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一章-1
しおりを挟む一章 転生後の人生は、お互いに別の立場で
1
目が眩むほどの日差しの下、少女の顔は暗く沈んでいた。
(こんな世界に……好きで生まれたわけじゃない)
さして栄えてもいない、山間にある小さな村だ。月に一、二度しか洗わない、汚れきったボロ着を身に纏った少女は、薄汚れた頬に汗を滲ませていた。
くすんだ金髪の髪は縛りもせず、また散髪すらしていないのか、腰の下まで伸びた上に、目が隠れるほどに顔を覆っていた。
少女の目の前を歩いている中年の女性――少女の母親だ――は、厳めしい顔をしながら、大口を開けてなにかを怒鳴っていた。
少女に、母親の声は聞こえない。しかし、なにを言っているのかは理解できた。
(馬鹿とかクズとか、そういう類いよね)
最初から声が聞こえないわけではない。幼い頃から徐々に聞こえなくなってきて、今では完全に人の声が聞こえなくなっていた。
そう――聞こえないのは、人の声だけだ。ほかの音は、今でも不便がない程度には聞こえている。
こういう不可思議な体質は、憑き者と呼ばれている。呪い憑きと忌み嫌われることが多く、少女の首筋にも染料で憑き者の証が描かれている。
母親が少女を嫌悪し、下働き程度の扱いになったのは、そのころからだ。世話をするどころか、三人いる兄妹と一緒に寝ることもなくなった。
鶏小屋の隅っこが、彼女の寝床だ。
(どうして、あたしがこんな目に……)
そして、少女の思考は再び同じ言葉を繰り返す。
――こんな世界に……好きで生まれたわけじゃない。
*
今のラオン国は夏季ということもあって、ほぼ真上から降り注ぐ日差しが、馬車の御者台にいる俺の身体に、容赦なく降り注いでくる。
といってもカラッとした気候だから、頭から日除けの布を被っていれば、なんとか凌げる程度の暑さだ。それに、湿気が無いから不快感も少ない。
俺――クラネス・カーターは焦げ茶色の前髪を掻き上げてから、額の汗を拭った。
この世界に生まれて、もう一七年。順風満帆ではないし、良いことや悪いことも色々とあったけど……なんとか、この世界でやっていけている。
さっきからこの世界――って言い回しを多用しているけど、それには訳がある。
俺は元々、この世界の住人じゃない。もっと文明レベルの進んだ――少なくとも、元の世界でいう中世期程度の文明ではなく、機械や電子機器が発展した――世界に住んでいた。
音無厚使というのが、俺の前世での名前だ。不幸な事故によって志半ばで生を終えて、気がついたらこの世界で、記憶を保ったまま赤子として産まれていた。
いわゆる――転生というものなんだろうけど。実際に自分自身で体験をしてみると、『なぜ?』の連発だった。
前の世界への望郷の念が、なかったといえば嘘になる。だけど元の身体が死んでいる以上、元の世界に戻る希望なんか、ありはしない。
それに生きていくだけで精一杯な生活だったから、元の世界に戻る手段を探す暇なんかなかったんだ。
まだ幼かったころにあった流行病で、両親はすでに他界している。当時の俺を保護してくれたのは、祖父だ。
その祖父から、俺は借金を抱えていた。幸いなことに、祖父はそこまで冷酷な人ではなかったので、返済期間はのんびりとしたものだ。
祖父からの借金で手に入れたのは、二台の馬車だ。山間を通る、随分と細くなった街道を進む馬車は、二台とも二頭立てのものだ。そのうちの一台は、荷馬車を改造して屋根と壁を設えてある。
御者台から後ろを振り返れば、幌のついた荷馬車が数台、俺の馬車に続いていた。その周囲には、祖父が雇った護衛や傭兵たちが馬車列を護っている。
俺が所有する幌のある荷馬車の後部には、山羊や乳牛が一頭ずつ繋がれていた。
