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第三幕 『呪禁師の策と悲恋の束縛』

三章-3

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 夜になり、人里のあたりは空が曇っているのか、星や月などは一つも浮かんでいなかった。一歩前すら覚束ないほどの暗闇に、辺り一帯は包まれていたが、人間はともかく妖たちには、あまり関係のないことだった。
 そもそも、妖の大半は闇の世界に生きる存在だ。昼間よりも夜の方が調子が良く、夜目も利くために不自由はしない。
 そしてそれは、黒水山にいる、流姫も同様だった。
 艶やかな黒髪を龍の身体のように伸ばし、黒に金色の竜の模様が施された着物に身を包んだ美女である。
 そんな彼女の本性は、黒水山を守護を担う、黒龍王の眷属である。それだけに流姫は、妖とは基本的な性質は異なるが、それでも人間よりも夜目は利く。
 そんな彼女だが、最近ではアズサと、同性愛的な春画を愛好する仲になっていたりするから、世の中はわからない。
 流姫は真っ暗な空を見上げて、憂鬱そうな顔をした。


「まったく……厭な天気だねぇ」


 掘り返したような土の上に、要石が無造作に置かれている。やや歪な岩ではあるが、その表面には呪言らしき文字列が刻まれていた。
 要石のすぐ近くまで近寄ると、怪異避けの呪術によって身体が少しピリピリとする。しかし黒龍の眷属である流姫だからこそ、その程度で済んでいる。並の妖であれば、近寄ることすら出来ない。
 その要石を手で擦りながら、流姫はつまらなさそうに口元を曲げた。
 沙呼朗から話を聞き、そして使いからの報せで、ここ二日ばかり、襲撃者から要石を護るための準備を行ってきた。


(こんなもの……龍脈への影響なんて、微々たるものなのにさ)


 四神相応の地と呼ばれる土地に必要なのは、均整の取れた〈砂〉と呼ばれる山や河の存在である。
 その〈砂〉こそが要であり、後付けのように置かれた岩など、悠々と流れる大河に柄杓で水を注ぐ程度の役割しか無い。
 青葉山の発光現象も、龍脈と繋がっていた要石が失われたことで、一時的に力が山の表面に溢れ出しただけに過ぎない。
 発光現象が短時間で収まったということは、影響が軽微だったという証拠だ。


「まったく……四神相応の地を護り、妖界と人界の平穏を護る――か。妖が、人間みたいな考え方をするんじゃないよ」


 流姫は人里の方角を一瞥し、その気配を探った。
 人里の佇まいや雰囲気は、人間の造る集落や町とよく似ている。しかし、そんな型に填められた生活など、妖本来の姿ではない。


「……昔みたいに、もっとおおらかに、そして無邪気でいればいいのに。なあ、あんたもそう思うだろ?」


 流姫は冷ややかな笑みを浮かべながら、暗がりに向かって声をかけた。
 少しして、草が鳴る音を立てながら、二つの影が流姫の前に現れた。一人は、武士の姿をした男――安貞。そして彼の傍らには、普段の明朗さが失せた墨染が控えていた。
 流姫は安貞や墨染のいるほうへ向き直ると、腰に手を当てた。


「おや、墨染。なかなかの色男じゃないか。烏森から、鞍替えでもしたのかい?」


 その問いに、墨染の身体がビクッと震えた。
 振り返る安貞の横で、墨染は恨むような視線を流姫に送った。


「……あちきを責めているのですか?」


「いいや? 色恋は個々の自由! あんたは妖なわけだし、それこそ人とのしがらみなんざ気にせず、好きにやればいい。ただねぇ……どうせなら、そんな死霊じゃなく、生きた人間とおやりよ。あたしだったら、まだ烏森を選んだかねぇ」


「……ご婦人。墨染を困らせるのは、やめてもらえるか?」


 刀の鞘に左手を添えた安貞に、流姫は皮肉交じりの笑みを浮かべた。


「へぇ……困るのは墨染だけかい? あんたのほうが、困っているような気がするんだけどねぇ。あと、死霊の分際で、あたしに近寄れるとでも? ここは怪異避けの呪術に囲われてるんだ。死霊如きが入って来られるわけないだろ」


「拙者は、ただの死霊などではござらん。この身体は、そのようなもの通用せぬ」


 摺り足で間合いを計る安貞に、流姫は笑みを消した。
 敵対するものに対し、流姫は手加減などするつもりはない。黒龍王の眷属としての誇り故に、容赦という言葉はない。
 両手を龍の手に変化させた流姫は、腰を低くして安貞を待ち構えた。
 あと数歩で、互いの間合いに入るところで、流姫の両手に数本の蔦が絡みついた。


