2 / 31
2・別れと出会い
しおりを挟む
「話って?」
「君のお義母さんが伯爵様から支援を受けている薬草店が、順調なことは知っているよね」
「そうなんだ」
確かに嫌味を言いに来る義母妹は、いつも違う服や装飾品で着飾っている。
余裕はあるのだろう。
「そうだよ。君はいつも寝たきりらしいし知らなかったのかな。ずいぶん儲かっているから、店の支配人がその腕を見込まれて、都で有名な別の店へ栄転することになったんだ。そこで次の支配人になってほしいと僕が頼まれたんだよ。これから店とネーチェリアを支えて欲しいって」
セレルは耳を疑い、ずいぶん大きくなった幼なじみを見上げた。
「だけど……あの、私は……?」
「君は病弱だし、重要な立場を引き受ける僕の妻になることは難しい。それに僕はネーチェリアと一緒に働いて、君のお父さんとお母さんが作ってくれたあの店を守っていきたいんだ」
エドルフは使命感に溢れた口調だったが、セレルがその店を立ち上げた父と母の血を引いていて、一日中働き続け、たった今婚約破棄をされて、なんの権利も与えられていないことには触れなかった。
エドルフはすべて解決したような顔で、静かにほほ笑みかけてくる。
「僕だってつらくないと言えば嘘になる。でも君ならわかってくれるよね」
なにもわからなかったが、それですべてが片付いてしまったらしい。
ぽかんとしているセレルの様子をエドルフは和解だと受け取ったのか、握手を交わしてくる。
「じゃあ僕はこれで。悲しいけどお別れなんだ」
「別れって……ここは、どこ?」
「僕たちは数奇なめぐりあわせだと思う。君を惑いの森へ追放することが、僕の最初の仕事になるなんて」
セレルの顔から血の気が引く。
「今までありがとう。僕の大切だった人」
エドルフはすっきりとした顔つきで背を向け、来た道を引き返した。
その片手に提げたランタンに飾られているペンダントの石に見覚えがある。
妹のネーチェリアが作ったと自慢していた、惑わずのお守りだ。
──これはね、惑わせの森に入っても迷わないように、この町へたどり着く方角を示してくれるとっても重要なお守りなのよ。まぁお姉さまなんかの力では作れないでしょうけど。
「待って……!」
セレルの声は届かなかったのか。
エドルフの後ろ姿が、木々にのまれるように去っていった。
セレルはその場に座り込む。
ネーチェリアが人のものを欲しがる性格なのは、良く知っている。
だからといって働きづめで動けなくなった自分が、婚約者だったエドルフに惑いの森で置き去りにさせるとは。
先ほどまで期待していた自分が愚かに思えたが、エドルフが今までなにも行動を起こさなかったというのは、彼の心がセレルにあったわけではなく、自分になにかを施してくれる存在を喜んでいただけなのだと、いまさらになって気づいた。
なぜかはわからないが、そのことに少しほっとしている。
自分の心理が理解できないまま、セレルは重い身体を草地に横たえて目を閉じた。
後はここで朽ちていくだけ。
もう働かなくてもいいのに、好きなだけ休めるというのに、自分の内側が空っぽになったようにむなしかった。
視界がにじむ。
どのくらいそうしていたのか。
地面に振動を感じた。
ぞわぞわと身のおぞけだつような気配が近づいてくる。
セレルが体を起こすのとほぼ同時に、それは木々を間を縫うように現れた。
血まみれの男だった。
その長身の迫力も相まって、今しがた人を殺めたばかりのような鬼気迫る容貌だった。
抑えている胸の辺りから鮮血が溢れている。
男はよろめくと力尽きたかのように膝を折り、地に伏した。
無残な姿がそこにある。
胸をかきむしられたかのようにセレルの心が乱れた。
もう助からない。
気づいたときにはすでに駆け寄っていた。
彼の手をよけると、その痛々しい傷口にてのひらを当てて一心に力をこめる。
怖かった。
しかしその恐怖は動いていた時に感じた男の殺気ではなく、彼がひどい目にあわされている事実の方だった。
「どうして、こんなことに……」
相手が何者なのかを考えようとすると物騒なことしか浮かばなかったので、気にしないようにする。
この傷を前に、どこまで自分の力が通用するのか。
不安を抑えこみ意識をてのひらに向ける。
「触るな……」
長いまつげに縁どられた瞳が、牙をむく狂犬のようにぎらつく。
息をのむほどの美貌だった。
