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雨天の別れ
しおりを挟む風許雅が目を覚ますと、そこは病院だった。
見慣れぬ天井が、目に入った時は面食らったが、すぐそばに母がいてくれたおかげで、そこまでパニックにならずに済んだ。
聞けば自分は、買い物帰りに不審者に襲われ誘拐されかけていたらしい。
言われてみれば、誰かに殴られたような記憶がある。
こうして助けられたのは、その騒動を遠目で見ていた通行人からの通報があったからだそうだ。
そこから警察が、誘拐犯の車を特定して、自分を助けてくれたらしい。
犯人は捕まっていて、すでにニュースでも報じられていた。
見れば犯人は、アンシャル社の人間だった。
夢女騒動で消えたクラスメイトも、こいつらの仕業だったのだろうかとぼんやり考えたが、それらとの関係は一切ないと警察からの発表があった。
雅としては、自分が気を失っている間に全て終わった出来事であったので、これらは全て他人事のように思えた。
ただ、アンシャルの本社ビルで爆発事故があった件については、決して他人事のようには思えなかった。
詳しく知るまでは、他人事と捉えていたが、新聞の記事に記されていた犠牲者の名前を見た時、わが目を疑った。
そこにあったのは、山未宗蓮、山未宗助、二人の名前だった。
どうしてその宗助がそこにいたのかは分からない。
だが、その疑問を無視するように、紙面上はただ『焼死』とだけ書かれていた。
退院した後、特に意味もなく宗助の家へと足を運んだ。
そこにあったのは、一切合切が無くなった、空っぽの家だった。
窓から覗いた限りだったが、業者が入ったのか、彼の家からは何もかもが運び出されているようだった。
彼の遠い親戚に送り届けられたのだろうか。
そもそも彼に親戚などいたのか。
脳裏にそうした疑問はよぎったものの、何も確かめる術はない。
雅は諦めて家に帰ることにした。
宗助が死んだという事実を消化しきれないまま、日々を過ごした。
夏休みが終わって二学期が始まれば、また会えるのかもしれない。頼んでいた人魚姫の小説を持ってきて、貸してくれるのかもしれない、などと本当に下らない事も考えた。
彼が死んだなど嘘っぱちで、何かの見間違いだったのかも、と。
でも、そうだと言って、もう一度あの記事を確認する気にはなれなかった。
結果は分かっているからだ。
世界があまりに動きすぎて、自分一人がぽつりと取り残されたような気分になっていた。
二学期が始まり、宗助の死について担任から連絡があった。
それでもまだ、雅は心のどこかで納得できずにいた。
そうして宗助の席を見て――隣の席が空席であることに気づいた。
そういえば、あそこは空席だっただろうか。
誰かが座っていた気がしたが、雅は思い出すことが出来なかった。
◆◆◆
あれから二年と少しが経ち、受験をして、高校に入学して、あの事件も過去のものになろうとしていた。
気づけばあの妙な夢も見なくなっていて、今になって思えば、噂に翻弄されて見てしまっただけの悪い夢だったように思えた。
そして、その記憶さえも消えてしまいそうになっていた時。
高校の友人から、怪談を収集している人物の話を聞いた。
それらしい怪談を語れば謝礼をもらえるらしく、友人たちは怪談をでっちあげて、小遣いを手に入れようとしていた。
そうした流れで、自分にも話が回ってきたのだった。
ならばと思い『怪異・夢女』について、書きだすことにしたのだ。
書いている途中で、自分は確かに夢女に狙われていたことが分かっていった。
ではなぜ、自分は今こうして生きているのだろうか。
都合が良いだけかもしれないが、自分には宗助が身代わりになってくれたように思えて仕方なかった。
自分が誘拐されかけた同じ夜に宗助は死んだ。
犯人がアンシャル社の人間というのも少し引っかかる所ではあるのだが、それよりも、その見えない因果のほうが気になった。
だから、自分なりの解釈を加えて夢女の怪談をまとめ、それを提供することにした。
件の怪異収集家に連絡を取り、待ち合わせをした。
場所はこちらに気を使ってくれたのか、流行りの喫茶店だった。
そこで夢女について語った。
語りだしてから、自分がなぜこんなことをしているのかが分かった。
決着をつけたかったのだ。
