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第六章 忘却の街で叫ぶ骸
四章-1
しおりを挟む四章 邂逅する死の宣告
1
俺が目を覚ましたのは、日が沈んでからだった。
時刻は――恐らくは夜の八時くらい。三時間くらいは眠れたみたいだ。上半身を起こした俺は、左手を軽く動かしてみた。
前腕の外側が、僅かに痛む。動かさなければ痛みはないから、今はこれで事足りる。
「よし……それじゃあ行くか」
「……どちらへ、行くつもりなんですか」
少し固い声が、横から聞こえてきた。
振り返るとドレスを着ているらしい、細身の影が椅子に座っていた。暗くて顔はよく見えないけど、声はクリス嬢のものだった。
俺は驚きを隠しながら、ベッドから両脚を出した。
「少年ギャング団の様子を見に……ですよ。どうせ、夜でも動いているでしょうから。深夜は寝ろって言いに行くついでに、状況を聞こうと思って」
「そんなの、ほかの人に任せればいいじゃありませんか」
「期間限定のつもりとはいえ、俺がボスですからね。ボスならボスなりに、けじめは付けないといけないでしょ?」
俺は答えながら、竜の指輪とブローチを手に取った。
クリス嬢は俺の右腕に両手を添えると、俺を見上げてきた。
「わたくしも同行しますわ。断ら……いえ、構いませんね?」
「……ええ、もちろん。あの子どもたちも俺だけより、クリス嬢と一緒のほうが喜びそうですしね」
俺は軽口を交えて答えてみたけど、クリス嬢は笑わなかった。
あれ? 滑ったかな……。
戸惑っていると、クリス嬢が俺の肩に頭を預けてきた。
「無茶は……させませんから」
「今日はもう、話を聞きに行くだけです。トマス卿とルシート医師が関わっているなら、会うのは今日だって予感はありますけどね」
俺の言葉に、クリス嬢は僅かに顔を動かした。暗くて見えないにせよ、俺の顔を見上げたんだと思う。
「どうしてです?」
「グレイってボスが捕まりましたからね。今後のことを相談するなら、今日の夜ですよ。その予感というか、予想をしたので、話を聞きに行きたいってわけで」
「あら……それでは、ゆっくりもしていられませんわね」
クリス嬢が身体を離すと、俺は窓へと駆け寄った。
「あの――トト、なにをするつもりなんです?」
「いえ。だって、この時間だと廊下とか、ランプが灯ってると思うんですよ。なるべく、そういう場所は避けたいので……窓から出ようかと」
俺の返答に、クリス嬢は暗がりでもはっきりと分かる様な仕草で、溜息を吐いた。
「そういうところは、相変わらずですのね……」
「えっと……そこが魅力ってことになりません?」
「なりません! まったく……もう」
どこか呆れた声のクリス嬢に、「すいません」と謝ってから、俺は窓の外に出た。部屋の場所は、三階の角部屋だ。
窓枠の小さな出っ張りを足がかりに、俺は二階まで降り、そこからは窓枠の下側につま先をかけた状態から身体を屈め、ゆっくりと一階に飛び降りた。
遅れて宿から出てきたクリス嬢に左手を差し出すと、するりと腕を絡めてきた。
……なんだろう? さっき会ってから、クリス嬢が俺に近すぎる。
それはそれで嬉し恥ずかしって感じだけど、いつもよりも頻度と密着度が高い。
腕の傷とか、早々に眠ったこととか、心配かけたのかもしれない。腕の傷は思っているよりも心配がないこと――これは町医者から聞いた話でもある――や、約束をしていた食事に行く店のことの話をしながら、昼間に行った倉庫街へと向かった。
なるべく灯りの少ない場所を歩いていると、横の路地から短い指笛が聞こえてきた。
振り返ると、七、八歳くらいの少年が、俺を手招きしていた。
俺とクリス嬢は視線を交差させてから、少年に近づいた。
「ボス――見つけ、ました」
「どっちを? トマス卿か、ルシートか」
「トマスって貴族、です。ルシートかどうかは、よくわかりませんけど……病院から出た男が、トマスが入った酒場……に、入ったって、ジョンが」
ジョンが誰かは知らないけど……多分、少年ギャング団の一人だろう。
「わかった。酒場の名前はわかるか?」
「名前は……読めない、です。けれど、案内なら」
少年の返答に、俺は迷った。
これで、本来の目的は達成してしまった。あとは少年に、みんなに今日はもうゆっくりと寝ろって伝言をするだけだ。
だけど……証拠を掴む最大級の機会が訪れているのも、事実だった。でも、現地でなにかあったら、クリス嬢を巻き込んでしまう。
