最凶と呼ばれる音声使いに転生したけど、戦いとか面倒だから厨房馬車(キッチンカー)で生計をたてます

わたなべ ゆたか

文字の大きさ
5 / 113

一章-4

しおりを挟む

   4

 水の補充を終えた《カールの隊商》は、次の街に向けて出発した。
 町への到着は間違いなく夕刻になってしまうが、ギリギリ市のやっている時間に間に合う筈だ。
 今日と明日で、隊商のみんなにはめいっぱい稼いで欲しい。
 それに大きな街だから、俺も稼げるだけ稼ぎたい。そこでなら、いつものカーターサンドでも売り上げが期待できるし。
 山賊や狼などに襲われることもなく、隊商は目的地のリオンという街に到着した。
 俺は到着してすぐに、市場を取り仕切る顔役の元へ挨拶を兼ねて出向き、市場の使用料を支払った。
 面倒臭い手続きだけど、勝手な商売で市場が混乱しないよう、これは大きな街では通例となっている。
 顔役に市場の端に案内された隊商の馬車列は、すぐに商売を始めた。
 俺も自分のキッチンカー内で、商売の準備を急いだ。手始めに、乳牛から絞ったミルクを加工するのが、いつもの手順なんだけど――。
 厨房馬車に食材を運んでいると、アリオナさんが話しかけてきた。


「ねえ、音――クラネスくん。ミルクを振るのって、このくらいでいいの?」


「えっと――ちょっと見せて?」


 俺は板林――いや、アリオナさんから小さな壺を受け取ると、木製の栓を抜いて中を覗き込んだ。他の小壺に液体を注いでから、中身に残った固形物を木製のスプーンの先端で掬った。
 白い固形物をひと嘗めすると、俺はアリオナさんに微笑んだ。


「うん。良い感じ」


「ホント? 良かった」


 顔を綻ばせるアリオナさんの目は、少し赤かった。さっき、転生後に再会できた喜びからか、かなり泣きじゃくった余韻が残っている。
 動いているほうが気が紛れるのか、アリオナさんはすぐに周囲を見回して、次の仕事を探し始めた。


「それじゃあ次は――あれを運べばいいの?」


 アリオナさんは微笑むと、キッチンカーの外に置いてある樽へと近づいた。


「あ、その樽は女の子が――」


 持てる代物じゃないから。

 そう言おうとしたんだけど、その前にアリオナさんは樽を「ひょいっと」持ち上げてしまった。
 目を丸くする俺を見て自分のしたことに気付いたのか、アリオナさんは慌てて樽を降ろすと、顔を赤くした。


「あの……あたし、人の声が聞こえなくなり始めたころから、急に力が強くなっちゃったの。だから、家族――にも、荷馬代わりに使われてた」


 少し言葉を詰まらせたのは、きっと殺された母親や兄弟姉妹のことを思い出したからだろう。話をしていて、村の惨劇を思い出しちゃったみたいだ。
 俺は――アリオナさんにかける言葉が見つからなくて、なんだか申し訳ない気持ちになっていた。


「……なんか、ごめん。思い出しちゃったね」


「そんな……その、クラネスくんが謝ることじゃないよ。あたしが勝手に、話をしたんだし。それに、まだ今日のことだもん。急に悲しくもなるときだってあると思うから、気にしないでね」


「そんな――俺でよければ話も聞くし、出来る範囲で相談にも乗るつもりだよ」


 俺が勢いで申し出ると、アリオナさんは目に涙を浮かべたまま微笑んだ。


「……ありがと。耐えきれなくなたら、お願いしちゃうかも」


 そのアリオナさんの微笑みに、俺は顔が赤くなるのを感じていた。
 彼女の笑顔には、その穏やかさの中に、この世界で数多の辛さや悲しさを経験してきた人の持つ、大人びた雰囲気が漂ってきた。
 その温かな笑みに、俺は見とれてしまっていた。正論を言えば、そんな感情を抱いて良い状況じゃないのは、理解してる。
 わかってはいるけど……湧き上がる感情は、すぐに止められなかった。
 赤くなった顔を見られなくなくて俯いた俺に、アリオナさんは小首を傾げた。


