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第六章 忘却の街で叫ぶ骸
四章-5
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5
避難が終わったあと、俺とルシートの戦いは始まっていた。といっても、俺はルシートが撃ち出す、半透明の針を避け続けることしかできてない。
避難が終わった直後、ルシートはなんの言葉を発しないまま、俺に針を撃ち出した。どうやら避難完了を待っているあいだに、服の下に身体の一部を出していたようだ。
避難が終わるまでの睨み合いが、結果的にルシートに前準備を許してしまった。もっとも、俺もそのあいだに、ガランとの精神接続を終えている。
そのおかげで初撃を躱せたのだから、あまり人のことは言えない。
「どうした……? おまえは我らが同胞を持っているのだろう。協力をしているのだろうが。反撃をしたらどうだね?」
「んなこと言ったってなぁ……」
相手が遠距離攻撃までできるのは、完全に想定外だ。それに対抗する手段までは、用意していないわけで。
なんとか反撃できるものを、俺は逃げながら探していた。あの部屋に行けたら……とかと考えていると、煙の向こう側でルシートが動いた。
俺は舌打ちをしながら、即座に横に跳んだ。
飛んだ先が壁側だったのを知ったのは、俺の肩と頭をぶつけてからだ。がたんと動く壁に、半透明の針が突き刺さった。
壁に当たって、そのまま床に倒れ込んでなければ、俺の頭か背中に命中していた。
「くそ……巫山戯んな」
起き上がろうと床につけた俺の手が、壁と廊下の境目にある、隙間のようなものに触れた。隙間……これ、壁じゃなくて扉か!
俺は急いで起き上がるとノブに手を伸ばし、ドアを開けて部屋の中に飛び込んだ。
急いでドアを閉めた俺は、部屋の中を見て目を見張った。
俺が探していた、薬室だ。
棚から塩酸や硫酸……阿片に塩……その瓶を手に取ると、俺は並んでいる棚の右奥へと移動した。
奥の壁際に置かれた低いテーブルに、ティーポットやカップが置かれていた。俺とクリス嬢が飲んだアンズの茶が注がれていた、あのカップだ。
砂糖の瓶もあるから――あのとき飲んだお茶は、やはり薬物か。
「ガラン……あいつの正体はわかる?」
〝恐らくはマンティコアだろう。針のような棘を飛ばし、毒を持つ幻獣だ〟
「そういうことか……でも、あいつはガランに気づいていないようだけど」
〝我とは、そこまで接点が無かったからな。それに、そこまで気配に敏感でもないのだろう。だからといって、容易い相手ではないぞ〟
「それは今現在、体験中だよ」
俺が砂糖の瓶もポケットに突っ込んだとき、ドアが開いた。
左の腕に薬の瓶を四つも抱えているから、身動きが取りにくいけど……ここは、一撃に駆けるしかない。
塩酸の瓶を右手に持つと、俺は機会を待った。
「さて……追い詰めたぞ?」
部屋に入ってきたルシートは、針を連続で撃っているらしい。薬瓶が割れる音が何度も聞こえてきた。
「ガラン……塩酸に反応増幅」
〝承知〟
ガランの声を聞いた俺は棚の影から、出入り口近くの天井目掛けて塩酸の瓶を投げつけた。塩酸の雨を浴びせてるためだが、俺の予想に反して瓶は天井で跳ね返り、そのまま床に落ちてしまった。
ルシートの足元で瓶は割れ、塩酸が飛び散った。
「おっと――」
しかしルシートは、慌てる素振りも見せずに一歩横に避けただけだ。
床や棚は強化塩酸で塗料かなにかが泡立ち始めていた。ズボンや靴も塩酸によって穴が空いたというのに、ルシート本人は平然としていた。
「惜しい惜しい。だが、そんな薬物はわたしには効かぬのだよ。わたしの皮膚は、毒への耐性が強くてね。塩酸……など、なんの意味も無い」
……マジか。
それじゃあ手にした薬とか、そのままじゃ役に立ちそうもない。
俺は投擲用のナイフを投げてみたが、それは半透明で赤みがかった、大きなサソリの尻尾によって弾かれた。
