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夕日の値段
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うっすらと目を開けると、そこは大きな広間だった。否、部屋か。
ロゼの視界はだんだんと光を取り戻していった。瞳には、巨大な装置が映し出されている。
巨大なレンズのような、眼。
神の眼。
見聞でしか知らなかったが、この異様な装置の名前は、他に見当たらなかった。
自分の現在の状態を把握しようと、体を見まわしたが、別段異常は見当たらない。ただ自分はこの広い空間の中央で寝かされているようだ。背中に金属的な冷たさがある。
「目が覚めたか」
ミドルマンの声。首を横に振ると、そこに彼は居た。後ろには数名の警備兵を従えており、クロームが捕えられていた。
体を動かそうと、力を込めるが、全く言うことを聞いてくれない。起き上がることもできず、生贄のようにレンズの前で寝ているほかなかった。
「そう慌てなくともよい。別に取って喰おうというわけではない」
何かが作動する音が聞こえる。ジジジ、という断続的な機械音。ロゼは首を捻って、神の眼を見ることで、音の主がそれだという事に気が付いた。レンズの中の小さなレンズが、拡大と縮小を繰り返して、遠のいたり近づいたりしている。
―――見られている。
「検査を行っているだけだ。お前の命の価値を測ろうというだけだ」
究極検査。ロゼの脳裏にも、その知識はあった。市場都市アゴラがここまで発展してきた、一番のポイントにして、この都市の特徴。命にさえ値段をつける、絶対の検査。究極検査。
レンズがセンサーを照射し始めた、その刹那。とてつもない轟音が、部屋全体を襲った。地震のような揺れさえ感じる、怒号。獣の王の叫び声のような、それを発して入って来たのは、燃え盛る『誰か』だった。
「侵入者だ! 撃てッ! 撃てッ!」
警備兵達が、銃口を燃えて朽ちようとしている『誰か』へと向けて、発砲する。歩く炎のようなそれは、銃弾に体を震わせて、のけぞり、今まさに死に向かってひた走っている。
その眼が。赤い赤い炎の中にある、赤い眼をロゼは見た。見てしまった。
燃えて落ちて逝く誰かの手が、自分のほうへと伸ばされる。そこに果てがあるように。長い長い旅路の終着点が、まるでそこだというように。
焼けただれた皮膚の指先が、じっと自分のほうへと向けられていて。それがまるで、手を差し伸べているようで。誰かに握ってほしいようで。
あぁとても。とてもとてもとても、胸が痛い。
燃え盛るもう一方の手に握られた剣が、振り下ろされる。銃弾を浴びてなお、まだ健在の炎は、そのまま歩を進め、ロゼへと向かってくる。
警備兵達は発砲し続けているが、死をどこかに置いてきたように、誰かは倒れる気配がない。
「{*???`+}()==~=~()”()”=」==~~)&%#!!#$$$%%&」
獣が吠えるように、声を上げて、誰かは炎をまとって剣を振り上げて突進してきた。
「娘を守れ! そいつは高額だ!」
ミドルマンの怒号が飛ぶ。警備兵たちが慌てて、ロゼの前に立とうとするが、遅い。慌て不ためている警備兵達を出し抜くように、クロームが駆けだした。手錠をされたまま、必死に走ってロゼの前に立った。
「クローム!」
ロゼは悲鳴を上げた。彼女の体は、その瞬間のけぞって、ロゼの側に崩れ落ちた。服の背中がざっくりと裂けている。クロームにそんなことをした誰かも、ついに力尽きたように、剣を落とし、その場に倒れた。
「クローム! クローム!」
ようやく動き始めた足を動かして、上半身だけを起き上がらせて、ロゼはクロームの名を何度も呼んだ。彼女は床にうつぶせになって、ぐったりとしている。肩を抱いてみた顔からは、血の気が失せようとしている。青々とした唇を震わせて、クロームは言った。
「ほら、アタシ、体分の価値しかないから………」力なく、彼女は笑った。「こんなことでしか、生きてる価値が貰えないから」
