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温かなスープ
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あれは間もなくクリスマス・イヴだという夜だった。
雪がちらつき、寒さが骨身に染み入るような、今夜とよく似た日だと覚えてる。
わたしは閉店の準備をしていて、表に出している『ビストロ・クレール』という看板の電気を落とし、店内へと引き入れようとしていた。
「ずみまぜん……ズーブだげでも飲まぜでもらえまぜんが」
そこにはオレンジ色のコートを着た、とても美しい女性が立っていた。
「ごのまえ来だどぎ……ズーブが、ゴーンズーブがずごくおいじがったがら」
言葉に障害がある人だった。突然のことで聞き取りにくいのと同時に、少しばかり戸惑ってしまった。
「すみません。今夜はもう看板なんですよ。スープもすべて終わっちゃって」
あのとき、わたしには閉店間際に来た客への気配りをできる余裕がなかった。
十年を超える修行を経て、ようやく小さいながらも自分の店を持てたのだが、ただ料理をすればいいだけではなく、経営することの困難さに神経を擦り減らしていたのだとおもう。
わたしの返事に女性は、微かに悲しげな顔を見せて会釈すると背を向けて歩き出した。
どうしてあんな感覚になったのか、いまも明確には答えられない。だが、この女性をこのまま帰してはいけないと強く感じたわたしは、少し震えているような後姿に駆け足で寄って声をかけた。
「あの……スープだけなら。なんとかしてみるんで。よければどうぞ」
女性は振り返ると、まるで少女のような微笑を見せてくれ、わたしの後ろに続いて店の方へと進んだ。
「ずみまぜん」
わたしは女性を店内に招き入れると、コートを預かって席へと案内をした。
厨房に行き冷蔵庫を空けて確かめると、チキンのスープストックが僅かに残っていた。その他に残っていた少ない食材はパプリカ、玉葱、セロリ、じゃがいも、人参など、ようするに残り物のあり合わせだった。
どうするかと頭をひねっていると、わたしの視界の片隅で女性が涙をこぼしている様子が見えた。
ただ身体が凍えているだけじゃなくて、こころも冷えびえとしていたのだろう。
なんとかして身もこころも温めてあげたい。わたしはそうおもった。
しかし残った食材でどんなものに仕上げられると悩んでいると、自分の食事用に買ったレジ袋に入れたままで冷蔵庫にあった豆腐と牛乳を目にして閃くものがあった。
たんぱく質はすばやく身体を温める。まずはそれだと、わたしはおもった。そして女性が来ていたコートの色がヒントになって、頭の中でレシピが素早く組み立てられた。
スープは鮮やかなオレンジ色で出来上がった。
豆腐と牛乳とチキンスープの取り合わせと、玉葱と人参の甘さ、そしてセロリの青さとじゃがいものなめらかさをうまくバランスよくマッチングさせたと、われながら味見をしておもった。
わたしはホールへと向かうと、女性の座った席に新しいテーブルクロスを敷いて、湯気が立ち上るスープを運んだ。
「おいじい……」
女性は少しの間スープ皿を見つめたあと、ゆっくりとスプーンを口に運ぶと、ため息のようにそうつぶやいた。
「胸の奥が、あだだまるようなズーブでず」
「あなたの着ていたコートの色をヒントにして作ったんですよ」
「ありがどうございまず」
「だから、このスープはあなたとわたしの合作です。すばらしいヒントをくださって、ありがとう」
女性はわたしの言葉にうなづくと、あっという間に皿を空けた。
「また、寒くてたまらないときはスープだけでもいいのでご来店ください。このスープはいつでも出せるようにレシピを頭に刻んでおきますから」
返したコートに袖を通し、代金を支払う彼女は表情に涙の痕跡が消えていた。そして再び感謝の言葉を告げて店を出ていった。
〈食べてくれる人々を笑顔にできる料理を作りたい〉
わたしは小さくなっていくオレンジ色のうしろ姿を見送りながら、自分の店を持ちたいと願っていたころのことをおもい出した。
きっと彼女はこころを窮していたわたしに、神様が少し早めのプレゼントをしてくれたのだろう。あの夜のことがあってから徐々に客足が増え、いまでは評判の繁盛店にまでなった。オレンジ色のスープは人気の品のひとつだ。
夜の灯りに照らされる人影のない静かな自分の店を眺めると、彼女はあれからどうしているのだろうとおもった。
どこから静かにホワイトクリスマスが流れてくる。雪は通りを白く染め始めていた。
また聖なる夜が近づいている。ふと幸せに暮らす彼女が姿を現してくれる、わたくしはそんな気がした。
終
雪がちらつき、寒さが骨身に染み入るような、今夜とよく似た日だと覚えてる。
わたしは閉店の準備をしていて、表に出している『ビストロ・クレール』という看板の電気を落とし、店内へと引き入れようとしていた。
「ずみまぜん……ズーブだげでも飲まぜでもらえまぜんが」
そこにはオレンジ色のコートを着た、とても美しい女性が立っていた。
「ごのまえ来だどぎ……ズーブが、ゴーンズーブがずごくおいじがったがら」
言葉に障害がある人だった。突然のことで聞き取りにくいのと同時に、少しばかり戸惑ってしまった。
