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21 運命を変える花

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 転移魔術の許可地点に着くと、移動は一瞬だった。
 気づけばミスティナとレイナルトは、花畑の海に立っている。

(すごい、薬術の材料の宝庫ね!)

 ミスティナは湖色のドレスをふくらませ、虹色に咲き乱れる花畑に座り込む。

 老婦人の言った通り、周囲には景色を楽しむ観光客も多い。
 人気なのも頷ける見事な景観だった。

(貴重な薬草もたくさん……これならライナスさんの解毒薬も作れるわ。それに古代からある植物も、まだなかった植物も、こんなに豊富な種類の薬草があるんだもの。今まで試したことのないものまで、いろいろ作りごたえがありそう)

 花々とたわむれるミスティナに、レイナルトが目の保養をするように眺めている。

「まるで癒やしの精霊だな」

「それはもう少しお待ちください。ライナスさんの治療薬を作るのはこれからです!」

 観光客が愛でる花々は、ミスティナには薬に加工するための材料に見えていた。
 ミスティナがむしり採る気で手を伸ばすと、レイナルトが静かに諭す。

「ティナ、情熱をたぎらせているところに水を差すが。ここは採取禁止区域だ」

「えっ、採取禁止ですか? ここの薬草なら量も質も期待できるし、傷薬も胃薬も作れるし、なによりライナスさんの解毒薬の材料は……」

「大丈夫だ。サミュエルから普段は立ち入りを禁じられている、奥の区域での採取を許可してもらった」

 ふたりは丘一面に広がる花畑の道を進み、一般の観光客は禁じられている森の奥にある花畑までやってきた。

「ここは質も種類も豊富で……しかも取り放題なんですよね!?」

「ああ。好きにしていい」

 ミスティナは短刀を片手に刈り込み、背後の麻袋に放り込んでいった。
 しかし満杯になる気配はない。
 それは袋の中にレイナルトの転移魔術を発現させ、滞在中の別荘に用意した素材庫へ送っているためだった。

(しかも素材ごとに分別して収納されているらしいのよね。レイナルト殿下が手伝ってくれて本当に助かるわ)

 レイナルトが腰に提げた短剣を引き抜くと、鋭い音が鳴った。

「俺はどれを摘めばいい?」

「採取までお手伝いさせるわけには……麻袋と素材庫をつなぐ転移魔術だけでも、十分に助かっています」

「そう言うな。薬草摘みに夢中なティナを見つめていると、つい抱きしめて離せなくなりそうだ」

「ではそこの青い花を摘んでくださいますか?」

「……わかった」

 こうしてふたりは素材集めに集中した。

「ティナ、そろそろ日が沈んできた」

 レイナルトの声に、ミスティナは我に返って顔を上げた。
 柔らかな斜陽が花畑を夕日色に染めている。

「待って、あと少しだけ」

 ミスティナはそばにある森のすそへ小走りで行くと、足元に茂る植物を熱心に確認する。

(あとひとつだけなのに……)

「ライナスの解毒薬の材料が見つからないのか?」

「それは確保しました。ただ同じ生育地に育つ薬草を使って、どうしても作りたいものがあって」

「ティナがほしいのなら、もう少しだけ探してみよう」

 ミスティナは地図を頼りに、森のより奥深くへと足を踏み入れる。
 すると突然、草で隠れていたその先に地面の感触がなくなった。
 気づけばミスティナは足を踏み外し、隠れていた絶壁に身を投げ出している。

「ティナ!」

 レイナルトの声がすぐそばで響く。
 次の瞬間、ミスティナは背中から抱きすくめられ、彼の腕の中にいた。

「っ、レイナルト殿下、これは」

「浮遊魔術だ。痛むところはないか?」

「は、はい。平気です」

 先ほどの驚きで、まだ胸の鼓動は収まらない。
 しかしレイナルトからすっぽりと包み込まれている安心感があり、深く息を吐いた。

「助けてくださって、ありがとうございます」

 レイナルトは満足そうに、ミスティナのつむじに頬を寄せる。

「役得だな。こんな形でティナを腕の中に迎えるとは思わなかったが……どうにも離し難い」

「絶対に離さないでください」

 崖から落ちたまま宙に浮いているため、足元が心もとない。

(ずいぶん高いところにいたのね……)

 怖いもの見たさのような気持ちから見下ろすと、眼下には雄大な森林と草原が広がっている。

 先ほど落ちた崖のそばには、大きな湖が夕日を受けてきらめいていた。
 ミスティナはまばゆさに目を細めながら、湖に浮かぶ一点に目を凝らす。

(なにかしら、あの岩のようなものは)

 湖には巨大な塊が浮いているように見えたが、それは一瞬で飛び上がった。
 双翼が鮮烈に広がる。
 現れたのは、黒々とした鱗を持つ人の数倍はある竜だった。

「レイナルト殿下、あれは!」

「ああ。領民が話していた湖のヌシのようだな。珍しい個体だ」

 竜は不機嫌そうに咆哮を上げると、威圧的な速度でミスティナたちへと迫りくる。
 獰猛に開いた牙の奥から、なぶるような灼熱の熱気が吐き出された。
 ミスティナの全身が強風に煽られる。

(この風圧、竜の呼気ではなくて、レイナルト殿下から流れる魔力の渦だわ!)