乾いた笑いを漏らして、クロームの小さな肩から力が抜けていく。
「ディヤマンテか」
ミドルマンは、焼け焦げた死体を見下ろしながら呟いた。それから、笑みを殺すように笑い、ロゼのほうを向いた。
レンズが騒がしく蠢き始める。
「これでようやく、一人だ。オンリーワンだ。お前は、本当に一人だ。特別だ!」
歓喜あまり、喜びの笑いを上げるミドルマンを、どこか冷めた目でロゼは見ていた。
レンズから照射されるレーザーが、髪をなめるように這っていく。当てられた部位から、徐々に変色していき、桃色の髪は赤色に成り替わっていく。
目の色も変わり、赤となる。
カルミヌスの民の色となっていく。
「お前が最後の一人だったのだ。最後のカルミヌスの民。生き残りなのだ!」
夕日色の世界は。
夢の中で手を引いていた誰かは。
あの赤い空は。
『アルマス』は、ワタシだったのだ。
心で全てを納得していく。溶けた氷が、グラスの中の液体になじむように、それが本来の姿だという風に。ごく自然に、記憶は溶けていく。
万感の思いは、胸中で爆ぜるように広がって、感情という感情を食い散らかして、涙と言う液体を外に排出させるに至った。
価値とは何だ。価値のために人は生きているのか。自分の存在する価値のために人は生きているのか。そのために誰かが死んでいるのか。傷づいていかねばならないのか。
価値とは、生きている価値とはそんな悲しみを広げてまで、欲する意味のあるものなのか。価値は命よりも重いのか。
神の眼から、ざわついたノイズが聞こえる。
「ソソソソソ、ソノ、娘ノ価値ハ!」
砂嵐の音の向こうから、壊れたレコードのような声が飛んでくる。機械的な音声は、たしかに神の眼から発せられていた。
「ハハハッハ! 八億! 八兆ウェートデアル!」
ミドルマンの歓喜の声が上がった。けれども、ロゼの心は一向に晴れない。いくら己の命の価値が高かろうと、それがどうした。価値など。そんなもの要らない。自分には必要ない。自分の価値は自分で決める。誰かに決められる必要はない!
「今日、現在を持って、お前はこの都市で最も価値のある命と、正式に認定された! 素晴らしい、名誉なことだ! お前は一人になった。本当に一人に成り、この世界で代替えのない、単一の存在と成ったのだ」
「―――それが、何だというんですか」
「何?」
「ワタシは、価値なんて要らない! たとえ、この体分の価値しか、ワタシに無くても、ワタシは幸せだった! 心があるのならば、誰かと笑いあい、愛し合い、語り合い、この手を取る誰かがいるのなら! そんな平凡な日々が送れるのなら、それ以上の事は必要ない! アナタは、間違っている!」
「そうさ」
聞き取りやすい高音の少年の声が、この部屋に入り込んだ。白い羽織りをはためかせて、金色の髪をなびかせて、銀色の刃を手に、キュウビは立っていた。
「価値なんてものは、所詮上っ面の物なんだ。アンタが今までしてきたことは、価値っていう檻に人間を閉じ込めてただけだよ、検査長官殿」
「動くな!」
懐から、ミドルマンが銃を取り出した。銃口をキュウビへと向ける。
「部外者の貴様に何が分かる。人間という生き物には、己の足場が必要なのだ。生きるために、誰かと共に歩むためには、相手の居場所と、自分の居場所を知っておかねばならない。そのための『価値』だ。『値段』だ。学力が優れていても、体力で劣る。性別、容姿、性格、家柄。一つを取り上げて比べれば、一方が疎かになり、絶対の順位は決定しない。だからだ! だから、命という最終項目で決着をつけるに至ったのだ。命の価値という、生き物にとって共通で裸のカテゴリーで、優劣を決する。人間には、誰かと比べるための価値が必要だった! 点数をつけて、自分の生きることに価値を与える必要があったのだ。値段も知れない人生を歩むより、最初から価値の分かっている時間を過ごすほうが、心がどれほど穏やかか!」
「それで、この様か?」
キュウビの刀を持つ手が震えている。怒りか、どうしようもない怒りか、それとも悔しさか。彼はミドルマンを睨んだ。
