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最終章前編
二章-4
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マーカスが街中に出たとき、すでに夕暮れが街を染めていた。
帰宅時間に重なったのか、往来する人々は昼間よりも多くなっていた。人混みまではいかないが時折、肩を掠めるときがある。
そんな街中を進んだマーカスは、街外れにある酒場へと入った。
看板に《錆びた王冠》と書かれた店の中は、客といえるのは二人しかいない。カウンターの六席と、四人掛けのテーブルが二つという、小さな店だ。
店内をぐるっと見回したマーカスは、ごつい店主のいるカウンターの一番右端の席についた。
「いらっしゃい。なんにします?」
「果実酒を。できれば、ナッツを三つつけてくれ」
「三つ? 果実酒にしては、多いですね」
「ああ……隣の国との取り引きが上手くいかなくて、ちょっと様子見ってところなんだよ。家の犬も心配だし。大食いで鬱憤を紛らわせたいけど、太るしね」
「まあ、いいですがね。少し待って下さいよ」
店長は手早く用意した果実酒とナッツを、マーカスの前に置いた。それからテーブル客とお喋りしていた中年の女性に店のことを任せると、裏口から外へ出て行った。
先ほど、マーカスと店主が交わした会話は、暗号そのものだ。
部下を三人、隣国へ。監視は自国の兵士。偽装工作の可能性あり――それらのことを諜報部の構成員である、店長に伝えたのだ。
果実酒を飲み、三つのナッツを食べ終えたマーカスは、代金を支払って店を出た。
〝トトの案は採用?〟
急にヴォラに話し掛けられ、ほろ酔い気分だったマーカスは我に返った。
周囲に人影がないのを見てから、マーカスはポケットの中の指輪に触れた。
「採用するしかないだろう? 自国の兵が戦争を引き起こすための工作活動なんて、やることは限られている。どんな考えをしたのか、トトは教えてくれなかったけどね。用心しろって言われたら、やるしかないよ」
〝その監視に、あなたは同行するの?〟
ヴォラの問いに、マーカスは憂鬱そうな顔をした。
日中、夜間を問わず、屋外で塹壕の監視を行う――体力のないマーカスには、過酷過ぎる環境だ。
首を軽く振ってから、諦めたように顔を天にあげた。
「やるしかないだろうね……ただ、僕は足を引っ張る可能性が高いから、部下たちから『来るな』って言われるかもしれない」
〝その可能性は高いかしらね〟
苦笑したようなヴォラの声にマーカスが口を曲げたとき、背後から小走りに近寄ってくる足音が聞こえた。
マーカスは壁を背にして、足音の主を待ち構えた。
足音の正体は、酒場の店主だった。
「旦那、旦那――忘れ物ですぜ」
店主は、一枚の紙片をマーカスに差し出した。
「あの、これは?」
「たまたま、連絡員が店に寄ったんです。そこで言われた内容を伝えたんですが……あとは、内容を見て下さい」
「わかった。ありがとう」
マーカスが紙片を受け取ると、店主は「今度は、気をつけて下さいよ」と、大声で告げながら店に戻って行った。
紙片をポケットに入れたマーカスは、早足で宿への道を歩いた。
*
食事を終えた俺は、洗濯を終えた服に着替えた。
昼寝……というか、夕方だから寝落ちって言ったほうがいいか。とにかく、それをしたお陰で、眠気は綺麗さっぱり――から拭き程度には消えたと思う。
まだ残っている僅かな眠気が、欠伸を呼び起こした。
俺が部屋の外に出ると、その音を聞きつけたのか、横の部屋にいたクリス嬢が、慌てて出てきた。
「トト、どこかに行くのですか?」
「えっと……ですね。駐屯地を見張ろうと……工作活動で隣の国に行くなら、夜の可能性が高いんですよ。なので、ちょっと監視をしようと思って……ですね?」
「そうですか。なら、わたくしも御一緒します」
「あ、いや……夜も遅いですし。女性を連れて行くわけには……」
「でも、一人で行かせるのは心配ですもの。それに、わたくしだって、なにかの役には立つと思います」
「いえ、役に立たないなんて、思ってないですけど……」
クリス嬢の反応に、俺は戸惑った。
役割分担ということには、理解をしてくれていたのに。もしかしたら、かなり我慢をさせていたのかもしれないな。
俺は頭を掻きながら、クリス嬢の全身を見回した。
「とりあえず、ドレスからズボンとシャツに着替えられるなら……ですね。ドレスでは、いざってときに身動きがしにくいですから」
持って来てますか――と訊いてすぐに、クリス嬢はポンと手を打った。
「少し待って頂けますか!? すぐに着替えて参りますから」
「わかりました。逃げませんから、落ちついて着替えてきて下さい」
「ええ。信じて――あ」
言葉の途中で、クリス嬢は俺に含み笑いを向けてきた。
「トトが手伝って下さったら、早く終わりますわよ?」
手伝うって、なにを?