「どうしたの?」


「いや、その……なんでもない、です」


 俺は深呼吸を繰り返して、なんとか心臓の鼓動を収めると、勢いよく厨房馬車の後部に外付けの階段を設置した。これで荷物を抱えても、厨房馬車への乗り降りが楽になる。


「よし、それじゃあ――早く開店準備を終わらせちゃおう。急いで商売を始めないと」


「うん。あたしも手伝うね」


「あ、ありがとう」


 俺は樽を抱えたアリオナさんと共に、厨房馬車へと入って行った。
 アリオナさんに樽の中の食材を出すように頼んでから、俺は水差しを手にした。そして石造りの竃の上にある鉄板に、水差しの水を一滴だけ垂らす。
 ジュゥゥ……と、音を立てながら水滴がゆっくりと蒸発していく途中で、俺は昨晩に焼き上げていたパンに、切れ込みを入れ始めた。少し長細いパンは、前の世界のドッグロール――ホットドッグに使うパンだ――に似せてある。
 切れ目を入れたパンを、アジの干物のように開いて、断面にバターを薄く塗った。そして断面を下にして、鉄板で軽く焼く。
 バターの焼ける香りが厨房内に立ち込めると、アリオナさんが笑みを浮かべながら目を細めた。


「良い匂い……こんなの、こっちの世界では初めて」


「……そうだよね。あ、そうだ。一つ、食べてみる?」


「……いいの?」


 驚くように目を丸くしたアリオナさんに、俺は微笑みながら頷いた。
 断面を軽く焼いたパンに、仕込みで準備していたキャベツの千切りと微塵切りにした玉葱、細長く切り分けた干し肉を挟んで、手製のマヨネーズにマスタードを混ぜたものを、切れ目に沿って、平らに塗っていく。
 これが、本来の『カーターサンド』だ。
 俺からカーターサンドを受け取ったアリオナさんは、近くの小さな木箱に腰を降ろすと、小さく口を開けてパンの端に齧り付いた。
 ゆっくりと味わうようにしながら、最初に口に入れた分を飲み込むと、アリオナさんは今にも泣きそうな顔で俺の顔を見上げた。


「美味しい……とても美味しい」


「ありがと。さて、店を開ける準備をしなきゃ」


 俺は用意したパンを取り出しながら、さっきみたいな切れ目を入れていく。四〇個ほどのパンに切れ目を入れ終わると、バターを塗った断面を順番に焼き始めた。
 あとは商売をしながら、作っていけばいい。
 アリオナさんにも手伝って貰えれば、いつもよりも楽に準備もできそうだし。
 いつもは一人で切り盛りしているけど、今日は二人だ。ちょっとだけ――本当に、ほんのちょっとだけだけど、こういうのって良いなぁ……って思ってしまう。
 でも、アリオナさんにとっては迷惑なだけかもしれないから、この気持ちを明かすつもりはない。
 日が暮れて市に人が居なくなるまで商売をして、およそ一五〇個売れた――というか、売り切った。
 客層は商人や街の住人より、冒険者や傭兵らが多かった気がする。彼らのほうが、自由にできる小銭を持っているんだろうな。
 なんにしても、この時間帯でこれだけ売れるとなれば、明日の売り上げも期待できる。
 その分、こっちも仕込みとか大変だけど……それは、夜なべして頑張るしかない。材料はユタさんに頼んであるから、問題はないし。


