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最終章後編

八章-4

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 俺の挑発で、エキドアの巨体がゆっくりとした動きで翼を広げた。


〝愚かな小僧め――そのような貧弱な身体で、なにができる!〟


 俺へと降下するエキドアの上半身が、徐々に速度を増していった。左前足が迫ってくるのをチラ見してから、俺は右方向へと駆けた。
 俺から身体二つ分の距離をあけて、エキドアの左前足が地面に叩き付けられた。砂塵が舞い上がり、周辺を覆い尽くした。
 再びゆっくりと鎌首をもたげたエキドアが、左右を見回した。


〝おのれ――どこへ逃げた!〟


「逃げるか、バーカッ!」


 俺はベルトに挟んでいたハンマーを取り出しながら、エキドアの下半身――大蛇の部分だ――の左側に廻っていた。
 ハンマーで殴りつけると、一枚だけだが鱗が割れた。
 たった一枚だが、エキドアの怒りを誘うには充分だ。案の定、エキドアは怒りの咆吼をあげた。


〝貴様――わたくしの身体に傷をつけるとはっ! その罪、死によって償わせてやるろう!!〟


 祭器から発している光に照らされた大蛇の尻尾が、もぞっと動き出した。横に薙ぐように振られた尻尾は地面を抉りながら、俺へ目掛けて迫ってくる。
 しかし地面の抵抗のお陰で、動きが捕らえやすい。俺は急いでエキドアから離れると、湖の中へと逃げ込んだ。
 泥が湖の中に入ってきて、俺も泥まみれになったけど――あの尻尾を身体で受けるよりはマシだ。
 俺が水面から身体を出すと、エキドアは口から蒸気のような息を吐いた。


〝まったく――ちょこまかと子ネズミのように動き回る。だけれど、そこでは今までみたいな身動きはできないでしょう?〟


 そう告げるエキドアの上半身では、鱗が一斉に逆立ち始めていた。赤い鱗が、祭器からの光を反射して、不気味に煌めいていた。


〝全方向へ我が鱗を撃ち出すわ。威力は恐らく、あなたを撃った銃くらいはあるはず。この攻撃、あなたに避けきれるかしらね〟


〝いかん――トト、逃げよ!〟


 エキドアの声が聞こえたのか、ガランが警告を発した。
 しかし俺は冷静に、湖の中心へ向けて泳ぎだした。そんな俺を見て嘲笑していたエキドアが、大きく息を吸った。
 胸部が大きく膨らみ、全身に力を溜め込んでいるのがわかる。胸部の膨張が止まると、エキドアは怒鳴り声を張り上げた。


〝死ねっ!!〟


 しかし俺はことのとき、湖の中に潜り始めていた。
 水深にして、約二インテト(約二メートル一〇センチ)ほど潜った直後、エキドアが鱗を撃ち出した。
 四方八方に放たれた鱗は、湖の水面にも多く撃ち込まれた。もちろん、俺のいる辺りにも――だ。
 水面に幾つも水しぶきが上がる中、エキドアの笑い声が木霊した。


〝ほっほっほっ! どうかしら。さすがにこれは……躱せないでしょう? 王諸共に湖の底に沈むがいいわ! わたくしが……わたくしが幻獣の王となるのよ!〟


 余裕を見せて水面を眺めているエキドアは、言葉の途中で息を吐いていた。胸が上下している姿から、あの鱗を飛ばす力はかなり消耗するようだ。
 これは好都合だったな――そう思いながら、岸から上がった俺は近くの岩場に腰掛けた。


「躱すまでもなかったけどな」


 俺の声に驚いたのか、目を見広げたエキドアが振り返った。


〝なぜ……無事でいられる!?〟


「一つ教えてやるよ。銃弾を川や湖に撃ち込んでも、一インテト(約一メートル五センチ)も下にいれば無効化できるんだぜ」


 水の抵抗力は、意外と馬鹿にできない。人が十数メートルの高さから水面に落ちると、コンクリートにぶつかったくらいの衝撃になるらしいが、それは銃弾も同じだ。
 しかも弾丸は人間が自由落下するときとは、比べられない速度で水面にぶつかる。弾丸が木っ端微塵になってしまうほど、強い衝撃を受けることになるんだ。
 あの四四マグナムだって、水で膨らませた水風船が四つもあれば、弾丸が止まるって話だ。上からの空気圧、それに水圧がかかって密度の増した水中に、普通の弾丸が通るわけがない。


