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37 嵐の廃教会と、笑顔の大聖堂
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◆ ◆ ◆
帝都の嵐の夜。
ずぶ濡れになった俺は、廃教会の冷えきった小部屋に逃げ込んだ。
割れた窓を風が叩き、色褪せた聖像の影が不気味に揺れる
濡れた床には俺の足跡が滲み、手元のロウソクは灯しているこの一本で最後だ。
俺の知っているどこよりも、惨めな場所。
帰るところは、ここしかない。
(クソっ! 俺の不正さえ明るみに出なければ、こんな目に遭うはずがなかったんだ。そうだ、すべてアルージュのせいだ!)
「俺から逃げて公爵夫人だと? 許せるか!」
怒鳴った瞬間、床板がギシリと鳴り、盛大に尻もちをつく。
その痛みとともに、姉の声が脳裏によぎる。
『あなたは兄と同じ――』
「違う!」
あいつは大罪人だ。
帝国で禁じられたマナの聖水を摂って危険な魔力暴走を起こし、さらに獣に変貌する化け物になった。
「俺は聖騎士だぞ!」
闇の奥に、ふっと魔術光が灯る。
そこには黒衣をまとった男が立っている。
俺と同じ紫の髪……まさか。
「兄上……!?」
「みすぼらしいな、ラウルド」
見下すような声色に、カッと血が上る。
「お前のせいだ! お前がステラと密会していたせいで、俺が不義を疑われた! 地位も名誉も財産も……アルージュまで失ったんだぞ!」
「ああ、辛かったな。ロンブル侯爵家も教会も、誰もお前を庇わなかった」
「な、なにを今さら……!」
「悔しかっただろう。惨めだっただろう。その歪んだ世界を俺は正しに来た」
兄が差し出したのは、脈打つように光る青い小石だ。
魔術の気配がねっとり漂い、禍々しい紋様が石の表面でうごめいている。
「これは?」
「魔充具という。廃石から生み出された、魔石に変わる新動力だ」
……聞いたこともない。
俺が取り調べを受けている間に、そんなものまで作られていたのか。
「アルージュが開発した」
「なっ……」
「彼女ほどの才女はそういない。あの公爵閣下が惚れ込こむほどだ。お前が失ったものは大きすぎた」
「黙れ! アルージュは俺を裏切ったんだ!」
思わず怒鳴り、床を睨みつける。
(俺から去ったのは、誰よりも完璧な女性だった……)
彼女は今、別の男の妻。
そんな後悔、考えたくもない。
「だが、アルージュはお前を愛していた」
「そんなこと、わかっている! だが悪喰のせいで醜くなり、俺の言うことも聞かなくなった!」
「これがあれば、あの頃のお前を取り戻せる」
あの頃――俺の学院時代。
水色の髪をなびかせて笑う、誰よりも美しいアルージュ。
教会から授かった聖騎士の紋章。
周囲の羨望の視線、誇りに満ちた日々。
「あの頃の俺に……」
「そう。お前は“正しい場所”に戻れるんだ」
兄の声が、俺の欲望にじわりと染み込んでいく。
俺は震える手で、差し出された石を強く握りしめる。
その瞬間、窓の外の暗闇を稲妻が裂いた。
兄は俺の肩に手を置き、まるでステラに囁いていたときのように薄く笑う。
「これを使えば、アルージュの悪喰は浄化される。そしてお前は、再び愛される」
廃教会の窓を叩く雨音が、さらに激しさを増した。
◇ ◇ ◇
昨夜の嵐が嘘のように晴れ、大聖堂の屋根には雨粒が艶めきを残していた。
「エトさま、またねー!」
「大聖女様、さようなら!」
大聖堂は、子どもたちの声で溢れている。
近ごろは大聖女も人前に立てる規律となり、教会の空気は少しずつ変わりつつあった。
新たな啓示の儀に、女帝が出席すると決まったこともあり、人々の士気も上がっているのだろう。
子どもだけでなく、司祭たちまで張り切って準備を進めていた。
「おじぃちゃん、エト、もっとれんしゅうしたいの。てつだって」
「む……わかった。だが、人目のない場所へ移ろう」
「あいっ」
大司教に手を引かれ、エトワールは奥の部屋へ歩いていく。
「あ、秘密の特訓だ!」
「しっ、内緒のやつよ!」
子どもたちは声を潜めて笑いながら、わくわくした様子で後をついていった。
(あら? さっきまでいたのに……レオノール様が見当たらないわ)
廊下を歩いて探してみると、かわいらしい幼女の声が聞こえてきた。
中庭を覗くと、ひとりで懸命に練習を続ける、大聖女の小さな背中があった。
「熱心ですね」
声をかけると、大聖女は驚いたように振り向いた。
「アルージュさま!」
「啓示の儀も、もうすぐですね。今のお気持ちは、どんな感じですか?」
「……わたくし」
そう言って大聖女は顔を伏せ、緊張した様子で胸に手を当てる。
「おかあさまが、きてくださるのに……しっぱいしたら、きらわれてしまうかもしれません」
「では、レオノール様はどうですか?」
「わたくし?」
「もし、お母様が失敗なさったら……嫌いになりますか?」
大聖女はハッとしたように目を見開き、勢いよく首を横に振った。
「いいえ! おかあさまを、おうえんします!」
「では、お母様も同じ気持ちかもしれませんね」
大聖女の表情から不安が消え、ぱっと笑顔が広がった。
「わたくし、みなさまとれんしゅうしてきますわ!」
大聖女は軽やかに駆け出していく。
その様子に涙ぐんでいた侍女たちは、小さな背中が遠くなっていくことに気づくと、慌てて裾をつまみながら後を追った。
――ピィーッ!