「さて……アリオナさん、ちょっと厨房の掃除を頼んでもいい? 俺は隊商の仕事をしなきゃいけなくて」


「うん。ここで待ってる」


「ありがとう。なるべく早く戻ってくるから」


 厨房馬車に残したアリオナさんには、フレディを警護につけた。俺はもう一つの馬車の荷台に乗り込むと、隊商としての売り上げを確認し始めた。
 これは帳簿をつけるというより、今日の配当を配るためなんだ。売り上げに応じて、配当の額は決まる。売り上げのすべてが商人たちの物にならないのは、諸経費を均等割してるためだ。
 その中には市場に支払う場所代と税金、それに手数料や護衛の代金なんかも含まれている。
 配当を配るとき、アーウンさんを始めとする、数人の商人たちは辺りを見回しながら、警戒を露わにしていた。
 皆は口にしないが、きっとこれは憑き者である、アリオナさんに対する態度なんだと思う。彼女が近くにいないか、気になっているんだろうな。
 ユタさんに頼んであった材料を確認したとき、そこに砂糖があることを思い出した。あとは旅の食事用だけど、チーズやドライフルーツなんかもある。そして、卵も仕入れ済だ。
 厨房馬車に戻った俺は、小麦粉とバターの余り、そして蜂蜜を混ぜて生地を作った。
 少しずつ千切った生地にドライフルーツを混ぜてから、手の平で叩いて平たくすると、少し失敬した砂糖を少しだけまぶす。
 あとは竃の中央部分で十数分焼けば、クッキーの出来上がりだ。


「お給料が出せるかわからないから、その代わり。まだちょっと熱いと思うけど、食べてみて」


「これ……クッキー? 食べていいの?」


 驚くアリオナさんに、俺は苦笑しながら頷いた。


「そのために作ったんだ。食べて食べて」


 俺が勧めると、アリオナさんはクッキーを一口だけ食べた。それが切っ掛けとなって――もしかしたら、お腹も空いていたのかもしれない――、最初に焼いた十枚を、あっというまに食べてしまった。
 アリオナさんが振り返ったとき、目には涙が溜まっていた。


「美味しい……音無くん、これ、美味しいよ」


「俺の呼び名が、前世の名前になっちゃってるよ……」


 無粋かな――と思いながら突っ込んだ俺に、アリオナさんは少し唇を尖らせながら、上目遣いの眼を向けてきた。
 その顔に見惚れそうになっていると、アリオナさんは十一枚目のクッキーを手に取った。


「仕方ないじゃん。つい出ちゃったんだから。それに御菓子なんて、こっちの世界じゃ初めてなんだし」


「俺だって、クッキーとか食べたことないけどね。作り方は覚えていたけど……今回のは、たまたま材料があったし、御礼の意味もあるから」


「御礼の意味……も」


 俺の言葉を途中まで反芻すると、アリオナさんは頬を桜色に染めながら、俺のほうへと身体ごと振り向いた。


「あの……もしかして、あくまで、もしかしてなんだけど。遠回しに、その、プロポーズとかしてない?」


 ――プロポーズ。その部分だけ、日本語で言われたんだけど、意味はなんとなく覚えている。
 その、なんだ。いわゆる、けっこんのもうしこみってやつで……その。
 俺は顔が真っ赤になるのを感じながら、両手を大袈裟に振った。


「いや、待って。クッキーを貰っただけでプロポーズって認識は、あまりにも飛躍しすぎだから! その、なんだ。もっと気楽に受け取って……ね」


 言いながら、俺は真っ赤になった顔を見られたくなくて、後片付けを始めた。
 クッキーって友情とか、そんな意味じゃなかったっけ? まあ、あんなのこじつけだと思ってるから、どうでもいいんだけど。
 そんなことより、だ。
 アリオナさんの宿はユタさんに任せたし、今日は一人で仕込み作業だから……そのあいだに頭を冷やそう、そうしよう。
 ユタさんに連れられて、宿に向かうアリオナさんを見送りながら、俺は深呼吸を繰り返していた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜

一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m ✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。 【あらすじ】 神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!   そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!  事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます! カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。

