91 / 107
第八章:インナーチャイルド
89
しおりを挟む
いつか読んだ心理学の本に、
『インナーチャイルド』という言葉があった。
直訳すると、『心の中の子ども』という意味
だが、ありのままの気持ちを家族に表現でき
ず、ネガティブな感情を抱えたまま自分らし
く生きられなかった子どもをそう呼ぶのだとか。
けれど、インナーチャイルドの多くが抱える
『親に愛されていない』という想いは、その
ほとんどが子どもゆえの誤解なのだという。
子どもには、目に見えない人の心の裏側を
推し量るだけの器量がないので、親が表面的
に見せる言動だけで『自分は愛されていない』
と思い込んでしまうからだ。そして、全ての
親が完璧ではなく、愛していても伝え方がわ
からなかったり、自信が持てなかったりする
ことが『心のすれ違い』の要因となってしま
うらしい。
結局のところ、この年になるまで母の心の
裏側を知り得なかった俺も、きっと、未熟な
一人の子どもに過ぎなかったのだろう。
俺は右手に縋りつくようにして泣いている
母に、ぼそりと呟いた。
「……赤が好きだよ」
その声に母がゆるりと顔を上げる。
向けられた顔は、いままで見てきたどんな
母の顔よりもボロボロで、ぐちゃぐちゃで、
なのにその顔が一番『母らしい』などと思っ
てしまう。俺は涙が乾きはじめたばかりの頬
を緩めると、穏やかに言った。
「……俺は赤が好きだよ。赤は、母さんの
色だから」
瞬間、母の目から、ぶわっ、と涙が溢れ、
母は子どものように声を上げて泣き出してし
まった。俺は母が泣き止むまでずっと、ぽつ
ぽつと幾何学的な点が散らばった白い天井を
睨み、唇を噛みしめていた。
――それから二日後、俺は退院した。
母と病室を出る直前に訪れた警察の話によ
ると、火災の原因は、ベッドのヘッド部分に
置いていた照明器具が何らかの拍子に倒れ、
布団が発火したというものだった。俺が駆け
付けた時にはすでに父が絶命していたことを
聞かされたのも、その時だ。
父は苦しむことなく、眠ったまま人生を終
えたことがせめてもの救いだった。
翌日、しめやかに父の告別式を終えると、
俺と母はしばらくの間、事後処理に追われる
こととなる。火災保険の臨時費用でホテルを
借り、母はそこを拠点にさまざまな手続きで
奔走した。
俺は火災調査の済んだ家にひとり向かい、
焼け跡からわずかな思い出を拾い集めた。
奇跡的に燃え残った金庫の中には、少しの
現金と通帳。その他に家の登記簿や保険証書、
そして父が若いころ使っていた、前時代的な
丸メガネが残されていた。それを手にホテル
へ戻ると、母は疲れた顔をしながら父のこと
を語り始めてくれる。
『インナーチャイルド』という言葉があった。
直訳すると、『心の中の子ども』という意味
だが、ありのままの気持ちを家族に表現でき
ず、ネガティブな感情を抱えたまま自分らし
く生きられなかった子どもをそう呼ぶのだとか。
けれど、インナーチャイルドの多くが抱える
『親に愛されていない』という想いは、その
ほとんどが子どもゆえの誤解なのだという。
子どもには、目に見えない人の心の裏側を
推し量るだけの器量がないので、親が表面的
に見せる言動だけで『自分は愛されていない』
と思い込んでしまうからだ。そして、全ての
親が完璧ではなく、愛していても伝え方がわ
からなかったり、自信が持てなかったりする
ことが『心のすれ違い』の要因となってしま
うらしい。
結局のところ、この年になるまで母の心の
裏側を知り得なかった俺も、きっと、未熟な
一人の子どもに過ぎなかったのだろう。
俺は右手に縋りつくようにして泣いている
母に、ぼそりと呟いた。
「……赤が好きだよ」
その声に母がゆるりと顔を上げる。
向けられた顔は、いままで見てきたどんな
母の顔よりもボロボロで、ぐちゃぐちゃで、
なのにその顔が一番『母らしい』などと思っ
てしまう。俺は涙が乾きはじめたばかりの頬
を緩めると、穏やかに言った。