廊下に出ると、一番奥の空き部屋からホイッスルの音が鳴り響く。
大司教が「招集が大変だ」とぼやいていたから渡したものだけど、まさか特訓用として愛用されているとは。
(この調子なら、いっそ“運動会の儀”でも盛り上がりそうね)
新しい啓示の儀は、もう目前。
子どもたちの笑顔も、大聖女の決意も――すべてがそろった。
あとは、この日を迎えるだけ。
◇
近頃頻発している嵐も明け方には去り、濡れた石畳が朝日にきらきらと煌めいている。
澄んだ空気の中、私とエトワールは手を繋ぎ、大聖堂の正門をくぐった。
「おかぁしゃま! きょう、エトね、いちばんおっきいパチパチしゅるの!」
「拍手で応援したら、レオノール様もきっと喜ばれるわ」
「エトのパチパチしたら、おかぁしゃまもパチパチね。スパイのあんごう!」
「ふふ、わかったわ。お母様もエトに聞こえるように、大きく拍手するわね」
「あいっ!」
満足そうに頷いたエトワールを控室まで送り届け、私は大聖堂の入口で女帝を待つ。
清らかな鐘の音が高らかに鳴り響く中、来場者たちも続々と訪れている。
「アルージュ」
低い声に振り返ると、ひときわ目を引く美貌――長身の公爵が立っていた。
その場の空気がわずかにざわめき、周囲の視線が一斉に集まる。
帝都の嵐の夜。
ずぶ濡れになった俺は、廃教会の冷えきった小部屋に逃げ込んだ。
割れた窓を風が叩き、色褪せた聖像の影が不気味に揺れる
濡れた床には俺の足跡が滲み、手元のロウソクは灯しているこの一本で最後だ。
俺の知っているどこよりも、惨めな場所。
帰るところは、ここしかない。
(クソっ! 俺の不正さえ明るみに出なければ、こんな目に遭うはずがなかったんだ。そうだ、すべてアルージュのせいだ!)
「俺から逃げて公爵夫人だと? 許せるか!」
怒鳴った瞬間、床板がギシリと鳴り、盛大に尻もちをつく。
その痛みとともに、姉の声が脳裏によぎる。
『あなたは兄と同じ――』
「違う!」
あいつは大罪人だ。
帝国で禁じられたマナの聖水を摂って危険な魔力暴走を起こし、さらに獣に変貌する化け物になった。
「俺は聖騎士だぞ!」
闇の奥に、ふっと魔術光が灯る。
そこには黒衣をまとった男が立っている。
俺と同じ紫の髪……まさか。
「兄上……!?」
「みすぼらしいな、ラウルド」
見下すような声色に、カッと血が上る。
「お前のせいだ! お前がステラと密会していたせいで、俺が不義を疑われた! 地位も名誉も財産も……アルージュまで失ったんだぞ!」
「ああ、辛かったな。ロンブル侯爵家も教会も、誰もお前を庇わなかった」
「な、なにを今さら……!」
「悔しかっただろう。惨めだっただろう。その歪んだ世界を俺は正しに来た」
兄が差し出したのは、脈打つように光る青い小石だ。
魔術の気配がねっとり漂い、禍々しい紋様が石の表面でうごめいている。
「これは?」
「魔充具という。廃石から生み出された、魔石に変わる新動力だ」
……聞いたこともない。
俺が取り調べを受けている間に、そんなものまで作られていたのか。
「アルージュが開発した」
「なっ……」
「彼女ほどの才女はそういない。あの公爵閣下が惚れ込こむほどだ。お前が失ったものは大きすぎた」
「黙れ! アルージュは俺を裏切ったんだ!」
思わず怒鳴り、床を睨みつける。
(俺から去ったのは、誰よりも完璧な女性だった……)
彼女は今、別の男の妻。
そんな後悔、考えたくもない。
「だが、アルージュはお前を愛していた」
「そんなこと、わかっている! だが悪喰のせいで醜くなり、俺の言うことも聞かなくなった!」
「これがあれば、あの頃のお前を取り戻せる」
あの頃――俺の学院時代。
水色の髪をなびかせて笑う、誰よりも美しいアルージュ。
教会から授かった聖騎士の紋章。
周囲の羨望の視線、誇りに満ちた日々。
「あの頃の俺に……」
