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夢、そのあまりに苦い記憶、そして痛み
しおりを挟む遠くに見える峰の連なりは、空の鉛色と境界を曖昧にしてる。
シベリアから叩きつけるように吹きすさぶ肌が痛くなる風は、荒涼とした大地のあらゆるものをなぎ倒そうとするかのようだ。
小学生の姿になっているわたしは、木造の傷みが激しい駅舎から無人のホームへ歩いて行くと、寒さに肩をすぼめ掌に息を吹きかけていた。
ところどころ赤錆を浮かべた単線の線路に視線を映すと、ニ本の平行線は霞んでいる彼方の山のふもとへと続くのが見えた。
わたしは何のために、ここに立っているのかさえも分からなかった。ただ、ここから立ち去らなければならない、そういう脅迫に似た観念で身を縛られて動けなかった。
やがて遠くで汽笛が鳴っているのが風に乗って耳に届く。わたしは間もなくやって来る列車に乗らなければならない、それは絶対的な権力者の言葉のように背くことはできないものだった。
列車はホームに滑り込むように到着した。古い機関車は生き物のように蒸気を激しく吐き出していた。客車には誰一人の姿もない。
わたしは当然のように鞄ひとつを抱えて列車に乗り込んだ。木製の客席は相当の時代物で、ビロードに覆われたクッションはへたってあまり役目を果たさない代物だった。自分以外には誰もいない列車の中で、わたしは心細くて鞄を抱きしめながら寒さを堪えるのに必死だった。
そのとき、どこからか視線を感じた。それは突き刺すようなものではなく、どこか暖かいが底のないような哀しみを孕んでいるようにおもえた。わたしはその視線を放つ方向へと目をやる。
窓の外には先ほどまで無人だったはずのホームで、ひとりの女の子が立っていた。小学校の同級生だった子だ。聡明で利発さが表れた切れ長の瞳をした彼女は、無言で立っている。お互いが何か伝えたいのだが、言葉を発することができずにいる。誰もいないはずの駅なのに、見張られているような恐怖の空気が漂っているからだ。
列車は声を高らかに上げると深呼吸をして、ゆっくりと動き出す。わたしは氷のように冷たい窓硝子に手を当てると、少女を見て何度もうなづいた。彼女が口を開く。何を言っているかは分からない。
わたしは窓を開けようと慌てた。列車の速度が上がる。女の子は必死に駆けて、追いすがろうとしている。ようやく窓を開けられたわたしは、必死で手を伸ばした。少女もその手に触れようと指先を差し出した。だがそんなニ人をを引き裂くように、列車の車輪は回転速度を上げるのだった。
気がつくとわたしは頬と枕をべったり濡らして目を覚ます。もう数え切れないほど見た夢だ。そのつど瞼を大きく腫らし、胸が締めつけられるような感覚に襲われてしまう。そして堪らなく苦痛なのは、この夢を見るとあざなえる縄のように、必ず続けて見てしまう夢がもうひとつあることだった。
そして、やはりわたしはいつものように続く夢を見ることになった。
それは大学生のころの忘れることのない記憶だった。十代の一時期いろんな理由から、わたしは日陰の道で荒れた毎日を過ごしていた。
煮え切らない中途半端な暮らしを続け、二十歳を目前にしたとき、あることをきっかけに方向転換することを決意して、文字どおり死ぬ気で勉強に没頭した。その結果、幸いにも欧州の大学へ公費で留学できることになる。
だが留学時代に、勉強だけしていられるわたしではなかった。当時の世界はイデオロギーの対立から東西冷戦構造だった体制の断末魔が、最期のあがく声を不気味に轟かせていたころだった。
わたしは足を踏み入れずにはいられなかった。この目に世界の真実を目に焼きつけずにいることはできなかった。そんな気持ちが、気がつくとわたしを激しい内戦の地へと向かわせていた。
それはあまりに凄惨で残酷で、無慈悲という言葉がふさわしいものだった。人間の生命や尊厳が、これほど安っぽく踏み潰されるものかとおもった。銃弾が飛び交う音が耳元を走るのがどれほどの恐怖かを知った。飛び散る血が、あれほど鮮やかに赤いことに気づかされた。
わたしはあのとき、あの戦場で出くわした少年兵の凍えるほどの冷たい瞳に戦慄を覚えた。彼の銃口はこちらを、わたしを狙っていた。そして彼の背後から「ヤツを撃て」という声が聞こえた。
わたしの手には汗にまみれた銃があった。だが自分より遥かに年下の少年兵に向けて発砲することを、一瞬だが躊躇してしまった。それは戦場では致命的なことだ。
そのとき確かに、わたしは自分の死がイメージできた。その次の瞬間、弾丸を浴びたのは自分ではなく、まだ幼さを表情に残す少年兵の方だった。
頭は砕け飛び散った。血やわけの分からない、しかし人間の肉体一部が四方八方へと飛び散った。わたしは腹の底から声を上げた。いや、それは声というより咆哮のようなものだった。
わたしは駆け出していた。わたしを撃とうとした少年兵のもとへと、心臓が破裂しそうになるくらいの勢いで走った。そして、すでに物体でしかない痩せ細った脚を見て涙があふれた。
わたしはいまも鮮やかに夢を見る。あの少年の瞳を。半分しか残っていない少年の頭部を。だらりと伸びた脚を。それがいまも世界のどこかで起こっている悪夢だということを知っている。
そしてわたしは震えと汗にまみれて、目を覚ますのだ。この一見平穏な世界で。小鳥たちが鳴く声とともに、訪れる静かな朝に。
FIN
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