俺はクリス嬢がなにを言いたいのか、頭の中で考えて――あ。
なにを手伝うのか理解した瞬間、俺は顔が真っ赤になった。いや、見えてないけど、きっとなってる。
「いや、あの……下着とか見ちゃうかもですし、拙いですって」
「あら? 気にすることありませんのに」
どこか上機嫌にクリス嬢が部屋に戻ると、ドア越しに鼻歌が聞こえてきた。
なんか凄い楽しげなんだけど……まるでデートに行く前みたいな様子だ。まあ前世からこちら、クリス嬢ともまともなデートをしたことはないわけだけど。
俺がクリス嬢の着替えを待っていると、宿の使用人が廊下のランプを点けに来た。
俺はランプの灯を見ないように、少し俯き気味に壁に凭れた。緊張で呼吸が早くなるのは、もう仕方が無い。
俺にしてみれば、左右から銃口を向けられている状況と同義なわけだし。
額に脂汗が浮かんできたとき、横から革靴の足音が聞こえてきた。
「トト、どうしたんだい?」
「ああ、マーカスさん。クリス嬢の着替え待ちです」
「着替え……ああ、デート?」
そんな、呑気な意見に、俺は重苦しい溜息を吐いた。
「あのですね。今の状況を理解してます? そんなことしてる、暇も余裕もないですよ」
「ええっと、ごめん。でも、それじゃあ、どこに?」
「駐屯地の見張りです。クリス嬢も一緒に行くとかで」
「ああ……押し負けた?」
そのマーカスさんの意見に、俺は否定する言葉を探した。
……そして、ガックリと頷いた。
「まあ、概ねおっしゃるとおりです」
「少し棒読みじゃないか? まあ、いいけど。それより、ちょっとこれを見てくれないか」
そう言って、マーカスさんはポケットから、二つ折りにされた紙片を取り出した。
マーカスさんが開いた紙片には軍本部から、ラントンに向けて銃火器が輸送開始されたという情報が記されていた。
「これ、どう思う?」
「やる気、満々」
俺が頭を抱えると、マーカスさんは紙片を黙って閉じた。
その表情を見るに、マーカスさんも俺と同意見みたいだ。輸送中の銃火器が届く日が、リミットなのかもしれない。
「軍本部からここまで、何日くらいですか?」
「経路にもよるけど……汽車を使えば三日か四日」
うわぁ……時間ねぇ。
これは計画を練るために、情報を集める暇はないな。
となると。
あと出来るのは、その場その場での、臨機応変――いや、言葉を飾るのは止めよう。
行き当たりばったりしかないだろう。今の俺たちに出来るのは、その行き当たりばったりをするための準備だ。
……となると、今日明日の工作活動はないな。
予定変更。
猶予はないから、出来れば今からでも出かけたい。でも、そのための準備もない。準備のための準備――なにを言っているのか、焦ってて自分でもよく分からなくなっている。
「マーカスさん。スコントラードの通貨とか用意できますか? ていうか今、持ってます?」
「いや、流石に持ってないけど」
「本当ですか? ちょっとジャンプしてみたり、上着とかズボンとか、揺らしてもらっていいですか?」
「疑っても、持ってないよ。流石に他国の通貨を常備するわけないだろ?」
ちっ。正論だ。
「それじゃあ、明日までに用意とかできませんか?」
「トト、なにを考えているんだい?」
「資材の現地調達ですよ。相手がなにをやるにしても、前もって準備をしておかないと」
俺が答えると、マーカスさんは珍しく後頭部を掻いた。
それから、自分の財布を取り出して中身を確かめた――おお、結構な額が入ってる。
「わかった。明日まで待ってくれ。換金してくるから」
「願いします。必ず、戦争を回避させましょう」
俺とマーカスさんが頷いたとき、男装と見間違えるような服に着替えた、クリス嬢が出てきた。
髪の毛を後ろで束ねたクリス嬢は、俺に微笑みかけてきた。
「お待たせしました」
「クリス嬢、外出は中止です」
「……え?」
きょとん、としたクリス嬢は、「あの……なにがありましたの?」と力なく訊いてきた。
俺はもっともらしい顔で、真実のみを伝えた。
「マーカスさんが原因で、中止したほうがいいと判断しました」
「マーカスさん……どういうことですの?」
「いや、待って下さい。トト、説明を省略し過ぎだ!」
でも、嘘は言ってないし。
クリス嬢に詰め寄られたマーカスさんを余所に、俺は頭の中で必要な資材を選び始めていた。考える時間が欲しいから、詳細はマーカスさんに任せよう。
と、思ったわけなんだけど。
このあと、俺は二人にめっちゃ怒られた。
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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
暗号文って、作るの面倒ですね……。一応、読み解けるようにはなってます。ヒントは、必ずしも訳と同じ順番じゃない……という感じです。
『屑スキルが覚醒したら追放されたので、手伝い屋を営みながら、のんびりしてたのに~なんか色々たいへんです』も、どうかよろしくお願いいたします(ペコリ
読んで頂いている方々、いつもありがとうございます。かなり活力になってます。
少しでも楽しんで頂けたら、幸いです。
次回もよろしくお願いします!
応援ありがとうございます!
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