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凛七星

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第九章

機転

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「よぉ、どぉだ、絵図どおりサクサクいってるみてぇじゃねぇか?」
 まるで、すぐ近くのコンビニへでも使いにやらしたような衛藤の声が携帯越しにケイの耳に響いた。山内のシマを荒らしてこいという命令から与えられた時間の一週間が過ぎている。
「ヤツのすべての店で人気、売り上げトップの女たちを引き抜いて、こっち側の店に渡してるよ。客もずいぶん流れてんじゃないの?」
「おう、そうらしいなぁ。鈴木から報告を受けてる。山内の野郎、泡食ってるぞ」
 そう言うと衛藤は押し殺そうとしても、どうにも抑えられないといった笑い声を漏らしている。
「山内だって誰の仕業か探っているだろうから、いままでより動きにくくはなるけど、もう一週間くれれば最低でもあと四、五人は上玉が落とせると思うけど」
 ケイは、そろそろ衛藤がこのあとどういうふうにケリをつける腹なのか明かさないかと耳を澄ませた。オレをどうする気だ、兄貴?と、いまにも声にしそうだった。
「こんなにスムーズにいくとはおもってなかったからよ、オメェのケツ叩く意味で一週間と期限を切ったんだがな。たいしたもんだぜ。この調子でオメェにもう少し動いてもらうとするか。ただし、このあとはウチが廻した女以外にしろ。それも目につくように派手に立ちまわれ」
「そんなことをしていいのかよ」
 ケイはわざと機転が利かないマヌケぶりを装った。
「かまわねぇよ。ウチが廻した女を引き抜いたとなったらマズい話だけどよぉ、そうじゃないんだったらノーヅラかましてトンスケ打ちゃあいいんだよ。総会までのタイミングに気をつけろぉ。できるだけギリのタイミングでモメるように持ってけ。そんときは山内のところのもんをハツっちまってもかまわねぇからよ。まぁ、オメェがもっとでけぇ勲章を狙うっつうトコマエなところを見せてくれて、山内のタマぁ殺ってくれりゃ、なおのこと好都合だがな。あとはおまえが別荘にちょっと行けば万事カタがつくってこった」
 ケイが刑務所に入れば、今回の絵図を描いたのが誰かという証拠がしばらく挙がることはない。衛藤が本家の若頭補佐に認められることは、すでにほぼ決まった話だ。そのあとになって山内がアヤをつけても、貫目の違いから衛藤は若い連中同士のトラブルということで押し通せる。筋目の格好をつけるため、少しばかりワビを入れれば、それで山内のシマから客を奪えるわけだ。さらにはケイが山内を殺れれば、一気に柱を失った金山を攻めてシマごと獲ることもありえる。山内のいない金山組なら敵ではない。そうなれば衛藤組はさらに大きな勢力になる。たとえ総会で衛藤に対して批判の声が出たところで、しょせんヤクザは力がものを言う。金山が安目を売ったという形で、既成事実として他の幹部連中に状況を認めさせることも難しい話ではないだろう。さらには本家の畑上一家の跡目争いでも、衛藤たちの派閥が担ぐ神輿が有利な立場に立てる。衛藤は得意気にそんな展望をケイに披露した。
「別荘から帰ってきた日にゃぁ、ケイ、おまえも関東の名門畑上一家でもいい顔の衛藤組組員ってことだ。もちろん幹部として迎えてやるよ。ピカピカの金筋だぞ」
 何を言ってやがる……と、ケイは腹の中でおもっていた。
〈あんたはいつでもオレをいいように使うだけ使って、それに見合うものを返してくれたことがあったか?いまの話でも抜けているところがあるだろ。山内との話し合いでケリをつけるためのワビには、トラブルを起こした張本人になる俺を差し出すことが、あんたの懐を一番痛めなくてすむじゃないか。それにムショに俺が入れば兄貴は安心かもしれないが、こっちは中でもタマを狙われる危険があるんだぜ。それともトボけてんじゃなくて、むしろそうなってくれた方が、あとあと都合がいいってことか?〉
 だけど今度ばかりは、いままでのようにはならない。次は自分が衛藤を利用して借りを返してやる。くそったれた自分の人生にケリをつけてやるとケイはおもった。
「金ももうなくなっちまっただろう。いざというときの道具といっしょに、すぐにでもそっちへ届けてやるよ。それじゃあな、しっかり頼むぜ。」
 衛藤はケイの腹のうちも知らずにゴキゲンな様子で電話を切った。結末を迎えるまで、あと三週間しかない。道具という言葉がケイの身を引き締めさせる。いよいよ、ここからが勝負だ。だが衛藤と山内に引導を渡すための決定的な切り札は、ケイの手の内にはなかった。まずは山内が使っていた薬の売人を早く見つけて、身柄を押さえることだ。そのときには、なんとしても金山と直で話をするための機会を作らなければならない。しかし、まだその糸口さえつかんでいない状態である。