これはラオン国周辺で旅をしている隊商で、名前は《カーターの隊商》という。
そして、その名が示すとおり、俺が隊商の長を務めている。
それなりに責任はあるし、色々と大変だけど……転生したときに身につけたらしい、ある種の力――ある種、魔法的というべき能力のおかげで、なんとかやっていけている。
隊商が目指しているのは、山間にある小さな村だ。商売としては実入りは期待できないが、予定している街に到着するのは、夕刻の予定なんだ。
馬の休息を兼ねて、村に立ち寄ることにしたんだ。
村の入った馬車列は、さして広くもない広場で一斉に停まった。
「さあ……みんな、商売を始めよう!」
俺の号令で、商人たちは協力し合って商材の入った籠や樽を荷台から運び出し、馬車の横に並べていく。
それを眺める余裕もなく、俺も自分の馬車――厨房馬車で商売の準備を始めていた。
改造された荷台には、鉄板が置かれた石造りの竃が設置されていた。もちろん、包丁やまな板などの調理器具も最低限は揃っている。
石造りの竃は元の世界にある、臼に似た形をしている。中央部分には薪などをくべるための開口があって、上部に置かれた鉄板を熱するという構造だ。
竃の中央部分には蓋と、鉄板を収めるための溝が掘ってある。かなり大雑把だけど、オーブン代わりとしても使用可能だ。
厨房馬車の名の通り、これは料理を作るための馬車に仕立ててある。
俺は事前に焼いてあった楕円形のパンをまな板の上に置くと、包丁で縦に切れ目を入れた。
切れ目の中にマスタードと手製のマヨネーズ――早朝に作り置きしたものだ――を練り込み、キャベツの千切りと、火で炙った干し肉を挟み込んだ。
キャベツは、昨日立ち寄った町で仕入れたものだ。まだ新鮮――なようで、試食しても腹を壊さなかったから、今日ならまだ生でもいけるだろう。
そうして、『カーターサンド』と名付けたパンを三つほど作ると、俺は目の前にある雨戸を開けた。
すでに他の商人たちは商売を始めているのか、畑仕事をしていない村人たちが、何人も集まってきていた。
俺は大きく息を吸ってから、《力》によって自分の声を〈範囲拡大〉した。
「さあ、いらっしゃい! カーターサンドの発売を始めますよ! お昼御飯や、仕事中の腹ごしらえに、カーターサンドを食べてみて下さい!!」
怒鳴ったわけではない。だけど、俺の声はまるで木霊が響くように、村全体へと広がっていった。
これは、《力》の使い方としては、初級程度の効果しか発揮していない。自前のスピーカーといった使い方だけど、商売をするには重宝している。
あとは客を待つだけ――と思っていたら、村を護る兵士の一人が、俺の前にやってきた。
「あの声――また、おまえか! あの最凶最悪な声を、村の中で使うのは止めろ! 以前それで、村人の半数以上を殺しかけたのを忘れたのか!?」
中年で顎髭を伸ばした兵士に睨まれ、俺は愛想笑いを浮かべつつ、宥めるように両手を小さく挙げた。
「やだなぁ。ちゃんと調整して使ってるから、あんなことにはなりませんよ。それに、あのときは物盗りがあったのと、力の使い方に慣れてなかったからであって、故意じゃありませんから」
愛想笑いを浮かべる俺の言い訳に、兵士は鼻を鳴らした。
「まあ、いい。問題だけは起こしてくれるなよ。いいな、わかったな?」
「はーい。わかってます」
「……本当に、問題を起こすなよ? 絶対だからな」
「……わかってますってば」
俺が二度目の返事をすると兵士は立ち去りかけたが、立ち止まると、もう一度振り返ってきた。
「本当に、本当だな? 前回は、かなり大変だったんだからな?」
「わかってますってば。ちゃんと気をつけます!」
まったくもう……心配性か知らないけど、面倒な人だなぁ。
俺が喚くように答えると、兵士は俺をチラチラと見ながら去って行った。
