をドンドンと叩く音がした。シュウが戸を開けると、村で大工の見習いをしているロニが、青い顔で立っていた。
「先生、親方が屋根から落ちて、どこか骨を折ったみたいで動けなくなってしまったんだ」
と、ロニは息を切らせながら言うと、目にいっぱい涙をためた。
「僕のせいなんだ。僕が不甲斐ないばかりに……」
「僕が行く。ロニ、大丈夫だよ」
と、シュウは急いで必要になりそうな薬や包帯を鞄に詰め込むと、
「行ってきます」
と言って、あっという間にロニと共に診療所を飛び出していった。
「こうしちゃいられないや。俺も行く」
と立ち上がったトシの両肩を、リンビルがぐいっと椅子に押し戻した。
「親方のところには、ロニだけじゃなく他にも弟子が何人かおるから人手は足りるじゃろう。おぬしにはまだ診察が残っておる」
「でもさっきは、今までの薬で大丈夫だと」
「そんなわけなかろう。本当はどれほど痛みがあるのじゃ?」
トシはとたんに表情をこわばらせ、まっすぐな瞳を向けるリンビルから目をそらした。
「この病はとても珍しいものじゃ。痛みと共に徐々に視力が失われていく。なぜそうなるのか、どうやったら進行を食い止めることができるのか、わしにもわからん。ただ、この患者を診るのはおぬしで二人目じゃから、目の状態を見れば今がどの段階なのかくらいはわしにはわかる」
「なら、今の俺の段階は?」
「右目はずいぶん見えにくくなっている。遠いところだけでなく近くもぼんやりと霧がかかっているようにしか見えない。たよりの左目は何とか見えてはいるものの、最近特に痛みがひどい。ひどすぎて夜眠れないこともある。そんなところかな?」
トシは頭をかきながら、口元に笑みを浮かべた。
「さすがリンビル先生だ。嘘は通用しないってことですね。全くその通りです」
「お前のことじゃ。シュウに心配をかけたくないんじゃろうが、もう隠せないほどにお前の目は悪くなってきている。強い痛み止めの薬を作ってやるが、それもいつまで効果があるか」
「先生、俺の目は、あとどれぐらいですか?あとどれくらいで何も見えなくなるのですか?」
「そうじゃな……そろそろ行商をやめて国に帰ってきたほうがよいじゃろうの。探しものはまだ……見つかってはいないようじゃが」
「何を」
と、思わずトシは立ち上がった。
「何のことですか?」
その時ルイが洗濯から戻ってきたので、トシは気まずそうに座り直した。ルイは不満げな顔をして、洗濯物を入れていた籠を抱えていた。
「ずいぶんと膨れっ面じゃな」
と、リンビルが言った。
「シュウ先生の後をトウが追いかけていったもんだから、私も行ったんです。そうしたら、君は診療所に戻りなさいって言われて……。やっと帰ってきたと思ったら、またすぐにどこかに行ってしまうのだから」
と、ルイはふんと鼻息荒く、奥の部屋へと入っていった。リンビルはまたホッホッと笑った。
「なあ、トシよ。おぬしはまだ若い。もっと自分を大切にして生きなさい。誰かのために生きるのも良いが、それで命を削っては喜ぶ者はおらぬぞ。特にシュウは怒るじゃろうの、おぬしが自分を粗末にするようなことがあれば。見えているうちにやりたいことも、まだまだたくさんあるだろう、おぬしには」
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