 山内と金山の動きに何かあれば知らせるように頼んだ白姫とは、抱いた日の翌朝に別れて以来会っていなかった。電話は二度あったが、とくに役立つ情報は得られていない。焦る気持ちがないといえば嘘になる。今夜は女の引き抜きの件を休んで、街をまわることにしようとケイはおもった。自分の気持ちに弾みをつけようと横になっていたベッドから飛び起き、シャワーを浴びると手早く服を身につけ、連日うろついている街の一角へと向かった。
 いつのまにか陽が沈む時間が早くなり、行き交う人々の服装も色が濃くなっている。頬を撫で脇をすり抜ける風の冷たさに、季節がすっかり移り変わったことをケイは知らされた。そして薄着のままで感じる夜の冷えこみに、少しばかり身体を縮めてみたが、自分の意志をクリアにさせてくれるようで悪くないともおもった。
 空気の匂いが変わり、あたりが独特の闇を漂わせるところにさしかかったケイは、見知ったイラン人の売人に苦笑いしながら声をかけた。
「ここであんまりあからさまに商売してるとな、オレんところの組連中が黙ってないぞ。気をつけろよ」
 ケイにとって、いまは組の利害よりも自分の生き残りをかけた闘いが優先だ。それにバッタもんの合法麻薬のようなものを扱ってるヤツらだ。シメるより見逃して泳がせる方が情報収集には役立つ。ましてやイラン人グループとチャンのところは関係がよくなかった。うまくケツを掻けば何かネタを運んでくれるかもしれない。
「シャシンノ、オトコヲミタヨ…ピン、トイウ、ナマエダッタヤツ」
「なんだとぉ?」
 突然の意外な言葉にケイは驚き、色めきたった。
「それは確かなのか?確かに劉なのか?ガセじゃないだろうな」
 おもわずイラン人の襟元をつかんでケイは語気を強めた。
〈どうしてだ?やっぱチャンのヤツ、オレをハメようとしたのか?〉
「ウワサダト、ムコウデ、ケイサツニ、ツカマリソウニ、ナッタラシイ」
 薬の取引でヘタを打って、予定より早く日本に引き上げてきたのかもしれない。このことは徳山や山内は知っているんだろうか?ケイの身体全体にジワジワと脂汗が浮かび上がる。
「どこで劉を見た?」
「ツーブロックムコウノ、チャイニーズノ、スケベナミセガ、タクサンアル…」
 ケイは最後まで聞き終わらないうちに、短距離走者のようにダッシュした。いまならオリンピックの参加標準記録でもクリアできそうだと妙なことを一瞬考えてしまう。イラン人が教えてくれた場所までそんな勢いで走ると、ケイは肩を大きく上下させ息を整えようとした。ポケットの携帯のバイブが震える。
「もしもし……誰だ?」
「ワタシ。イマ、ヤマウチトカナヤマ、デンワアッタ」
 白姫だった。ヤツらも、もう嗅ぎつけたのか?と、レイは小さく舌打ちをする。
「ヤマウチト、カナヤマ、ケンカミタイ」
「なんだって?どういうことなんだ?」
「ヨクワカラナイ。デモ、ヤマウチト、カナヤマ、ナカヨクナイ。ケンカスル」
「仲がよくない?どういうことだ……それ?」
 ケイにはあまりに唐突なことで話がまったく見えなかった。
〈山内と金山のオジキがモメてる?いったい何があったんだ……〉
「ケイサン、コンヤモ、オンナト、ハナシスルカ?」
 白姫が口ごもって言いづらそうに話をする。
「コンヤモ、ヘヤニ、オンナヨブカ?」
 ケイは何が聞きたいんだと少し苛立った。いまはそれどころじゃない。一瞬でも後手を踏んだらお終いだ。
「悪いが、いまはそのことを話してる時間がない。それより山内とオジキとの間に何があったか、ちょっとでもわかったら、また電話をくれ」
「ワカッテル、デモ…ワタシ、カナシイ。ケイサンガ、ホカノオンナダク、ウレシクナイ」
「バカヤロー!女たちとは話ししかしてねぇよ。そんな心配は余計だぁっ!」
「ホント?シンジテイイカ?」
「ああ、どういうわけかオレもおまえじゃないと、スケベな気持ちにはなれないみたいだ。それよりもいいか、何かつかんだら、すぐ電話しろよ」
 女ごころってのはこんなときでも手間がかかる、そうおもいながらケイは電話を切ると、劉の姿を追って風俗店に一軒ずつ探りを入れていった。
 妖しい誘い文句が添えられた風俗店の看板が、否が応でも目に吸いつく胡散臭いビルが林立する。その間を歩きながら、ケイは衛藤からの電話がもう少し早ければとおもった。この一週間、せっかく命令どおり女の引抜きをして信用させ、山内とカチ合うときのための資金と武器を調達できたというのに、それが必要になるかもしれないこのときに、わずかな時間差でまだ手にしていない。中国人の連中はやることが何にしても過激だった。ケイが追っている劉も素手で街をうろつくとは考えにくい。ましてやチャンのグループは軍の武器を横流しするヤツらともつながっているという噂もあった。いつでも銃の一つや二つ持っていると考えた方がいい。
