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第四部『二人の帰郷、故郷の苦境』
二章-2
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市場のある西側。
商人が行き来する街並みから三本ほど路地の奥へ入ると、建て増しした家屋のせいで日差しがほとんど入り込まない。その下は、まともな人間はまず歩かない領域だ。ごろつきや犯罪者などが潜み、恐喝や強盗が日常茶飯事である。
キャットは、その薄暗闇へ脚を踏み入れていた。視線だけを動かして周囲を警戒しながら、二本目の角を左に曲がった。
曲がってすぐ、いきなり横から空気が流れてきた。キャットは腰を低くしながら後ろに跳ぶと、素早く腰から抜いた短剣で、真横から伸びた腕を斬りつけた。
「ぐっ――!?」
浅く斬られた腕を押さえ、まだ若い痩身の男が蹲った。
キャットは短剣を収めると、腕を押さえる男へと近寄った。睨め上げる男に無表情の目を向けながら、抑揚のない声を発した。
「相変わらず、せこい強盗をしているわけ?」
「な――まさか、ラルア?」
信じられないものを見る目でキャットを見上げた男に、キャットは小さく首を振った。
「悪いけど、その名は捨てたの。それより、《黒》は、まだある?」
「ああ、もちろんだ。相変わらず、不味い酒を出してるさ」
「……そう」
キャットは礼を述でもなく、そのまま歩き出した。
随分と久しぶりだが、記憶は鮮明に残っている。角を曲がってから、四件目の建物の前に立つと、窓に填まった鉄格子に手をかけた。
そのまま力を込めて引っ張ると、壁がドアの形の開いていく。
少しだけ壁に偽装したドアを開けたキャットは、その隙間に身体を滑り込ませた。ドアを閉めると、周囲が真っ暗になる。
暗闇の先に、微かに光が見える。キャットは溜息のような息を吐くと、左の壁に手を添えながら、ゆっくりと光に向けて歩き出した。
左への角を曲がると、薄く開いた木製で両開きの扉から光が漏れていた。がやがやとした話し声と、ジョッキや食器が鳴る音が聞こえてくる。
キャットは少しだけ躊躇ってから、扉を開けた。
篝火の光が目に飛び込んできて、キャットは僅かに顔を顰めた。
扉の奥は酒場になっていた。《黒》という酒場の中にはテーブル席が六つ、カウンターには四つの椅子が並んでいる。
店の中央には大きな篝火があり、店内を照らし出していた。
扉の横にいた大男が、身動ぎした。まだ騎士の装備を身につけているキャットに、警戒を露わにした顔を向ける。
「なんの用だ?」
「酒場に来て、酒以外の用があるって思うのは、流石にどうかと思うけど。ギネルスって男が来てると思うけど、知ってる?」
「ギネルス……なら、右奥のテーブルだ」
「どうも」
キャットは銅貨を一枚だけ男に手渡すと、言われたテーブルへと向かった。
先ほどまでの喧噪がなりを潜めた店内を横断する途中で、他の客からの視線を感じながら、キャットは五本の酒瓶を並べたテーブルの前で立ち止まった。
「……ギネルス」
「よぉ。やっと来たか」
ギネルスはキャットへ、蜂蜜酒の注がれたジョッキを掲げてみせた。そして顎で真向かいの席に座るよう促すと、自分はジョッキの蜂蜜酒を一気に飲み干した。
近寄って来た店員に三枚の銅貨を渡して蜂蜜酒を瓶ごと注文すると、キャットは椅子の背もたれに背中を預けた。
「こんな場所まで呼び出して、なんの用なわけ?」
「落ち着けよ。儲け話があるって、前にも言ったろ? まずは、おまえが注文した酒がくるのを待とうぜ」
ギネルスがジョッキに蜂蜜酒を注ぎながら、手を振って店員を急かした。
その左脇には、丸められた羊皮紙が挟んであった。そこに封蝋が施されているのを認めて、キャットは眉を顰めた。
封蝋など、盗賊如きが施す代物ではない。王族や貴族――稀に富豪も親書に施す場合もあるが、主にそういった上流階級の者が使うものだ。
(どこかで盗み出した手紙――いえ、そんなものにギネルスが興味を持つわけがない)
金銭や宝石、貴金属しか興味の無い男だ。取り引きや脅迫に仕えそうな手紙や書類など、薪の代わりにしてしまうだろう。
キャットがそう訝しがっていると、店員が蜂蜜酒の瓶を持って来た。
瓶の口を塞いでいる布を無造作に引き抜くと、キャットはそのまま呷った。
「ひひ――いいねぇ。相変わらずの飲みっぷりだ」
「無駄話をするために、ここに来たんじゃないの。さっさと用件を終わらせて頂戴」
睨み付けるキャットに、ギネルスは肩を振るわせながら手を振った。
「おお、怖い怖い。だが、もう少し待て。あと、一人来る」
「もう一人……誰がくるっていうの?」