やっぱり、真正面からの攻撃は無理みたいだ。
ルシートはゆっくりと、こちらに歩いてくる。
「我々に逆らうなど……英雄気取りの割に、戦い方がせこいじゃないか」
「……なに言ってんだよ。もっと、人間のことを勉強しろって」
俺は文句を言いながら、周囲を見回した。棚の裏側を駆ければ通り過ぎることはできそうだが……いや、駄目か。
棚を貫通したヤツの針が、俺の身体を射貫くほうが早い。
俺は懐から卵一つだけ取り出した。三つ用意したけど、先ほどまでの大立ち回りで一個は割れていた。
ルシートが棚の中央付近まで来たタイミングで、俺は卵を投げつけた。
再びサソリの尾が卵を弾いた――その瞬間、割れた卵から黄色がかった白い粉が、周囲に広がった。
「くそ――なんだ! 目が!」
穴を開けて中身を取り出した卵の殻に、小麦粉とマスタードの粉を入れた目潰し煙幕弾だ。
ルシートが目を瞑ったのを見計らって、俺は全力で駆けた。攻撃しても良かったが、尻尾が無茶苦茶に動いていて、その隙間を縫ってナイフを投げる手間を惜しんだ――というのが本音だ。
薬室から廊下に出たとき、玄関から戻って来たクリス嬢が俺の所に駆け寄ってきた。
「な、なんで戻って来たんです!?」
「あなたを一人にできません!」
「ああ、もう……こっちへ!」
避難した人たちを巻き込むわけには、いかない。俺たちが病棟の奥へ向い始めたとき、薬室からルシートが出てきた。
「小僧――ん?」
まだ片目を押さえながら薬室から出てきたルシートは、クリス嬢の存在に気づいたらしい。ゆっくりと顔から手を離すと、余裕のある表情を浮かべた。
前に出していた尻尾の先端を引っ込めると、両手を左右に広げた。
「これはこれは……お嬢さんも参戦ですかな? ですが今の状況は、逃げ難くなっただけだろう」
ルシートの手の平に、緑色の水球のようなものが生み出された。そこから霧のような靄が足元へと流れ始めると、ゆっくりとこちらへ向かって来た。
「この毒は、おまえたちの身体を麻痺させる。それからゆっくりと、新たな実験台にしてやろう。息で吸い込むだけで身体が動かなくなり、思考すらできなくなるぞ?」
勝ち誇ったようなルシートに、俺はクリス嬢を連れて病棟の奥へと駆けた。
開けっ放しだった病室に入ると、クリス嬢を座らせた。
「クリス嬢……ティアマトは?」
「もちろん、一緒ですわ」
〝ええ。わたくしにして欲しいことがあれば、なんなりと〟
ティアマトの声に、俺はホッと息を吐いた。
「それじゃあ……俺たちの周囲に、水で膜を作れる?」
〝もちろんですわ。クリスティーナ〟
「ええ」
クリス嬢は軽く息を吸ってから、囁くように言った。
「ティアマト、水の操作」
〝畏まりましたわ〟
ティアマトの返答があった直後、俺とクリス嬢を取り囲むように水の膜が出現した。これに護られているあいだなら、毒も防げるはずだ。
膜に包まれていく中、俺は別の作業に没頭していた。
薬の瓶から二割ほどを残して硫酸を床に捨て、そこに砂糖を全部入れた。本当は掻き混ぜ棒で攪拌するんだけど……とりあえずは弧を描くように振って混ぜた。
それから瓶の口を上着の袖で縦に巻いて塞ぐ。
「ガラン……反応増幅。対象は……硫酸と砂糖の反応」
〝承知した〟
ガランの声が聞こえた瞬間、俺の手の中にある瓶が震え始めた。
俺は転がすように、瓶をルシートに投げつけた。瓶が足元で跳ね返ると、ルシートは靴底で横になった瓶を踏みつけた。
「硫酸……投げ損ねたのか? ただ、薬物など効かぬと言った筈だが……人の話を聞いていないのか、それともただの馬鹿なのか?」
小馬鹿にしたような、ルシートの声が聞こえてきた。
「くそ……まだか」
膜の中に戻った俺が投擲用のナイフを手にしたとき、廊下の向こう側から瓶が弾ける音がした。
それに少し遅れて聞こえてきたのは、くぐもった声。
「なんとか……なったか?」
「……なにがです?」