「点を付ける人間が、点に踊らされて、死んでいく。人のための優劣で、人が死んでいく。あまたの涙を超えても、まだ少ないほどの悲しみが、馬鹿のように量産されていく。己の命の価値の低さに絶望し、生きる気力さえ無くす。そんなことをして、そんな事に成ってしまうというのに、まだ価値が欲しいのか!」
「当たり前だ! ワタシ達は人間だ。優劣や順位が必要なのだよ! 誰の上に立ち、誰の下に居るのか。自らの存在意義は、価値になり、価値を求め、価値に餓え、価値に群がる。それが人だ!」
レンズの作動する音。そうか、まだこの神の眼は起動しているのか。
無機物の水晶体が、キュウビを捉えて、彼を検査し始める。自分の体よりも大きな眼に見つめられても、キュウビは臆することなく、ひょうひょうといつもの調子で、そこに立っていた。
「よう神様。目玉だけってのは、不便だろう? 自分で、自分の姿も見れないんだもんな。オレが手伝ってやるよ」
キュウビは袖の下から、一つ、光る何かを取り出した。それは手鏡。神の眼のレンズは、そこに注目する。否。そうではない。今、神の眼が見ているのは、鏡ではない。
鏡に映る自分自身の姿だ。神の眼は、己自身の検査を始めたのだ。
「ソノ物ノ価値ハハハハハハハハハハハ=!=!!”I」”==!=~=!#”##””’#$%&’&&”’’(()’”’”())」
狂った機械音は、一向に値段を告げない。理解不能な言葉を羅列して、微振動さえ始めた。さらに、過剰に稼働しているせいで、室温も上がっている。神の眼は、明らかな誤動作を起こしている。
「どういうことだ。何をした。お前は一体、何をしたんだ!」
引き金を今にも引こうとするほど、ミドルマンは激昂し、キュウビを問い詰めた。
「だから、そのまんまだよ。神の眼に、自分自身の価値を検査させたのさ」
「それで、どうしてこうなる!」
「答えの無い問題を解き続けているからさ。永久に自分の値段なんて、言えやしない。誰かの値段は簡単に決められても、自分の価値なんて、そうそうはっきり数字になんて出来ないんだ」
一歩、一歩とゆっくりと。キュウビは刀の切っ先を、床から天井に上げて、暴走する神の眼へと歩み寄っていく。ミドルマンは、キュウビと神の眼の二つに視線を交互に移動させている。
「その眼で見ている世界は、その眼が無くなれば消える。ならば、世界は自分を中心に回っていて、その人の人生なら、その人の命の価値が最高額なんだ。たとえどれほど偉大な先人達がいようとも、生きているのならば、その命の所有者はすべからく、己が一番なんだ。優劣なんて、端から決められるわけがないんだ」
刀が振り上げられた。
一閃。キュウビの刀は、綺麗に垂直に振り下ろされた。
「人は、誰しもが主役であり、この世界で一番美しい命の持ち主なのだから」
神の眼は、両断され、ぱっくりと割れた。ミドルマンの悲鳴のような喘ぎ声も聞こえてくるが、それをかき消すように爆音。神の眼は最後に小さな爆発を残して、天井に大穴を開けた。
赤い、赤い空がその向こうに広がっている。掛け値なしの、景色が。夕日は今日も、赤く赤く。ノスタルジックであり、遠いあの日の記憶を掘り起こすようで。そっと、誰かがロゼの手を握った。クロームの白い手。ロゼは握り返した。
「だからさぁ、ボクを置いてかないで、って言ったよねぇ」
不満をぶちまけるノーレッジの声。ついで、キュウビの謝罪のような笑い声。ノーレッジは、ロゼ達の側でかがむと、背中のリュックから医療キットを取り出した。クロームのためのものらしい。
ノーレッジは、それをロゼに渡すと、立ち上がり天を仰いだ。穴のあいた天井を見上げて、突然右腕を上げた。
「ロゼ!」キュウビが思い出したように叫んだ。ノーレッジの手から、何かが飛び出て、空中で爆ぜた。それは、気球のようなクラゲのような、風船だった。それと繋がった彼の体は、浮き上がっていく。「いい記事が書けそうかい? 昨日も今日も、楽しかったね」
