下らないボクと壊れかけのマリ

ガイシユウ

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ナンパ

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「毒虫……? カフカ? あんなの読むの?」
 変なの、と付け加えて、クスリと真理は笑っていた。
 
 教室での互いの自己紹介を終えてから、雅は宗助と二人で、真理に校舎を案内していた。
 廊下を歩く三人。
 真理の横で宗助が――雅にはあまり見せない、穏やかな笑みを浮かべていた。
 
 雅はそれをただじっと、後ろから見ているだけだった。

 二人の会話が理解できず、どこか取り残されてしまったような気がして、胸がちくりと痛んだ。

 雅は、宗助がどんな本を読んでいるのかも知らなかった。
 母親が死んでから、彼は少し変わってしまった。
 早く大人になろうとしているのか、いつも背伸びをしていて、難しい本を読んでいるらしかった。しかし、それがどんな内容で、なんという本かまでは知らなかった。

「次はどこにいくの?」
 真理がちらりと後ろを向いた。どこか悪戯っぽい彼女の瞳が、雅を映す。
 人間離れした美しさを持つ彼女に見つめられて、雅はどきりとした。先ほどまでの胸の痛みを忘れるほどに。

「次はパソコン室」
だから、その一言を絞り出すだけで雅は精いっぱいだった。

◆◆◆

 真理への案内が終わり、彼女とは音楽室を最後に、そのまま別れた。
 雅は宗助と二人で、教室まで荷物を取りに戻った。
「なんだか不思議な子だったね」と雅が言うと、宗助は「そうだね」とだけ返した。

「僕以外にも、中学生であんな本を読んでいる人間がいたなんて。物好きなやつだ」
 そう言う宗助の表情は、このわずかな間で先ほどのような笑みに戻っていた。

 ――嫌な気持ちだ。
 
 教室で荷物を回収して、雅は宗助と別れた。
 無事に案内を終えたことを担任に報告するために、一人職員室へと向かう。
 報告だけならば一人でも大丈夫だから、と思うことにした。
 
 職員室の扉を開けて中に入る。
 クーラーの効いた部屋の中で、しかめっ面でパソコンと格闘する中年男性を見つける。担任だった。
「先生」
 すぐそばに立ち、声をかけたところで、男はようやく雅に視線を向けた。
「転入生の案内が終わりました」
「……ん?」
 雅の言葉に、男は疑問の表情を浮かべる。
 しばらく視線が泳いで、「転入生……?」と困惑した表情で言った。
「いや、先生が言ってたじゃないですか。案内を頼むって、わたしに」
「そう……だっけ……?」
 男はいぜん、困惑の表情を浮かべたままパソコンに向き直る。予定表らしきものを開いて確認を始めた。
「空値真理って名前の子ですよ」
「転入生……?」
 予定表を確認するも、そういった事は記載されていなかったらしい。
 ついで、男は別の資料を開く。クラス名簿らしかった。
「あぁ……」
 と、そこでようやく思い至ったような声を上げて、男は頭をぽりぽりとかきながら、再び雅へと向き直った。
「そうだったな。悪い、忘れてた」
「……今日の話ですよ?」
 口をとがらせる雅に、すまんすまんと男は謝った。
「う~ん、しかし、俺もボケたのかなぁ……。転入生のことをど忘れするなんて」

◆◆◆

 雅と別れて、宗助はそのまま校門へと向かっていた。
 すべきことが終わったのなら、さっさとここを出たかった。
 宗助にとって、学校はさして居心地の良い場所ではなかった。
 クラスメイトたちの家庭の話を聞いてしまうと、宗助はどうしようもなく惨めな気持ちになってしまうからだ。
 学級委員長なんてことをやっているが、そんなものは、委員長を決める日に学校をサボっていたために、好き勝手に決められてしまっただけである。
 本当は、誰とも関わりたくないのだ。

 つい先ほどまでの真理との会話を思い出す。
 自分が会話をしていて、楽しいと思えた数少ない相手だった。その理由はとても浅ましいものではあったが。
 
「ねぇ」
 鈴を鳴らしたような声。
 その声は、今まさに校門を超えて、学校を出ていこうとする宗助の足を止めた。
 声のした方に顔を向けると、右手に真理が校門そばの花壇に座り込んで宗助を見上げていた。
「校舎の外の案内も頼める?」
 悪戯っぽく笑う真理。
 別れてからずっと待っていたのだろうか。
 宗助は苦笑しつつも頷いて、それを返事とした。

◆◆◆

 夏の昼の日差しに耐えかねて、屋根のある商店街へと逃げ込んだ。
 時刻はまだ昼の十七時過ぎくらい。買い物帰りの主婦や、自分たちと同じように寄り道をしている生徒がちらほら見かけられた。
 へぇ~、と何やら納得した様子で、横にいる真理がそれらをまじまじと見つめていた。
「珍しいの?」
「ううん、違うよ」
 不意に横にいた彼女が、ぱっと前に飛び出して、スカートをはためかせて、くるりとこちらに向き直る。
「何かオススメスポットに連れていってくれない? あるでしょ? そういうの」
「知らないよ、そういうの」
「うそ! さては君、引きこもりだな」
「今、外に出てるじゃん……」
 などと、返している前で、真理は大仰にため息をついてやれやれといったポーズをとっていた。
 
 ――やっぱり変な奴だ。

 思わず口に出してしまいそうになるほど、宗助は強くそう思った。
「じゃあ、アイスでも食べる?」
「――おぉ!」
 アイスくらいで、そのリアクションは無いだろう。
 目を輝かせ、こちらを見つめ返す真理を見て、宗助は心底思った。

 二人でアイス屋へと向かう途中で、宗助は珍しいものを見た。
 商店街のタイルの一枚が砕けていたのだ。
 砕けたタイルの周りには、通行人が転んだりしないように、小さな囲いが出来ていた。

