『競艇放浪記』

凛七星

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第九章

【びわこ篇】

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 それでもどうでも「どっこらしょ」で、わたしは関西へと向かったのである。


 ちょうど、この『競艇放浪記』を始めたころから、わたしの博奕運というのか、勝負のバイオリズムは思惑に対して逆らうように急降下してしまっている。

 前回は長崎の大村くんだりまでGI九州地区選で打つためにギリギリの金を搾り出して行った話をしたが、勝負どころの最終レースでまたも木っ端微塵に粉砕をする負けを喰らってしまい「あらま、このあとどうして生きていけるのでしょうね?」と、途方にくれてしまっていた。

 なにしろ、いまのわたしは放浪の旅人スナフキンなのである。このまま素寒貧では雨露をしのぐこともままならない…と、ほとほと困り果てていた。

 しかし、捨てる神あれば拾う神もあると昔からよく言ったもので、この馬鹿げた放浪記を書き続けてくれと支援してくださる方々が。なんとか「木の葉が舞い散る停車場で…」という古い歌謡曲のフレーズのように、路頭で迷って行き倒れにならずにすんだのは誠にありがたかった。

 個々にお名前を出して感謝の意を表したいのだが、いろいろと差し障りもあるのでここまでにしたい。
 


 それにしても心臓に毛皮のコートを羽織ったような覚悟と度胸(なのか、それは?)で博徒生活を続けるわたしだが、このところの結果に冬の寒気のせいだけではない冷たさに背筋がぷるぷる震えるものがある。

 なんとか身元不明の骸になる危険を回避できたものの、懐中は底冷えするような状態。しかしどうにも逃げられない用件と、やはり年末は一年の総決算である賞金王決定戦が待つ大阪へは行かねばならぬ。

 せっかく関西まで行くのだ。できるものなら用件をこなしつつ、住之江以外の競艇場も顔を出せないものかと年末年始を関西で過ごす都合のよい計算を立ててみた。そして迷い悩んだ挙句に、わたしは十二月になって間もなく九州を発つことにしたのだった。

 それにしても深夜のバスでの長距離は疲れる。音楽をやっていた若いころは小さなマイクロバスで楽器や機材とともに遠距離ツアーをよくしていたが、それはそれで楽しいものがあった。あのころのことをおもえば、現在の格安深夜バスはずいぶんといい装備のものもある。

 しかし、けっこうな年齢になると長い時間シートに身を収めるのはこたえる、と乗車のたびに実感する。情けないが足腰にくるだけじゃなく、まどろむことさえ容易ではない。途中に何度か休憩をするためにサービスエリアへとバスが寄るたび、車外に出て背筋を伸ばしながら煙草と熱い飲み物を手に、わたしは到着までの残り時間を数えていた。



 博多からのバスが神戸、大阪を経由して最終到着地としたのは京都だった。最初の用件までまだ日もあるし、ちょうど隣の滋賀県にあるびわこ競艇場でGⅠ近畿地区選をやっていたため、まずはそこで勝負と決めていた。

 一睡もできずにいた目をこすりつつ、同行しようという関西の競艇ファン仲間と駅で待ち合わせてJR湖西線の電車に乗りこんだ。ローカル線の車内は週末のため朝の通勤通学者は少なく閑散としていたが、アホー鳥と化した二人は周囲の視線など気にもせず当日のレースについて声高らかに語った。

 琵琶湖は鴨の狩猟地で昔から名高い。博奕を愚行とする人たちからすればアホー鳥が鴨のごとく葱と鍋だけでなく、出汁まで背負って撃たれに来たかと見えたに違いない。鴨ならば美味いがアホー鳥なんぞはとても喰えない鍋になりそうだが。

 目的の駅に到着するとケータイのナビを頼りに、比叡山から冷たい風が吹き下ろす湖畔の道をうろうろと歩いた。すると前方に、どうにも明らかすぎる競艇ファンの人影が。わたしたちはニタリと笑み浮かべ、それに続くことにした。

 その道すがらで「鯉料理、鯉の生造り、焼肉、ホルモン」と、いったい何の店なんだかな看板である。店構えからすると、そこそこ繁盛はしているのだろう。競艇で勝った連中たちが祝杯をここでよく上げているのかもねと推測して「もし今日の勝負の結果次第では立ち寄ってもいいか」なんてここに至ってどうしてそんな甘い考えを?わたしは口にしながら開門前の入場口で列をなす競艇場に到着した。



 びわこ競艇場は国道沿いに建てられた、なかなか設備が整った本場である。一般席には畳敷きのシルバーシートもあって、くつろいでレースを観戦する年配のファンたちが。

 ところで大半の一般席がペアシートになっているのがどうも腑に落ちない。まさかデートスポットになっているわけでもあるまい。カップルの姿が多い様子もない。多くの本場同様に、勝負に余念がない連中たちがほとんどである。

 むしろそんな男どもが運よく手に泡銭をつかんだ日には、すぐ近くの全国的に有名なアワアワあわわな特殊浴場が密集する雄琴の地で、フェロモンがむんむんでエロスなお嬢さんたちと戯れる絵を脳裏に描く輩も少なくないはずだ。まぁ、泡銭をソープできれいに落とすというのは、よくできた話ではある。