 ミスティナたちの前方を守る壁のように、巨大な魔術陣が展開されて火炎のブレスを弾く。

 罠のように出現したその魔術陣に、竜が鋭敏に飛び込む。
 魔術陣は待ち構える網のようにしなりながらその巨体を受け止め、霧散した。
 それは凍てつく冷気となり、大気を急速に冷やす。

(す、すごい……)

 ミスティナの目の前には偉大な存在感をそのままに、今にも飛びかかってきそうな竜の姿があった。
 それは見事な迫力を持った彫像のように、空中で固まっている。

「これは、レイナルト殿下の魔術で……?」

「氷漬けにしただけだ。どうする?」

 レイナルトは竜を捕らえた高揚も疲れもなく、淡々と尋ねる。

「そうですね」

 レイナルトに問われ、ミスティナは反射的に竜の状態を『視』ていた。
 そして前世で見覚えのある症例を思い出し、意外な気持ちになる。

「この様子だと、竜から感謝されるかもしれません」

 鑑定したところ、竜は慢性的な体調不調を抱えていた。
 そのためささいなことで苛立ちやすくなり、視界に入ったミスティナたちに襲いかかってきたのだろう。

「この竜は、このまま数時間休んだほうがいいと思います。免疫細胞が活性化されるはずです」

 竜の状態は急速な氷漬けによって免疫力を向上させる――ミスティナが前世で調合した氷結薬で行っていた――薬術療法と同じ効果があった。
 原因不明の不調に悩む貴族女性から絶大な人気だった美容法、健康法でもある。

「つまり、氷漬けのままの方が不調が改善すると?」

「はい。気分もお腹の調子もよくなって、鱗もつるつるになります」

「君はそんなことまで知っているのか」

「え。ええ知ってるだけです。あっ、見てください。あの岩肌が気になります」

 ミスティナは足元に広がる断崖の岩壁を指し示した。
 レイナルトはミスティナを抱きしめたまま、浮力の高度を下げてその断崖の前に着地する。

 壁の一箇所には人が通れるほどの空洞が開いていて、そこに斜陽が赤々と差し込んでいた。

「ここ、領民のおばあさんが教えてくれた、藍の洞窟でしょうか」

「本当にあったんだな」

 ミスティナは老婦人と世間話をしたときに聞いた、湖のヌシに守られた藍の洞窟に咲く、運命を変える花を思い出した。

「行きましょう」

 ふたりは足音を響かせながら、藍の洞窟を進んだ。
 突き当たりは丸く開けた空洞になっていて、頭上は天窓のように青空が覗いている。

 その下に緋色の花々が群生していた。
 ミスティナは先ほどのファオネアの町で、宝飾店で見かけた緋色の髪飾りの色を思い出す。

「珍しい花のようだな。少なくとも俺は見たことがない。あれもなにかの材料になるのか?」

「……はい。素材としてはふたつの使い道があります」 

 ひとつはローレット王国に伝わる、王冠の宝玉を作る材料となる。
 この花の特殊な成分を抽出することで、触れた者の血筋を判別することができるためだ。
 もうひとつは自分の過去に戻れる禁忌の薬、回帰薬の素材だった。

(運命を変える花……なるほどね)

 群生する花を前にミスティナが無言で見入っていると、レイナルトが静かに尋ねる。

「嫌いな花なのか?」

 前世ではそうだった。
 そのため咲き乱れる緋色の花を見た瞬間は身構えたが、冷静になった今は少し違った印象になる。
 ミスティナは隣にいるレイナルトを見上げ、その理由に気づくとはにかんだ。

「今はきれいな花だと思います。レイナルト殿下の瞳みたいな色なので」

「ティナは褒め上手だな。だが他の男には言わないでくれよ。妬くから」

 ミスティナは親友のフレデリカや弟のアランの瞳を褒めた過去を、心にしまっておくことにする。

「だが今日は忙しかったから、疲れただろう。ティナのほしい素材があるのなら明日にして、このまま転移魔術で帰らないか」

「そうですね。レイナルト殿下のおかげで、材料集めがとてもはかどりました」

「ライナスの治療に協力してもらっているのだから当然だろう。それとは関係なく、ティナが望むことはなんでも言ってほしい」

「では、一緒に帰りたいです」

 ミスティナから笑顔で頼まれて、レイナルトは言葉に詰まる。

「……君はかわいいことを言うな」

 そう苦笑しながら、ミスティナの前に手を差し出した。
 ミスティナはその手を取る。

「思えば見つからない素材はたったひとつで、それ以外は初日にそろってしまいました」

「どうやら最後のひとつは、ずいぶん変わった素材のようだが」

「はい。それはレイナルト殿下に……」

「俺に?」

「あ、えっと。そうです。レイナルト殿下のことを考えると、どうしても作らずにはいられないというか……」

 レイナルトが興味深そうに見つめてくる。
 ミスティナは慌てて言葉を切った。

「でもそれはまだ秘密なので! できてからのお楽しみです」

「君は本当にかわいいことを言うな」

 レイナルトは繋いだ手をやさしく引き寄せた。
 ほの暗い足元に転移用の魔術陣が浮かびあがる。

「ティナ、ありがとう」

 ふたりの姿は光に包まれ、一瞬で消えた。




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