「あんなもの、湖の側じゃ役にたたないぜ? 俺を殺したければ、拳で来いよ」


 俺は岩場から降りると、人差し指と中指をクイクイッと動かした。
 エキドアは俺の挑発に唸るような声をあげた。


「おのれ!」


 エキドアが大蛇の下半身をくねらせながら、俺の元へと突進してきた。しかし俺の予想通り、その速度はあまり早くない。精々、小走りする中年のおっさんくらいだ。
 そのエキドアの突進に対し、俺は右横方向へと全力で駆けた。俺の動きに追従しようとしたエキドアだったが、巨体故に制動が利かないようだった。
 かなり大回りに身体の向きを変えたエキドアの視線が、魂器の祭器で止まった。


〝そうね……トラストン、あなたのすばしっこさは……認めるわ。でも……こうしたら、困るのでは無くて?〟


 エキドアはどこか辛そうな呼吸をしながら、尾の一撃で魂器の祭器をバラバラにした。
 祭器からの光が止むと、辺りは暗闇に覆われた。


〝これでどうかしら? 王の魔術を使う――未来は見えないわね。王はなにもしない、そうでしょう?〟


〝トト――魔術を一つも刻んでいなかったが、良かったのか?〟


 心配そうなガランの声を聞きながら、俺は小さく笑った。


「大丈夫だって――ヤツの言葉が正しかったらだけどさ。それじゃあ――暗視」


 俺の意志と言葉に反応して、右胸が熱くなる。それと同時に、俺の視界が一変した。暗闇にも関わらず、昼間と同等とまではいかないが、それでもかなり明るくなった。
 俺の変化に気付いたのか、ガランが驚きの声をあげた。


〝トト――これは?〟


〝魔術の貯金だってさ。さて……エキドアのヤツを驚かしてやろうぜ〟


 俺はエキドアの前足が届く範囲へと、飛び込んでいった。
 手にはポケットから出したジャガイモ電池を握り、左手で投擲用のナイフを腰のベルトから引き抜いた。
 エキドアの前足が、再び俺へと振り下ろされた。
 徐々に速度があがる左右の前足に対し、俺は全力でエキドアから離れた。エキドアの右側へと逃げたあと、最初に前足、続けて胴体が地面にめり込んだ。
 砂塵が舞い上がる中、俺は狙いを定めてナイフを投げた。
 ナイフは俺の狙い通り、エキドアの右目に突き刺さった。しかし、その巨体だ。投擲用のナイフ程度じゃ、ゴミが目に入った程度の痛みしかないだろう。


〝が――貴様!〟


〝どうしたよ、エキドア。未来を視ることに慣れすぎて、俺の動きが読めなさすぎだぜ〟


 右目を瞑ったエキドアが、僅かに頭を上げた。しかし、そのとき俺はすでに、エキドアの首に跨がっていた。


「反応増幅――化学反応による電荷の移動!」


 俺はジャガイモ電池の端子を、エキドアの首根っこに押しつけた。スタンガンのような電流に、エキドアが苦悶の声をあげ、再び頭部を地面に付けた。


〝が――ガハッ!〟


「どうしたよ――復活したばかりで、身体が鈍ってるんじゃないか? 動きがとろすぎて欠伸が出そうだぜ」


〝な……なぜだ! 王は……魔術を使っていないというのに!?〟


 エキドアの声には、怯えが混じっていた。理解の範疇から外れた俺の行動に、エキドアの心に恐怖が芽生え始めたのかもしれない。
 それにしても……エキドアは予想以上に頑丈だ。早く……アレが来てくれないと、こっちの体力が保ちそうにない。
 そんな不安をかき消すように、俺はエキドアから離れながら、両手で中指をおっ立ててみせた。


「誰が教えてやるもんかよ。それより……俺が宣言した通りの展開になってきたんじゃないか? 小馬鹿にしていた人間に、一方的にボコられる気分はどうだい? そんな強さじゃ王っていうより、便所コオロギあたりがお似合いだ」


〝い――言いたいことは……それだけかっ!! 黒焦げにしてやる!〟


 エキドアは身体を起こすと、再び息を吸い始めた。しかし今度は鱗は逆立たず、胸元が赤く光り始めた。
 右目を瞑ったまま、俺へと顔を向けるエキドアの口から、炎が溢れた。


 ――あ。


 ブレス――炎の息を吐き出すつもりなのは、すぐに理解できた。
 本来ならすぐに回避のために動き出すべきだが、できなかった。炎を見た瞬間、俺の頭が真っ白になり、腰から力が抜けたからだ。


〝トト、どうした? 早く逃げよ!〟


 ガランの声は聞こえたが、俺は身動きが出来なくなっていた。
 そんな俺の目の前で、エキドアの口が開かれた――。


〝莫迦……な。なぜ?〟


 ブレスは、吐かれなかった。その代わり、ハアハアと深呼吸を繰り返しながら、エキドアの身体が地面に横たわった。
 炎が消えたお陰で恐怖心が薄れた俺は、盛大な溜息を吐いた。そんな俺に、ガランは俺に言ってきた。