俺がしばらく黙っていると、クリス嬢が顔を覗き込んできた。
「……迷うなんて、あなたらしくないわ、トト。最高の機会が訪れたって、そう思ってるのでしょう? なら、行くべきですわ」
「クリス嬢? ええっと……ああ、わかりました。行きましょう。おい、案内はできるって言ったな。今から頼めるか?」
「……うん」
少年は頷くと、俺たちの前を歩き出した。
ゼニクス地区の少し奥まった場所まで来ると、前に石造りで煌々とランプが灯った建物が見えてきた。
少年は立ち止まると、その建物を指さした。
「ボス、あそこだよ」
「あ、ああ……そう、か」
俺は建物から視線を逸らすと、ぎこちなく頷いた。
ああ、そうか。酒場って言ってたっけ。夜は目立つように、ランプなどを灯すわな。
深呼吸をして気持ちを落ち着かせると、俺は少年に一枚の銅貨を手渡した。
「ご苦労さん。みんなに、今日はもうゆっくりと安めって伝えてくれ」
「うん――あ、はい」
銅貨を貰ったことが嬉しかったのか、少年は返事の言葉を改めると、俺に会釈をしてから走り去っていった。
あとは、ここからどうするか……いや、中には入れないな、今は。
灯りのあるところは、入れないからなぁ。あんなところ、俺にとっては地獄に等しい空間でしかない。
俺は妥協案を引き出すと、クリス嬢に肩を竦めた。
「ここで、二人が出るまで監視しましょうか。中に入るのは――っと?」
言葉の途中で、クリス嬢が俺の手を取った。そのまま酒場へと歩き出そうとしたので、俺は慌てて前に廻り込んだ。
「えっと、クリス嬢? どこへ行くんです?」
「もちろん。酒場ですわ。あの二人が一緒にいるのを見つけられれば、証拠になりますもの。そこまでしなければ、ここまで来た意味がありません――そういうことなのでしょう?」
「いや、まあ……理想論は」
「でしょう? それに、あそこならトトも無茶はできないでしょうから。ところで、店内で希望の席とかはあります? こういう場所がいい、ですとか」
手を引かれながら、俺はガックリと肩を落としながら答えた。
肩を落としたついでに、視線はもう足元しか見てないけど。クリス嬢……実はちょっとサドっぽかったりするのだろうか?
「ええっと……出入り口が視界に入る、なるべく壁際の席がいいですね。ほどよく、出入り口から離れていると最高です」
「……わかりましたわ」
クリス嬢の答えが聞こえてきたとき、ドアが開く音がした。
どうやら店内に入ったらしい――と思った途端、俺は全身から冷や汗が吹き出すのを感じた。
床に映し出される、揺らめいた光を見ただけでこれだ。少し呼吸が荒くなったとき、クリス嬢と店員の会話が聞こえてきた。
「ドレスコード? ああ、彼はわたくしの使用人です。一人では物騒ですものね。ただ、今は少し気分が悪いらしくて。わたくしが軽食をとるあいだ、休ませたいだけです」
「失礼ですが、どちらの御出自になりますでしょうか?」
「ドラグルヘッド市のローウェル伯爵の孫、クリスティーナ・ローウェルですわ。こちらで証明になるかしら?」
「……大変失礼を致しました。お席に御案内致します」
「いえ……ああ、あそこの席がいいですわ。真ん中よりは、静かそうですもの」
「畏まりました。どうぞ、こちらへ」
店員の足音が右方向に移動すると、クリス嬢もあとについていく。俺は未だ、顔を上げることすらできないわけで。
……正直、ちょっと惨めだった。
席に座ると、クリス嬢は「少し待って下さいね」と言って、テーブルの上で色々と物を動かし始めた。
「いいですわよ。ただし、視線は少し左に」
指示に従って顔を上げると、四人掛けのテーブルで、クリス嬢が俺の左前に座っていた。
光の具合から、燭台は俺の右方向にある。
「わたくしが、出入り口を見張りますわ。トトは……そうね、顔を見られにくくするために、壁になって下さいな」
「正直、それしかできませんけどね」
俺が答えると、クリス嬢はフフッと笑みを零した。
それから赤ワインと若鶏のバジル和え、そして俺用に蒸留水を注文すると、クレア嬢は店内を見回した。
「お店は、二階もあるみたいですわね。階段のあるバルコニーに扉が見えます。一階には……トマス卿やルシート先生はいないみたいですわ」
「……そうですか。長期戦になるかもですね」
「そうね。なら、少しトトの考えを聞かせて下さい。どうして、トマス卿とルシートが、ナターシャさんの一件に関係していると思ったんです?」
