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第五章 飽食の牢獄に、叫びが響く

三章-2

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 窓から零れる日差しが、部屋の中に僅かな温もりを与えていた。十一時の刻を知らせる柱時計の鐘に、サーナリアは手紙から顔をあげた。
 手紙の消印はルイハスだったが、送り主はドラグルヘッドのクリスティーナ・ローウェルだった。長々と書かれていた文面には、トラストン。ドーベルが優秀な人材であり、これまでに数回もの事件を解決してきたこと。そして、それは中央の役人も確認していることなどが書き記されていた。


「それはいいとして、この『あなたは、人のものを欲するところがあるので、もう少し欲求を控えるようにして下さい。トラストンは、わたくしの恋人ですから』……っていうのは、余計よ。わたくし、そんなに他人のものを欲したりしませんわ。
 それに……あんな平民に恋するだなんて、わたくしに限ってはありませんもの」


 手紙の内容に不満を感じたサーナリアは、便箋となっている羊皮紙を指で弾いた。
 ゴミ箱へ――と手を動かしかけたサーアリアは、ふとローウェル伯爵のことを思い出した。
 あの強突く張りな老人が、ただの庶民を孫娘の恋人として認めるはずがない。ということは、少なくとも優秀という点においては、クリスティーナの弁を信じる価値はある――。


「最終的な判断は、サムの報告を待ちましょう」


 手紙を机の上に放り投げると、サーナリアは返信をどうするか考え始めた。
 そのとき、玄関のノッカーが数回、打ち鳴らされた。


「……こんな時間に、誰かしら」


 サーナリアは嘆息しながら立ち上がると、玄関へと向かった。


「どなた?」


 玄関の前で声をかけると、扉の向こう側から「お嬢様……サムです!」という、大声が返ってきた。サーナリアは露骨に顔を顰めたものの、大きく息を吐くと表情を取り繕った。
 玄関の扉を開けると、笑みを押し殺したサムが立っていた。


「お嬢様……トラストン・ドーベルの調査についてですが」


「あら。もう調べましたの?」


 昨日の今日で調べるなんて――と感心しかけたサーナリアだったが、サムからの返答は予想とは異なっていた。


「いえ、あの、調査が必要なくなったと、申し上げたいのです。トラストンは、町から出て行ってしまったので――」


「……出て行った?」


「はい! 馬車で町から出て行くのを見ました。きっと、幽霊屋敷に恐れを成して、逃げ出したのでしょう」


 サムの報告を、サーナリアは無言で聞いていた。クリスティーナの手紙とは、真逆の行動なのが気になった。


(さて……これは、どういうことかしら?)


 サーナリアはしばし思案したが、結論は出なかった。
 謝礼として銀貨を与えてからサムを帰らせたサーナリアは、そのまま外出の身支度をし始めた。
 疑問に思ったことは、確かめなければ気が済まない性格だ。
 まずはトラストンの宿へ――と、玄関の扉を開けようとしたとき、父親であるドレイマンが帰ってきた。


「お父様? 昨晩は、どちらでお泊まりだったのかしら」


 皮肉交じりの問いに、ドレイマンは無表情のまま頷いた。疲れているようにも見えるが、面倒を早く終わらせたいという雰囲気が漂っていた。


「見回りが忙しくてな。その件で、おまえに話がある」


「今から外出をしたいのですが……お急ぎの件でしょうか?」


「そこそこには」


 ドレイマンの返答に、サーナリアは溜息を吐きながら数回ほど頷いた。

   *

 ニータリと別れた俺は、宿で身支度を調えた。
 ニータリの手当で、頭の傷に包帯代わりの布が巻かれているし、服もかなり汚れてしまっていた。
 このまま警備隊に行ってもいいが、そのあとにはサーナリア嬢のところにも行かねばならない。形式上ではあるが依頼主である以上、小汚い格好で面会に行くのは好ましくない。
 俺は手早く――肩が痛むので、出来る限りだが――着替えると、警備隊の詰め所に向かった。
 今日は昨日よりも少し肌寒いからか、傷口が鈍い痛みで存在を主張してくる。手っ取り早く用件を終わらせて、暖かい部屋で身体を休めたいところだ。
 詰め所に入ったのは、正午になる少し前だった。
 頭に布を巻いた俺に、目を丸くしたケインが駆け寄ってきた。


「その頭――どうしたんです?」


「暴漢に襲われて、ちょっと死線を彷徨ったりしてました。それで通報というか、そういうのをしに来たわけです」


「ちょ――ちょっと待っておくれ」


 ケインは俺を自分の机に案内すると、調書を取るための羊皮紙の束を手繰り寄せた。
 移動する途中、収監用の檻が見えたけど……この前より囚人が増えている。囚人の数が、完全に檻の許容量を超えている。


「なんか牢屋の囚人、多くないですか?」


「え? ああ……隊長が見回りを強化してますからね。でもまあ、そのうちにほかの町へ護送するから大丈夫です。それより……話を聞かせて下さい」

 俺は曖昧に頷くと、昨日のことを思い出し始めた。

「相手の容姿は見えなかったけど、少し太め。棍棒みたいな武器を持って、白兵戦の訓練を受けた人物――だと思う。俺の首元に一撃、それから側頭部に一撃。それで気を失った俺を、昨日の裏道の先にあった水路に落とした……っぽい」