まるで。夢のような日々。値札のついた人たちが歩く街に、やって来て、そこで陽気な犯罪者と出会い、知り合い、共に行動し、そして、失われた記憶を取り戻した。奇しくも彼が旅立とうとしていうのは、夢で何度も見た茜色の空で、今も自分は見上げている。
ノーレッジの体は、もう随分と浮き上がり、キュウビはその下のロープにつかまった。彼の体もまた、浮き上がっていく。
「はい、はい! キュウビさん、アナタの、アナタの本当の名前を教えてください! じゃないと、記事にアナタを書くときに、困ります」
「オレの名前かい? じゃあ、最後に特別に。正直、言うのも恥ずかしい名前なんだけど―――」
「qb!」
遠くから、凛とした少女の声が響いてくる。あの紺色の髪の、シアリスという警官がキュウビめがけて、走っていく。
「ゲ! ちょ、ノーレッジ! 起きてるけど、アイツ起きてるけど!」
「あぁ、ほら、だって。あんまり強くしたら、悪いと思って」
「今オレに結構悪い感じだけど。早く、ノーレッジ早く上げて! シアリスなら、跳んでくるから、この距離は」
「だね」
ノーレッジがもう片方の腕で、何やら別のロープを引っ張って、操作している。シアリスは部屋の入口から、もう中ほどまで走って来ていて、もうすぐキュウビたちの真下へと到達するだろうが、ロゼにとっては、どうでもいい事だった。それ以上に、自分はまだ質問に答えてもらっていない。
「キュウビさん!」
「あぁ! 今日は良い夕日だ!」
「そうじゃなくて!」
「質問はお預け」
「今、答えてくださいよ! 今!」
「今度で良いじゃないか。そう、また。『また』」
赤色の無限の天井へと、二人の姿は吸い込まれて行った。風に乗って、気球は流れて、どこか遠くへと飛んでいく。だが、彼は『また』と言った。なら、会える。
今度また、いつか会う日まで。握りしめられた手を握りしめて。誰かとの繋がりに、想いをはせて。些細な事で喜び、小さな事で仲たがいをして、ほんの一行にさえ満たない言葉で、通じ合って。誰かと手を結んで。視界はせまく、世界は小さく。ワタシ達はそうして、生きていくのだ。それはただの自己満足のようで、他の誰かの利益に成らないかもしれない。自分のためだけの一生かもしれない。
でも、それでよいのだ。
なぜならこれは、ワタシのための人生なのだから。
ロゼの視界はだんだんと光を取り戻していった。瞳には、巨大な装置が映し出されている。
巨大なレンズのような、眼。
神の眼。
見聞でしか知らなかったが、この異様な装置の名前は、他に見当たらなかった。
自分の現在の状態を把握しようと、体を見まわしたが、別段異常は見当たらない。ただ自分はこの広い空間の中央で寝かされているようだ。背中に金属的な冷たさがある。
「目が覚めたか」
ミドルマンの声。首を横に振ると、そこに彼は居た。後ろには数名の警備兵を従えており、クロームが捕えられていた。
体を動かそうと、力を込めるが、全く言うことを聞いてくれない。起き上がることもできず、生贄のようにレンズの前で寝ているほかなかった。
「そう慌てなくともよい。別に取って喰おうというわけではない」
何かが作動する音が聞こえる。ジジジ、という断続的な機械音。ロゼは首を捻って、神の眼を見ることで、音の主がそれだという事に気が付いた。レンズの中の小さなレンズが、拡大と縮小を繰り返して、遠のいたり近づいたりしている。
―――見られている。
「検査を行っているだけだ。お前の命の価値を測ろうというだけだ」
究極検査。ロゼの脳裏にも、その知識はあった。市場都市アゴラがここまで発展してきた、一番のポイントにして、この都市の特徴。命にさえ値段をつける、絶対の検査。究極検査。
レンズがセンサーを照射し始めた、その刹那。とてつもない轟音が、部屋全体を襲った。地震のような揺れさえ感じる、怒号。獣の王の叫び声のような、それを発して入って来たのは、燃え盛る『誰か』だった。
「侵入者だ! 撃てッ! 撃てッ!」