「それは見てみないと……膜に包まれたまま移動は?」
〝もちろん、可能ですわ〟
エキドアの操作を受けた膜に包まれたまま、俺とクリス嬢は廊下に出た。
新たに、毒は発生していなかった。左脚を立てた状態で、ガックリと跪いたルシートの足元に、黒い不定形の塊が転がり、その周囲には瓶の破片が散乱していた。
ルシートの左脚に、瓶の破片が刺さっているのを見て、俺は小さくガッツポーズをとった。
クリス嬢は、少し首を傾げた。
「なにをしましたの?」
「硫酸と砂糖を混ぜると、黒い塊になって膨らむんですよ。その化学反応を、反応増幅の魔術で増幅したんです。考えたとおり、爆弾みたいに瓶の破片を撒き散らしたみたいですね」
「トト……あなた、前世でテロとかしてませんわよね?」
「してませんってば。こんなの、魔術が無ければ蛇花火みたいなもんですしね。前世なら、もっと簡単なんですけどね。○○に○○入れるだけですし。殺傷力を増すなら、中に○○入れるとか……。まあ、簡単に手に入るヤツってだけですけど」
「やっぱり、テロとかしていませんか?」
「してませんってば」
クリス嬢に答えてから、俺は――ヤツの言葉が真実なら――麻痺をしているルシートに向き直った。
「傷口から入った、自分の毒はどうだい――って、反応できねぇか。てめぇには聞きたいことが山ほどある。縛り上げたあと、エキドアの居場所とか吐いてもらう。ちなみに、俺は英雄っていうより、どう見ても真逆の英雄だろ。人間の文化をもっと勉強しろ」
〝こ、この……人間が〟
「ああ、なにか知らないが、石に戻ったのか。あとで、その身体に戻っておけ。そうじゃねぇと、その身体が死んじまう」
毒が消えるのを待っていると、煙の向こう側に人影が見えた。
警備隊か消防が来たのか――そう思った直後、ルシートの胸板に大きな剣が突き刺さった。
「な――っ!?」
驚く俺の目の前で、剣が微細な振動を始めた。傷口から、周囲に血が飛び散り始めた。
イヤな予感が頭を過ぎった瞬間、ルシードの胴体が歪に歪み始めた。
「見るな!」
俺がクリス嬢の目を手で塞いだ――その直後、ルシードの身体が散り散りになった。
血飛沫すら、上がらない。まるで体液のすべてが消えてしまったような――そんな消え方だ。
「いて」
石の破片が俺の頬に当たった。ルシートの痕跡は、それだけだ。
床に僅かな血痕だけを残して、跡形もなくルシートは消えていた。その後ろ――俺たちから約一〇インテト(約一〇メートル五〇センチ)離れた場所に、一組の男女が立っていた。
品の良い、血のように真っ赤なドレスを着た妖艶な美女に、傭兵のような鎧を着た無骨な大男だ。
まさか――とは思うが。
でも、ほかに可能性なんて考えられない。
「てめぇ……エキドア、か?」
「あら。予想以上に聡い子ね。そうよ。あなたが……古き王の所持者ね。こうして直接見ると、よく分かるわ。古き王よ……あなた、その男の子をどうやって操っているの?」
〝操る……? どういうことだ。我はトトを操ってなどおらぬ〟
ガランの返答を聞いたエキドアは、僅かに首を傾げた。
「そう? でも、それだとおかしいわね。だって……その子、死んでるでしょ」
「なにを言ってるんだ、てめぇは」
「あたしの力は、予知。目の前にいる者の――数秒後の未来か、あたしに関わってくる未来を予知できるの。隣のお嬢さんの未来は視えるのに、坊やの未来は黒塗りのまま。こんなこと……死したあと、ほかの生き物の生き血を吸って身体を維持していた、ノスフェラトゥ以来よ」
エキドアは俺を見ながら、語り続けた。
「あなた、王の力を何度使ったの? 使いすぎて倒れたことは? 王の力は強力よ。人間なんかが、自由に使える代物ではないわ。倒れたとき、死んでいても不思議ではないわ」
エキドアの話に、俺は幻獣ラーブのことを思い出した。あのとき、俺はガランの力を使いすぎて昏倒した。そして二度目には、気を失った――。
そのことを思いだし、俺は背筋が冷たくなった。しかし、同時に俺はまだ生きているという確信もある。