「いや……まだ半分くらいは勘ってだけですけど。ルシートに関しては、理由は三つ。
一つ目の理由は、グレイの持っていた薬の小瓶、それで病院から失敬した、一時的に記憶障害を引き起こす薬の小瓶は、恐らく同一のものです。
二つ目は、ナターシャさんの様子を最初に見に行ったとき、俺たちはルシートに応接室に呼ばれたじゃないですか。あれはきっと、俺たちの目的を探るためですよ」
俺は蒸留水を一口だけ飲むと、回答を続けた。
「それにあのお茶――アンズの種まで使ってましたし。前世で見た本にあったんですけど、アンズの種ってシアンが含まれてるんです」
「あの……シアンって、毒かなにかですの?」
「みたいなものです。体内に入ると、青酸カリになるんですよ。ああ、そんな心配しなくても、その科学反応は熱と砂糖に漬けておくことで抑制できるみたいなんですよ」
「ああ……それで砂糖をあんなに?」
「そういうわけです。おまじない程度でしょうけど、ある程度だけでも緩和できればと思ったわけです。もし、あれで体調が崩れたら、強制入院させられて記憶を消された――かもっていうのが三つ目です」
俺はそこで言葉を切った。理由はもう一つあるけど……これは、今回の件には関係が薄いから、話すべきじゃない。
それから俺は、クリス嬢の表情が予想よりも落ち着いているのを確かめた。
これなら、話を続けても大丈夫そうだ。
「トマス卿については、使用人の爺さんと話が食い違っていましたからね。これは、使用人のほうが正しいと思います」
「どうして?」
「あんな高齢で使用人を続けているんです。主人に対して、嘘で誤魔化すのはヤバイって理解してる人ですよ。そんな人だから、嘘を吐くのに慣れてない。だから、俺たちの問いにも正直に答えた可能性が高いです。
そうなると、ナターシャはなぜ病院に連れられたのかってことですけど。俺の推測では、病院への人身売買ですね。実験用の」
俺の言葉に、クリス嬢が息を呑むのがわかった。人身売買は、ほかの国ではわからないが、国内では禁止となっている。
人身売買が公然と行われているとしたら……これは、規模に関わらず大事件となる。
クリス嬢は大きく息を吐いてから、口を開いた。
「でも、どうして……そんなことに?」
「さあ……怪我をして丁度良かったのか、それともトマス卿に借金をしていたか……これは、調べるのが難しいですからね。憶測でしかありません」
俺は話を終えたという意味で、小さく肩を竦めた。
クリス嬢はどこか呆けたように息を吐いたあと、「あら」と声をあげた。
「二階の部屋から、ルシート先生が出てきましたわ。でも、一人だけ」
「密会なら、時間差で出るかもしれません。ルシートが出てきた部屋を見ておいて下さい」
俺がそう告げた直後、クリス嬢は少し驚いた顔をした。
「あら、もう出てきましたわ。トマス卿――ですわね」
クリス嬢は俺と目を合わせると、微笑んだ。潜入捜査っぽい状況に、少し興奮しているように見える。
二人が退店したあと、俺とクリス嬢は手早く食事を平らげた。
ワインを飲んで頬を染めたクリス嬢は、贔屓目に見ても可愛かった――じゃなく。少しフラフラとなった身体を支えながら、俺は帰りの馬車を探す羽目になったのである。
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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
油断してると、長くなるなぁ――と思って、文字数を見たら4800字ちょっと。
なんだ、このくらいか。そう思った自分に、「いやいやいや」と突っ込みを入れた今日この頃です。
推理としては弱いですが、根拠の説明パートです。
説明が多いと、やはり文字数が膨らみます。
シアンが体内の化学反応で青酸カリになるのは、砂糖や高温で反応を防ぐことができるようですが。
本編内のように砂糖を入れるだけで防げるかは、ちょっとオーバーに書いてます。一応、フィクションということで……。
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
次回もよろしくお願いします!
応援ありがとうございます!
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