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給湯室
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翌日の休憩時間。
給湯室の横にある小さな休憩スペースで、純は紙コップのコーヒーを手に、ぼんやりと窓の外を見ていた。
そこへ、少し早足で近づいてくる足音。
「純、ちょっといい?」
結衣だった。
その声のトーンで、なんとなく“雑談じゃない”と分かる。
「うん、なに?」
二人は自販機の横に並んで立つ。周囲には誰もいない。
結衣は腕を組み、少しだけ首をかしげて切り出した。
「昨日さ、陽菜に聞いたんだけど」
その名前が出た瞬間、純の背筋がわずかに緊張する。
「純は、拓也の彼女じゃないって言ったの?って」
「……言ってないよ」
反射的に、でも嘘ではない答えが口から出た。
結衣は眉をひそめる。
「でもね、陽菜が言うにはさ。純に直接確認したら、“違うよ”って言ったって」
「……」
一瞬、言葉に詰まる。
違う。
確かに、そうは言っていない。
純は、少し間を置いてから正直に答えた。
「うん、確かに陽菜が私に聞いてきたけど……その時は、『多分いるんじゃない?』って言った」
言葉にすると、あの時の曖昧さが、よりはっきり浮かび上がる。
結衣は目を見開いた。
「え?」
そして、少し強めの口調になる。
「なんで?
なんで『私が彼女よ!』って言わなかったの?」
その問いは、責めるというより、純粋な疑問だった。
純は、紙コップを両手で包み込みながら、視線を落とす。
すぐに答えられなかった。
言葉にしようとすると、胸の奥がもぞもぞと落ち着かない。
「……なんかさ」
ゆっくり、慎重に言葉を選ぶ。
「“私が彼女よ”って言うのが、マウント取るみたいで……嫌だったんだ」
結衣は黙って聞いている。
「言わなくても、いずれ分かることだと思ったし。
わざわざ私から言わなくてもいいかなって……」
そこまで言って、純は自分の気持ちを確かめるように息を吐いた。
結衣はしばらく無言だったが、やがて小さくため息をついた。
「……純らしいっちゃ、らしいけどさ」
「そうかな」
「うん。優しすぎる」
その言葉に、胸が少しだけ痛んだ。
「でもね」
結衣は、少しだけ真剣な目で続ける。
「それ、相手からしたら分かりにくいよ。
特に陽菜みたいな子はさ、はっきり言わないと勘違いしやすい」
「……」
純は何も言えず、黙って聞いていた。
「別にマウントじゃないよ。
事実を言うだけでしょ?」
「……頭では、分かってる」
純は小さく頷く。
分かっている。
結衣の言うことは、全部正しい。
でも。
「言葉にするのが、ちょっと怖かったんだと思う」
それは、今初めて自覚した感情だった。
彼女だと名乗ることで、
何かが変わってしまう気がした。
拓也との関係が、
周囲から“定義”されてしまう気がした。
それに――
自分が彼女だと、堂々と言い切る覚悟が、まだ完全じゃなかった。
結衣は純の表情を見て、少しだけ声を和らげた。
「まあ、無理にとは言わないけどさ」
「……ごめん」
「謝ることじゃないよ」
結衣は肩をすくめて、少し笑った。
「ただね。純が自分の立場をちゃんと大事にしてないみたいで、そこが気になっただけ」
その言葉が、胸に静かに刺さる。
自分の立場。
自分の気持ち。
純は、コーヒーを一口飲んでから、静かに言った。
「……次に聞かれたら、ちゃんと言う」
それがいつになるかは分からない。
でも、今はそう思えた。
結衣は満足そうに頷いた。
「それでいい。
純はね、遠慮しすぎ」
休憩終了のチャイムが鳴る。
二人はそれぞれ紙コップを捨て、フロアへ戻る準備をした。
歩き出しながら、純は心の中で小さく呟く。
――彼女だよ。
次は、ちゃんと声に出せるだろうか。