「そう。お前は“正しい場所”に戻れるんだ」
兄の声が、俺の欲望にじわりと染み込んでいく。
俺は震える手で、差し出された石を強く握りしめる。
その瞬間、窓の外の暗闇を稲妻が裂いた。
兄は俺の肩に手を置き、まるでステラに囁いていたときのように薄く笑う。
「これを使えば、アルージュの悪喰は浄化される。そしてお前は、再び愛される」
廃教会の窓を叩く雨音が、さらに激しさを増した。
◇ ◇ ◇
昨夜の嵐が嘘のように晴れ、大聖堂の屋根には雨粒が艶めきを残していた。
「エトさま、またねー!」
「大聖女様、さようなら!」
大聖堂は、子どもたちの声で溢れている。
近ごろは大聖女も人前に立てる規律となり、教会の空気は少しずつ変わりつつあった。
新たな啓示の儀に、女帝が出席すると決まったこともあり、人々の士気も上がっているのだろう。
子どもだけでなく、司祭たちまで張り切って準備を進めていた。
「おじぃちゃん、エト、もっとれんしゅうしたいの。てつだって」
「む……わかった。だが、人目のない場所へ移ろう」
「あいっ」
大司教に手を引かれ、エトワールは奥の部屋へ歩いていく。
「あ、秘密の特訓だ!」
「しっ、内緒のやつよ!」
子どもたちは声を潜めて笑いながら、わくわくした様子で後をついていった。
(あら? さっきまでいたのに……レオノール様が見当たらないわ)
廊下を歩いて探してみると、かわいらしい幼女の声が聞こえてきた。
中庭を覗くと、ひとりで懸命に練習を続ける、大聖女の小さな背中があった。
「熱心ですね」
声をかけると、大聖女は驚いたように振り向いた。
「アルージュさま!」
「啓示の儀も、もうすぐですね。今のお気持ちは、どんな感じですか?」
「……わたくし」
そう言って大聖女は顔を伏せ、緊張した様子で胸に手を当てる。
「おかあさまが、きてくださるのに……しっぱいしたら、きらわれてしまうかもしれません」
「では、レオノール様はどうですか?」
「わたくし?」
「もし、お母様が失敗なさったら……嫌いになりますか?」
大聖女はハッとしたように目を見開き、勢いよく首を横に振った。
「いいえ! おかあさまを、おうえんします!」
「では、お母様も同じ気持ちかもしれませんね」
大聖女の表情から不安が消え、ぱっと笑顔が広がった。
「わたくし、みなさまとれんしゅうしてきますわ!」
大聖女は軽やかに駆け出していく。
その様子に涙ぐんでいた侍女たちは、小さな背中が遠くなっていくことに気づくと、慌てて裾をつまみながら後を追った。
――ピィーッ!
廊下に出ると、一番奥の空き部屋からホイッスルの音が鳴り響く。
大司教が「招集が大変だ」とぼやいていたから渡したものだけど、まさか特訓用として愛用されているとは。
(この調子なら、いっそ“運動会の儀”でも盛り上がりそうね)
新しい啓示の儀は、もう目前。
子どもたちの笑顔も、大聖女の決意も――すべてがそろった。
あとは、この日を迎えるだけ。
◇
近頃頻発している嵐も明け方には去り、濡れた石畳が朝日にきらきらと煌めいている。
澄んだ空気の中、私とエトワールは手を繋ぎ、大聖堂の正門をくぐった。
「おかぁしゃま! きょう、エトね、いちばんおっきいパチパチしゅるの!」
「拍手で応援したら、レオノール様もきっと喜ばれるわ」
「エトのパチパチしたら、おかぁしゃまもパチパチね。スパイのあんごう!」
「ふふ、わかったわ。お母様もエトに聞こえるように、大きく拍手するわね」
「あいっ!」
満足そうに頷いたエトワールを控室まで送り届け、私は大聖堂の入口で女帝を待つ。
清らかな鐘の音が高らかに鳴り響く中、来場者たちも続々と訪れている。
「アルージュ」
低い声に振り返ると、ひときわ目を引く美貌――長身の公爵が立っていた。
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