宗助の死がどうにも消化できず、胸の中にあったままのモヤモヤを、こうして形に当てはめて、納得しようとしているのだ。
自分は確かに夢女に狙われていた。
けれどそれを宗助が守ってくれて、代わりに彼が連れていかれたのだと。
決めつけて、型にはめて、納得したかったのだ。
そうしなければ、ずっと置いてけぼりのままだと――そう思ったからだ。
◆◆◆
怪談を語り終え、謝礼を受け取り、店を出た。
すでに時刻は夕方に差し掛かって、街はぼんやりとオレンジ色に包まれていた。
家に帰るためにバスに乗る。
幸いにも席は空いていて、二人掛けの椅子に一人、雅は座ることにした。
ぼうっと窓の外の景色を眺める。
夕日色の街の中で、中学生くらいの子供たちが騒ぎながら遊んでいる。
ボールを蹴ったり、鬼ごっこをしたり。
――もしかしたら……。
もしかしたら、自分も宗助とあんな風に馬鹿みたいに遊ぶ日々が、もう一度あったのかもしれない。
バスが目的の場所に停まる。バスを降りて帰路の河川敷を歩く。
と、先ほどまでは晴れていた空が、急に曇り始めた。
気づけばポツポツと雨が降り始めて、あっという間に土砂降りになっていた。
通り雨だろう。どこかで雨宿りしないと、と雅はすぐ近くの高架下へと走った。
どうにか身を滑り込ませると、こちらに背を向けて立つ少年がいることに気が付いた。
どうやら先客がいたらしい。
変な人でなければ良いが、と思いつつ雅がその人物を見つめていると、不意にその少年がこちらに振り向いた。彼は眼鏡をかけていて、レンズには雨粒が伝っていた。
思わぬ来客に驚いたのか、その少年はぎょっとした表情で雅を見つめ、続いて濡れた体を見て、自分が来ていた黒い上着を脱ぎ始めた。
「――風邪をひいてしまうかもしれません。お嫌でなければ、これを羽織ってください」
少年は自分が着ていた上着を、雅へと差し出した。
「でも、それじゃああなたが」
「いえ」少年が首を横に振る。「僕は大丈夫ですから」
何となく気おされてしまって、少年の上着を受け取り、羽織ることにした。
先ほどまで彼が着ていたものとあって、ほんの少しだけ暖かかった。
徐々にやみ始めた雨を眺めていると、突然、着信音が辺りに響き渡った。
驚く雅に向かって、少年が申し訳なさそうに一礼し、ズボンのポケットからスマートフォンを取り出して応答していた。
「はい。……雨に捕まっちゃって。――いえ、迎えは大丈夫です。もうすぐ止むと思うので。……え、すぐですか……? はぁ……、まぁ、はい……はい」
ふぅ、とため息を一つつき、少年はスマートフォンから耳を話して、通話を切った。
そしてちらと外を見て、雨音がさっきよりも弱くなっているのを確認してから、こちらを向いた。
「ちょっと仕事で急いで行かなきゃいけないみたいなんで……」
「あ、じゃあ、この上着」
「いえ、それはあなたに差し上げます」
「え、でも」
「大丈夫ですから」
ヘラヘラと少年は笑う。
どうしてこの少年は、初対面の自分にこんなに良くしてくれるのだろうか。
雅はいっそ不安になりそうなほどだったが、しかし、彼の事を怪しむことも出来なかった。なぜかは分からないが、出来なかったのだ。
「――あと、その上着に本が入ってるんですけど、そちらも差し上げます」
「良いんですか……?」
「はい。本当に、それで、良いんです」
「じゃ」と一言残して走り出そうとする少年を、雅は「待って」と呼び止めた。
「名前を――名前を教えてくれませんか」
すでに背を向けていた少年は、しばし考えるように黙りこんだ。
「――天音貴理、と言います」
それだけを残し、少年は今度こそ雨の中に消えていった。
一人取り残された雅は、少年が言っていた本が、どんなものだろうか確認しようとして、ポケットにしまわれていたそれを取り出した。
年季の入った文庫本で――本のタイトルは人魚姫だった。
それを見た時雅は、どこか空いていたピースにそれがはまったような気がした。
そして、あの少年ともっと話がしたいと思い、その背中を探したが、もうそれは雨の中に溶けて消えてしまっていて、何だかそれが無性に悲しく、寂しく思えてしまっていた。
気づけば頬を涙が伝っていたが、雅はその理由が分からなかった。
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