「巫山戯たことばかり言ってるんじゃねぇ!!」
怒りを露わにした俺の足元に、大男が投げた短剣が突き刺さった。
「動いては駄目よ。ルシー……いえ、キマイラのようになりたくはないでしょ? そこから封印の力を放っても、この距離なら逃げられる」
「この……」
俺は飛び出しかけた脚を止めながら、まだ諦めてはいなかった。
あの振動が始まってから、身体が消失するまで数秒。そのあいだに封印できれば――。
俺が飛び出す機会を伺っていると、目の前に《俺》が現れた。
〝やめとけよ。人の話は聞いておくものだぜ? じゃねえと、後悔するぞ〟
「っち――この」
俺は手で幻影を払った。
そのときにはもう、エキドアと大男は玄関に向かって歩いているところだった。短剣の振動は止まっていた。
恐らく……多分だけど、効果範囲外に出たってことなんだろう。
「待て――っ!!」
俺は膜から飛び出すと、エキドアたちを追った。
今頃来た消防隊を押しのけ、玄関から外に出た。周囲を見回すが、もうエキドアたちの姿はどこにもいなかった。
俺は沸き上がる怒りを、堪えることができなかった。
「エキドア! てめぇ、出てこいっ!! 逃げるなぁぁぁぁっ!!」
俺の絶叫があたりに響き渡ったが、エキドアたちは現れない。ただ、避難していた看護師や医師が、俺を振り返っただけだった。
-------------------------------------------------------------------------
本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
業務連絡というわけではありませんが、今後のアップペースを。
4月から現場が変わるため、本作は週に二度にアップになると思います。
天狗のほうも週に二度のアップ……かなと。
現場的に、帰りが遅くなるのです。早出でもなくなるっぽいのですが……詳細がまだ連絡無くてですね。
詳細が不明なのは、ありえんわ……と思ってます。なんとかせーよ、上司の人……。
余談ですが、伏せ字のところはヤバイので書けません。
内容的には小学生の実験レベルですが、アメリカでは一部の州で禁止されている(犯罪になる)内容ですので……ご理解下さいませ。
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
次回もよろしくお願いします!
避難が終わったあと、俺とルシートの戦いは始まっていた。といっても、俺はルシートが撃ち出す、半透明の針を避け続けることしかできてない。
避難が終わった直後、ルシートはなんの言葉を発しないまま、俺に針を撃ち出した。どうやら避難完了を待っているあいだに、服の下に身体の一部を出していたようだ。
避難が終わるまでの睨み合いが、結果的にルシートに前準備を許してしまった。もっとも、俺もそのあいだに、ガランとの精神接続を終えている。
そのおかげで初撃を躱せたのだから、あまり人のことは言えない。
「どうした……? おまえは我らが同胞を持っているのだろう。協力をしているのだろうが。反撃をしたらどうだね?」
「んなこと言ったってなぁ……」
相手が遠距離攻撃までできるのは、完全に想定外だ。それに対抗する手段までは、用意していないわけで。
なんとか反撃できるものを、俺は逃げながら探していた。あの部屋に行けたら……とかと考えていると、煙の向こう側でルシートが動いた。
俺は舌打ちをしながら、即座に横に跳んだ。
飛んだ先が壁側だったのを知ったのは、俺の肩と頭をぶつけてからだ。がたんと動く壁に、半透明の針が突き刺さった。
壁に当たって、そのまま床に倒れ込んでなければ、俺の頭か背中に命中していた。
「くそ……巫山戯んな」
起き上がろうと床につけた俺の手が、壁と廊下の境目にある、隙間のようなものに触れた。隙間……これ、壁じゃなくて扉か!