〈劉にはオレの面が割れてるんだろうか?そうだとしたら、かなり面倒だぞ〉
 ケイにとっては中国人だらけのこの地区はアウェーだ。下手に探りを入れると劉に密告されてしまうだろう。うかうかしていたら逆に襲われる可能性だって高い。とりあえずケイは薬の客を装って、通りで客引きをする女たちに声をかけていくことにした。だが暗がりに身を潜めたり、ネオンサインの毒々しい光に照らされた女たちからは素っ気ない返事が繰り返される。どこだって同じだが、よそ者は警戒されるし嫌われるものだ。
 どれだけの数を当たっただろう。ケイは以前に気立てのよさが気に入って何度か買ったことのある女の姿を見つけると、屈託のない笑顔を作って声をかけた。女はケイに気づくと、男の気を引くためのシナをつくった。
「よう、ひさしぶり。いまは、このあたりで仕事をしてるんだ?」
「三ヵ月ちょっとかな。こんなとこで遭うなんて、どういう風の吹きまわし?」
 ケイは中国女から、流暢な日本語の慣用句を聞くことに苦笑いした。
「ちょっと薬が欲しくてさ。売人の劉が帰ってきて、このへんで遊んでるって小耳に挟んだもんでね」
「あんたジャンキー……じゃなさそうね。商売してるのか?」
「ビジネスマンの方かな」
 女は小鼻で笑ってタバコを取り出し、火をつけて一息つくと煙をケイの顔の前に吐き出して笑った。
「きょうはヒマなんだ。ちょっと遊んでってくれるなら教えてもいいよ」
 ケイは白姫の横顔が脳裏に浮かんだ。複雑な感情も湧き起こる。しかし、いまはそれを振り切った。
「急いでるんだけどな。どこの店だ?」
 女が顔を向けたのは台湾式アロマ・マッサージという謳い文句の店だった。
「ショートでもいいか?」
 いまはこの女に頼るしかないかと、ケイはギブ・アンド・テイクに応じた。
「焦らなくてもいいよ。ゆっくり遊んでって。劉なら朝まで飲んで騒いで女と楽しむはずよ」
 そう言うとケイの手を取って店へと歩き出した。
「ずいぶん日本語が達者にだよな」
「上海の大学で日本文学を勉強してたしね。谷崎や三島、川端の本も読んでるよ」
〈で、いまはこの街の片隅で風俗女ってか……〉
 ケイはため息をつくと、首を少しすくめ女に感心した様子を見せた。
「あんた、ヤクザなのに教養あるね。頭も悪くなさそう」
 店に着き部屋まで案内されて入ると、女はそう言ってケイの首に腕をまわしキスをした。ケイは嫌いではないタイプの女の手管に、ひとまず身を任せることにした。
 男の身体というのは哀しいものだ。どんな切迫した状況が迫っていようが、愛する女が待っていようが、器量のいい女の手にかかれば反応してしまう。ケイは淫らで官能的な時間をたっぷりと味わったが、終わってしまえばこれもまた男の性で、あっという間に熱は下がる。少しは商売っ気を忘れて楽しんだのだろうか。女が余韻にまどろんでいる側でケイは時間を確かめた。およそ二時間ほどのランデブーだった。快楽の澱のようなものをタバコの煙と共に身体から吐き出そうとしていると、テーブルに置いた携帯が震えるのにケイは気づいた。
「あっ、どうもっす。オレ、鈴木の兄貴んとこのもんで……」
「オレに何かようか?」
「衛藤のオヤジさんから、ケイさんに届けるものを預かってんですが、教えられたラブホまで来たんですけどぉ……部屋にいないんで。いまどこにいるんっすか?」
 女と時間をつぶしたのは結果的に正解だったか、とケイはほくそ笑んだ。そのおかげで劉をさらうために使う道具が間に合ったのだ。すぐにもどるから待てと伝え電話を切ると、ベッドで煙草に火をつけた女の指先から、それを受け取った。
「よぉ、ヤツがどこにいるか教えてくれよ」
 女は気だるそうにしながら、店の名前と場所がわかる簡単な地図をホテルの備品であるメモに記した。ここからはそう遠くない。
「素敵な時間をありがとう」
ケイはベッドでまだ淫らな感覚に浸っている女へ、少し道化た素振りでそう言うと枕元に少し色をつけて金を置いた。
「死ぬんじゃないよ。生きててこそ、こうして楽しめるんだから」
「なんで、そんなことを言うんだ?」
「なんとなくね。勝負に出る男たちを何人も見てきたから」
「いい女だよ、おまえ。こんな仕事をさせとくのが惜しいぜ」
 その鋭い勘と頭の回転をケイが褒めると、女はやるせない表情で見つめ返した。
「じゃあ、あんたがあたしを救ってくれる?」
「悪いなぁ。オレには守ってやらなきゃなんない女ができちまったんだ。もう少し早く知り合えてりゃ……な」
 その言葉に女は皮肉っぽさを少し含んだ微笑をして、タバコに火をつけた。
「いい男は、いつもそう言って出て行ったら帰らないんだよ」
 白姫と知り合ってなきゃ、おまえの男になってもいいかもなとケイはおもったが、それを口にすることなく鈴木のところの若いもんとおちあう場所へと向かった。


つづく
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