乙女ゲームの隠れチートモブ〜誰も知らないキャラを転生者は知っていた。〜

浅木永利 アサキエイリ
ファンタジー
異世界に転生した主人公が楽しく生きる物語 その裏は、、、自分の目で見な。

【一時完結】スキル調味料は最強⁉︎ 外れスキルと笑われた少年は、スキル調味料で無双します‼︎

アノマロカリス
ファンタジー
調味料…それは、料理の味付けに使う為のスパイスである。 この世界では、10歳の子供達には神殿に行き…神託の儀を受ける義務がある。 ただし、特別な理由があれば、断る事も出来る。 少年テッドが神託の儀を受けると、神から与えられたスキルは【調味料】だった。 更にどんなに料理の練習をしても上達しないという追加の神託も授かったのだ。 そんな話を聞いた周りの子供達からは大爆笑され…一緒に付き添っていた大人達も一緒に笑っていた。 少年テッドには、両親を亡くしていて妹達の面倒を見なければならない。 どんな仕事に着きたくて、頭を下げて頼んでいるのに「調味料には必要ない!」と言って断られる始末。 少年テッドの最後に取った行動は、冒険者になる事だった。 冒険者になってから、薬草採取の仕事をこなしていってったある時、魔物に襲われて咄嗟に調味料を魔物に放った。 すると、意外な効果があり…その後テッドはスキル調味料の可能性に気付く… 果たして、その可能性とは⁉ HOTランキングは、最高は2位でした。 皆様、ありがとうございます.°(ಗдಗ。)°. でも、欲を言えば、1位になりたかった(⌒-⌒; )

異世界ラグナロク 〜妹を探したいだけの神災級の俺、上位スキル使用禁止でも気づいたら世界を蹂躙してたっぽい〜

Tri-TON
ファンタジー
核戦争で死んだ俺は、神災級と呼ばれるチートな力を持ったまま異世界へ転生した。 目的はひとつ――行方不明になった“妹”を探すことだ。 だがそこは、大量の転生者が前世の知識と魔素を融合させた“魔素学”によって、 神・魔物・人間の均衡が崩れた危うい世界だった。 そんな中で、魔王と女神が勝手に俺の精神世界で居候し、 挙句の果てに俺は魔物たちに崇拝されるという意味不明な状況に巻き込まれていく。 そして、謎の魔獣の襲来、七つの大罪を名乗る異世界人勇者たちとの因縁、 さらには俺の前世すら巻き込む神々の陰謀まで飛び出して――。 妹を探すだけのはずが、どうやら“世界の命運”まで背負わされるらしい。 笑い、シリアス、涙、そして家族愛。 騒がしくも温かい仲間たちと紡ぐ新たな伝説が、今始まる――。 ※小説家になろう様でも掲載しております。

スライムに転生した俺はユニークスキル【強奪】で全てを奪う

シャルねる
ファンタジー
主人公は気がつくと、目も鼻も口も、体までもが無くなっていた。 当然そのことに気がついた主人公に言葉には言い表せない恐怖と絶望が襲うが、涙すら出ることは無かった。 そうして恐怖と絶望に頭がおかしくなりそうだったが、主人公は感覚的に自分の体に何かが当たったことに気がついた。 その瞬間、謎の声が頭の中に鳴り響いた。

この度異世界に転生して貴族に生まれ変わりました

okiraku
ファンタジー
地球世界の日本の一般国民の息子に生まれた藤堂晴馬は、生まれつきのエスパーで透視能力者だった。彼は親から独立してアパートを借りて住みながら某有名国立大学にかよっていた。4年生の時、酔っ払いの無免許運転の車にはねられこの世を去り、異世界アールディアのバリアス王国貴族の子として転生した。幸せで平和な人生を今世で歩むかに見えたが、国内は王族派と貴族派、中立派に分かれそれに国王が王位継承者を定めぬまま重い病に倒れ王子たちによる王位継承争いが起こり国内は不安定な状態となった。そのため貴族間で領地争いが起こり転生した晴馬の家もまきこまれ領地を失うこととなるが、もともと転生者である晴馬は逞しく生き家族を支えて生き抜くのであった。

異世界転生したので森の中で静かに暮らしたい

ボナペティ鈴木
ファンタジー
異世界に転生することになったが勇者や賢者、チート能力なんて必要ない。 強靭な肉体さえあれば生きていくことができるはず。 ただただ森の中で静かに暮らしていきたい。

転生したらスキル転生って・・・!?

ノトア
ファンタジー
世界に危機が訪れて転生することに・・・。 〜あれ?ここは何処?〜 転生した場所は森の中・・・右も左も分からない状態ですが、天然?な女神にサポートされながらも何とか生きて行きます。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 初めて書くので、誤字脱字や違和感はご了承ください。

処理中です...