警備兵達が、銃口を燃えて朽ちようとしている『誰か』へと向けて、発砲する。歩く炎のようなそれは、銃弾に体を震わせて、のけぞり、今まさに死に向かってひた走っている。
その眼が。赤い赤い炎の中にある、赤い眼をロゼは見た。見てしまった。
燃えて落ちて逝く誰かの手が、自分のほうへと伸ばされる。そこに果てがあるように。長い長い旅路の終着点が、まるでそこだというように。
焼けただれた皮膚の指先が、じっと自分のほうへと向けられていて。それがまるで、手を差し伸べているようで。誰かに握ってほしいようで。
あぁとても。とてもとてもとても、胸が痛い。
燃え盛るもう一方の手に握られた剣が、振り下ろされる。銃弾を浴びてなお、まだ健在の炎は、そのまま歩を進め、ロゼへと向かってくる。
警備兵達は発砲し続けているが、死をどこかに置いてきたように、誰かは倒れる気配がない。
「{*???`+}()==~=~()”()”=」==~~)&%#!!#$$$%%&」
獣が吠えるように、声を上げて、誰かは炎をまとって剣を振り上げて突進してきた。
「娘を守れ! そいつは高額だ!」
ミドルマンの怒号が飛ぶ。警備兵たちが慌てて、ロゼの前に立とうとするが、遅い。慌て不ためている警備兵達を出し抜くように、クロームが駆けだした。手錠をされたまま、必死に走ってロゼの前に立った。
「クローム!」
ロゼは悲鳴を上げた。彼女の体は、その瞬間のけぞって、ロゼの側に崩れ落ちた。服の背中がざっくりと裂けている。クロームにそんなことをした誰かも、ついに力尽きたように、剣を落とし、その場に倒れた。
「クローム! クローム!」
ようやく動き始めた足を動かして、上半身だけを起き上がらせて、ロゼはクロームの名を何度も呼んだ。彼女は床にうつぶせになって、ぐったりとしている。肩を抱いてみた顔からは、血の気が失せようとしている。青々とした唇を震わせて、クロームは言った。
「ほら、アタシ、体分の価値しかないから………」力なく、彼女は笑った。「こんなことでしか、生きてる価値が貰えないから」
乾いた笑いを漏らして、クロームの小さな肩から力が抜けていく。
「ディヤマンテか」
ミドルマンは、焼け焦げた死体を見下ろしながら呟いた。それから、笑みを殺すように笑い、ロゼのほうを向いた。
レンズが騒がしく蠢き始める。
「これでようやく、一人だ。オンリーワンだ。お前は、本当に一人だ。特別だ!」
歓喜あまり、喜びの笑いを上げるミドルマンを、どこか冷めた目でロゼは見ていた。
レンズから照射されるレーザーが、髪をなめるように這っていく。当てられた部位から、徐々に変色していき、桃色の髪は赤色に成り替わっていく。
目の色も変わり、赤となる。
カルミヌスの民の色となっていく。
「お前が最後の一人だったのだ。最後のカルミヌスの民。生き残りなのだ!」
夕日色の世界は。
夢の中で手を引いていた誰かは。
あの赤い空は。
『アルマス』は、ワタシだったのだ。
心で全てを納得していく。溶けた氷が、グラスの中の液体になじむように、それが本来の姿だという風に。ごく自然に、記憶は溶けていく。
万感の思いは、胸中で爆ぜるように広がって、感情という感情を食い散らかして、涙と言う液体を外に排出させるに至った。
価値とは何だ。価値のために人は生きているのか。自分の存在する価値のために人は生きているのか。そのために誰かが死んでいるのか。傷づいていかねばならないのか。
価値とは、生きている価値とはそんな悲しみを広げてまで、欲する意味のあるものなのか。価値は命よりも重いのか。
神の眼から、ざわついたノイズが聞こえる。
「ソソソソソ、ソノ、娘ノ価値ハ!」
砂嵐の音の向こうから、壊れたレコードのような声が飛んでくる。機械的な音声は、たしかに神の眼から発せられていた。
「ハハハッハ! 八億! 八兆ウェートデアル!」
ミドルマンの歓喜の声が上がった。けれども、ロゼの心は一向に晴れない。いくら己の命の価値が高かろうと、それがどうした。価値など。そんなもの要らない。自分には必要ない。自分の価値は自分で決める。誰かに決められる必要はない!