それにしても最凶最悪とは、酷いことを言われたものである。
俺がこの世界で得た能力は、ひと言で喩えるなら《音声使い》だ。この《力》は声や音を、ある程度は自在に操ることができる。
スキルとか神秘とか――色々な言い方があると思うが、面倒臭いので、俺は単に《力》と呼んでいるわけだけど。
兵士が言っていた前回の事件は、そもそも隊商が物盗りに襲われたことが発端だ。
物盗りを捕まえるのに必死になった俺は、《音声使い》の能力を最大で使ってしまったんだ。
その結果、村人の半数以上が死にかけるという大惨事になってしまった。だけど、事の発端は物盗りが商人の売り上げを奪ったからであって、俺だけが責められる筋合いはない――と、思う。
それはともかく。
商売を開始すると早速、中年の女性がやってきた。ボロを着ているが、髪の手入れはしているし、手提げ籠にある食材は、それほど貧相ではない。後ろには俺と同い年か一、二歳年上の二人の息子と、二人の娘がバラバラに並んでいた。
女性は馬車のカウンター越しに、やや擦れた声で話しかけてきた。
「良い匂いだね。なんの店なんだい?」
「パンを使った料理です。昼ご飯の、追加の一品に丁度いいですよ」
「へぇ……パンに具を挟んでいるんだね。いくらなんだい?」
興味を持った目をする女性に、俺は営業用の笑顔で答えた。
「二つで三コパです。ちなみに、一コパだと、半分ですね。二つのほうが、お得ですよ」
「ううん……ああ、そうか。そうだね。それじゃあ、四つ貰おうか」
まいどあり――と言いかけて、俺はふと首を捻った。
数を間違えたのかなと思った俺は、親切心から女性――後ろにいる男女の母親に確認をした。
「――あれ? あの、お子さんの分だけですか?」
「ああん? なんで、あたしが我慢しなくちゃいけなんだよ。あたしの分を含めて、四つさね」
「え? でも、お子さんは四人ですよね?」
「四に――ああ、子どもの分は三つでいいんだ。グズグズするようなら、買わないよ」
「ああ、すいません」
俺は言われるままに、カーターサンドを四つ包んだ。
商品と引き替えに母親から六コパ――銅貨六枚を受け取った俺は、「まいどあり」と短く礼を告げながら、母親とその子どもたちを目で追った。
最後尾で俯き加減に歩く少女――パンを貰えなかった子だ――は、両手に重そうな水桶を抱えている。
とても少女が運ぶべきものではないが、母親は罵声を浴びせながら、頭を叩いたりしていた。
「ちょ――」
「若、いけません」
母親を制止しようとしたとき、一人の青年が俺を制してきた。
薄い茶色の髪に青い瞳、無精髭を生やし、鎖帷子に盾、長剣を携えている。年は確か、二十八歳。
彼は傭兵たちを束ねる護衛頭のフレディ・ドロンだ。祖父がつけてくれた護衛の一人だからか、俺のことを〝若〟なんて呼んでいる。
フレディは俺に真剣な目を向けると、小さく首を振った。
「村には村の習慣や規則があります。下手に口出しをすれば、また厄介ごとの火種になりますよ」
「……放っておけっていうの? あんな酷い目にあってるのに」
「残念ですけどね。首に模様がありましたし、憑き者かもしれません」
「憑き者?」
「ええ。災いに憑かれた者のことです。不幸を呼ぶとか言われてますから、あの対応も仕方ないのかもしれません。義憤に駆られることは若の長所ではありますが……時と場所、そして状況を、お考えになって下さい。
ここで問題を起こせば、隊商としての商売もやりにくくなりましょう」
正論――なんだよな、これ。
理解はできるけど、釈然としない気持ちは残る。俺は去って行く母子、特に最後尾の少女に目をやると、心の中で謝罪の言葉を告げた。
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