繊細な女性のように薄い色素の美形で、身につけているものはひどく傷ついていたが、よく見ると王族や高位の貴族のような格式のあるものを着ている。
セレルは面食らったが素知らぬ顔をした。
「触るな? 触るよ。だいじょうぶ。私、あなたのこと治すから」
「無理だ。俺はもう助からない」
「でもあなたはここまでやってきた。どうして?」
「うるさい」
「助かりたかったんでしょ」
「うるさい、触るな」
「君のお義母さんが伯爵様から支援を受けている薬草店が、順調なことは知っているよね」
「そうなんだ」
確かに嫌味を言いに来る義母妹は、いつも違う服や装飾品で着飾っている。
余裕はあるのだろう。
「そうだよ。君はいつも寝たきりらしいし知らなかったのかな。ずいぶん儲かっているから、店の支配人がその腕を見込まれて、都で有名な別の店へ栄転することになったんだ。そこで次の支配人になってほしいと僕が頼まれたんだよ。これから店とネーチェリアを支えて欲しいって」
セレルは耳を疑い、ずいぶん大きくなった幼なじみを見上げた。
「だけど……あの、私は……?」
「君は病弱だし、重要な立場を引き受ける僕の妻になることは難しい。それに僕はネーチェリアと一緒に働いて、君のお父さんとお母さんが作ってくれたあの店を守っていきたいんだ」
エドルフは使命感に溢れた口調だったが、セレルがその店を立ち上げた父と母の血を引いていて、一日中働き続け、たった今婚約破棄をされて、なんの権利も与えられていないことには触れなかった。
エドルフはすべて解決したような顔で、静かにほほ笑みかけてくる。
「僕だってつらくないと言えば嘘になる。でも君ならわかってくれるよね」
なにもわからなかったが、それですべてが片付いてしまったらしい。
ぽかんとしているセレルの様子をエドルフは和解だと受け取ったのか、握手を交わしてくる。
「じゃあ僕はこれで。悲しいけどお別れなんだ」
「別れって……ここは、どこ?」
「僕たちは数奇なめぐりあわせだと思う。君を惑いの森へ追放することが、僕の最初の仕事になるなんて」
セレルの顔から血の気が引く。
「今までありがとう。僕の大切だった人」
エドルフはすっきりとした顔つきで背を向け、来た道を引き返した。
その片手に提げたランタンに飾られているペンダントの石に見覚えがある。
妹のネーチェリアが作ったと自慢していた、惑わずのお守りだ。
──これはね、惑わせの森に入っても迷わないように、この町へたどり着く方角を示してくれるとっても重要なお守りなのよ。まぁお姉さまなんかの力では作れないでしょうけど。
「待って……!」
セレルの声は届かなかったのか。
エドルフの後ろ姿が、木々にのまれるように去っていった。
セレルはその場に座り込む。
ネーチェリアが人のものを欲しがる性格なのは、良く知っている。
だからといって働きづめで動けなくなった自分が、婚約者だったエドルフに惑いの森で置き去りにさせるとは。
先ほどまで期待していた自分が愚かに思えたが、エドルフが今までなにも行動を起こさなかったというのは、彼の心がセレルにあったわけではなく、自分になにかを施してくれる存在を喜んでいただけなのだと、いまさらになって気づいた。
なぜかはわからないが、そのことに少しほっとしている。
自分の心理が理解できないまま、セレルは重い身体を草地に横たえて目を閉じた。
後はここで朽ちていくだけ。
もう働かなくてもいいのに、好きなだけ休めるというのに、自分の内側が空っぽになったようにむなしかった。
視界がにじむ。
どのくらいそうしていたのか。
地面に振動を感じた。
ぞわぞわと身のおぞけだつような気配が近づいてくる。
セレルが体を起こすのとほぼ同時に、それは木々を間を縫うように現れた。
血まみれの男だった。
その長身の迫力も相まって、今しがた人を殺めたばかりのような鬼気迫る容貌だった。
抑えている胸の辺りから鮮血が溢れている。
男はよろめくと力尽きたかのように膝を折り、地に伏した。
無残な姿がそこにある。
胸をかきむしられたかのようにセレルの心が乱れた。
もう助からない。
気づいたときにはすでに駆け寄っていた。
彼の手をよけると、その痛々しい傷口にてのひらを当てて一心に力をこめる。
怖かった。
しかしその恐怖は動いていた時に感じた男の殺気ではなく、彼がひどい目にあわされている事実の方だった。
「どうして、こんなことに……」