俺は急いで起き上がるとノブに手を伸ばし、ドアを開けて部屋の中に飛び込んだ。
急いでドアを閉めた俺は、部屋の中を見て目を見張った。
俺が探していた、薬室だ。
棚から塩酸や硫酸……阿片に塩……その瓶を手に取ると、俺は並んでいる棚の右奥へと移動した。
奥の壁際に置かれた低いテーブルに、ティーポットやカップが置かれていた。俺とクリス嬢が飲んだアンズの茶が注がれていた、あのカップだ。
砂糖の瓶もあるから――あのとき飲んだお茶は、やはり薬物か。
「ガラン……あいつの正体はわかる?」
〝恐らくはマンティコアだろう。針のような棘を飛ばし、毒を持つ幻獣だ〟
「そういうことか……でも、あいつはガランに気づいていないようだけど」
〝我とは、そこまで接点が無かったからな。それに、そこまで気配に敏感でもないのだろう。だからといって、容易い相手ではないぞ〟
「それは今現在、体験中だよ」
俺が砂糖の瓶もポケットに突っ込んだとき、ドアが開いた。
左の腕に薬の瓶を四つも抱えているから、身動きが取りにくいけど……ここは、一撃に駆けるしかない。
塩酸の瓶を右手に持つと、俺は機会を待った。
「さて……追い詰めたぞ?」
部屋に入ってきたルシートは、針を連続で撃っているらしい。薬瓶が割れる音が何度も聞こえてきた。
「ガラン……塩酸に反応増幅」
〝承知〟
ガランの声を聞いた俺は棚の影から、出入り口近くの天井目掛けて塩酸の瓶を投げつけた。塩酸の雨を浴びせてるためだが、俺の予想に反して瓶は天井で跳ね返り、そのまま床に落ちてしまった。
ルシートの足元で瓶は割れ、塩酸が飛び散った。
「おっと――」
しかしルシートは、慌てる素振りも見せずに一歩横に避けただけだ。
床や棚は強化塩酸で塗料かなにかが泡立ち始めていた。ズボンや靴も塩酸によって穴が空いたというのに、ルシート本人は平然としていた。
「惜しい惜しい。だが、そんな薬物はわたしには効かぬのだよ。わたしの皮膚は、毒への耐性が強くてね。塩酸……など、なんの意味も無い」
……マジか。
それじゃあ手にした薬とか、そのままじゃ役に立ちそうもない。
俺は投擲用のナイフを投げてみたが、それは半透明で赤みがかった、大きなサソリの尻尾によって弾かれた。
やっぱり、真正面からの攻撃は無理みたいだ。
ルシートはゆっくりと、こちらに歩いてくる。
「我々に逆らうなど……英雄気取りの割に、戦い方がせこいじゃないか」
「……なに言ってんだよ。もっと、人間のことを勉強しろって」
俺は文句を言いながら、周囲を見回した。棚の裏側を駆ければ通り過ぎることはできそうだが……いや、駄目か。
棚を貫通したヤツの針が、俺の身体を射貫くほうが早い。
俺は懐から卵一つだけ取り出した。三つ用意したけど、先ほどまでの大立ち回りで一個は割れていた。
ルシートが棚の中央付近まで来たタイミングで、俺は卵を投げつけた。
再びサソリの尾が卵を弾いた――その瞬間、割れた卵から黄色がかった白い粉が、周囲に広がった。
「くそ――なんだ! 目が!」
穴を開けて中身を取り出した卵の殻に、小麦粉とマスタードの粉を入れた目潰し煙幕弾だ。
ルシートが目を瞑ったのを見計らって、俺は全力で駆けた。攻撃しても良かったが、尻尾が無茶苦茶に動いていて、その隙間を縫ってナイフを投げる手間を惜しんだ――というのが本音だ。
薬室から廊下に出たとき、玄関から戻って来たクリス嬢が俺の所に駆け寄ってきた。
「な、なんで戻って来たんです!?」
「あなたを一人にできません!」
「ああ、もう……こっちへ!」
避難した人たちを巻き込むわけには、いかない。俺たちが病棟の奥へ向い始めたとき、薬室からルシートが出てきた。
「小僧――ん?」
まだ片目を押さえながら薬室から出てきたルシートは、クリス嬢の存在に気づいたらしい。ゆっくりと顔から手を離すと、余裕のある表情を浮かべた。
前に出していた尻尾の先端を引っ込めると、両手を左右に広げた。
「これはこれは……お嬢さんも参戦ですかな? ですが今の状況は、逃げ難くなっただけだろう」
ルシートの手の平に、緑色の水球のようなものが生み出された。そこから霧のような靄が足元へと流れ始めると、ゆっくりとこちらへ向かって来た。
「この毒は、おまえたちの身体を麻痺させる。それからゆっくりと、新たな実験台にしてやろう。息で吸い込むだけで身体が動かなくなり、思考すらできなくなるぞ?」
勝ち誇ったようなルシートに、俺はクリス嬢を連れて病棟の奥へと駆けた。
