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第三幕 『呪禁師の策と悲恋の束縛』

一章-4

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 反物屋で新しい帯の仕立てを頼んだ墨染は、日の沈んだ人里の町を歩いていた。
 この町を治める嶺花の屋敷に身を寄せて、もう二月近くにもなる。町の住人たちも墨染のことを知るようになり、同衾を目的とした男衆たちが声をかけることも減っていた。
 月明かりの下、手の中にある山菜の天ぷらを包んだ和紙に目を落とした墨染は、小さく微笑んだ。


「堅護さん、喜ぶかしら。ふふ――早く帰らないと、心配させてしまうわね」


 樹霊である墨染は、油を使った料理を好まない。天ぷらも、堅護が美味しそうに食べるから買うだけで、墨染が口にするわけではない。
 唯一の例外は、堅護が作る御菓子の類いだ。堅護が作る洋菓子には愛情が感じられて、墨染自身も不思議に思うほど、パクパクと口に運んでしまう。
 恋愛事――特に身体の触れることには、がっつく気配のない堅護には焦れるときもあるが、彼なりの愛情があることは、洋菓子を食べることで察することができる。
 包みから感じる暖かさに、墨染が堅護の笑顔を思い浮かべたのは、人里の大通りを離れた直後だった。
 最近では、神出鬼没な侍を警戒して、夜の人通りは稀である。
 歩幅の大きい草履の音が聞こえてきて、墨染は笑みを消した。今はアズサとタマモ、そしてタマモの舎弟二人が町の見回りをしているが、人数が少なくて全域を把握するのは難しい。
 墨染は包みを持っていない右手に桜の枝を生み出すと、足音のする方角を見た。


(――あれは……確かに、お侍さんのように見えるけれど)


 早足に近づいて来る侍の影は、墨染の手前で刀の柄に手を伸ばした。


「女――要石のことを知っていたら、教えて頂きたい。できれば、女を相手に手荒なことは控えたい」


 侍の声に、墨染の顔から表情が消えた。
 声だけではない。口調や物腰――それらすべてが記憶と重なり、墨染の心を掻き乱し始めていた。
 手にしていた包みを落とした墨染は、わなわなと震える唇で、ただひと言だけ発した。


「安貞……様?」


「その声は――まさか、小野小町姫……か?」


 刀の柄から手を離し、侍が墨染に近寄った。
 墨染は端正な顔つきの若侍――江戸時代での恋仲だった相手だ――を見て、その黒い瞳に涙を浮かべた。


「あちきは今……墨染と名乗っております」


「墨染……いや、しかし、その姿は当時より若返っておるように見えるが」


「あちきは小町桜の精……この身体は、新しく宿った桜の木から得たもので御座います」


「桜の精……まあ、それはいい。幾星霜の時を経て、おまえと再会できるとは……こんな幸運、二度とはないだろう」


 安貞は歓喜を露わにして墨染の両肩を抱こうとしたが、寸前のところで目に見えぬなにかに弾かれたように、両手が弾かれてしまった。
 自分の肩の高さで動きを止めた両手を交互に見る安貞に、墨染は目を瞬いた。


「安貞様、如何なされたのですか?」


「……すまぬ。拙者は今、訳ありの身でな……立ち話ができる内容でもないのだ。よければ、拙者とともに来てくれぬか?」


 安貞の頼みに、墨染は少しだけ戸惑った顔をしたが、彼と目を合わせると小さく頷いた。


「そいつは良かった。さあ、こっちだ」


 安貞は墨染を促しながら、人里の西へと歩き出した。
 西門から町を出ると、その先にある森の中へと入る。流石に不安になったのか、墨染は左横にいる安貞へと問いかけた。


「安貞様、どちらへ行かれるのでしょうか?」


「この先に、拙者が暮らして――いや、寝泊まりしている廃寺があるのだ。灯りなどはないが、そこでなら落ちついて話ができる」


「廃寺……」


 堅護やタマモと行った廃寺のことを思い出し、墨染は僅かに表情を曇らせた。
 そんな気配を察したのだろう、安貞は大袈裟な身振りを交えながら、墨染への説明を始めた。


「いや、なに。掃除はしているから埃っぽくはないし、少々穴も空いているが、風通しがいいと思えば、なんてことはない」


 その慌て方が昔のままであることに、墨染は懐かしさと安心感を覚えた。クスッと微笑むと、安貞も安心したように胸を上下させた。
 しばらくして、廃寺の中に入った墨染と安貞は、板張りの床に腰を降ろした。