 それはともかく、びわこ本場は食堂や売店のメニューが豊富でありがたい。おにぎりやサンドイッチといった軽食や、ご当地色のある弁当、巻き寿司など腹の虫を十分なだめられるものから、ビールのつまみにおでんや天ぷらコロッケに唐揚げ、口寂しさをまぎらせる菓子や果物までなかなかのラインアップだ。

 また四階には窓際の席から競走水面だけでなく、観光船ミシガンが優雅に航行する風景を見渡しながら食事ができる展望レストランもある。が、残念ながら懐具合の寂しいわたしには、それらを楽しむ余裕がない。

 乏しいタネ銭を握りしめながら出走表に目を配らせてレース予想をしていると、そんな様子を哀れに感じたのか自分だけでは気が引けたのか、同行していた者がビールと焼き鳥をわたしの分も買ってくれた。おまけに冷えてくると、用意してきた缶の底を押すと燗酒になるというものまでもらった。

 情けないやら、ありがたいやらである。しょっぱい味ばかりが口に広がったが、飢えと足元の寒さは少しばかり和らいだ。



 十二月の十八日から二十三日にかけて開催される賞金王決定戦とシリーズ戦の直前には全国各地でGⅠ地区戦が行われる。

 この地区戦では来年春のSG総理大臣杯の出場権を賭けた選手たちと、あとに控える大一番への出場組がライバルの動向を探りつつ弾みをつけようと激しく闘う。

 びわこの近畿地区戦は北陸の三国競艇場をホームにする選手まで含めているから、とりわけレベルが高いレースが繰り広げられる。

 しかもこの日は準優勝戦があった。わたしが注目していたのは大阪勢の王者・松井と、今年SG載冠を果たし初めて賞金王決定戦へ駒を進めた若手のホープ・石野の両者が激突するところだ。とりわけ今年は世代交代を印象づけるほど、若手の台頭が目立った。

 SG戦では総理大臣杯が中国地区の山口、笹川賞では九州地区の岡崎、オーシャンカップでは近畿地区の石野と、各地区の二十代選手が優勝を手にしている。三者とも初の賞金王決定戦に出場が決まっていたが、中でもここにきて調子を上げていたのが、大阪の石野だった。

 第1レースから打って出て勝った負けたを繰り返すうち、つるべ落としの陽が彼方で姿を消さんとする時刻になっていた。収支は若干のプラスである。

 そして最終の12レース、最後の準優戦は1コースに1号艇で、ここまでトップの成績を残す王者・松井が悠然と構えていた。石野は4号艇でダッシュスタートの4コースのカド。

 オッズは圧倒的に松井へと傾いてる。わたしは同行者に石野がまくると言いきり、その日のプラス分をすべて頭にして賭けた。

 大時計が針が速度を上げるような緊張感と、スタートタイミングを知らせる。各艇あまり差のないスタートだったが、抜群のモーターパワーで石野がグンと伸びて艇身を前にした。

「いけっ!石野っ、まくれっ!」

 わたしは大きな声で叫んでいた。勝負どころの1マークで石野は松井の舳先を見事に抑えきってターンした。だが、おそらく彼は王者に勝つことだけへ意識が向いてたのだろう。旋回したとき、ややターンが膨らんだところを展開待ちしていた外側5コースの山本に差されてしまった。

 しかし、それはわたしも想定の範疇で5を頭にした舟券も買い足そうとした……が時間が間に合わなかった。結果は4ではなく5が一等の大穴になって、同行者はわたしが予想しながら買い足せなかったことをしきりに惜しんだが、博奕の結果はともかく、わたしは若武者が王者をねじ伏せたことに爽快さを感じていた。帰りに美味いかどうかわからない謎の店には寄れなかったが、なぜか頬を緩めてしまうわたしだった。



 翌日、びわこでの優勝戦をわたしはネットで観戦していた。前日同様に優勝戦も壮々たる顔ぶれである。1号艇には今垣、2号艇には中島と北陸の雄が牙を剥いて立ちはだかっている。3号艇には準優勝戦で展開をついて勝利を手にした兵庫の山本が。4、5号艇には地元の意地を見せたい実力者の守田と若手の気鋭である吉川喜継が虎視眈々と狙いを定める。石野は一番不利な大外6コースだ。

 さすがにここは石野の優勝はないと読んで、わたしは彼の2、3着の目でしか舟券を買わなかった。が、しかし結果はわたしの予想を裏切るものだった。

 スタートでやや遅れを取ったものの、石野は1マークをターンしたあと先頭を競う今垣と守田を、外から追いきると2マークで両者の間に舳先を捩じこみ、そのまま突き抜けてトップに立った。

 実に天晴れな走りで感嘆の声を上げると同時に、わたしは最後まで石野の勝利を信じきれなかった自分自身が情けなかった。ずっと応援をしてきたのであれば、例え敗北を覚悟でもここでは彼の勝利を想定した舟券も買うべきであろう。

 己の不甲斐なさに叩きのめされた気がした。勝負は、闘いは気迫と信念が肝心である。わたしは若い競艇選手にその肝心を叩きつけられて、博奕の負けより大きく強い教訓をあらためて噛みしめさせられた。


つづく

※このエッセイは約10年前に書いたものに手を入れて掲載しています。
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