その問いを胸に抱えたまま、純は仕事へと戻っていった。
給湯室の横にある小さな休憩スペースで、純は紙コップのコーヒーを手に、ぼんやりと窓の外を見ていた。
そこへ、少し早足で近づいてくる足音。
「純、ちょっといい?」
結衣だった。
その声のトーンで、なんとなく“雑談じゃない”と分かる。
「うん、なに?」
二人は自販機の横に並んで立つ。周囲には誰もいない。
結衣は腕を組み、少しだけ首をかしげて切り出した。
「昨日さ、陽菜に聞いたんだけど」
その名前が出た瞬間、純の背筋がわずかに緊張する。
「純は、拓也の彼女じゃないって言ったの?って」
「……言ってないよ」
反射的に、でも嘘ではない答えが口から出た。
結衣は眉をひそめる。
「でもね、陽菜が言うにはさ。純に直接確認したら、“違うよ”って言ったって」
「……」
一瞬、言葉に詰まる。
違う。
確かに、そうは言っていない。
純は、少し間を置いてから正直に答えた。
「うん、確かに陽菜が私に聞いてきたけど……その時は、『多分いるんじゃない?』って言った」
言葉にすると、あの時の曖昧さが、よりはっきり浮かび上がる。
結衣は目を見開いた。
「え?」
そして、少し強めの口調になる。
「なんで?
なんで『私が彼女よ!』って言わなかったの?」
その問いは、責めるというより、純粋な疑問だった。
純は、紙コップを両手で包み込みながら、視線を落とす。
すぐに答えられなかった。
言葉にしようとすると、胸の奥がもぞもぞと落ち着かない。
「……なんかさ」
ゆっくり、慎重に言葉を選ぶ。
「“私が彼女よ”って言うのが、マウント取るみたいで……嫌だったんだ」
結衣は黙って聞いている。
「言わなくても、いずれ分かることだと思ったし。
わざわざ私から言わなくてもいいかなって……」
そこまで言って、純は自分の気持ちを確かめるように息を吐いた。
結衣はしばらく無言だったが、やがて小さくため息をついた。
「……純らしいっちゃ、らしいけどさ」
「そうかな」
「うん。優しすぎる」
その言葉に、胸が少しだけ痛んだ。
「でもね」
結衣は、少しだけ真剣な目で続ける。
「それ、相手からしたら分かりにくいよ。
特に陽菜みたいな子はさ、はっきり言わないと勘違いしやすい」
「……」
純は何も言えず、黙って聞いていた。
「別にマウントじゃないよ。
事実を言うだけでしょ?」
「……頭では、分かってる」
純は小さく頷く。
分かっている。
結衣の言うことは、全部正しい。
でも。
「言葉にするのが、ちょっと怖かったんだと思う」
それは、今初めて自覚した感情だった。
彼女だと名乗ることで、
何かが変わってしまう気がした。
拓也との関係が、
周囲から“定義”されてしまう気がした。
それに――
自分が彼女だと、堂々と言い切る覚悟が、まだ完全じゃなかった。
結衣は純の表情を見て、少しだけ声を和らげた。
「まあ、無理にとは言わないけどさ」
「……ごめん」
「謝ることじゃないよ」
結衣は肩をすくめて、少し笑った。
「ただね。純が自分の立場をちゃんと大事にしてないみたいで、そこが気になっただけ」
その言葉が、胸に静かに刺さる。
自分の立場。
自分の気持ち。
純は、コーヒーを一口飲んでから、静かに言った。
「……次に聞かれたら、ちゃんと言う」
それがいつになるかは分からない。
でも、今はそう思えた。
結衣は満足そうに頷いた。
「それでいい。
純はね、遠慮しすぎ」
休憩終了のチャイムが鳴る。
二人はそれぞれ紙コップを捨て、フロアへ戻る準備をした。
歩き出しながら、純は心の中で小さく呟く。
――彼女だよ。
次は、ちゃんと声に出せるだろうか。
その問いを胸に抱えたまま、純は仕事へと戻っていった。
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