◆◆◆

 その日、宗助が帰宅したのは、午後八時頃だった。
 アイス屋のあとは、近所のスーパーや神社をめぐって、真理にそれらを紹介して回った。
 さすがに疲れ果て、宗助の方から、続きは明日からにしようと切り出した次第である。

 二階建ての一軒家の玄関扉を開けて中に入る。
 ただいまも、おかえりもない。
 ただ静けさだけが、宗助を待っていた。靴を脱いで家に上がる。
 廊下を進んだ先にあるリビングの扉を開けて中に入る。
 階段で二階に上がり、自分の部屋に入る。
 勉強机。その上に置かれたデスクトップパソコン。一人用のベッド。プログラミングの教材が詰め込まれた本棚。
 それが宗助の部屋だった。
 娯楽らしい娯楽がなく、無色のような部屋だった。

 鞄を定位置に放り投げて、そのままベッドにうつぶせで倒れこむ。

 ――今日はひどく疲れた。

 宗助は、あまり人付き合いの良いほうではなかった。一人のほうが気楽で生きやすく、誰かと一緒に居続けることを苦痛に感じる質だった。
 それでも空値と共にいたのは、彼女の異様な積極性に負けてしまったからだろうか。

 クラスメイトは自分が出している不機嫌なオーラのようなものを感じ取って話しかけず、大人たちは自分の親のことがちらついて、あまり強く接しようとはしなかった。

 そうして宗助は、望んだ孤独を手に入れたのだった。
 今となっては、交流らしい交流があるのは、幼馴染の風許だけだった。それでも、せいぜい言葉を一つ二つ交わす程度で、会話すらしていない状況である。
 正直、空値とは出会って数時間ではあるが、ここ最近で最も会話らしい会話をした存在となっていた。
 
 艶やかで長い黒髪。陶器のように白い肌。細い指。大きな瞳。人懐っこい笑顔。
 先ほどまで一緒にいた真理のことを思い出して――自分でもらしくない事をしていると思って、深いため息をついた。

◆◆◆

 冷凍食品ばかりの夕食を一人で用意し、それを四人掛けのリビングのテーブルの上に置いて、端の席に座って一人で食べる。今日はパスタだった。

 ――静寂は嫌いだ。

 自室から持ってきたタブレットを前に置く。黒猫がアイコンのアプリを起動させると、4つのウィンドウが表示される。
それは監視カメラの映像だった。

 これは宗助が手慰みで作った、監視カメラの映像をジャックするアプリだった。
 ジャック可能な監視カメラは特定のメーカーのもので、それはこの街で普及しているものだった。

 宗助は適当に画面をスワイプさせて、面白そうな映像を探す。
 夜の喧騒。帰宅する人。待ち合わせをしているカップル。騒ぎ立てる学生。

 それを見ながらふと思う。 
 独りが良いのだ。誰かと生きたいわけではない。
 しかし、だけれども、完全に孤独というのは、どうにも辛いのだ。

 ――ん。

 どこかで見たような後姿が目に入り、指を止める。
 黒の長髪。自分の学校の制服。袖から覗く、白く細い腕。少女。
 
 ――空値真理だ。

 その少女の横顔が見え、宗助は気づく。
 真理が居たのは、近くの繁華街の大通りだった。
 自分と別れてからも、散策を続けていたのだろうか。こんな時間まで。

 ――いや。

 宗助は思考を止めて、画面に集中する。
 まだ夜も更けてはいなかったが、酔っ払いが居たらしく、それが真理に絡んでいた。
 酔っ払いは三人。全員、大学生くらいの男だった。
 相手にしなければ良いのだが、あろうことか真理は好奇心に満ちた瞳で彼らを見ていた。
 ここから音は聞こえないが、ロクでもないことになっているのは明白だった。
 どうすべきか思案している内に、男の一人が真理の腕をつかんだ。
 気づけば宗助は、自分のスマートフォンを手に取っていた。

◆◆◆

 これほど走ったのは、いつ以来だろうか。

 宗助は肩で息をしていた。
 夜。先ほどまでアプリで見ていた繁華街の大通りに宗助はいた。
 
 少し先にはパトカーが停まっていて、泥酔している大学生たちに対して、警察が取り調べをしていた。その周りで野次馬が壁を作っていて、それを遠くから見つめる少女が居た。

 宗助はツカツカと少女のもとへと詰め寄る。
「空値」
 という宗助の呼びかけに、ぼんやりと自分をナンパしていた大学生たちを見ていた真理は、ちらとこちらを向いた。

「あれ、こんな時間に奇遇だね。キミ、今日は疲れたって言って帰ってなかった?」
「買い忘れがあったんだよ」
 などと適当な嘘をつきつつ。

「それよりも、お前、さっきあの連中に連れていかれそうになってただろ」
「あぁ……、ただでご飯を食べさせてくれるって言ってたけど、サイレンにびっくりして逃げられたんだよ」
「……逃がしたんだよ、お前を」
「ん?」
 
 きょとん、という表現が適切なほどに、真理は自身の状況を理解していなかった。その様に、宗助は思わずため息をついて、肩を落とす。
「お前、自分がどういうことになってたか、分かってないだろ」
「なにが?」
「……だったら、今日はもう早く帰るんだ、家に。いいな」
 宗助の言葉に、真理はすぐには答えない。
 代わりに彼女は、宗助を見つめ返して、そしてしばらくしてから、わかった、と笑みを浮かべて返した。

 真理の背中は、人ごみに紛れてすぐに消えた。
 宗助は、真理と自分との間に何か決定的な違いがあるように感じていたが、それがなんであるかは、その時は理解していなかった。
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