「これは――墨染かい!?」


 強い力で引っ張られ、流姫は怪異避けの結界の外へと引きずり出された。
 抗おうにも、青龍の加護を得た墨染の妖力は、流姫に匹敵するほどにまで強い。蔦を引き千切ろうとしたが、妖力で強化されているためか、それも叶わない。
 要石から距離を離された流姫に、墨染が近寄った。


「安貞様の邪魔は、しないで下さい」


「墨染。あんた、人里を裏切ったというのは本当なのかい」


「裏切り……そう思われても仕方がありません」


 表情の失せた顔で答える墨染は、手に桜の枝を生み出した。


「やる気満々なくせに、裏切ってないとか無理があるだろ!?」


 蔦をそのままに、流姫は墨染へと飛びかかっていった。龍の手を両手の桜の枝で受けた墨染は、そっと流姫の耳に口を寄せた。


「あちきたちを待ち構える準備は、していたんですか?」


「は――色んなやつに言われて準備はしたけど、あんたには関係ないだろ」


「そうですか」


 墨染は流姫から身体を離すと、安貞へと声をかけた。


「安貞様。流姫殿は、あちきに任せて下さい。安貞様は、要石を」


「墨染、助かる」


 安貞が要石へと向かうのを止めようとした流姫だったが、まだ手には蔦が絡みついてるままだ。墨染を睨みつけながら、流姫は先ず問いかけた。


「墨染……あんたは、なにを考えている」


「それは……ここでは、言えません」


「それで、はいそうですかと、済む訳がないだろう!」


 本性である黒龍の姿に戻ろうとした流姫だったが、急に身体から力が抜けていくのを感じた。                                     


(なにかが、おかしい)


 ふと視線を左右に向けた流姫は、両腕に絡みついている蔦に紛れている赤い蔦が、自分の手首に刺さってることに気付いた。蚊のように、刺された場所の痛覚が麻痺しているせいか、赤い蔦の存在に気付くのが送れてしまった。
 麻痺の毒気は、すでに全身に廻っている。今更、赤い蔦を引き抜いたところで、結果は変わらない。


「墨……染っ!」


 声も絶え絶えに怒鳴ろうとする流姫に、墨染は静かに目礼をした。そこに贖罪の意図があったかまでは、わからない。


「墨……ぞ、め……あんたは――」


 ――本当に、これでいいのかい?


 その問いのすべてを告げることができぬまま、流姫の意識は闇に落ちていった。
 流姫が動かなくなるのを見届けてから、墨染は要石の結界に近づいた。いかな剣技の持ち主とはいえ、刀で岩を破壊するのは、かなりの難題である。
 安貞も要石に数度斬りつけたようだが、うっすらとした傷を付けただけに止まっていた。
 墨染は周囲に数十を超える蔦を生み出しながら、安貞に声をかけた。


「安貞様。あちきがそれを壊してもよろしいでしょうか?」


「墨染が……か? そうだな。刀では、どうにもならぬと思っていたところだ。すまねぇが、頼めるか?」


「……はい」


 墨染は頷くと、蔦を操って要石を絡め取った。


「これは……どういうことだ?」


「あちきの操る植物は、怪異そのものではありませんから。このような呪術など、なんの効き目もございません」


 驚く安貞に答える墨染は、蔦を操って要石を数メートルほど上へと持ち上げた。
 周囲を見回した墨染は、数メートルほど右にある、岩が露出した地面へと目を向けた。その次の瞬間、蔦は一斉に動き出し、地面の岩場へと要石を叩き付けた。
 地響きと勘違いするような音が周囲に響き、空気が震えた。
 衝撃に身を竦ませた安貞が顔を上げたとき、粉砕された要石の破片が、岩場の周囲に飛び散っていた。
 安貞は最初こそ呆けたようだったが、次第に顔に笑みを浮かべ始めた。


「こいつは凄い……やはり大した女だぜ、墨染は」


「とんでもございません。あちきは――安貞様に褒められるような、価値のある女ではありません……から」


 少し陰り気味に微笑む墨染に、安貞は大きく首を振った。


「そんなに謙遜するもんじゃない。まあ、そういうところも気に入ってるんだが」


 墨染の目に宿った哀しみに気付かないまま、安貞は墨染を褒め千切っていた。
 そのことが重荷になりつつあるのだが、墨染は引き裂かれそうな自身の心から、目を逸らし続けていた。

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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!

わたなべ ゆたか です。

要石絡みの設定ですが、ほぼでっち上げです。本来はピラミッドとか、ある程度の大きさ……という漫画や小説が多いですね。
日本の場合、ピラミッド=自然の山であることも多いですね。山自体が要石――風水においても山は重要ですからね。
呪法的には、安易に山を削ったり、木々を伐採してはいかんのですけど……ね。

少しでも楽しんで頂けたら幸いです。

次回もよろしくお願いします!
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