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プロローグ

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『最凶と呼ばれる音声使いに転生したけど、戦いとか面倒だから厨房馬車(キッチンカー)で生計をたてます』


 プロローグ


 俺――音無厚使は、鏡の前で身だしなみを整えていた。
 黒髪を櫛でといて、寝癖を直していく。凝った髪型ではなく、ごく普通に黒髪を真ん中で分けただけだ。
 顔の造りは、まあ――十六歳の高校一年生としては普通。いや、自信があるわけじゃないけど、せめて普通だと思い……たい。
 夏らしく半袖のTシャツにハーフパンツにスニーカーという服装だ。
 寝癖を整え終えてから、頭に赤いバンダナを巻き、エプロンをつけた。


「厚使君、用意はできた?」


「できたよ、叔父さん」


 俺が返事をすると、叔父さんがキッチンカーの中に食材を運び込んできた。
 そう――俺がいるのは、叔父さんが経営している、キッチンカーの中だ。夏休みを利用して、バイト代わりに叔父さんの店の手伝いとして、自宅のある東海地方のA県から、色々な市町村を移動してるんだ。
 今日は日本海――境港市まで来ている。ここにある港の近くで昼前まで営業をして、そのあと車載フェリーの最終便で、隠岐諸島まで行く予定だ。
 眼鏡をかけた中年の叔父さんは、ちょっと汚れた白のエプロンで手を拭きながら、俺にパンを渡してきた。


「切っておいてくれ」


「了解」


 俺がパンを切っている間、叔父さんはキッチンカーのカウンターを開いた。
 まだ午前十時前ということもあって、キッチンカーにお客さんが来る気配はない。準備をするなら、今のうちだ――。


「もしかして、音無くん?」


 聞き覚えのある――だけど、あまり馴染みのない声に呼ばれて、俺はキッチンカーの外へ目をやった。
 カウンターのすぐ外に、驚いた顔をした少女が立っていた。
 真っ直ぐな黒髪を肩の下あたりまで伸ばし、金属フレームの眼鏡の奥には、まん丸な黒目。デニムに黒のTシャツ、白いシアーシャツを羽織って、足元は素足にサンダルだ。
 名前は確か――板林精香さん。俺の通っている高校で、同じクラスの女の子で副委員長をしている女の子だ。
 俺がカウンターの窓を開けると、板林さんはトテトテと近寄って来た。


「音無くん、バイトは学校で禁止されてるんじゃ?」


「あ、いや、その……」


 副委員長を任されているだけあって、板林さんの言動は固い印象がある。俺がキッチンカーの中にいるから、バイトをしているんだと怪しんでいるみたいだ。
 俺は内心で『ヤバイ』を連呼しながら、愛想笑いを浮かべた。


「いやその……叔父さんの手伝いをしてるだけなんだよね」


「ふぅん……ハンバーガー屋さん?」


 キッチンカーの看板を眺める板林さんに、俺は曖昧に頷いた。


「そんな感じ……かな? まだ営業準備中なんだけど、昼過ぎには閉めちゃうんだよね。午後二時の船便で、隠岐諸島まで行くから」


「え? あたしも隠岐に行くのよ? お爺ちゃんの家が、そこにあって。なんか、近所の子どもに算盤を教えるんだって、助っ人を頼まれたの」


「算盤? 板林さん、得意なの?」


「……うち、お母さんが算盤塾をやってるの。だから、あたしも三段までは取れって言われて。中学生までは、やってたんだ」


「ああ、なるほど。何時の船に乗るの?」


「二時の便だから、同じ船だね。二等なら、一緒の船室になるかも」


「ああ、そうかも――あ」


 話の途中で、俺は海上を走るネイビーブルーの船体に目が行った。


「おお、こんな港にも自衛隊が来るなんて。あれは、支援艦の《ひうち》かな」


「……ふぅん。ああいうの、詳しいの?」


「え? ああっと……そうだね。男の子なんで、通り一辺倒程度には嗜んでるけど。この辺りじゃ、海自より空自のほうが有名なんだけどね。まさか、自衛艦を見ることができるなん……」


 急に不機嫌になった板林さんに、俺は言葉を詰まらせた。
 なにかはわからないけど、会話のチョイスを誤ったみたいだ。


「……えっと、ごめんね。女の子には、つまらない話だったかも」


「えっと……まあ、ね。それより、船室が一緒だったらよろしくね」


「うん……船酔いでダウンしてる可能性はあるけど」


 俺が苦笑いで返すと板林さんは、はにかみながら視線を下にした。


「そのときは……看病してあげるから」


「え?」


 微妙な――それでいて、なんか身体が熱くなるような沈黙が降りた。
 だけど数秒後、我に返ったように踵を返した板林さんは「じゃあ、あとでね」と言い残して走り去ってしまった。
 俺が呆然としていると、キッチンカーの横にいた叔父さんの呟きが聞こえてきた。


「うーん、青春だねぇ」


 頼むから、ちょっと黙ってて。

 大体、あれは不注意な発言に照れただけで、そんあ色っぽいやつじゃない――思う。板林さんはクラスでも可愛い方だから、きっと恋人くらいいるだろうし。
 たまに視線を感じて振り向くと、目が合ったりはしてたけど。そんな偶然しか、いつもは接点がないわけで。
 叔父さんを軽く睨むと、俺は開店の準備を再開した。


 それから昼過ぎまでキッチンカーの営業をしてから、俺と叔父さんはキッチンカーごと、フェリーに乗り込んだ。
 二等船室は、絨毯の敷かれた大広間だった。通路との仕切りは無く、島へと渡る乗客が談笑したり、昼寝をしたりしていた。
 板林さんは、通路を挟んだ隣の客室だった。とはいえ、それほど満員でもなかった客室は、彼女一人増えたところで、誰にも迷惑はかからない。
 船酔いになっていた俺に、板林さんは船酔いの薬を分けてくれたり、水を持って来てくれたりしてくれた。
 薬が効いてきたのか船酔いも楽になり、少しずつ雑談をし始めたころ――強い衝撃とともにフェリーが沈み始めた。
 船員さんの指示で、乗客は整然と甲板の救命ボートに乗り込んでいる。俺と板林さんも並んでいる途中、船体が激しく傾きだした。
 甲板に海水が流れ込んできて、俺たちを海中に押し流した。
 海中に沈んだ俺は、深い深度にいる黒く大きな影を見た。
 潜水艦だが、自衛隊のものでもなければ、アメリカの艦艇でもない。どこの潜水艦か――ひと目では、識別できない船体だった。
 記憶を手繰り寄せたかったけど、そんな余裕はない。
 なんとか浮上しようとしていけど、服が身体に纏わり付いて、思うように手足が動かせない。
 肺の中の空気が乏しくなっていくのが、わかる。少しずつでも海上に出ようとしている途中で、俺の少し下に板林さんの姿を見つけた。
 板林さんも上手く泳げずに、海の中で藻掻いていた。
 俺が手を差し伸べると、板林さんも手を伸ばしてきた。もう少しで手が届く――と思った直後、俺たちに覆い被さるように、大きな破片が沈んできた。
 直撃してきた破片に押される形で、俺と板林さんは深海へと沈んでいった。

 叔父さんは無事だろうか――そして板林さんは、どうなったんだろう?

 そんなことを思ったのを最後に、俺の意識は闇に閉ざされた。
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