開けっ放しだった病室に入ると、クリス嬢を座らせた。
「クリス嬢……ティアマトは?」
「もちろん、一緒ですわ」
〝ええ。わたくしにして欲しいことがあれば、なんなりと〟
ティアマトの声に、俺はホッと息を吐いた。
「それじゃあ……俺たちの周囲に、水で膜を作れる?」
〝もちろんですわ。クリスティーナ〟
「ええ」
クリス嬢は軽く息を吸ってから、囁くように言った。
「ティアマト、水の操作」
〝畏まりましたわ〟
ティアマトの返答があった直後、俺とクリス嬢を取り囲むように水の膜が出現した。これに護られているあいだなら、毒も防げるはずだ。
膜に包まれていく中、俺は別の作業に没頭していた。
薬の瓶から二割ほどを残して硫酸を床に捨て、そこに砂糖を全部入れた。本当は掻き混ぜ棒で攪拌するんだけど……とりあえずは弧を描くように振って混ぜた。
それから瓶の口を上着の袖で縦に巻いて塞ぐ。
「ガラン……反応増幅。対象は……硫酸と砂糖の反応」
〝承知した〟
ガランの声が聞こえた瞬間、俺の手の中にある瓶が震え始めた。
俺は転がすように、瓶をルシートに投げつけた。瓶が足元で跳ね返ると、ルシートは靴底で横になった瓶を踏みつけた。
「硫酸……投げ損ねたのか? ただ、薬物など効かぬと言った筈だが……人の話を聞いていないのか、それともただの馬鹿なのか?」
小馬鹿にしたような、ルシートの声が聞こえてきた。
「くそ……まだか」
膜の中に戻った俺が投擲用のナイフを手にしたとき、廊下の向こう側から瓶が弾ける音がした。
それに少し遅れて聞こえてきたのは、くぐもった声。
「なんとか……なったか?」
「……なにがです?」
「それは見てみないと……膜に包まれたまま移動は?」
〝もちろん、可能ですわ〟
エキドアの操作を受けた膜に包まれたまま、俺とクリス嬢は廊下に出た。
新たに、毒は発生していなかった。左脚を立てた状態で、ガックリと跪いたルシートの足元に、黒い不定形の塊が転がり、その周囲には瓶の破片が散乱していた。
ルシートの左脚に、瓶の破片が刺さっているのを見て、俺は小さくガッツポーズをとった。
クリス嬢は、少し首を傾げた。
「なにをしましたの?」
「硫酸と砂糖を混ぜると、黒い塊になって膨らむんですよ。その化学反応を、反応増幅の魔術で増幅したんです。考えたとおり、爆弾みたいに瓶の破片を撒き散らしたみたいですね」
「トト……あなた、前世でテロとかしてませんわよね?」
「してませんってば。こんなの、魔術が無ければ蛇花火みたいなもんですしね。前世なら、もっと簡単なんですけどね。○○に○○入れるだけですし。殺傷力を増すなら、中に○○入れるとか……。まあ、簡単に手に入るヤツってだけですけど」
「やっぱり、テロとかしていませんか?」
「してませんってば」
クリス嬢に答えてから、俺は――ヤツの言葉が真実なら――麻痺をしているルシートに向き直った。
「傷口から入った、自分の毒はどうだい――って、反応できねぇか。てめぇには聞きたいことが山ほどある。縛り上げたあと、エキドアの居場所とか吐いてもらう。ちなみに、俺は英雄っていうより、どう見ても真逆の英雄だろ。人間の文化をもっと勉強しろ」
〝こ、この……人間が〟
「ああ、なにか知らないが、石に戻ったのか。あとで、その身体に戻っておけ。そうじゃねぇと、その身体が死んじまう」
毒が消えるのを待っていると、煙の向こう側に人影が見えた。
警備隊か消防が来たのか――そう思った直後、ルシートの胸板に大きな剣が突き刺さった。
「な――っ!?」
驚く俺の目の前で、剣が微細な振動を始めた。傷口から、周囲に血が飛び散り始めた。
イヤな予感が頭を過ぎった瞬間、ルシードの胴体が歪に歪み始めた。
「見るな!」
俺がクリス嬢の目を手で塞いだ――その直後、ルシードの身体が散り散りになった。
血飛沫すら、上がらない。まるで体液のすべてが消えてしまったような――そんな消え方だ。
「いて」
石の破片が俺の頬に当たった。ルシートの痕跡は、それだけだ。
床に僅かな血痕だけを残して、跡形もなくルシートは消えていた。その後ろ――俺たちから約一〇インテト(約一〇メートル五〇センチ)離れた場所に、一組の男女が立っていた。
品の良い、血のように真っ赤なドレスを着た妖艶な美女に、傭兵のような鎧を着た無骨な大男だ。
まさか――とは思うが。
でも、ほかに可能性なんて考えられない。
「てめぇ……エキドア、か?」