「ひひ――おまえも知っているやつだ。酒でも飲みながら待ってな」
怪訝に思いながらも、キャットは言われたとおりに待つことにした。
店内に喧噪が戻り、蜂蜜酒を半分ほど飲んだころ、キャットとギネルスのいるテーブルに、ボロを纏った男が近づいた。
小太りで、白髪交じりの髭に顔を覆われた男だ。まだ椅子にも座っていないのに、腐臭がキャットまで漂ってきた。
顔を顰めるキャットの前で、男はフケを落としながらギネルスへと笑みを浮かべた。
「本当にやる気かい?」
「もちろんだとも! さて――」
ギネルスは声を潜めると、テーブルに顔を寄せる姿勢で身を乗り出した。
「明日の夜――王城に忍び込む。目的は金貨や宝石じゃねえ。大聖堂にある神像だ」
ギネルスの発言に、キャットの目が見開かれた。
大聖堂は王城に併設されている。昼間は貴族のために門は開かれているが、夜には外壁の大扉を含めて、門は固く閉ざされる。
当然の如く、警備も厳重だ。見回りをする衛兵の数も多く、盗みに入るのは不可能だとされている。
「無理よ。地下道もなく、抜け穴もない。どうやって潜入するつもり?」
「だから、おまえが必要なのさ。ラルア」
ギネルスは笑みを浮かべながら、キャットに丸めた羊皮紙を差し出した。
羊皮紙の封蝋には、王都から近い領地であるラザンの紋章が押されていた。偽物ではなく本物の刻印に、キャットは目を見広げた。
「これは……どこで」
「盗みに入った屋敷にあったのよ。最初は、薪代わりにしようと思ったがな。ねぐらに帰る途中で、隊商にいたおまえを見てな。こいつの使い道を思いついて、気が変わったってわけだ」
「それで……接触してきたのね」
ミィヤスと商談するふりをしながら、密会を指示してきたときの記憶を思い出し、キャットは顔を顰めた。
偶然だとしても、運が悪すぎた。自分を知る者と遭遇するとは思っていなかっただけに、キャットは自分の迂闊さを呪った。
そんな苦悩する顔を楽しそうに眺めながら、ギネルスは羊皮紙をキャットへと放った。
「おまえは明日、これを王城へと持っていけ。別に王族に会う必要はない。中の状況をざっと見るのが目的だから、従者とか兵士とかに渡すだけでいい。そのあと、〈隠行〉を使って王城へ潜入、大聖堂の中で潜んでいろ。そして夜になったら、内側から大聖堂や外壁の門を開けろ。それで、俺も大聖堂に潜入できる。あとは、神像を頂戴しておさらばだ」
「そんなに上手くいくとは思えないけど? 門番だけじゃなく、中を巡回している衛兵だっているでしょうに」
キャットの指摘に、ギネルスは「ひひっ」と嗤った。
「それがな。門の内側にいる衛兵は、かなり少ねぇんだ。おまえがここに来るまでの数日間、俺の〈生命探知〉で探ってみたから、間違いがねぇ」
ギネルスの〈生命探知〉は、目を閉じているあいだ、半径約二〇マーロン(約二五メートル)以内の生物の存在を感知する《スキル》だ。
この《スキル》を使っているあいだ、この壁や物陰にいる生物までもが、青白い光として瞼の裏に映し出される。
それは、〈隠行〉で姿を消しているキャットも例外ではない。
盗賊であるギネルスにとっては、まさに天の恵みといっていい《スキル》だった。
「門番なんか、どうとでもなる。俺の仲間は、まだ二人だが残っているしな」
「……あとの奴らは、あんたが売ったってわけ?」
キャットの皮肉に、ギネルスは「あいつらが間抜けだっただけだ」と答えた。
「おまえは、なにも考えずに俺の命令に従えばいいんだよ。この件を他の奴らに漏らしてみろ――過去のすべてを、おまえの仲間に暴露してやるからな。俺はすでに、おまえが泊まっている宿も把握しているぞ」
そういって凄むギネルスに対し、キャットはなにも言い返せなかった。
羊皮紙を手に掴んで立ち上がると、「わかった」と答えながら、暗い顔つきで店の出口へと歩き出した。
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本作を読んで頂き、まことにありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
ギネルスの〈生命探知〉の説明を書いたあと、ふと思ったのは「あ、これハンタ○xハンタ○の〈円〉っぽい」でした。
スカイリムにも同様のシャウト(魔法)もあったりしますが、最初に思ったのはハンタ○xハンタ○のほうでした。
尾行していたランド君の動向は次回……です。
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
次回もよろしくお願いします!
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