〝トト――やはり炎への恐怖心は、克服することを勧めるが〟


「そうだ……ね。これが終わったら、真剣に考えてみるよ」


 俺はポケットからある品を持ち出しながら、崩れた祭器の部品へと近寄った。
 そんな俺を見ながら、エキドアは先ほどより擦れた声を出した。


〝これは……どうして……これでは、幻獣が滅びたときと同じではないか……〟


「その通りだ。幻獣は、今の空気――酸素に身体が順応できないのさ。だから、あんたはいままで、毒ガスの中で俺と戦っていたわけだ」


 幻獣の王が見せた過去の幻影を思い出しながら、俺はエキドアに告げた。
 緑が増えてくるにつれて幻獣が滅んでいったのは、空気中の酸素が増えたからだ。酸素というのは、他の元素と結びつきやすく、それが細胞を壊す原因にもなる。
 サイクロプスも幻獣の身体を復活させる実験が、上手くいかないと言っていた。それは、幻獣の身体が酸素に耐えきれないからだ。
 だから酸素に適応できない幻獣にとって、今の空気は毒でしかない。 しかし同時に、酸素はエネルギーを造り出す元にもなる。これにより、地球上の生物は進化を続けてきたと言ってもいい。酸素に対応していないということは、その身体的構造が今の生物よりも脆いということだ。
 簡単に言えば、酸素で多くのエネルギーを作り出せていない幻獣の身体は、今の世界で生きる生物に比べてスカスカ――なんだと思う。
 その根拠は、レヴェラーの存在だ。
 幻獣として特殊な力を持っていないレヴェラーが生き延び、自分の武勇伝を語っていいられたんだ。
 レヴェラーは、酸素に適応しかけた最初の幻獣だった可能性がある。そうでなければ、あんな糞みたいな武勇伝を語れるはずがないからな。


「――というわけだ。幻獣の身体に戻った時点で、てめーの負けは確定してたんだよ。俺はそれまで、時間稼ぎをすればよかったってわけだ」


〝そんなことが……だが、まだ、だ……〟


 エキドアは倒れているスピナルの身体へと、這いだした。どうやら、封印されていた鉱石に戻れるか試すらしいが……それは、俺の予測通りだ。


「あんたが目指しているのは、これかい?」


 俺が手にしていた黒曜石を指先で摘まむと、エキドアの目が見開かれた。


〝それは――い、いつの間に〟


「おまえと戦う前に、その身体から抜いたのさ。この中に魂を戻して、また生き長らえようってつもりなんだろうが――」


 俺は黒曜石を地面に落ちている祭器の上に置くと、ハンマーを握り締めた。


「そんなことは、させない」


 俺は大きく振りかぶったハンマーを、黒曜石に叩き込んだ。その一撃で粉々になる黒曜石を目の当たりにして、エキドアは悲鳴に似た声をあげた。
 これで、魂を黒曜石に戻すことはできない。エキドアの魂は、不死性を失ったわけだ。


〝なんて……ことを……ああ――これでは、わたくしは……滅びてしまう〟


「そうだ。このまま絶望感の中で、苦しみ抜いて死んでいけ」


 俺の言葉に、エキドアはなにも反応を示さなかった。しかし首を俺へと向けると、懇願するような声音で喋り始めた。


〝王よ……偉大なる幻獣の王、ガラーンニードアーマルクドムンよ。どうか、哀れなわたくしをお救い下さい。わたくしは今後、あなたに逆らうことなく、従順な臣下となりましょう。偉大なる王を崇拝し、こころからお慕いいたします。ですから、もう一度、わたくしの魂を鉱物に封印して下さいませ。偉大なる我らの王、ガラーンニードアーマルクドムン様のお慈悲をどうか――〟


 俺はエキドアの目を一瞥してから、その唾棄したくなる言動を遮った。


「黙れ。今のてめえは――心から敬うって目をしてねえ。それどころか、俺のよく知る奴らと同じ目をしてるぜ? 俺を騙そうとしてきた、詐欺師やチンピラと同じ目だ」


〝黙れ……貴様には言っていない! 王よ……哀れで愚かな……わたくしにお慈悲を〟


 エキドアの懇願は続くが、ガランは無言だった。
 ガランの性格から、怒りと憐れみが混在して、どうするべきか判断できなくなっているみたいだ。
 こういうところ、ガランは甘いが――だからこそ、俺は友人でいられるわけで。
 俺は近くに転がっていた石ころを拾うと、エキドアへと向けた。


