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第四章 円卓の影

四章-1

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 四章 慣れた恨み


   1

 ルイハスの西側にあるダークグレーの屋根の屋敷、その執務室にウコバークはいた。
 大きなガラス張りの窓から差し込む夕日が、室内を照らしている。樫の木で造られた執務机の上には、数枚の羊皮紙が重なって置かれていた。
 ビロードで覆われたソファに、低いテーブル。サイドテーブルの上にはワインの瓶とグラスが置かれていた。
 使用人に上着を預けたウコバークに、栗色の髪を結い上げ、赤色のドレスを着た中年の女性が近づいた。
 ウコバークの妻である彼女は、あまり感情を籠めずに声をかけた。
 


「あなた。お仕事、お疲れ様です」


「ああ――」


 ウコバークは妻に曖昧な返事をしてから、サイドテーブルに置いてあったワインの瓶を掴んだ。無造作にグラスにワインを注いで、ひと息に飲み干す。
 大きく息を吐いたウコバークに、妻は両腕を組んだ。


「そんな勢いで飲むなんて」


「……指図をするな。そういう気分だ」


 ウコバークが乱暴にグラスを置くと、妻は溜息を吐いた。首を小さく振って、苛立たしげに離れていく妻を一瞥したウコバークは、不機嫌に鼻を鳴らした。


「ふん……人間風情が」


 立場、役職、地位――そういうものが人間にはあると知って、周囲に怪しまれないために妻を娶った。
 だが、それは人間社会に溶け込むためでしかない。ウコバークは妻に対して、愛情や欲などを抱いたことなど一度も無かった。
 使用人も去り、一人になったウコバークは、外の景色に目を向けた。


(街の中に……奴らがいるのか?)


 新たな王であるエキドアが、即座に逃げの一手を打つのは珍しい。なにせ、予知の力を持つ幻獣だ。相手の手の内を予知して、その裏をかくなど造作ない。
 となれば、エキドアが逃げる理由を推測するのは、さして難しくはなかった。


(しかし、逃げるとなると――古き王か? まさか……古き王も復活しているというのか? 人間の味方をしているなど、考えられぬか)


 自問を繰り返すが、答えなど出せようもない。
 たった一人残され、手掛かりすら乏しいこの状況で、どうやって身を護り、相手を打ち倒せばいいのか――その案が思い浮かばず、ウコバークは苛立ちを紛らわせるように執務机の天板に拳を打ち付けた。
 激しい打撃音が響いた直後、怯えるような声が聞こえてきた。
 ウコバークが開かれたままの扉を向くと、そこには妻と同じ栗色の髪を持つ少年がたっていた。
 品の良い服装で、緑の瞳はウコバーク――が乗っ取った人間――と同じ色をしている。ウコバークの子どもで今年の夏、九歳になったばかりだ。
 怒鳴って追い払おうとしたウコバークは、口を開きかけたところで思いとどまった。


(こいつは、次の身体だからな……変に避けられるのは拙いか)


 ウコバークは咳払いをすると、長男である息子に近づいた。


「驚かせてすまんな、レニー。少し苛ついていた」


「いえ……お父様、お帰りなさい」


「ああ……ありがとう。そろそろ夕飯の時間ではないか?」


「はい。準備ができてますから、お母様に呼んでこいと言われて……」


「ああ、そうか。すまない。一緒に行くとしようか」


「はい!」


 レニーと並んで廊下を歩くウコバークは、息子に悟られぬよう、溜息を吐いた。こうした親子の馴れ合いなど、幻獣としての感覚では不必要なものでしかない。
 しかし人間は――特に家族と呼ばれる少数の集団においては、その馴れ合いが重要視されることが多い。
 正直に言って(……面倒な)ものだったが、計画のためには無視できない。
 咳払いをしたあとで、ウコバークはレニーに、努めて穏やかに話しかけた。


「そういえば、新しい家庭教師はどうだ?」


「はい。古い文学に造詣の深い先生だと感じました。特に、アレギュシートの詩集の解釈が面白くて――」


 レニーの話を聞きながら、ウコバークは何度も取り逃しているトラストンへの対策を考え始めていた。

   *

 男たちが去ったあと、俺はクリス嬢たちと部屋に戻っていた。
 相変わらず、最低限の家財しかない部屋である。まあ、寝床だけあれば個人的には困らないんだけどさ。
 クリス嬢は燭台を間接照明っぽくしてくれた。お陰で、なんとか平常に生活することができている。
 ルルティアさんが作ってくれた食事を摂りながら、俺たちはほぼ無言だった。
 パンとシチュー、それに魚のフライかな? 余り物だから――と持って来てくれたけど、とてもそんな内容じゃない。
 大家さんの気遣いを有り難く思ったのと同時に、エキドアやウコバークの嫌われ具合を実感したわけで。
 パンを飲み込んだばかりの俺に、マーカスさんが静かに問いかけた。


