伊都國綺譚

凛七星

文字の大きさ
1 / 16
第一章

第一章

しおりを挟む


 博多は他の地方に比べたら、昨今の時勢で景気がよいのかとおもったがさほどでもないようである。
 わたしは中洲にあるモダンな商業施設の中にあるシネマ館から婦女子を相手にこけおどすような、退屈極まりない活動寫真に憤慨しつつ出てきたところであった。
 昨今は家庭でも映像を楽しむための機器が発達したせいで、活動の商売はうまく立ち行かないのか、題名と宣伝の写真だけで脚色の梗概や、どんな演出かがすぐ会得できる程度のものばかりを上映する。
 市井の人がどんな話柄をしているか、とんと見当がつかないようではと、努めて世間の流行り廃りを気にかけ出かけて来たものの、一ト目で稚拙な出来栄えのせいで睡魔が誘い、わたしは大半を座席で転寝していた。
 便利な世になると何でもかんでも、おしなべたものばかりで面白くない。商業理論ばかりで作られたものは、どこを切っても金太郎飴なのである。
 夕風も追々と寒くなってきていた。まだ博多にやって来て間もないので、いろいろと見物がてら散歩をしていると、那珂川の橋のたもとで安っぽい背広を着た若い男が横合いから現れ出て「檀那、よかとこがあるとですよ」と言う。

「いや、ありがとう。悪いが結構だよ」
「どこへ行きよんしゃるとですか?よか女子がおるっちゃけど」
「もう行くところが決まってるんだ」
「そげんこと言わんと……」

 わたしはポン引きの男を振り払うように手を振り歩みを進めていると、気がつけば南新地のあたりにいた。
 火野葦平や原田種夫、夢野久作らがたむろしていた当時のカフェーブラジレイロがあった東中洲や、与謝野鉄幹や北原白秋ら文士が九州各地を旅行した際に、立ち寄って宿泊した川丈旅館があった辺りを散策して、過ぎし日の文学の薫りを求めたいとおもっていたのだが。
 しかし、こうして淀んだ川面に揺らぐ電飾の艶やかな灯を眺めていると、人肌が恋しくなる晩秋の夜に甘い春のぬくもり感じ取っては、腹の奥で虫が目を覚まし蠢めくのは男子の性であろう。だが度々博多に訪れてはいたものの、色街でつとに有名な場所では未だ遊んだことがなく、さっぱり見当がつかずうろうろしていると背後から「なにをしてるんですか?」と云いさま猿臂を伸ばして、わたしの肩を叩く者がいる。
 なにしろ旅の用意を詰めこみ膨らむ鞄を手にして視線を彼方此方へとさせているうえに、真っ当な勤め人にはおもえない風情なわたしである。制服姿の警官が声をかけてくるのは然もありなんだった。

「ちょっと、いいですか?こちらまで来てもらえますか?」

少し訛った標準語に、わたしが聞こえぬふりをしていると、おもむろにわたしの腕を取るではないか。そして大通りまで誘導すると数人の巡査とともに取り囲み、近くの交番まで連行されたしまった。
 派出所の中へ行くと、立番の巡査が入口に立ちはだかり、引き渡されたわたしが逃げ出さないようにしている。奥の薄汚れた机を警官と挟んで座らされると早速尋問が始まった。

「旅行者のようやね、何処から来んしゃったと?」
「向こうの方から」
「向こうとは、何方やろ?」
「そこのビルヂング」
「名前は?」
「凛です」

 巡査が手帳を取り出したが不明のようで鉛筆を止めている。

「凛々しいの、凛です」
「ちょっと、ここに書いてくれんと。あぁ、そういう字やったとね」

 わたしはいずれ尋ねられるだろうと下の名も続けて書いた。

「七星……中国、いや韓国から?」
「在日の三世で」
「では外国人登録証を拝見。住所は大阪と……生年月日は、ほぉ、えらく若く見えるばってんが、そげん齢になっとぉと」

 わたしは染めた肩まで伸びた長髪の頭を少し掻くと苦笑いした。大抵の場合、あまり余計な言動をすると面倒が増えるばかりであることは経験上で舐め尽くしているので、相手に怪訝な気持ちにさせぬようにした。

「鞄の中を見させてもろぉて、よかね?」
「ええ、どうぞ」
「これは?」
「薬入れです」
「中を見ても?」
「かまいませんよ」
「これはなんか?」
「紙入れですが」
「いくら入っとうと?」
「さて、二十万くらいですかね」

 巡査は中を検めると紙入れを鞄にもどして、他に何かないかと探った。すると忽ちこれまでとは調子が違った素っ頓狂な声を上げた。

「こりゃまた…」

 巡査の手には奇怪な容貌をした女性と戯れるための玩具があった。

「いや、はははは」

 照れ隠しでそれを手渡してもらうと、わたしは電源を入れて見せた。

「すごかねぇ…こりゃあ」

 表面に無数の突起がついて同時に三箇所を刺激する構造になった玩具は、くねくねと身をよじるように淫靡な動きをした。

「これはどこで?」
「あ、中州のとこの店で……」
「買いんしゃったと?」

 本当はたまたま呑みに入った店が開店周年記念で、客たちに籤を引かせて景品を渡していた中のひとつであった。ただ、説明が長引くと厭なので、わたしは巡査の言葉に適当な相槌を打った。

「よかよか、しまっときんしゃい」

 そう言うと巡査は少々下卑た薄笑いを浮かべて、ようやくわたしを解放する意志を示した。

「御苦労さまです」

 わたしはそう言って煙草に火を点けると、烟を派出所に撒き散らすように吐いて外へ出た。ひょっとしたら豚箱で一夜を明かすことになるかもと覚悟していたせいか、先ほどまで蠢いていた虫もすっかり治まってる。
 気分をそがれたわたしは那珂川岸に並ぶ屋台で適当に席を見つけると、酒で少々喉を湿らせただけで安宿へと足を向けた。
 だが、未明のころになって薄い煎餅布団に包まっていると、いつしか落ちた眠りの中で博多人形のような白い肌をした女を愛でる夢で煩悶させられることになった。


しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

処理中です...