「ふんふん……棍棒に、白兵戦の訓練――」


 そこまで言って、ケインは表情を失った。
 どうやら、気づいたようだ。体型はともかく、棍棒と白兵戦の訓練という特徴を備えた人物が――この町では警備隊の隊員しかいない、ということに。
 そしてケインなら、太めという特徴で個人の特定も可能かもしれない。
 今回、俺が警備隊の詰め所に来た一番の理由は、通報じゃない。俺を襲撃した犯人を特定するためだ。
 もちろん、旅人が犯人という可能性もあるけど。でも側頭部を殴打した上に、気を失った相手を御丁寧に水路に落とすまでしたんだ。殺意はあったわけだし……もし、俺が暴漢なら、棍棒なんかより刃物を使う。
 とまあ。それらの理由で俺は、町の外から来た人間が犯人ではないと思っている。
 ケインも同じような考えだったんだろう、かなり悩んだ顔を俺に向けた。


「君の言う体型なら……三人ほど当てはまるのがいるけど。取り調べをしてもいいが……犯人であるなら、素直に喋らないと思いますよ」


「でしょうね。捜査をするなら、俺が……そうだな、町から出てったとか、そういうことを言った人が怪しいと思います。殺した相手が、こうして訴えに来るとは思ってないでしょうし。俺が町の外へ出て行ったとか、帰ったって言うヤツが怪しいですね」


「なるほど。わかった、それとなく聞いておきますよ」


「ええ。それで……これは、お願いなんですけど。そんなことをいうヤツがいたら捕らえず、俺に教えて下さい」


「それは構わないが……その、なにか物騒なことするつもりなら立場上、君を止めなければなりませんけど」


「やだなあ。俺は温厚で通ってるのに」


〝――っ!?〟


 ガランが、なにかを言いたげな気配を発したけど、俺は行儀良くそれを気にしないようにした。
 このあたり友人として、しっかりと話し合う必要があるかもしれない。
 それはともかく、俺が襲撃犯が誰か知りたいのは、幻獣に関わる人物の可能性があるからだ。あのとき、ガランは襲撃犯から幻獣の気配らしいものを感じたらしい。
 らしい……というのは、ガランがその気配に、少し違和感を感じたと話したからだ。違和感があるからといって、幻獣ではない証拠にはならないし、判別するには実際に会って確認するのが手っ取り早い。
 だけど、ケインにはこんな説明はできない。幻獣なんて言葉を出したところで、素直に信じてくれる筈がない。
 俺は咳払いをしてから、ケインに告げた。


「ただ俺が知っている最低最悪な罵詈雑言を駆使して、二度と日の下で暮らせないよう、徹底的にトラウマを植え付けてやるだけです」


 俺の返答を聞いたケインは、無言で机の上にある本へと手を伸ばした。
 その、少し分厚い本を俺に差し出しながら、ケインは乾いた笑みを浮かべた。


「……辞書を貸しますから、温厚って言葉の意味を調べてみて下さい」


 ……なかなかに、酷い言われようである。
 別に殺そうとはしてないし、暴力も振るわないって話なのに。ケインって、もしかしたらかなり性格悪いんじゃ……。
 俺は丁重に辞書を断ると、警備隊の詰め所を出た。
 そのまま、俺はサーナリア嬢の家を訪問した。玄関の扉についたノッカーを叩こうとしたとき、屋敷の中から怒鳴り声が聞こえてきた。


「――ないで下さいっ!!」


 声はサーナリア嬢のようだが、誰かと話をしているのだろうか? 怒声に言い返す声は低くて、よく聞き取れないけど……どうやら男性のようだ。
 取り込み中であるならば、出直したほうがいいだろう。俺は玄関から離れると、道の角まで移動した。
 さて……どうするかな? どうせ、夜までは暇だけど。
 俺が角からサーナリア嬢の屋敷を覗き見していると、玄関から警備隊の制服を着た男――ドレイマンが出てきた。
 ヤツが幻獣に憑かれている人間か確かめたかったが、俺も完調じゃない。ここで再戦になれば、絶対に勝てない。
 俺は深呼吸して気持ちを落ち着けると、サーナリア嬢の屋敷へと歩き出した。ノッカーを叩くと、しばらくしてから扉が開いた。


「――どちらさま?」


 少し、苛立ちの混じった声が聞こえてきた。
 父親と喧嘩したときの感情が残っているのか、それともほかの要因か――まあ、俺には関係がないので、極めて平静に名乗ることにした。


「トラストン・ドーベルです」


 名乗った途端、やけに慌ただしく鍵を開ける音とともに扉が開いた。
 驚きに目を見広げながら顔を出したサーナリア嬢は、口をわなわなとさせながら少し上にある俺の顔を見上げた。


「ト――トラストン?」


「さっき、名乗ったとおりです、けど?」


 喩えるならば、死人だと思っていた者が目の前に現れた――という感じだろうか。予想外の反応過ぎて、俺も戸惑ってしまった。


「どうぞ」


 数十秒後にその言葉が出てくるまで、俺は傷口が痛むのを我慢しながら、寒空の下で待たされることとなった。

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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!

わたなべ ゆたか です。

 大晦日になりました。元々、テレビを見ない人ですので関係ないですが、知り合いからのメッセージで、「テレビがつまらん……」と。ネット見とけ、ネット。

 買い物に出たんですけど、物が高い&正月用の品ばかりで、普段買ってる『たれ・からし無し』の納豆とかが置いてない……。
 
 コレだから正月ってヤツは(泣

 改めまして。

 旧年中、本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!

 来年もどうか、宜しくお願い致します。
 少しでも、楽しんで頂けたら幸いです。

 皆様、どうか良いお年を。

 そして、次回も宜しくお願いします!
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