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第四章:心に触れる

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緊張で指先は冷たいのに、顔だけが熱い。

蛍里は両掌りょうてで頬を包むと、しんと静まり返った

フロアを見渡した。大きく揺れたわりに、落下した

物は少なかった。ところどころ、鉛筆立てが倒れたり、

スチール棚の上に積み上げられていたファイル

が落ちたりはしているけれど………

蛍里は、不意に、その光景を見てはっとした。

自分がしゃがんでいた場所に、分厚いファイル

が二冊落ちている。あの場所に落ちている

ということは、自分を庇った専務の背に当たった

のではないだろうか?蛍里は唇を噛んだ。

「大丈夫」と、そう言ってくれた専務の声が耳に

甦る。その声を、あの腕を、思い出すだけで、

どうにも息が苦しくなる。



-----ダメだ。



蛍里は目を閉じた。



-----この想いに気付いては、ダメだ。



蛍里は瞼の裏に浮かぶ専務の顔を、打ち消そう

と努力した。その時だった。

「折原さん、大丈夫?」

突然、自分の名を呼ぶ声がして、蛍里は目を

開けた。見れば、滝田が心配そうな顔をして

自分を覗いている。蛍里は見知った顔にほっと

しながら、滝田くん、と名を呼んだ。

「うん。大丈夫、ちょっと揺れが長かったから、

目が回っちゃって……」

それは、あながち嘘でもなかった。

大きな横揺れが長かったこともあって、船酔い

のような気持ち悪さがある。どちらかというと、

蛍里は三半規管が弱かった。

「ああ、地震、長かったもんな。まさか、こんな

時間まで折原さんが残ってると思わなかったから、

知ってればすぐにこっちに来たんだけど。

怖かったよな。地震も、地震速報のアラームも。

たまたま、専務が一緒にいたみたいだから、

良かったけどさ」

そう言って、鼻を擦りながらフロアを見渡した

滝田に、蛍里はぎこちなく頷いた。滝田の口から

という言葉が出て、どきりとする。

きっと、社内を確認しに行った専務が、自分の

元に行くようにと、滝田に指示をしたのだろう。

すぐに戻ると言っていたけれど、各部署を確認

して戻るには、少し時間がかかる。そう、思って

いた時だった。廊下の方からパタパタと足音が

近づいてきた。榊専務だ。蛍里は入り口に目を

やった。

「遅くなりました。大丈夫でしたか?」

息を切らしながらそう言った専務に、蛍里は、

はい、と笑んで見せた。専務が頷いて滝田を見る。

滝田は腰に手をあてて、蛍里の横に立っている。

「経営企画の方も2人残っていました。販促が

4人だから、全部で8人ですね。電車も止まって

いるようですし、僕の車と営業車の二台で帰りま

しょう。滝田さんと折原さんは、僕が送ります」

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