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第二幕 『黒き山と五つの呪詛』

プロローグ

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第二幕 『黒き山と五つの呪詛』


 プロローグ


 山頂に近い林の中である。木々の枝葉の向こう側に、白くなった空が広がっていた。 
 ひんやりとした空気に包まれた山中の草葉は、朝露で濡れていた。白い影が歩くたびに、葉っぱについた露が散って、地面に染みを作っていく。
 山頂に差し掛かったところで、白い影が歩みを止めた。


〝話に聞いたとおり、強い龍脈だ〟


〝だけど、ちょっと整いすぎだね。もっとごちゃごちゃしてるほうが、好みかな〟


〝そうかもなぁ……今度の黄龍は、素直か純朴か……とにかく、儂らにとっては鼻につく者なんだろうなぁ〟


〝つまらん。もっと悪党のほうが面白い〟


〝そんなことを言って、戦いたいだけだろうに〟


 ぼそぼそとした五つの声が、しばらくのあいだ話を続けていた。
 やがて話も尽きたころ、最初の声が短く告げた。


〝では、やるか。この地を――我らが住みよい場所に変えよう〟


 それに同意する四つの声が重なると、白い影は再び歩き始めた。

   *

 俺――烏森堅護は、土間にある台所で大根を切っていた。
 元専門学校生――の一八歳。相変わらず手入れをしていない黒髪に、二重の目。平均的な日本人顔――いや、平均くらいはあるとは思いたい。
 昼ご飯の準備で、まな板の上で野菜を切っているわけだけど……桂剥きみたいな、具材を廻しながら表皮を剥くのはできない。せいぜい、包丁をピーラー代わりにするくらいだ。
 製菓は学んできたけど、こういう料理はほとんどやってきてない。ぶきっちょなりに精一杯やってるつもりだけど、かなり手間取っている自覚はある。
 そんな俺の横では、腰まである黒髪に着物を重ね着した少女が、鍋で味噌を溶いていた。
 小町桜の精霊――妖の墨染お姉ちゃんだ。

 妖界という世界がある。

 妖たちが暮らす世界の総称、ということらしい。
 人界――妖界における、俺が暮らしていた世界の呼び名だ――で暮らしていた俺は、ひょんなことからから、妖界に迷い込んでしまった。
 そこで天狗の転生とか血を受け継ぐ者とか言われ、なにやら大事件に巻き込まれた。
 墨染お姉ちゃんと再会したのは、そのときだ。
 一緒に事件を解決してから、もう二十日近く経つ。墨染お姉ちゃんとは、徐々に一緒にいる時間が長くなってきている。

 今日は初めて、一緒にお昼御飯の準備をしているんだ。
 墨染お姉ちゃんは、大根の皮を剥くのに手こずっている俺を見て、柔らかく微笑んだ。


「堅護さんは、休んでいてもよろしいのですよ。次郎坊との訓練で、お疲れでしょう?」


「あ、でも、墨染お姉ちゃんだけにやらせるのは、なんか悪いし……」


「そうですか?」


 墨染お姉ちゃんはそこで、僅かに目を伏せた。
 どうしたんだろうって思っていると、鍋を掻き混ぜる手を止めた墨染めお姉ちゃんが、少し寂しげな顔をした。


「あきちは……妖ですから。人が食べないものを入れたりしないか、心配なさってるのではありませんか?」


「ち、違うよ!」


 俺は勢いよく顔を上げると、墨染お姉ちゃんの言葉を否定した。あとは……説明。俺が料理を手伝っている理由を、ちゃんと説明しなきゃ。
 そう思ってはいるんだけど、恥ずかしくなってきて、上手く言葉にできなかった。
 顔が真っ赤になるのを感じながら、俺はまな板に向き直って、切りかけの大根に目を落とした。
 そして、数度の深呼吸。


「え、えっと……その、手伝いたいのは……ね。墨染めお姉ちゃんと一緒に、料理をしたいって思った……だけ」


 なんとなく墨染お姉ちゃんの目が、僅かに見開かれたのがわかった。
 恥ずかしさから、俺は無言で輪切りにした大根の皮剥きを再開した。そんな俺に、墨染お姉ちゃんは、明るい声で俺に話しかけてきた。


「堅護さん、お顔を上げて下さいな。嬉しいことを言って頂けたんですもの。お顔を見ながら、お話をしたいですから。ね?」


 俺が顔を上げると、頬を桜色に染めた墨染お姉ちゃんが、目を細めるようにして微笑んでいた。両手の指を合わせるようにしながら、ほうっと吐息をついた。


「堅護さん。あきちと一緒に、美味しい御飯を作りましょうね」


「う……うん」


 墨染お姉ちゃんに微笑まれると、未だに顔が熱くなる。頭の中が熱を持ったように渦を巻き、思考が定まらない。
 心臓がバクバクと鼓動している俺に、墨染お姉ちゃんは近寄ってきた。


「夕餉ときも、お手伝いさせて下さいね」


「う、うん。ありがと――」


「そのあとは、お背中を流しますね」


 その墨染お姉ちゃんの言葉に、俺は思考が停止しかかった。

 背中を流すって……一緒にお風呂?

 心臓が限界を超えそうなほどの鼓動をし始めたとき、けたたましく家の引き戸が開けられた。


「そこまでぇぇぇぇ! すたぁぁぁっぷ! すたぁぁぁぁぁっぷ!!」


 入って来たのは、黒髪をアップで纏めたメイド姿の女性――アズサさんだ。
 アズサさんは呆気にとられた俺たちの前まで来ると、腰に手を当てた。


「嶺花さんからのお達しをお忘れですか? 色恋自体は構いませんが、堅護さんには修行を優先して欲しいんです。ですから、まあ接吻くらいはいいですが、肌を重ねるとか、理性の箍が外れそうになる行為はご遠慮下さい」


「だからといって、監視するような真似をして……そこまでして止めに入るなんて、無粋ではありません?」


 不満を漏らす墨染お姉ちゃんに、アズサさんは左手を握り締めながら、苦悩を露わにした。


「あたしだって、やりたくてやってるわけじゃないんですよ。お二人の様子を何度も覗き見しながら、そこだ墨染さん、堅護さんを押し倒すなら今だって、何度思ったことか」


「あ、俺は押し倒されるほうなんですか」


 しかも何度も覗き見をしたとか、なにげに怖いことを口走った気がする。
 そんな俺の言葉に、アズサさんはキッと表情を引き締めた。


「当たり前です! 攻めの堅護さんなんて、堅護さんじゃありません! 脱がすより脱がされる側、縛るよりも縛られる側。それが、あたし……いえ、人里にとっての堅護さんであるべきなんです!」


 ……なにを言ってるんだ、この人。

 訳の分からないアズサさんの力説に、俺は頭痛を覚えていた。

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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます。

わたなべ ゆたか です。

プロットに時間がかかってしまいました……。やっとの第二幕開始です。

ただですね。仕事の状況的に、週二回のアップになると思います。前回は書き溜めというか、書いてあるのをアップしていくだけでしたが、今回は書きながらのアップになりますので……その旨、御了承をお願い致します。

一回のフォーマットも3000文字以下で行こうと思うのですが……プロローグから2000オーバー。
油断するとコレです。時折、3000文字超えになるかもしれません(滝汗

後書きっぽいここは、二回に一回くらいで書いていこうと思います。早々ネタがないですし……。

少しでも楽しんで頂けたら幸いです。

次回もよろしくお願いします!
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