「……俺は赤が好きだよ。赤は、母さんの
色だから」
瞬間、母の目から、ぶわっ、と涙が溢れ、
母は子どものように声を上げて泣き出してし
まった。俺は母が泣き止むまでずっと、ぽつ
ぽつと幾何学的な点が散らばった白い天井を
睨み、唇を噛みしめていた。
――それから二日後、俺は退院した。
母と病室を出る直前に訪れた警察の話によ
ると、火災の原因は、ベッドのヘッド部分に
置いていた照明器具が何らかの拍子に倒れ、
布団が発火したというものだった。俺が駆け
付けた時にはすでに父が絶命していたことを
聞かされたのも、その時だ。
父は苦しむことなく、眠ったまま人生を終
えたことがせめてもの救いだった。
翌日、しめやかに父の告別式を終えると、
俺と母はしばらくの間、事後処理に追われる
こととなる。火災保険の臨時費用でホテルを
借り、母はそこを拠点にさまざまな手続きで
奔走した。
俺は火災調査の済んだ家にひとり向かい、
焼け跡からわずかな思い出を拾い集めた。
奇跡的に燃え残った金庫の中には、少しの
現金と通帳。その他に家の登記簿や保険証書、
そして父が若いころ使っていた、前時代的な
丸メガネが残されていた。それを手にホテル
へ戻ると、母は疲れた顔をしながら父のこと
を語り始めてくれる。
0
あなたにおすすめの小説
『 ゆりかご 』
設楽理沙
ライト文芸
- - - - - 非公開予定でしたがもうしばらく公開します。- - - -
◉2025.7.2~……本文を少し見直ししています。
" 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始
の加筆修正有版になります。
2022.7.30 再掲載
・・・・・・・・・・・
夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・
その後で私に残されたものは・・。
――――
「静かな夜のあとに」― 大人の再生を描く愛の物語
『静寂の夜を越えて、彼女はもう一度、愛を信じた――』
過去の痛み(不倫・別離)を“夜”として象徴し、
そのあとに芽吹く新しい愛を暗示。
[大人の再生と静かな愛]
“嵐のような過去を静かに受け入れて、その先にある光を見つめる”
読後に“しっとりとした再生”を感じていただければ――――。
――――
・・・・・・・・・・
芹 あさみ 36歳 専業主婦 娘: ゆみ 中学2年生 13才
芹 裕輔 39歳 会社経営 息子: 拓哉 小学2年生 8才
早乙女京平 28歳 会社員
(家庭の事情があり、ホストクラブでアルバイト)
浅野エリカ 35歳 看護師
浅野マイケル 40歳 会社員
❧イラストはAI生成画像自作
(学園 + アイドル ÷ 未成年)× オッサン ≠ いちゃらぶ生活
まみ夜
キャラ文芸
年の差ラブコメ X 学園モノ X オッサン頭脳
様々な分野の専門家、様々な年齢を集め、それぞれ一芸をもっている学生が講師も務めて教え合う教育特区の学園へ出向した五十歳オッサンが、十七歳現役アイドルと同級生に。
子役出身の女優、芸能事務所社長、元セクシー女優なども登場し、学園の日常はハーレム展開?
第二巻は、ホラー風味です。
【ご注意ください】
※物語のキーワードとして、摂食障害が出てきます
※ヒロインの少女には、ストーカー気質があります
※主人公はいい年してるくせに、ぐちぐち悩みます
第二巻「夏は、夜」の改定版が完結いたしました。
この後、第三巻へ続くかはわかりませんが、万が一開始したときのために、「お気に入り」登録すると忘れたころに始まって、通知が意外とウザいと思われます。
表紙イラストはAI作成です。
(セミロング女性アイドルが彼氏の腕を抱く 茶色ブレザー制服 アニメ)
題名が「(同級生+アイドル÷未成年)×オッサン≠いちゃらぶ」から変更されております
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる