罪の在り処

橘 弥久莉

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第二章:僕たちの罪

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 「……実は僕、強迫性障害という心の病を
抱えてるんです」

 「心の病?」

 「はい」

 あまりに意外過ぎたのだろう。
 彼女は目を見開き、食い入るように僕を見
つめている。僕は自嘲の笑みを浮かべて僅か
に目を伏せると、臨床心理士としての知識を
口にした。

 「強迫性障害というのは、実際には起こっ
ていない事象に対して過剰に不安感を抱き、
その不安を解消するために何度も同じ行為を
繰り返してしまうという心の病気なんです。
発症の要因は生育歴とか性格とかが関係して
いることが多いんですけど、僕の場合は過去
に受けた強いストレスが引き金になっていて。
自分の意思に反してそのことを思い出してし
まうと、手を洗わずにはいられなくなってし
まう。何度も、何度も。止めようと思っても
その行為は簡単に止められない。だから……
こんな風に手がぼろぼろに」

 カサカサにひび割れた両手を、彼女に翳す。
 その手を労し気に見つめる彼女に、僕はま
た自虐的に言った。

 「滑稽ですよね。自分の病も治せない僕が、
加害者家族の相談にのってるなんて」

 言って口を引き結んだ僕に、彼女は静かに
首を振る。そして、そんなことないです、と
控え目な声で言うと、でも、と言葉を続けた。

 「不安を解消するためって、どうして卜部
さんは手を洗いたくなってしまうんでしょう。
あ、ごめんなさい。わたしったら、立入った
ことを訊いてしまって」

 慌てて言葉を取り消す彼女に、僕は微笑を
向ける。そして小さく息をつくと、まだ血の
滲む手に目を落とした。

 「『儀式』なんです。僕が手を洗うのは」

 「……儀式」

 「手を洗って指の間に残るある感触が消え
てくれれば、僕は、あいつが死ぬ前に戻れる。
そんなこと、あるわけないのにその妄想に憑
りつかれてしまうと抗えないんです。だから、
僕はあの感触が手に蘇えるたびに『儀式』を
繰り返してしまう。自分でもこの病を治そう
と薬物療法や認知療法を試したんですけど、
なかなか難しくて」

 こんな重い話、突然聞かされたところで困
るだけだろう。そう思い盗み見るように彼女
を見れば、慈愛に満ちた眼差しが僕を待って
いた。

――だから気付いてしまう。

 僕に負けないほどの心の傷を、彼女も負っ
ているのだということを。こんな風に他人の
闇を穏やかに受け止められるほどに、彼女も
また心に深い傷を負っているのだろう。

 「すみません、困りますよね。突然こんな
話されたって」

 「いいえ、全然。こんなこと言ったら失礼
かも知れないんですけど、実はちょっと安心
したんです。卜部さんのように、誰かのため
に戦えるような強い人でも、こんな心の傷を
背負っているんだって思ったら、何だかほっ
としたというか。わたし、性格悪いですね」
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