「それで……なにか案はあるのかい?」


「なんのです? 領主の城に乗り込む方法ですか? それともウコバークを捕らえる方法? それとも、新たな王が何処に居るのか――?」


「全部、と言いたいところだけどね。取り急ぎ必要なのは、一番最初のやつだと思っているけど」


「ああ――そっちはなんにも考えてません。俺がずっと考えているのは、二番手ですね」


「いきなり本尊へ突撃かい?」


 目を丸くしたマーカスさんに、俺は「もちろん」と言わんばかりに、大袈裟に肩を竦めてみせた。


「ルルティアさんの話じゃ、今日の男たちはウコバークの配下みたいですし。売られた喧嘩は買うまでです」


「正気かい? 相手は領主の配下だ。その気になれば、街の警備隊だって自由に使える相手に、こっちから喧嘩をふっかけるなんて」


「勘違いしないで下さいよ。喧嘩を売ってきたのは、向こうが先ですからね。ただ、どういう形で喧嘩を買うのか、悩んでるんですよね。今日の男たちを、ふん捕まえたほうが良かったかなぁ……」


 俺が椅子に凭れながら天井を見上げると、エイヴが預けていた黒曜石をテーブルに置いた。


「トト、これは使えない?」


「黒曜石。オークかぁ……」


 俺は黒曜石を掴むと、その表面を眺めた。黒曜石は、ウコバークやエキドアが回収したがってる。多分だけど今度は違う場所、違う一家の人たちを、オークたちと入れ替えるつもりなんだろう。
 その目的はわからないけど……考えはしたけど、その内容は怖いものばかりだ。その最たるは――人類と幻獣の総入れ替え、だ。
 身体こそ人間だけど、魂は幻獣。それが、永遠に続く世界――ウコバークたちがそれを目指しているとしたら――。

 人類は、幻獣の魂の入れ物としての価値しかなくなる。

 これが、俺の想像だけで終わってればいいんだけどな。
 ウコバーク……それにティアマトは、人間の身体を奪った。絵空事ではないと、俺の頭の奥底で、警鐘が鳴り響いている。


「こいつは、使えるかもしれないな……」


「使うって、どうやってです? オークには、それほど強い力や魔術はないみたいですのに」


「まだ考えてる最中ですけど……マーカスさんには、騎兵隊を集めて欲しいですけど」


「騎兵隊って……僕にそんな権限はないよ」


「騎兵隊っていうのは、ただの比喩ですって。他の街の警護兵でも傭兵でも……いざってときの戦力は必要ですから。仕掛けるのは、それからにするつもりです」


「む、う~ん……」


 マーカスさんは、腕を組んで悩み始めた。いざというときの戦力が必要なのは、間違いが無い。例えそれが、保険でしかなくても――だ。
 だけど戦力を整えたら、結果的に俺の案に同意したことになる。まあ、戦力を整えたあとで、仕掛けるのはダメだと言われる可能性もあるけど……そこは、口で勝つ気でいる。
 マーカスさんは、俺をジト目で見てきながら、テーブルを指先で叩き始めた。


「それで、どういう作戦を考えているんだい? いつもみたいに、推理で追い込むにしては、荒っぽい気がするんだけど?」


「状況証拠ばかり集めたって、しらばっくれられたら、手の打ちようがないんで。ちょいと、工作員に鞍替えって感じになりそうですよ」


「あら。探偵業ではないんですか?」


「あ、いえ……古物商からってことなんですけど」


 なんだろう。少しピントがずれているクリス嬢に、俺はガックリと肩を落とした。
 俺は、探偵業なんかやってない。これまでだって推理というより、可能性の大きそうなものを推測してきただけだし。

 みんな、そのあたり勘違いしてるよなぁ……。

 そう思って顔を上げたら、エイヴやマーカスさんが俺を見ていることに気がついた。


「トトって、探偵じゃなかったの?」


「トト……まだ諦めてなかったんだね」


 ほぼ同時に、しかも異口同音なことを言われて、俺はしばらく自失した。

 ……エイヴ、おまえもか。おまえも、そーゆーことを言うのか。

 ちくしょう、世界は敵色だ――そんなことを実感しながら、俺は三人に向けて、溜息交じりに言い放った。


「ちょっとだけ、ふて寝して来ますんで。起こさないで下さいね」

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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!

わたなべ ゆたか です。

朝晩が冷えてきました……特に出勤する5時前だと、上着がもう一枚欲しくなります。ただ、仕事が始まる時間だと、そこまで必要じゃないんですよね……ほんと、着るものに困ります。
そして、昼近くだと上着を脱がないと暑いという。

体調の管理が難しいですね。皆様も、お気をつけ下さいね。


少しでも楽しんで頂けたら幸いです。


次回もよろしくお願いします!
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