「今日、現在を持って、お前はこの都市で最も価値のある命と、正式に認定された! 素晴らしい、名誉なことだ! お前は一人になった。本当に一人に成り、この世界で代替えのない、単一の存在と成ったのだ」
「―――それが、何だというんですか」
「何?」
「ワタシは、価値なんて要らない! たとえ、この体分の価値しか、ワタシに無くても、ワタシは幸せだった! 心があるのならば、誰かと笑いあい、愛し合い、語り合い、この手を取る誰かがいるのなら! そんな平凡な日々が送れるのなら、それ以上の事は必要ない! アナタは、間違っている!」
「そうさ」
聞き取りやすい高音の少年の声が、この部屋に入り込んだ。白い羽織りをはためかせて、金色の髪をなびかせて、銀色の刃を手に、キュウビは立っていた。
「価値なんてものは、所詮上っ面の物なんだ。アンタが今までしてきたことは、価値っていう檻に人間を閉じ込めてただけだよ、検査長官殿」
「動くな!」
懐から、ミドルマンが銃を取り出した。銃口をキュウビへと向ける。
「部外者の貴様に何が分かる。人間という生き物には、己の足場が必要なのだ。生きるために、誰かと共に歩むためには、相手の居場所と、自分の居場所を知っておかねばならない。そのための『価値』だ。『値段』だ。学力が優れていても、体力で劣る。性別、容姿、性格、家柄。一つを取り上げて比べれば、一方が疎かになり、絶対の順位は決定しない。だからだ! だから、命という最終項目で決着をつけるに至ったのだ。命の価値という、生き物にとって共通で裸のカテゴリーで、優劣を決する。人間には、誰かと比べるための価値が必要だった! 点数をつけて、自分の生きることに価値を与える必要があったのだ。値段も知れない人生を歩むより、最初から価値の分かっている時間を過ごすほうが、心がどれほど穏やかか!」
「それで、この様か?」
キュウビの刀を持つ手が震えている。怒りか、どうしようもない怒りか、それとも悔しさか。彼はミドルマンを睨んだ。
「点を付ける人間が、点に踊らされて、死んでいく。人のための優劣で、人が死んでいく。あまたの涙を超えても、まだ少ないほどの悲しみが、馬鹿のように量産されていく。己の命の価値の低さに絶望し、生きる気力さえ無くす。そんなことをして、そんな事に成ってしまうというのに、まだ価値が欲しいのか!」
「当たり前だ! ワタシ達は人間だ。優劣や順位が必要なのだよ! 誰の上に立ち、誰の下に居るのか。自らの存在意義は、価値になり、価値を求め、価値に餓え、価値に群がる。それが人だ!」
レンズの作動する音。そうか、まだこの神の眼は起動しているのか。
無機物の水晶体が、キュウビを捉えて、彼を検査し始める。自分の体よりも大きな眼に見つめられても、キュウビは臆することなく、ひょうひょうといつもの調子で、そこに立っていた。
「よう神様。目玉だけってのは、不便だろう? 自分で、自分の姿も見れないんだもんな。オレが手伝ってやるよ」
キュウビは袖の下から、一つ、光る何かを取り出した。それは手鏡。神の眼のレンズは、そこに注目する。否。そうではない。今、神の眼が見ているのは、鏡ではない。
鏡に映る自分自身の姿だ。神の眼は、己自身の検査を始めたのだ。
「ソノ物ノ価値ハハハハハハハハハハハ=!=!!”I」”==!=~=!#”##””’#$%&’&&”’’(()’”’”())」
狂った機械音は、一向に値段を告げない。理解不能な言葉を羅列して、微振動さえ始めた。さらに、過剰に稼働しているせいで、室温も上がっている。神の眼は、明らかな誤動作を起こしている。
「どういうことだ。何をした。お前は一体、何をしたんだ!」
引き金を今にも引こうとするほど、ミドルマンは激昂し、キュウビを問い詰めた。
「だから、そのまんまだよ。神の眼に、自分自身の価値を検査させたのさ」
「それで、どうしてこうなる!」
「答えの無い問題を解き続けているからさ。永久に自分の値段なんて、言えやしない。誰かの値段は簡単に決められても、自分の価値なんて、そうそうはっきり数字になんて出来ないんだ」
一歩、一歩とゆっくりと。キュウビは刀の切っ先を、床から天井に上げて、暴走する神の眼へと歩み寄っていく。ミドルマンは、キュウビと神の眼の二つに視線を交互に移動させている。
「その眼で見ている世界は、その眼が無くなれば消える。ならば、世界は自分を中心に回っていて、その人の人生なら、その人の命の価値が最高額なんだ。たとえどれほど偉大な先人達がいようとも、生きているのならば、その命の所有者はすべからく、己が一番なんだ。優劣なんて、端から決められるわけがないんだ」
刀が振り上げられた。