相手が何者なのかを考えようとすると物騒なことしか浮かばなかったので、気にしないようにする。
この傷を前に、どこまで自分の力が通用するのか。
不安を抑えこみ意識をてのひらに向ける。
「触るな……」
長いまつげに縁どられた瞳が、牙をむく狂犬のようにぎらつく。
息をのむほどの美貌だった。
繊細な女性のように薄い色素の美形で、身につけているものはひどく傷ついていたが、よく見ると王族や高位の貴族のような格式のあるものを着ている。
セレルは面食らったが素知らぬ顔をした。
「触るな? 触るよ。だいじょうぶ。私、あなたのこと治すから」
「無理だ。俺はもう助からない」
「でもあなたはここまでやってきた。どうして?」
「うるさい」
「助かりたかったんでしょ」
「うるさい、触るな」
13
あなたにおすすめの小説
聖女追放 ~私が去ったあとは病で国は大変なことになっているでしょう~
白横町ねる
ファンタジー
聖女エリスは民の幸福を日々祈っていたが、ある日突然、王子から解任を告げられる。
王子の説得もままならないまま、国を追い出されてしまうエリス。
彼女は亡命のため、鞄一つで遠い隣国へ向かうのだった……。
#表紙絵は、もふ様に描いていただきました。
#エブリスタにて連載しました。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
奥様は聖女♡
喜楽直人
ファンタジー
聖女を裏切った国は崩壊した。そうして国は魔獣が跋扈する魔境と化したのだ。
ある地方都市を襲ったスタンピードから人々を救ったのは一人の冒険者だった。彼女は夫婦者の冒険者であるが、戦うのはいつも彼女だけ。周囲は揶揄い夫を嘲るが、それを追い払うのは妻の役目だった。
叶えられた前世の願い
レクフル
ファンタジー
「私が貴女を愛することはない」初めて会った日にリュシアンにそう告げられたシオン。生まれる前からの婚約者であるリュシアンは、前世で支え合うようにして共に生きた人だった。しかしシオンは悪女と名高く、しかもリュシアンが憎む相手の娘として生まれ変わってしまったのだ。想う人を守る為に強くなったリュシアン。想う人を守る為に自らが代わりとなる事を望んだシオン。前世の願いは叶ったのに、思うようにいかない二人の想いはーーー
主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します
白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。
あなたは【真実の愛】を信じますか?
そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。
だって・・・そうでしょ?
ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!?
それだけではない。
何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!!
私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。
それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。
しかも!
ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!!
マジかーーーっ!!!
前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!!
思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。
世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。
聖女の力は使いたくありません!
三谷朱花
恋愛
目の前に並ぶ、婚約者と、気弱そうに隣に立つ義理の姉の姿に、私はめまいを覚えた。
ここは、私がヒロインの舞台じゃなかったの?
昨日までは、これまでの人生を逆転させて、ヒロインになりあがった自分を自分で褒めていたのに!
どうしてこうなったのか、誰か教えて!
※アルファポリスのみの公開です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる