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第五章:人と妖と

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 「合同練習の度に、玄関の靴を何とか出来
ないかと考えたものだけど。いい案が浮かば
なうちに辞めることになってしまったわ」 

 靴を揃えていた手を止め、古都里はかほる
を覗き見る。箏の見学で顔を合わせた日から
まもなく、遠方に住む母が倒れたことをきっ
かけにかほるは箏曲を辞め、来週には実家の
ある東京へ引っ越すことが決まっていた。

 天狐の森に入会した古都里と入れ違いにな
る形でかほるが辞めてしまったから、顔を合
わせるのはあの見学の日以来だ。古都里は何
と言っていいかわからずに目を伏せると、
「残念ですね」と、口にした。

 その時、階段から軋むような足音がしたか
と思うと大きな人影が古都里を覆った。かほ
るの目が見開かれたのを見、不思議に思って
振り返れば、やや神妙な顔つきをした雷光が
立っている。

 「あれ、雷光さん。お帰りですか?」

 まだお稽古は終わっていないのにと思いな
がら訊くと、雷光は、いいや、と首を振った。

 「二階のベランダから歩いてくるのが見え
たからよ。ちょっと、その挨拶に来たんだが」

 ぽりぽりと頭を掻きながら言ったその顔は、
昼間、延珠に食って掛かった温羅と同一人物
とは思えない。雷光とは今日出会ったばかり
だけれど、彼の態度がいつもの彼らしくない
ことは、鈍感な古都里でも何となくわかった。


――いったい、どうしたというのだろう?


 首を傾げながら雷光を見上げていると、彼
はかほるに面映ゆい表情を向けた。

 「久しぶりだな。元気だったか?」

 「ええ、お陰さまで。雷光さんは?」

 「ああ、俺も変わりなくやってる」

 「そうですか、良かった。あの、雷光さん
がみたらし団子を持って来てるだろうと思っ
てわたし、瀬戸内のエビせんべいをお茶菓子
に持って来たんです。甘辛いお団子のあとに、
エビせんべいならお口に合うかと思って」

 瀬戸大橋を背景に、威勢のいいエビが二匹
描かれた紙袋を見せると、雷光が目を細める。

 そうして、掌の汗を拭うように右手を服に
擦り付けると、かほるに手を差し伸べた。

 「靴脱いで掴まれや。俺が引っ張ってやっ
から」

 その言葉に頷き、かほるは玄関先で靴を脱
ぐと雷光に手を伸ばす。二人の手ががっちり
繋がれたかと思うと、かほるの体は雷光に引
き寄せられるように、ふわり、と玄関のアプ
ローチへ舞った。彼女の体を支えるように抱
き留めた雷光と、その腕の中で頬を染めてい
るかほるの姿はまるで恋人たちのそれで……。

 古都里は自分がこの場にいることさえ、申
し訳なくなってしまう。

 「ありがとうございます」

 「いや。じゃあ、皆に挨拶に行くか」

 「はい。古都里ちゃん、また後でね」

 古都里に会釈をし、雷光に促されるように
階段を上がってゆくかほるを茫洋と見上げた。

 すると、彼らとすれ違うように来客用の湯
呑を盆に載せた飛炎が階段を下りてくる。
 古都里ははっとして飛炎に近づくと、済ま
なそうにそれを受け取った。
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