「あら。予想以上に聡い子ね。そうよ。あなたが……古き王の所持者ね。こうして直接見ると、よく分かるわ。古き王よ……あなた、その男の子をどうやって操っているの?」
〝操る……? どういうことだ。我はトトを操ってなどおらぬ〟
ガランの返答を聞いたエキドアは、僅かに首を傾げた。
「そう? でも、それだとおかしいわね。だって……その子、死んでるでしょ」
「なにを言ってるんだ、てめぇは」
「あたしの力は、予知。目の前にいる者の――数秒後の未来か、あたしに関わってくる未来を予知できるの。隣のお嬢さんの未来は視えるのに、坊やの未来は黒塗りのまま。こんなこと……死したあと、ほかの生き物の生き血を吸って身体を維持していた、ノスフェラトゥ以来よ」
エキドアは俺を見ながら、語り続けた。
「あなた、王の力を何度使ったの? 使いすぎて倒れたことは? 王の力は強力よ。人間なんかが、自由に使える代物ではないわ。倒れたとき、死んでいても不思議ではないわ」
エキドアの話に、俺は幻獣ラーブのことを思い出した。あのとき、俺はガランの力を使いすぎて昏倒した。そして二度目には、気を失った――。
そのことを思いだし、俺は背筋が冷たくなった。しかし、同時に俺はまだ生きているという確信もある。
「巫山戯たことばかり言ってるんじゃねぇ!!」
怒りを露わにした俺の足元に、大男が投げた短剣が突き刺さった。
「動いては駄目よ。ルシー……いえ、キマイラのようになりたくはないでしょ? そこから封印の力を放っても、この距離なら逃げられる」
「この……」
俺は飛び出しかけた脚を止めながら、まだ諦めてはいなかった。
あの振動が始まってから、身体が消失するまで数秒。そのあいだに封印できれば――。
俺が飛び出す機会を伺っていると、目の前に《俺》が現れた。
〝やめとけよ。人の話は聞いておくものだぜ? じゃねえと、後悔するぞ〟
「っち――この」
俺は手で幻影を払った。
そのときにはもう、エキドアと大男は玄関に向かって歩いているところだった。短剣の振動は止まっていた。
恐らく……多分だけど、効果範囲外に出たってことなんだろう。
「待て――っ!!」
俺は膜から飛び出すと、エキドアたちを追った。
今頃来た消防隊を押しのけ、玄関から外に出た。周囲を見回すが、もうエキドアたちの姿はどこにもいなかった。
俺は沸き上がる怒りを、堪えることができなかった。
「エキドア! てめぇ、出てこいっ!! 逃げるなぁぁぁぁっ!!」
俺の絶叫があたりに響き渡ったが、エキドアたちは現れない。ただ、避難していた看護師や医師が、俺を振り返っただけだった。
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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
業務連絡というわけではありませんが、今後のアップペースを。
4月から現場が変わるため、本作は週に二度にアップになると思います。
天狗のほうも週に二度のアップ……かなと。
現場的に、帰りが遅くなるのです。早出でもなくなるっぽいのですが……詳細がまだ連絡無くてですね。
詳細が不明なのは、ありえんわ……と思ってます。なんとかせーよ、上司の人……。
余談ですが、伏せ字のところはヤバイので書けません。
内容的には小学生の実験レベルですが、アメリカでは一部の州で禁止されている(犯罪になる)内容ですので……ご理解下さいませ。
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
次回もよろしくお願いします!
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ジルには“世界を覆すほどのチートスキル”が隠されていたのだ。
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よろしくお願いします!
(7/15追記
一晩でお気に入りが一気に増えておりました。24Hポイントが2683! ありがとうございます!
(9/9追記
三部の一章-6、ルビ修正しました。スイマセン
(11/13追記 一章-7 神様の名前修正しました。
追記 異能(イレギュラー)タグを追加しました。これで検索しやすくなるかな……。
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