「座布団などがなくて、すまねえな。我慢しておくれ」


「いえ。あちきは大丈夫です。それより……安貞様は殺されたと聞いておりました」


「ああ……その通りだ。これを見てくれ」


 安貞が目を閉じると、ふっと身体が半透明になって数十センチほど宙に浮いた。元の場所では、関節を縄で繋がれた木製の人形が床に倒れていた。
 半透明の姿になった安貞は、自分の身体のことを「俺は幽霊でな」と告げた。


〝殺されたら成仏するものだと思っていたが、俗世に未練があったみたいでな。幽霊として化けて出てはいなかったが、現世に取り残されていたのだ〟


「でも……なぜ妖界で幽霊などになられたのですか?」


〝よくはわからぬことなのだが……ある御方が、俺の身の上を不憫に思ったようでな。この世界……ああ、確かに妖界と言っていたな。とにかく、この世界で復活させてくれるようなのだ。
 ただし、その代わりに一仕事を終えねばならぬが〟


「それが、要石と関係あるのですね?」


 墨染の言葉に、安貞はぎこちなく頷いた。


〝そういうことだ。すべての要石を探し出し処理をするのが、俺の仕事らしい。あの御方が言うには、悪いことをするわけではないらしい。あの要石は、色々と邪魔な代物のようでな。無いほうが都合がいいということだ〟


「邪魔な代物……ですか?」


〝ああ。そう仰有っていた。仕事はそれだけではないが、もう一つは、ついでみたいなものだ。その仕事を終えれば、俺に身体を与えてくれるらしい〟


 半透明の手に目を落としてから、安貞は力なく微笑んだ。
 手を伸ばして壁に触れようとするが、手は壁のところで消えてしまった。貫いたわけではない。幽体である身では、障害物が当たるところでは形を保てないのである。
 物体を通り抜けできるわけではない――と、安貞は墨染に説明した。
 墨染は木製の人形に、細い指先を向けた。


「身体とは、あの人形ですか?」


〝いや。この人形は、俺に要石の処理をさせたり、襲いかかってくる障害を排除するためのものだ。だから刀での攻撃はできるが、他の魂に直接触れることはできぬ。他の魂に触れてしまうと、俺の魂が取り込まれる可能性があるらしい。だから人形には、魂に触れられぬように、呪符による護りを施してくれている〟


「さきほど手が弾かれたのは、そういうことでしたか」


〝ああ。だが今の拙者には、人形が必要だ。仕事を終えれば、拙者は肉体を得ることができる――にわかには信じられぬ話だ。正直、俺も半信半疑であったが……〟


 安貞は真剣な顔で墨染を見つめると、互いに触れない程度の距離で身体を寄せた。


〝小野小――いや、墨染。おまえさんと再会して、拙者はあの御方の言葉に賭けたいと思っているのだ。仕事を終えて肉体を得ることができたら、俺と祝言をあげてくれ〟


「安貞様が――あちきと、祝言を?」


〝ああ。当時は色々あって互いに離れてしまったが……拙者の未練は墨染だと今、確信したのだ〟


 安貞は墨染の手に手を伸ばしかけ――自分の身体のことを思い出し、空中で拳を握った。


〝この身体では、おまえさんに触れることもできぬ。墨染――おまえさんと夫婦になれれば、拙者にとって、これ以上の幸せはない〟


 安貞は床に手を突く姿勢で、墨染に頭を下げた。


〝今の拙者は、昼間に動くことは叶わぬ。だから、頼む。要石を探し出し、破壊するのを手伝ってくれないか? そして……すべてを終えたら、二人っきりで祝言をあげよう〟


「あ……安貞様……」


 口元を隠すように両手を組んだ墨染は、その瞳から涙を零していた。
 それも数秒のことで、姿勢を正した墨染は、三つ指の姿勢で深々と頭を下げた。

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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!

わたなべ ゆたか です。

墨染がキャラクターとして出す以上、歌舞伎のネタは外せませんね。

ただ、資料があまりなくて安貞については、あまりわかってません。完全にオリジナル設定となっておりますので、突っ込みは勘弁して下さい。泣いてしまいます。

少しでも楽しんで頂けたら幸いです。

次回もよろしくお願いします!
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