「すみません。今夜はもう看板なんですよ。スープもすべて終わっちゃって」
あのとき、わたしには閉店間際に来た客への気配りをできる余裕がなかった。
十年を超える修行を経て、ようやく小さいながらも自分の店を持てたのだが、ただ料理をすればいいだけではなく、経営することの困難さに神経を擦り減らしていたのだとおもう。
わたしの返事に女性は、微かに悲しげな顔を見せて会釈すると背を向けて歩き出した。
どうしてあんな感覚になったのか、いまも明確には答えられない。だが、この女性をこのまま帰してはいけないと強く感じたわたしは、少し震えているような後姿に駆け足で寄って声をかけた。
「あの……スープだけなら。なんとかしてみるんで。よければどうぞ」
女性は振り返ると、まるで少女のような微笑を見せてくれ、わたしの後ろに続いて店の方へと進んだ。
「ずみまぜん」
わたしは女性を店内に招き入れると、コートを預かって席へと案内をした。
厨房に行き冷蔵庫を空けて確かめると、チキンのスープストックが僅かに残っていた。その他に残っていた少ない食材はパプリカ、玉葱、セロリ、じゃがいも、人参など、ようするに残り物のあり合わせだった。
どうするかと頭をひねっていると、わたしの視界の片隅で女性が涙をこぼしている様子が見えた。
ただ身体が凍えているだけじゃなくて、こころも冷えびえとしていたのだろう。
なんとかして身もこころも温めてあげたい。わたしはそうおもった。
しかし残った食材でどんなものに仕上げられると悩んでいると、自分の食事用に買ったレジ袋に入れたままで冷蔵庫にあった豆腐と牛乳を目にして閃くものがあった。
たんぱく質はすばやく身体を温める。まずはそれだと、わたしはおもった。そして女性が来ていたコートの色がヒントになって、頭の中でレシピが素早く組み立てられた。
スープは鮮やかなオレンジ色で出来上がった。
豆腐と牛乳とチキンスープの取り合わせと、玉葱と人参の甘さ、そしてセロリの青さとじゃがいものなめらかさをうまくバランスよくマッチングさせたと、われながら味見をしておもった。
わたしはホールへと向かうと、女性の座った席に新しいテーブルクロスを敷いて、湯気が立ち上るスープを運んだ。
「おいじい……」
女性は少しの間スープ皿を見つめたあと、ゆっくりとスプーンを口に運ぶと、ため息のようにそうつぶやいた。
「胸の奥が、あだだまるようなズーブでず」
「あなたの着ていたコートの色をヒントにして作ったんですよ」
「ありがどうございまず」
「だから、このスープはあなたとわたしの合作です。すばらしいヒントをくださって、ありがとう」
女性はわたしの言葉にうなづくと、あっという間に皿を空けた。
「また、寒くてたまらないときはスープだけでもいいのでご来店ください。このスープはいつでも出せるようにレシピを頭に刻んでおきますから」
返したコートに袖を通し、代金を支払う彼女は表情に涙の痕跡が消えていた。そして再び感謝の言葉を告げて店を出ていった。
〈食べてくれる人々を笑顔にできる料理を作りたい〉
わたしは小さくなっていくオレンジ色のうしろ姿を見送りながら、自分の店を持ちたいと願っていたころのことをおもい出した。
きっと彼女はこころを窮していたわたしに、神様が少し早めのプレゼントをしてくれたのだろう。あの夜のことがあってから徐々に客足が増え、いまでは評判の繁盛店にまでなった。オレンジ色のスープは人気の品のひとつだ。
夜の灯りに照らされる人影のない静かな自分の店を眺めると、彼女はあれからどうしているのだろうとおもった。
どこから静かにホワイトクリスマスが流れてくる。雪は通りを白く染め始めていた。
また聖なる夜が近づいている。ふと幸せに暮らす彼女が姿を現してくれる、わたくしはそんな気がした。
終
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素敵なおはなしをありがとうございます☺言葉の流れ方が、すごく心地良かったです。
ところで、これとすごく似たような話を、昔読んだことがあるような気がします。思い出せないのですが…。
個人的感想です。人よりひきだしが多い方だから色々とかけるタイプだとは思います、が、せっかく独自の世界観や人間観があれだけ豊穣にあるんだから、もっと悪役を登場させてもいいような気がします。
この作品に関して言えば、謎のお客さんにもっと毒を持たせてもいいかなと。やや善の部分が目立つ気がします。きっと書いてるご本人が良い人なんでしょうね。感想になってなくてすみません。
一度目に読んでみた感想は、
これは心温まるストーリーではないよなぁ、、、でした。
正直に言ってしまえば、心をえぐられるストーリーです。
文字だけを追えば、なるほど
寒い時に温かいスープ飲ませて上げれたのね
そして繁盛したのね 少し尾を引くハッピーエンドね
と思えそうですが、全く違います。
昔から幾度もしてしまった後悔を呼び起こされてしまうのです。
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あの時、この物語に出てくるマスターのように
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Merry Christmas