「ガラン、この石へ封印――できる?」


〝……いいのか?〟


「ああ。やってくれ」


 俺の頼みが切っ掛けで、ガランの気持ちが少し楽になったのがわかる。半透明のドラゴンの頭部がエキドアの身体を貫いたあと、俺の持つ石ころへと吸い込まれていった。
 封印を終えたあと、エキドアの声が聞こえてきた。


〝ああ……王よ、感謝いたします〟


「馬鹿か、てめえは。俺が、あんたを許すはずがないだろ」


〝なに――どういうことだ?〟


 エキドアの戸惑う声を聞きながら、俺は岸辺へと歩き出した。
 微かに、蒸気の音が近づいてくるのがわかる。そして、ランプの光。小型の蒸気船が、近づいてくているようだ。
 俺はランプから目を逸らしながら、船の到着を待った。
 蒸気船が到着すると、マーカスさんと部下の人たちが下船してきた。


「トト――終わったのかい?」


「一応は」


 短く応じながら、俺はエキドアを封印した石ころを差し出した。
 マーカスさんは石ころを受け取りながら、怪訝な顔をした。


「これは?」


「エキドアの魂を封印したやつです。金属の箱に入れて蓋を溶接してから、深い海の底にでも沈めて下さい」


〝な――っ!?〟


 エキドアが驚く声をあげたが、俺はそれを無視した。
 これからの未来、エキドアは暗い深海の底で永遠――かどうかは知らないが、長い刻を孤独に過ごすことになる。
 それが、俺がエキドアに科す罰だ。


「エキドア。言っておくけどな、慈悲は一度だけだ。おかわりはねぇ」


 俺の宣告に、エキドアは絶句したようだ。
 石ころを部下に託したマーカスさんは、巨大なエキドアの亡骸に目を向けた。


「終わったのはいいけど、この死骸はどうするんだい? 目立って仕方が無いんだけど」


「船で引っ張って、湖の底に沈めればいいじゃないですか。そのために、蒸気船を指定したんで」


「そういうことか。君はまったく……」


 そこから先の言葉を告げずに、マーカスさんは蒸気船に戻って行った。部下の人たちがロープで作業を開始するのを見ていると、不意にガランが口を開いた。


〝トトよ……此度のことでは、皆に迷惑をかけてしまったな。我の判断が、今に生きる者たちを不必要に殺め、不幸にしてしまった〟


「でもそれは、ガランのせいじゃない」


 俺が答えると、竜の指輪から半透明のガランが姿を現した。


〝トト……我はトトのお陰で、これまで楽しい日々を送ることができた〟


「……俺もそうだよ。ま、色々とバタバタで波乱の日々になっちゃったけどね」


 冗談めかした俺の返答に、ガランは穏やかに目を細めた。しかしすぐに小さく首を振ってから、重い口調で話し出した。


〝我は王として、自らを罰せねばならぬ。そこで、だ。トトに……我の大切な友人に、頼みがある〟


「……なにを?」


 どこかイヤな予感を覚えながら、俺は訊き返した。
 ガランは僅かに俯くような仕草をしてから、俺を見上げた。


〝我を水路にある本体の元へ。契約を……終焉させる刻だ、トト〟

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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます。

わたなべ ゆたか です。

やはり、長くなりましたね……長いので、二日に分けて読むとかして下さい。

予測四千文字~五千文字のあいだくらいか――と思っていたのですが。まさかの六千文字オーバーになるなんて。
いつものことながら……なんかすいません。

本文中に書いた弾丸と水の抵抗ネタですが、こちらはアメリカの番組でも検証されていましたね。
ショットガンからライフルから、対物ライフル(12,7mm)までを水中のゼラチンへと撃ったのですが、すべての弾丸が届かなかったという……。
水深で90センチもあれば、弾丸を防げるという結果でございました。

酸素と細胞ネタの余談になりますが、地球上の存在が、すべて酸素に適応したかとうと、そうではなかったりします。
破傷風菌なんかは、酸素に適応できてません。近年では、ミトコンドリアがいない真核生物も見つかったようですね(ただし、ミトコンドリアの代わりはある)。

とまあ、こんなのを盛り込んでいるので、長くなるというですね(滝汗

次回は、エピローグとなります。ようやくというか、ここまで来ることができました。
慣れない推理ものっぽいことをしたので、ネタ出しに困ること困ること。ネタ被りが嫌なので、これを書いている最中、推理物の映画やドラマは見ないようにしてましたし。
エピローグまで書き終えたら、BBCのシャーロックにオリエント急行とか視るんだ……。

少しでも楽しんで頂けたら幸いです。

次回もよろしくお願いします!
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