一閃。キュウビの刀は、綺麗に垂直に振り下ろされた。
「人は、誰しもが主役であり、この世界で一番美しい命の持ち主なのだから」
神の眼は、両断され、ぱっくりと割れた。ミドルマンの悲鳴のような喘ぎ声も聞こえてくるが、それをかき消すように爆音。神の眼は最後に小さな爆発を残して、天井に大穴を開けた。
赤い、赤い空がその向こうに広がっている。掛け値なしの、景色が。夕日は今日も、赤く赤く。ノスタルジックであり、遠いあの日の記憶を掘り起こすようで。そっと、誰かがロゼの手を握った。クロームの白い手。ロゼは握り返した。
「だからさぁ、ボクを置いてかないで、って言ったよねぇ」
不満をぶちまけるノーレッジの声。ついで、キュウビの謝罪のような笑い声。ノーレッジは、ロゼ達の側でかがむと、背中のリュックから医療キットを取り出した。クロームのためのものらしい。
ノーレッジは、それをロゼに渡すと、立ち上がり天を仰いだ。穴のあいた天井を見上げて、突然右腕を上げた。
「ロゼ!」キュウビが思い出したように叫んだ。ノーレッジの手から、何かが飛び出て、空中で爆ぜた。それは、気球のようなクラゲのような、風船だった。それと繋がった彼の体は、浮き上がっていく。「いい記事が書けそうかい? 昨日も今日も、楽しかったね」
まるで。夢のような日々。値札のついた人たちが歩く街に、やって来て、そこで陽気な犯罪者と出会い、知り合い、共に行動し、そして、失われた記憶を取り戻した。奇しくも彼が旅立とうとしていうのは、夢で何度も見た茜色の空で、今も自分は見上げている。
ノーレッジの体は、もう随分と浮き上がり、キュウビはその下のロープにつかまった。彼の体もまた、浮き上がっていく。
「はい、はい! キュウビさん、アナタの、アナタの本当の名前を教えてください! じゃないと、記事にアナタを書くときに、困ります」
「オレの名前かい? じゃあ、最後に特別に。正直、言うのも恥ずかしい名前なんだけど―――」
「qb!」
遠くから、凛とした少女の声が響いてくる。あの紺色の髪の、シアリスという警官がキュウビめがけて、走っていく。
「ゲ! ちょ、ノーレッジ! 起きてるけど、アイツ起きてるけど!」
「あぁ、ほら、だって。あんまり強くしたら、悪いと思って」
「今オレに結構悪い感じだけど。早く、ノーレッジ早く上げて! シアリスなら、跳んでくるから、この距離は」
「だね」
ノーレッジがもう片方の腕で、何やら別のロープを引っ張って、操作している。シアリスは部屋の入口から、もう中ほどまで走って来ていて、もうすぐキュウビたちの真下へと到達するだろうが、ロゼにとっては、どうでもいい事だった。それ以上に、自分はまだ質問に答えてもらっていない。
「キュウビさん!」
「あぁ! 今日は良い夕日だ!」
「そうじゃなくて!」
「質問はお預け」
「今、答えてくださいよ! 今!」
「今度で良いじゃないか。そう、また。『また』」
赤色の無限の天井へと、二人の姿は吸い込まれて行った。風に乗って、気球は流れて、どこか遠くへと飛んでいく。だが、彼は『また』と言った。なら、会える。
今度また、いつか会う日まで。握りしめられた手を握りしめて。誰かとの繋がりに、想いをはせて。些細な事で喜び、小さな事で仲たがいをして、ほんの一行にさえ満たない言葉で、通じ合って。誰かと手を結んで。視界はせまく、世界は小さく。ワタシ達はそうして、生きていくのだ。それはただの自己満足のようで、他の誰かの利益に成らないかもしれない。自分のためだけの一生かもしれない。
でも、それでよいのだ。
なぜならこれは、ワタシのための人生なのだから。
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代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。
父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。
カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。
その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。
ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。
「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」
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